10-01 Wed , 2008
ハートをつなごう ゲイ/レズビアン第2弾、2日目
えー、昨日のことになってしまったが「ハートをつなごう ゲイ・レズビアン第2弾」の2日目を見た。今回の内容は、2,400人が住む島で、ゲイとして生きていっている人(という言い方は少し変だと思うが)の話だった。

一昨日か、日記には書かなかったんだけど、彼女とあとで話していたことがある。それは「周りにカミングアウトしたとき」の当事者の反応。なんていうかね「受け入れてもらってありがとう」みたいな感じなんだよね。。それはわたしにもよーく分かる。わたしだって、何人もの友達にカミングアウトしているんだもの。やっぱり受け入れられたと思ったら、とても嬉しいに決まってる。けど、カミングアウトに関する考えは、わたしはだんだん変わってきて、今は「受け入れられるも受け入れられないもここにわたしという存在がいる、ということは確かなんだから、受け入れられてもらってありがとう」というのは、なんかおかしいんじゃないかと。

この考え、ある意味とても「進んでいて、あるところまで行き着いてしまった」人間の意見かも知れない。けど、わたし自身は、受け入れるとか受け入れられるとかじゃなく、ただそこに「レズビアンとしての自分がいる」だけで十分じゃん、人から受け入れられようと受け入れられまいと、わたしがここにいるのは確かなことで、受け入れられなかったらそれまでの関係だったんだろうし、それにわたしだって、言っちゃ悪いけど、すべての人と仲良くできるとは全く思っていない。むしろ、わたしは人間の好き嫌いが激しいし、わたしが向こうを「受け入れられない」ことだってある。

この日の番組を見てね、一昨日見たときよりも更に強くこのことを感じてしまった。

確かに人口が2,400人の島で自分を隠さずに生きていこうとする姿勢はすごいと思ったけど。実はわたしも昔、働いていたときに島への出張が本当にたくさんあって、今回、2,400人の島ってだいたい、わたしが行っていた島のうち、どれに相当するんだろうかと思って、ちょっと調べてみたら、ちょうど適当な島があって「ああ、ここら辺のレベルか」って思ったのね。わたしはその島には出張でしか訪れたことがないし、もちろん住んだことはないんだけど、だいたい島の雰囲気は分かる。で、確かにわたしがあそこでカミングアウトして住むのは、大変なことだろうなと言うことは多分、他の、島に行ったことない人よりはよく理解できると思う。大抵の島は、ほとんどが高齢者である確率は高い。多分、昨日出た人が住む島も(どこかは知らないけれど)、高齢者が多いと思われる。そこで「ゲイ」としてカミングアウトするのは、大変だろうな、って気もする。が、島の人たちって人付き合いの密度が濃いので、逆に「受け入れられやすい」かも知れないとも思う。だいたい、そこで仕事を持って暮らしているのに、島中がその人を「村八分」にすることなどは、考えるとそちらの方が難しいと思うからだ。しかも、確かに同性愛者であるけれども、多分、高齢者となると、むしろ「そういう人もいるだろう」程度にしか受け止めないのではないのかと思う。

