09-25 Thu , 2008
そして、同性愛者であるわたし
昨日は「セクシュアルマイノリティ―同性愛、性同一性障害、インターセックスの当事者が語る人間の多様な性」の第1部と第2部の感想を書いたけど、今日は第3部「同性愛」を読んだので、まー、どうしようかなと思いつつ、でも書くか、って感じで書くとしよう(←えらそげ。「と日記には書いておこう」ってのが昔あったけど、古いねえ~)。

やはり昨日の「半陰陽」と「トランスジェンダー」の話と、それからこれから書く「同性愛」については、ごちゃごちゃにしている人がいらっしゃったようで、それは仕方がないとは思うんだけどねー。「生物的な性」とか「性自認」とか「性的指向」ってのは、多分、最初はフェミニズムから与えられた概念なんだと思うんだけど、フェミニズム大嫌いのわたしでも、この概念は使わざるを得ないから、これってフェミニズムの「大発見」なんだと思ったりする(とたまには誉めておこう←おぬし偉げに何者じゃ)。

んと、簡単に言うと「インターセックス(=半陰陽)」と言うのは、染色体異常のことで、これは「生物学的な性」に関わる問題で、「トランスジェンダー」って言うのは、「生物学的な性」と本人の「性自認」(自分が男であるか女であるかという気持ちのこと)がずれている状態で、そのずれ具合によって今の日本では「ガイドライン」に従って「性同一性障害」という「診断名」が医師によって下されるわけ。この「診断」をもって「治療の必要性」が生じ、ホルモン注射や乳房切除、そして性別適合手術が行なわれる、と言うわけで、ある意味「手術してまで自分の身体を心の性別にしたい」という人たちは自ら進んで(というとちょっと語弊があるかも知れないけど)「障碍者」になる、というわけだ。何らかの「疾病」でなければ、治療の必要はない、と判断されるからね。

で、「同性愛」というのは、今度は「性自認」と「性的指向」の問題となる。簡単に言ってしまえば、同性愛者ってのは、性自認と性的指向が同じ人ってことで、性自認と性的指向が異なると異性愛者、ということになる。だから、性同一性障害の人は同性愛者も異性愛者もいるってことになる。なぜかというと、性同一性障害やトランスジェンダーの人たちは「生物学的な性」と「性自認」がずれているということであって、「男、女、どちらが好きか」という「性的指向」は全く関係ないから。ここのところがね、まだ分かりづらいんだと思う。

例えば生物学的な性が男性って人がいて、でもその人の性自認は女性だったとして、そして自分の身体を女性に変えたいと思い、性別適合手術を受けて「女性」になったとする。だけど、その人の性的指向がもし、女性に向いていたら、それは「同性愛者」になる。男性に向いていたら「異性愛者」になって、今の日本だと「結婚」ができる。ただし、性別の変更ができる場合の「要件」ってのがあって、誰でもできるわけじゃない。「20歳以上であること」「婚姻していないこと」「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永久的に欠く状態にあること」そして「現に成人していない子がいないこと」が条件になっている。実は最初は「子供がいないこと」が条件だったのだが、今年だったかこの「子なし条件」が緩和されて子供が成人している性同一性障害の人の性別変更が可能になった。しかし、どうしてこのような条件を付けられているかというと、話は簡単。日本国は「同性婚を認めない」ということだからだ。もし結婚している間、一人が性別適合手術を受け、異なる性になったとしたら、自分の配偶者と同じ性になってしまう。そうすると両方とも同じ性の人が婚姻している、要するに「同性婚」ということになる。これをさせないために「婚姻していないこと」が条件になっている。そして、生殖腺の機能を永久に欠く状態にさせられるため、性別を変更したあと異性と結婚しても、当然のことながら子供は生まれない。

同性愛者がさぁ「同性同士愛し合ってたとしても、子供が生まれないから異常な愛だ」とか言われてるけど、性同一性障害の人は、わざわざ自分が子供を産めない身体にして、それで異性愛者の場合は結婚するのよ。これは日本国が条件付けてそうさせてるんだよ。それに対しては一体、どう説明すればいいのだろうか?(ま、ただこの条件に関して当事者はあまり反対する人はいないようだが)

あ、だんだん熱くなってきた(苦笑)

で、同性愛です、ええ。今日は同性愛のことを書くんだった。というか、もうお分かりでありましょうが、性同一性障害やトランスジェンダーの人たちでも、もちろん「同性愛者」は存在するわけです。だから世間の人が、性同一性障害の人たちを「同性を好きになったから、自分が性別を変えなきゃ」ってことで自分の性を変えているわけではないので、ここのところ、お間違えなく。昨日も書いたけど、FtMの人の9割は異性愛者で、MtFの半分の人は異性愛者で半分の人は同性愛者なんだそうだ。

