11-02 Sun , 2008
ETVワイド「LGBT」を見て
昨日の夜、9時半から2時間やった「ETVワイド LGBT」を見た。

まー、「ハートをつなごう ゲイ/レズビアン 第1弾、第2弾」「LGBT 第1弾」「性同一性障害 第5弾」の内容をそのまままた再放送した部分が、だいたい約半分以上で、ここからの後日談と新ネタが2つほど、という感じかな、内容は。関パレのときに取材に来てたって聞いたから、ちょっとはやるのかと思ってたら、なんと番組の最初にちょこっと使われただけだった(苦笑)あれじゃ、パレードの様子だって分からないよね、出てない人には。で、同じ内容のVTRを見さされて「あー、またこれ?」って正直思った。

ただ、これを見てはっきり分かったのね。「ああ、これはわたしみたいな『すれっからしな』同性愛者(性的少数者)はターゲットとしてないな」って。これはね、LGBT(性的少数者)のことを何も知らない人たち向け、それから今、自分が性的少数者かどうか悩んでいる人たち向け、の番組なんだな、と。それと、やはり「同性愛者であること」についてほとんど全くといって悩んでこなかった、わたしのような人間は、これを見ると「あ、なんかこのことに悩んでこなかったわたしって、何も言う資格がないのかな?」って感じてしまうのね。

悩む人間もいるし、悩まない人間もいるだろう。しかし、悩んでいる人間、過去に悩んだことがある人間は悩んでいることに対して何か言う「権利がある」。しかし、そのことについて悩んだことがない人間にとっては何も言う「権利がない」。それを強く感じてしまうのね。「そんなこと、悩む必要ないよ」って言うことすら言うことがはばかられる、みたいな感じかな。それって逆に「(悩んでこなかった)疎外感」みたいなのを感じてしまうんだよね(苦笑)

まぁ、番組の作りとして、まだ「LGBT」というのは、始まったばかりだから、「LGBT」という用語の説明からしなくてはならない、というのは分かる。しかし、見ていたらそれすらもしかしたら正確には伝わってないんじゃないの?って思わせる部分があった。それは「同性愛者」と「性同一性障害」の違い、のところで、上川さん(MtFヘテロ)と野宮さん(MtFレズビアン)についてのところだったんだけど、野宮さんが「レズビアン」ということを明確に言わなかったために(男性にも女性にも惹かれる、っぽいことを口にしていたような。その割にテロップには「レズビアン」って書いてあった)、そこにいた司会の町永アナ(この手の番組は初出演だったらしく、「初心者」ということになっていた)が、やっぱり明確に理解してないような感じだったのね。それがね、ちょっと気になった。「頭では理解できた」とあとで言ってたけど、ホントに理解したの?って。

ここんとこは、実はとても大切なところだとわたしは思うのよね。「同性愛」と「性同一性障害」ってのは、簡単に言ってしまうと「次元が違う」話なわけ。今、テレビに出ている性同一性障害の人って、ほとんどヘテロ(異性愛者)の人だと思うから、それはたまたまその人がヘテロであるだけなのに、一般の人は「同性同士で好きになることはおかしい→片方が性別を変えて、異性愛者のカップルになる」という図式の方が分かりやすいと思うのね。それは自分が同性愛者かな?と思った人でも「もしかしたら、自分は将来、異性に『性転換』したくなるのかな?」と思わせてしまうほど、この世の中って「男」と「女」の世界なのだ。だけど、「自分の性がどちらかであるか」というのと「自分がどちらの性を好きになるのか」はまた別問題なのだ。「初心者用」に番組を作っているのなら、そこら辺をもっと強調すべきだと思ったし、あの程度だと一瞬、頭が「???」にはなるとは思うけど、その後、なにもなかったようにスーッと番組が進んでいってしまったので、多分、今までそんなことを思ったことのない人にとっては、多分、あれは理解されてはいないと思う。

で、相変わらず「自分のことを同性愛者として認められなくて悩む」若者ばかりが出てきて、上にも書いたけど「性的少数者は一度は悩むもの」って固定されてしまっているのね。そこに「わたしは悩みませんでした」って人もいてもいいじゃないか、って思うんだけど、それをやると番組がグチャグチャになるからかなあ。悩んでいない人間は話になりにくいからかなあ。けど、実際、そんなに悩んでいない人間もいると思うんだよね。