んー、わたしが昨日の番組を見て、とても違和感があったのは「同性愛者とかってそんなに『品行方正』に生きなきゃ人から同性愛者として認められないの?」ってこと。

あの人の母親も話してたけど「ゲイだけれども、よく気がつく子で、うんたらかんたら。。」と話してたけど、同性愛者(っていうか、この場合、性的少数者でもいいんだけど)ってそんなに「いい人間」じゃないとダメなの?「こういう個性を持って生まれてきた」って言ってたけれども、同性愛って「個性」なの?じゃ、同様に異性愛も「個性」なの??左利きに生まれ来たらそれも「個性」なの?なんか、違うんじゃないの?同性愛者はただ、性的指向が同性に向いているだけで、それは「個性」とかそういう問題じゃないんじゃないの?「個性」ってもっと別のことを指すんじゃないの?よく障碍者の人たちにも「個性」という言葉が肯定的に使われるけれども、それって「個性」とは言わないんじゃないの?って思う。障碍があるその人ってのは、やっぱりその部分は「障碍」なんだと思う。でもその「障碍」を持つ上でその人の「個性」というものが育まれていくだろうけれど、「障碍」の部分だけを指して、それが「個性」なわけじゃないと思う。わたしはわたし自身が「同性愛者」だってことは、自分の中で確かにある一定の部分を占めて、それによって自分を発展させてきた部分もある、とは思う。けどそれはわたしの一部であって、全部じゃない。それに「同性愛者」だけでそれが「個性」と思われるなど、とても心外だ。わたしは「同性愛者」という部分だけで生きているわけではないのだから。

またスタジオで披露された手紙にも「○○さんだから、受け入れます」とか「これからももっと島のために働いたら、それをみなが見て、受け入れられるだろう」みたいなことが読まれたけれど、わたしはそれを聞いていて、なぜか「泣いた赤鬼」を思い出した。同性愛者が受け入れられるためには、この「泣いた赤鬼」のような「赤鬼」にならなきゃいけないのだろうか?つまり、みんなから「同性愛者として受け入れられる」ためには、みなよりも一生懸命働いて、そして善良な人間で、他の人に危害を加えない人と分からせないと、受け入れてもらえないというのだろうか?それは、違うだろう。同性愛者だからって、特別に他の人よりも頑張って「いい人」じゃないと受け入れられない、というのは明らかにおかしい。彼は、彼のままで、そしてその人が人として島の人にどうやって受け入れられるか、ってことの方が大きいんじゃないのか?そして、その人はたまたま「同性愛者だった」。それだけのことだ。

確かに島の人は今まで「自分は同性愛者です」なんていう人間は見たことがないだろう。だからびっくりはされるだろう。わたしも元職場の人にカミングアウトしたとき、定年退職した元上司に「そういう『告白』をされたのは初めてだ」と言われ(その「告白」というのがミョーに胸に残っている(笑))、それから「そういう決断をしたのなら、これからはしんどい道のりだろうが、それは○○さん自身がそう決めたことで、自分は助けてやれない」と言われたことがある。わたしは「上司らしい言葉だな(笑)」って思ったけれど、それは確かにその通りなんだ。けど、わたしはもう、カミングアウトすることがしんどいこと、だなんて思わない。受け入れる人だけが受け入れ、受け入れられない人は受け入れられなくてもいい、と思っている。わたしが善良な人間かどうかで、同性愛者として受け入れられる、受け入れられないなんて判断されるのはまっぴらだ。わたしはどういう人間であろうが、同性愛者であるのだ。わたしは「泣いた赤鬼」の「赤鬼」ではない。

この世の中はまだまだ「異性愛社会」で、それに対しては、確かに歯がゆい思いがする。この世の中にいるのは「異性愛者」だけで、その他の人は「いない」ことになっている。そして「いる」としても、それは、実像とは全く違った、虚像だったりする。そのことに対しては、偏見を解いていかなければならないとは思う。そして、若い性的少数者をなるべく生きやすくすることは大切なことだと思う一方、今のわたしのような年齢の同性愛者の生き方も重要なことだと思っている。なにしろわたしより上の年代の同性愛者の生き方を示した「ロールモデル」がないので、わたしたちは、自分でその道を切り開かねばならないのだ。身内との付き合い方、二人の関係、身の回りの人との関係、そういうことはこれから、いやが上にも直面せざるを得ない問題である。もちろん、カミングアウトはその一歩ではあるのだけれど。だけど、カミングアウトだけが大切なことではないのだ。