でね、同性愛者というのは上にも書いたように「性自認」と「性的指向」が同じ人のことを言うのね。だからFtMの人は心の性(性自認)は「男」なわけ。だから、レズビアンの人は「対象外」なのよね。なのにレズビアンの恋人募集の掲示板にやってくるので、しばしば争いごとが起こるわけで。。まー、分からないでもないのよね。だってSEXのとき、肉体は女性だとしても心が男性だったらやだもん、やっぱ。だからわたしはバイセクシャルでもなく、やっぱりレズビアンだなあと思うわけで。

この本に書いてある「同性愛」は、まぁ同性愛者当事者としては、ごくまっとうなことが書いてあったりするわけで、その中にはやっぱり「同性愛は病気ではありません」と書かれている。わたしさぁ、もう何回も何回も「同性愛は病気じゃない。国際疾病分類の中からも外されたんだ」って書いてるけど、一方では性同一性障害の人は「障碍」を自ら獲得していくわけじゃない?だからさ、同じ「性的少数者」でもこういうところ、全く違うんだな、って最近よく思うのよね。矛盾しているようだけど、違うわけ。だから「性的少数者」一括りで本当は考えたいんだけど、このね、「同性愛は病気ではないから治療の必要はありません」っていうことは、なんだか「だから、自分たちは正常なんです」って言いそうになって困るの。同性愛は病気じゃない。けど、だからといって「それが正常とか正しい」とは言えない。だって同性愛者がこの先、異性愛者より多くなるなんてこと、絶対にあり得ないことだもん。数が少ないのは確かなことなんだもん。だからね、「数は少ないけど、確かに同性愛者はいます。そして、性的指向は選んだり、途中から変えたりすることはできない(それは異性愛者も同じよね)」ってことをしっかり言っていかないといけないんだな、と思ってるのよね。病気じゃないってことは、それが正常なんではなく、治療の必要性がないことなわけで、だからこの世の中には異性愛者もいるし、同性愛者もいるんだよ、ってことだけなんだと思う。が、しかし、この本では「両性愛者」については一言も触れてないね、そういえば。巻末の用語説明でちょっと出てきたくらいかな。

両性愛者(=バイセクシャル)の人たちというのは、「性的指向」がない状態で、まさに「好きになった人がタイプ」「愛に性別は関係ない」人たちのこと。異性愛者と同性愛者は「愛に性別は思いっきり関係がある」んだよね(笑)そこら辺、ちょっと間違えられやすかったりするんだけど。同性愛を肯定されるときよく「愛に性別は関係ない」って言われるんだけど(苦笑)、それは違いますから。わざわざ肯定してくれてるのに悪いなあと思いつつ、指摘しておきます(笑)

もーさ、自分が同性愛者なもんで、一体、何を説明すればいいの?って感じなんだけどね。確かにこの中で「レズビアン」という言葉について、これは「ゲイ」と区別する意味でフェミニストの人が使い始めた、って書いてあったけど、外国では「ゲイ」というと男女両方の同性愛者を指す場合が多くて、特に男女分けたいときはgay womynとか書くよね。womynってのは、これまたフェミニストがwomenって書くと「men」が付くから男性が元になってるーってんで、womynって書いてるんだよね。もー、ここまでやんなくてもいいじゃんかーとわたしなどはそう思うんだけど。。あ、んで「レズビアン」ってのは「ゲイ」と区別したいときに使うらしい。これまたフェミニズムのせいで。要するに何のかんの言ってもこの世の中は男性上位だから、ジェンダーとして非対称なんだそうだ(もうここら辺、受け売り(苦笑))。だから、「ゲイ」とは違う「レズビアン」って感じで外国では使われているそうだけど、日本はもう「ゲイ」って言ったら男性同性愛者になっちゃってるからねー、フェミニズム関係なしに。わたしなんぞ「日本も外国と同じく女性同性愛者でも『ゲイ』って言えば簡単なのにー」なんて思ってるけど。だって、オーストラリアで「gay」って使ってたけど、ホント、簡単だったんだもん(笑)

で、あとは「同性愛嫌悪」のことも書いてあったし、それに伴う「ヘイトクライム」のことも書いてあった。日本では同性愛者に対する暴力なんかなさそうだけど、本当はあるんだよね。それをマスコミが遺族に配慮してか、あまり「同性愛者だったから」ということを書かないので、一般の人は「同性愛者に対する暴力事件なんかない」と思ってしまう。マスコミって、なんでこういうときに変に気を回すんだろうね~?例えば、有名な同性愛者カップルの片方が亡くなったとき。結婚しているのであれば「喪主は妻(夫)の誰それさん」って書かれるけど、長年の同性愛者カップルでも「喪主は友人の誰それさん」とかそんな関係にされてしまう。知っている人はちゃんと知っているというのに。。そういうのってすごく悲しいと思う。これって例えばこの間の母親が子供を殺した事件でも、殺された子供は発達障害かなにかで特別学級に通っていた、と新聞ではぽそっと本文に書いてあった程度だった。が、その後、また起きた事件では子供は普通の(って書くとイヤなんだけど)子供だったらしく、大きな見出しで「明るい子が なぜ」とか書いてある。これって、配慮されてるようで実は全然配慮なんかしてないんじゃないかって思ったりしてるんだけど、違うだろうか。

「同性愛者はどうせ暴力をふるって金品を奪っても、警察に自分が同性愛者であることを言いたくないだろうから襲ってしまえ」というのが2000年に起こった事件だ。これを「ヘイトクライム」と言わずして何がヘイトクライムなんだ?そしてマスコミはそのことを隠すから、だんだんそういう事件があったことすら特別に覚えている人でないと忘れてしまう。これでいいんだろうか?