なんかさ、悩んでる、悩んでる、ってずっと聞かされると「あー、なんてかわいそうな人たちなんだ」って思われるようでイヤなんだよね。。で、ちょっと番組の中で出てきたけどその「悩み」は、別に悩んでいる人の責任じゃないんだ、悪いのは「異性愛強制社会(とは実はあまり思ってないんだけどね、わたし(笑))」である「この世の中が悪い」んだよね、実は。性的少数者であるということは、本人の責任ではないんだから。なのに、やっぱり悩んでしまうんだよね。

ただ、これは、多分、どんな「性的少数者先進国」であっても、悩む人は悩むんだと思う。例え「同性婚」が認められている国だって、やっぱり自分が育っていく過程で「人とは違う」「(もしかしたら自分は)人からからかわれる存在である」と分かったら、それを隠したいと思うだろうし、人には相談できないと思うだろう。例え、LGBT青少年に対しての環境が整っていたとしても、本人がそこに行かなければ、その恩恵は受けられないのだ。既に「その場所に行く」ということが、その本人にとってどんなに怖いか。その怖さだけは、わたしは分かるつもりだ。だから、この問題って時代が進もうが何しようが変わらない問題だと思うのね、正直言って。「他の人に相談しよう」と本人が思えるまでは、やっぱりその人は「孤独」なんだよ。そして、そこのところは他人にはどうしようもないのだ。ま、わたし自身は悩んだことはないけど、だけど、やっぱり「自分と同じ同性愛者という人」に会うのはものすごく怖かった。

悩んでいる人は「同性を好きになるなんて、この世(この日本)に自分一人ではないか」と思ったりするらしいが、わたしの場合は、この世に同性愛者がいっぱいいることは分かっていたし、自分もそこに属する人間なんだな、ということは悩むことなくすんなりと理解した。が、自分と同じ同性愛者と会うまでに、何年かかっただろう?レズビアンのミニコミ誌を取るまでに数ヶ月悩んで、それから転送手紙で知り合った人に会うまで、実に半年の時間を費やしている。その間、やりとりは手紙だけ。電話さえ怖くて掛けられなかった。たった1度だけ、時間を決めて(それも手紙でね)、そして電話をしたことがある。そのときの緊張したことといったら。。。正直言って何を話したのかよく覚えてない(苦笑)けど、電話したあとで手紙で「やっと電話できたね!」なんて書いてたんだよ。向こうもホント、「初心者」だったんで、お互い、少しずつ、少しずつ近づいていった、って感じなんだよね。今の自分からすると、ホント、笑い話みたいな話だけどね。

だけど、今は昔よりは確実に他人と連絡を取りやすくなっているだろう。ネットの普及もあるし。わたしの時代はそのような情報に触れるには、ミニコミ誌を取るくらいしか選択の余地がなかった(もちろん、直接二丁目に行く手もあるけど、びびりのわたしにそんなことはできなかった(笑))けど、今はネットで簡単に検索できるし、探そうと思ったら、本当にいろんなサイトに出会えることができる。その点は、時代は確実に進歩したと言える。だから、問題は「自分の中の悩み」から外に出ることなんだよね。それはもう、悩んでいる本人次第でしかない。これは古今東西、共通していることだと思う。それは性的少数者が「少数者」である限りは仕方がないことだ。そして性的少数者は、どんなに頑張っても(?)多数派の中には入れないのだもの。だから「社会が悪い」といいつつ、その社会を変えるのはやっぱりすごく大変なことだと思う。そういう意味では「性的少数者が(一般の異性愛者と同じように)ありのままでいられる世界」なんてまだこの世の中には存在しないと思う。

ただそこで「悩んでない人」の存在も一方では「いる」ってことも明確にしておかなければならないんじゃないかなって思うんだよね。まー、まだ始まったばかりの番組にそこまで期待してはならないのかも知れないけど、わたしが悩んでなかったので、そこはものすごく気になるのだ。

んで、、わたしが一番気になったのが「ロールモデルがいない」と言った人。でもね。わたしの周りにはそれこそ十何年、って同性同士で一緒に暮らしている人が何人もいるし、十年まではいかないけど、わたしたちも含めて十年近く付き合って、そして一緒に暮らしている人もたくさんいる。そういうのが全く「見えてない」のね。だから「ロールモデルがいないから不安だ」ってことになっちゃう。そして本来は経験が豊かである左側に座っている人たちが「そんなことはないよ、何十年一緒に暮らしているカップルもいる」って言えばいいのに、そういうこと、一言も言わなかったんだよね(言ったかも知れないが、放送はされてないのは事実)。ここでさぁ、なんていうか「同じところグルグル現象」と言えばいいのか、上の世代と下の世代の分断、を感じるんだよね、わたし。上の世代は確かに何十年って一緒に暮らしているカップルがいるにもかかわらず、そういう人たちは既にこの番組には興味がない(笑)誰か、十数年、一緒に暮らしているカップルがでてくればいいのに、って思ったりするけど、そういう人たちは既に自分の生活がそれで安定しているから、別にこの手の番組を見ようなんて、さらさら思ってないし、多分、こういう番組の存在さえあまり知らないのではないかと思ったりする。