とはいえ、わたしはカミングアウトしないって言う人には別にカミングアウトは勧めない。確かにカミングアウトして生きるのはしんどいことでもあるからね。そして、その一歩を踏み出すのは、やはり大変なことだと分かっているから。けど、間違えないで欲しいのは、自分が人から受け入れてもらうためにいい人であろうと努力することじゃないってこと。もちろん、この世の中、偏見があって、離れていく人もいるだろう。が、そんな人は「所詮そこまでの人」なのだ。性的少数者である自分が悪いわけではない。親しかった人が離れていくのはつらいだろうが、仕方がない。そして、カミングアウトして「受け入れられてもらった」としても、別にお礼など言う必要はないのだ。

って別にこの人を非難しているわけじゃないけど、なんかね、1日目の番組からちょっと思ってたんだけど「同性愛者は、周囲から受け入れてもらって生きるもの」ということがなんか強調されているような感じがして、「そうじゃないんじゃないの?」とは思ったから。HIV/AIDSの「Living Together」じゃないけれど「もう既にわたしたちはここにいる」わけで、そのことをただ表にしているに過ぎない。

けれど、この人は「自分がゲイであること」によって、もしかしたらその島にいる性的少数者の「救い」にはなるかも知れない。それはとても重要なことだとは思う。ただ、島は子供は少ないだろうし、どういう島かは知らないけれど、高校になったら、多分、自分の家を離れて、本土の学校に行くってパターンが多いとは思うけど。。ただ、同性愛者ではないその島の子供は、少なくとも身近に「同性愛者」を見るわけで、そこから偏見がなくなればいいなとは思う。とすると、やはり「品行方正な生活」は避けられないのか、、、

パートナーはイギリス人だと言っていたし、画像も見たけれど。
今の婚姻制度の整っていない日本で、どういうビザで来て、どのように暮らすのだろう。人のことながら、そちらの方が心配になってしまう。それだったらいっそのこと、制度の整っているイギリスの方が暮らしやすいんじゃないの?とも思うけど、それは二人で話し合った上でそう決めたのだろうから、そのことについては、何も言わない。

今回の番組で一つだけ共感したところがあるとしたら、「異性の結婚式は何とも思わなかったけれど、同性の結婚式に参加したら『ああ、参加している』という気分がした」というところかな。それも形だけでなく、国が認める正式な結婚だったら、わたしはまだそういうところには参加したことがないけれど、本当にそう思うだろうな、と思う。

なんて、今回は文句ばかりつけてしまったが、まだ第2弾なんだけど、どうもね、今までのテレビの取り上げ方とは違った「等身大の同性愛者」を作っているようで、でもやっぱりそれはある意味、今までとは取り上げ方が違っているけれどもやはり「パターン化された同性愛者像」を作っている感じがするんだよね。「幼い頃、自分に気がついて孤独だった」「同性愛者であることが分かって自殺をしようと思った」とかね。そういう同性愛者ばかりでもないんじゃないの?ってわたしは思ったりするんだよね。どうも「悲劇のヒーロー/ヒロイン」みたいな形を作り上げてしまっている。それが今は過去のことは克服して「立派な同性愛者になりました」と、そんな感じ。そういう同性愛者だけじゃないってわたしは思う。そうじゃなければ、番組が作りづらいのも分かる。ある意味、若い頃悩んで、、っていうのは「同性愛者の王道」だと思うもの。けど、そういう人だけじゃないってわたしは思うし、そうでない人もやっぱりこの番組に出て欲しいと思う。

今回の感想はちょっと厳しかったが、第1弾、第2弾を見ると「もう一つの作られた同性愛者像(悲劇のヒーロー/ヒロインバージョン)」を作りたがっているのかな、という気がしたものでね。

そして、、今日はなんと「LGBT」第1弾。
何か今週はとてもNHKの「ハートをつなごう」は「性的少数者週間」って感じがするけれども、どういう番組になるか、正直、テーマが「ゲイ/レズビアン」と「LGBT」の2つを作った目的はなんだろうと思っているので、その違いを見てみたい。と言いつつ、本当は「LGBT」の中に「ゲイ/レズビアン」は含まれているから、違いもなにもないんだけど、NHK側が別テーマとして作った以上、どこかに違いがなければ、当然、それはおかしいものになるだろうから。

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

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