その他、「府中青年の家裁判」のことも詳しく載っていて、この本の半分くらいは実は「同性愛」に関することが書いてあるんだけど、結構資料としても役に立つ。あ、「府中青年の家裁判」ってのは、OCCURという同性愛者の団体が「府中青年の家」ってところでミーティングをして泊まったんだけど、その際、別の団体と「自分たちは何をやってます」という交流の時間みたいなのがあって、その際に「同性愛者の団体です」と言ったところ、他の団体から「あいつらホモだぜ」とか入浴中にいやがらせがあったりして、それで、OCCURが府中青年の家と話し合ったところ「今後、同性愛者の使用を認めない」ってことになってしまって、それで東京都を相手に争った事件のことだ。多分、同性愛者が起こした裁判って後にも先にもこれが唯一のものだと思う。

当時「府中青年の家裁判」はわたしも注目していてね、結局二審で東京都が敗訴したんだけど、一審判決が出たあと、わたし、実はOCCURに手紙送ったんだよねー。そうしたらお礼の手紙とOCCURへの入会案内が来た(笑)これ、今でも持ってます。でもOCCURには入んなかったけどね。その当時から、こういう関係のものには興味があったようだなーと、なんとなく思ったりして。

あとは同性愛の原因だとか(こんなもん、分かるわけないと書いてあるし、分かったところで、では生まれる前に排除される運命にあるのか、とか書いてあるよ)、カミングアウトのことだとか、ああ、あとは「オカマは差別か」事件のことも書いてある。これももうすごく有名な話ではあるんだけどねー。

要するに「オカマ」や「レズ」「ホモ」は基本的には侮蔑語である、しかし、当事者が誇りを持って言う場合もある、ということで、まー、ある週刊誌を通していろいろな論争があったんだけどね。これはもうちょっとうまくならなかったのかなぁ、というのがわたしの感想。これで一方的に「オカマという言葉は使わないで欲しい」と言っていた人たちが消えてしまった。そりゃ、分かるよ、当事者が「わたしオカマだからー」って言ったりするしさ、だから絶対に「オカマ」等の言葉を使っちゃいけないってわけじゃないと思う。が、当事者以外の人から「オカマ」と言われるとやっぱり傷ついたりするわけで。当事者と非当事者はそこんとこが違うんだよ。なのに当事者同士が「オカマと言ってなぜ悪い」とケンカをふっかけられたら、答えようがないじゃん。その人たちは別に当事者に向かって「オカマと言うな」と言っていたわけじゃないんだから。

あれ、気がつけば昨日より多く書いている(汗)

あとは、、パレードのこととか書いてあるけど、これは今は読みたくないわぁ(苦笑)読んだけど。まー、なんで今年のパレードができなくなったのかは全く知らないけど、東京では3年やったら何年か休みで、を繰り返してるから、今度はそういうことの起こらない組織にして欲しいけど、難しいだろうなー。理事になれば叩かれ、表に立つ人はみんな叩かれてるからね。その人が一体何をしたのか、わたしには全然分からないけれど。こないだちょっと「パレード不要論」を聞いたんだけどさ、わたしはパレードはあった方がいいと思うし、ゆくゆくはアメリカやオーストラリアのように「観光」としてのパレードってものになって欲しいくらい規模の大きいものにして欲しいなと思ってる。だって、日本政府自体だって日本を観光地にしたがってるんだからさ、「ゲイパレード」が一大観光になってもおかしくないんじゃないの?ってね。去年だって「Yokoso! JAPAN」のロゴ、使ってたのになあ~>東京プライドパレード

ってやっぱついつい、同性愛となると人ごとじゃないので、いろいろな意見も出てきてしまって、つい長くなってしまう(汗)

でも割と読みやすかったし、当事者に向けても非当事者が読んでもいい本だとは思ったけど、この本、既にAmazonでは在庫1点しかないので、ほとんど古本でしか手に入らないんだよね(汗)んー、第3版が出るかどうかはもちろん知りません。

つか、本当は別にこの本読んだからどうこうしようとは思ってなかったのにー。今は他の「同性愛の基礎知識」的な本をたくさん読んでいて「どれが一番いいかな~」と思ってたのにぃ。で、これからまだ読む本がいくつか。しかし、外国で書かれて翻訳された本と日本語で書かれた本の差が大きいような印象が。。当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。

テーマ:性的少数者(LGBTIQ) - ジャンル:日記

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