だけど、あそこの左側に座っている人たちは、中に十数年も一緒に暮らしているカップルの人の存在は絶対に知ってるはずなんだよ。本人たちはどうなのかは知らないけど。そういえば、あそこの左側に座っている人たちは、あまり自分たちのことについては触れないんだよね。付き合っている相手がいるのかすらよく分からない。しかし、あそこの場に座っているのならば、少なくともそういうことで悩んでいると分かったのならば、何か、言わなければならないのではないか?まさか「今からわたしたちと一緒に『ロールモデル』を作っていきましょう」ではないだろう。まぁ、あそこに座っていた人たちって、多分、わたしと同世代の人って上川さんくらいしか知らなくて、他はわたしより若い人たちだから、全体的に「あー、若いね」って思うんだよね(笑)

例えばわたしがあの番組に出演するとしたら?右側に座るのだろうか、左側に座るのだろううか?ってふと思うときがあるのね(別に出演するつもりもないし、その前に声もかからないだろうけどw)。そうしたら、若い人の中に入るわけないじゃん、って思うから、まず右側はあり得ない。とすると、左側しかないでしょ。しかし、左側に座っている人って、今までそれなりになんか活動してきた人たちで、なにも活動していないわたしがあの中に座れるわけはない。

しかしね。これは今後の話でもあるけれど、別に左側に座っている人は「この世界で有名な人たち」でなくてもいいと思うのね。同性カップル同士で十何年一緒に暮らしてきた、活動もなにもしていない普通の人を座らせてもいいと思うんだ。そうしたらより具体的に見える「ロールモデル」がいるじゃない?そして「いや、特に同性同士で住むことについては、なんてことなくて、多分、結婚している異性愛者のカップルと同じように暮らしてます」って言えば、「ああ、そうなのか」っていっぺんで分かると思う。そう、わたしたちの生活は、同性愛者だからと言って日々抑圧されて暮らしているわけじゃない。一般の異性愛者カップルと同じように幸せに暮らしている。

ただ、、問題なのは、何十年一緒に暮らしていようと、法的保障はなにもされないってこととか、男性同士じゃ住むところを探すのに苦労する、とか、病院で面会謝絶の時にはパートナーに会えないとか(病院とあとはその関係を親族がどう思っているかによるが)、そういう話はあるよ。本当はこれが一番重要な問題だとわたしは思っているから、この問題をなんとかしたいと思っているのだが、まぁ、所詮、この番組は「福祉番組」であり、この話を突然「人権番組」にするわけにはいかないとは思う。でも、多分、行き着くところは「人権」なんだとわたしは思っているけどね。

この時点でね、わたしは「ああ、この番組はわたしのような人間はターゲットにされてないな」って思うわけね。

例えば、「ゲイ/レズビアン 第2弾」で出てきたレズビアンカップルの話。後日談が出てきて、カナダで結婚をして婚姻証明書をもらった、という。「これは日本だとただの紙切れになるけれど、わたしたちの間ではただの紙切れじゃない」という。まー、そういう考え方もあるから、否定はしない。日本でも婚姻届に名前を書いてそれを役所には出さず保管している人だっているんだから。でも結局「わたしたちにとってはただの紙切れじゃない」ってのは、日本の婚姻届に名前を書いて判をつくのとほとんど変わらないじゃん。確かに同性婚が認められている国を旅行すれば、カップルとはみなされるけど、言っちゃ悪いけどそれだけの話だよね。

それだったら「なぜ、日本では結婚できないだろう?」っていう言葉が一言でも出てこないのか。日本では結婚できない、ということが既に「前提」になってないか。日本で結婚することに対して諦めてはいないか。わたしはつい、そう思っちゃうんだよね。。ただ、この問題を取り上げちゃったら「福祉番組」じゃなくなると思うけど(笑)

あと、前見たときには気がつかなかったけどね。「性同一性障害 第5弾」でやった、イギリスに語学留学した人の話をもう一回見ることになったわけだけど(笑)、ホストファミリーに「○○がいい人間だから受け入れた」って言われてるんだよねー(苦笑)そりゃ、ホストファミリーにとっては、性同一性障害の人であろうがなかろうが、ステイする人間がいい加減な人間だったら受け入れられないだろう。なんそれとごっちゃにしてないか??いい人間しか少数者は人に受け入れられないのか、というか、受け入れるという言葉自体が既に「上から目線」なんだよね。もうね、いい人間かどうかに関わらず、性的少数者って存在するのよ。だから、その人が「自分は性同一性障害(同性愛者)です」って言えば、その人の存在は拒否できないの。「受け入れる」「受け入れない」はまた別の次元の話。それはその人と自分の「関係性」に過ぎないから。どうもね、そこんとこをもう一回考え直した方がいいんじゃないの、当事者も、非当事者も、って感じがするんだよね。

なんといわれようが、同性愛者であるわたしは今、この世に存在しているの。

でも、それを全世界の人間に言って「受け入れられよう」とも思ってないし、「受け入れられるべきだ」とも思ってないの。だって、小学生じゃあるまいし「みんな、ケンカせずに仲良くしましょう」の世界じゃないでしょう、この世界。それにこっちだって友達は選ぶ権利があるのよ(笑)いつもいつも「選ばれる」だけじゃないんだよ。それをなんか間違ってない?って思うんだよね。

「この世に存在する」ことと「その人と仲良くやっていきたい」って思うのは、別問題なの。逆にわたしから「あなた、いい人間だからあなたの存在を認めてあげる」って言われたらむかつくでしょ?それと同じなの。確かにその人の人格にかかわらず、「性的少数者を受け入れられない人」も中にはいるでしょう。そのことはわたしたちは知っておかねばならないとは思う。けど、そういう人はそこまでの人。「あ、心の狭い人なのね」って逆にかわいそうに思ってあげましょう、って感じ。そういう人は、他の場面でも絶対に自分から世界を狭くしている人間だと思う。まー、それで本人が構わないのならそれでいいんだけどね。少数者だからって(憐れんで)受け入れてもらって「ありがとう」なんて涙する必要なんかないんだよ、本当は。

ただ、カミングアウトが当事者にとって難しい問題なのは確か。

友人にね、カミングアウトして受け入れられなかったとしても「しょうがないなあ、ま、そういうヤツだったのね」で済むけれど、親へのカミングアウトはそうではないから。親って一番カミングアウトしたい人間にもかかわらず、一番カミングアウトしにくい人間であり、そして、一回のカミングアウトでは通じない人間。

スタジオや録画で子供が「全く理解してない!」って言ってる人が何人かいたけれど、まさにそう(笑)もちろん親側もどうにか理解したいとか、しかし、頭では分かってても、、って部分はあると思う。やはり「親」として今まで自分の子供に接してきたのだから、自分のこと以上に心配するのは確かだったりするし、理解するための努力だってしてるのかも知れない。が、当事者に言わせると「あー、ここまで説明したのに、まだ分かってないんだ」って何回も何回も奈落の底に突き落とされる。肉親であるだけにそのショックは大きい。逆に親の方も「分かってない」と言われる度に混乱するだろう。ただね、当事者として言いたいのは、頭じゃなくて、心で分かって欲しい、と思うんだ。自分がもし、子供の立場だったら、と想像してみるのが一番だと思う。でね、これがやりやすいのは、やっぱ母親なんだよね。父親はなぜかそれができない。あ、これはうちの場合。

もううちは別件のこともあるし、既に分かって欲しいとかそんなことは思ってないし、今度いつ会うかなんてことさえも知らない。だから、諦めちゃった人間が言うべきことではないとは思うけど。親へのカミングアウトは本当に慎重にした方がいいと思う。確かに言ったら楽になる部分もある。けど、カミングアウトは1回では終わらないと思っておいた方がいい。そして、何回も何回も失望感に襲われると思う。それでも、例えば二人で幸せに暮らしている姿を見れば、少しは理解してくれるようになるのではないだろうか、と思う。親はなんだかんだいって、子供の幸せを一番に願うものだと思うから。

もちろん、親へカミングアウトしても全く問題なかった、って人もいると思う。そして、そういう人はこう言う話を聞くと「わたしにはカミングアウトに対しては語る資格はない」って思っちゃうんだろうな。。でも、そういう人もいるってことも世間に伝えるのも無意味なことじゃないと思う、わたしは。この世の中、いろんな人が存在するんだから。同性愛者だとしても、その人の生きざまはさまざまだし、周囲の環境もさまざまで、「一つの統一した同性愛者像」なんて存在しないのだ。そこのところがまだ、この番組は描き切れていない、と思う。これはまぁ、今後の課題なのかな。。この放送をどういう方向にしていきたいのかはわたしには分からないのだけれど。

あと。社会的な性、いわゆるジェンダーについて、社会に出たときにどう生きるか、という話もあったんだけど、これって、性同一性障害の人にとっては、確かに重要な問題だろう。なんせ、戸籍の変更をしていない限り、履歴書に書いてある「男性」「女性」と、今の自分の姿が、まぁ一般的に異なるんだから。そこのところをクリアするのは大変だと思う。いちいち説明しなければならないこともあるし、それにこの場合は企業側に選ぶ権利があるので、なるべくなら「不利」なことは言いたくないだろうし、企業側に「めんどくさい」と思われたくないってのはあるだろう。でもそれは、実はその本人の問題ではなくて、やっぱり「社会の問題」なんだよ。そういうところで「差別」されてはいけないのだ。だけど、そこには明らかに差別があって、今の日本は、そういう差別を規制する法律がない。そこが問題なんだよね。といいつつ、企業はいくらでも言い逃れできるとは思うので(男女雇用機会均等法ができても、男女の給与の差はあるのは事実だろうし、それに対して女性側が訴えても企業側は「本人の能力の問題」にするに決まっている。そこをどうやって裁判で勝つか、が問題だと思う)、言い逃れできないようなシステムを考えるべきだと思うのだけれど。。

でも番組で「性的少数者であるということなんか、吹き飛ばすくらいに『この人間を取りたい』と企業に思わせる実力を持った人間にならなくちゃいけないんだ」って言った人がいたけど、悲しいけどこれが現実なのかも知れない。

とはいえ、わたしの場合だと、まず、確かに就職活動のときは、いわゆる「リクルートスーツ」と言われるもので試験や面接に臨んだけど、「まー、仕方ないな」って感じだったし、それに、就職しちゃってからは、色の付いている(茶系統とか、コールテンとか)ジーンズで行ってて、本人は「まー、ジーンズだとは分からんだろう」と思ってたのに、周囲ではバレバレだった、とか(爆)それに、わたしは滅多に洋服を変えない人間だったけど、別に周囲からはなーんも言われなかった。仕事に関しては、入った途端に「つなぎ」を注文し、つなぎ着て、安全靴履いてっていう「現場ファッション」で仕事をしてたので(出張の時は)、男女差ってのを感じたことはなかったのよね。まー、わたしの場合は思いっきり特殊な分野だから、ってのはあったんだけど。。

あとは会社の人とは個人的に仲良くなりたいとは思ってなかったから(爆)、自分のプライベートな話はほとんどしなかったしね、野球を観に行った、という話以外は。会社の人に飲みに行くのを誘われても絶対に断わってたし、そんなのね、自分を押し殺してやりたくないことまでしなくていいのよ。あ、与えられた仕事はその代わりちゃんとやらなきゃいけないのは、社会人として当然のことだけれどもね。それ以外のことは、別に自分の思ったままにすればいいのだ。どうして周囲の目をそんなに気にしてしまうんだろう?って思ったよ。周囲の目なんか気にしなくても、自分が思ったまま突き進めば、周囲の人は「この人はこんな人なんだろう」って、もう何も言わないはず(笑)

そんで、そこんとこは職種によって違いはあるだろうけど、あまり「男らしさ」とか「女らしさ」って会社は求めないと思うんだよね。。それより仕事できる人間を求めてると思うし。んー、これはホント、企業によって違うだろうから何とも言えないんだけど。だけどわたしの経験から言ってしまうと「そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ」とは言いたいわけで。「自分が思ったように、やりたいことやってりゃいいじゃん」って(敢えてもう一回書くけど、与えられた仕事はちゃんとこなすのは当然のことだから。わたしが言っているのは、仕事以外のプライベートなことの話)。

わたしの場合、就職するのにものすごい制約があったんで、ホント「自分のやりたい仕事」じゃなく「なんとかして一人で食えるような仕事」でなおかつ「自分が受けられるところ」ってんで、実はその中にNHKも入ってました(爆)でも最初の試験か面接で落とされた(爆)まー、動機が思いっきり不純だったからなー。

てなわけで、やっぱりね、これってわたしのような人間向けの番組じゃない、ことがはっきりしたことは確かで。結局、このまま番組が進んでいったとしても「ハートをつなごう」が福祉番組である限りは、わたしが「あー、なるほど」とか「そうそう、そうなんだよね」って思えるような番組にはならないだろうなって思ったのよね。。。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

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