09-06 Sat , 2008
同性愛が性倒錯だった時代
最近、気分がすぐれなかったのは、実はこの本を読んでたせいじゃないか、という気さえする。

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この本、初版は'55年に発行されたらしいが、'68年には中身が大幅に改訂され、そしてこの本自体は'77年に印刷、発行になっている。本の帯を見てもらえば分かるとおり「『倒錯』の世界に光をあてる!」と堂々と書かれていて、見るからに、うわー、な本なんだけど。著者はイギリス人。

実はこの本、なんで持っているのか自分でもよく分からないのよね(苦笑)、買ったのは'94年10月23日らしい。確か、神田の古本屋で買ったんだと思う。題名だけ見て(笑)多分、この当時、わたしは自分のことに気がついて、それでたくさんの本を探して買いまくってた頃なのよね。ただ、この本は買ったものの、最近までずっとカバーを掛けて本棚にしまってたから、こういう本を買ったこと自体、既に忘れてたのね。あのとき、これを読んでたらどう思ったかな、と思う。わたしはそれまでにいくつもの同性愛関係の本を読んでいて、そのどれ一つにも「同性愛は異常性欲で治療の対象となる」ということは書いていなかったので、病気ではないことは知っていた。が、この時代はまだまだ「倒錯者」扱いだったのだ。

とはいえ、読んでみると、これ、そんなにおかしなことは書いてないのね。「同性愛者は見た目では分からない(女っぽい男がゲイでも男っぽい女がレズビアンでもない。いろいろな人たちがいるから分類ができない)」「倒錯者ということを除いては、社会に適合できるし、知能も一般人と同じ」「生物学的に見ても、同性愛は何ら身体的特徴を伴うことがない」「男娼は同性愛者でないことが多い」「小児愛者もいるが、割合としては圧倒的に異性愛男性が多い」「同性に誘惑されて同性愛行為をしても、その人は同性愛者になるわけではない」「性ホルモンの影響ではない」ってね。あのね、これだけの「証拠」が揃いながらも、前提が「性倒錯者」だから、異常な人なわけね。だから治療の対象になりうるわけね。逆にね、これ読んでて「人間の思い込みってすごいなあ」って感心したほど。これだけの証拠が揃いながら「同性愛者は性的指向が同性に向かうだけで、あとはなんら異性愛者と変わることはない」という結論になぜ達しなかったのか?と思うのよ。

もうね、同性愛者って異性愛者に比べて「未熟である」というのが前提なわけ。だからこの異性愛者の精神科医は「未熟なものをどうやって成長させるか(=異性愛者になる)」が治療だっていうわけ。でも「強固な同性愛者」や「同性愛者であることに悩んでいない同性愛者」に対する治療効果はほとんどない、って書いてあるんだよ(笑)ま、治療についてはあとで触れるけど。

しかも「中には性転換を望むものがいるが、それと同性愛者とは違う」と、まぁこの時代「性同一性障害」という言葉がなかったので、こういう表現になっているが、そういう意味では「性同一性障害」についても少しだけ触れてるのね。「こういうものは医者を脅しても自分の性器を切り取ろうとしたりする。同性愛者はそのようなものを望んでいない」とかね、あの時代の性同一性障害だった人も大変だったんだなって思う。。あと「身体的特徴や遺伝子レベルでの『反陰陽』の人」のことにも触れられていて、「同性愛」という題名でありながら、結局今で言うLGBTIすべての人を扱ってるんじゃんって思うんだけど(バイセクシャルについての言及もあるので)。で「同性愛者」に対しての「定義」はちゃんとしてるんだよね。ま、たまに「強固な同性愛者」だの「一般の同性愛者」だのって言葉が出てくるんだけど、これは調査の対象がどうしても刑務所に入っている同性愛者、だとか神経症で悩んで医者のところに来る同性愛者、アルコール中毒の同性愛者、とかになってしまって、偏りがあるのね。それに加えてたまに「有志の同性愛者」という人たちも出てくる。

けどね、例えばこの「有志の同性愛者」に対して心理テストを行なうと、異性愛者と比べても彼らの適応能力は特に悪くないという結果が出るわけね。そうすると、このテストを行なった研究者は「同性愛者の葛藤は非常に強く抑圧されているので表面的な質問には平静さを装うことができるので、このテストの結果は認められない」って言うのね。これって、ホント、研究者にあるまじき行為というか、思ったような結論が出ないので、めちゃくちゃな論理(というより偏見?)で、結論を曲げちゃうのね。心理学的なテスト等は、はっきりいってどうとでも受け取れるというか、自分の思い通りにすることができるからさ、なんか危ないと思った。てーか、ちゃんとした「実験心理学」だったらさぁ、統計学的に正しい処理はもちろん、やっぱり何かと比較することが大切なんじゃないの?この場合は「異性愛者」になるけど。

ただ、上にも書いたように、同性愛者でも、特殊な環境にある人たちの検査結果なので、とてーもあやしいんだよねえ~、、、同性愛者が持つ特徴、というよりもその他が原因で犯罪を犯したり、刑務所に入ったりする要因が大きいみたいだし、刑務所の結果でせいぜい分かるのは、刑務所内で同性愛行為にふける囚人たちが、刑期を終えて外に出ると、別にその人たちは普通に異性愛者に戻っていく、ってくらいで、それを考えただけでも、決して「同性愛は未熟」なのではなく、異性愛者と同じことが分かると思うんだけどさ。どうしてそのような方向に考えないのか、これだけ真面目に書いているのに不思議でたまらない。。

で、この著者は精神科医で、別に宗教とか法律とかは関係ないんだけど、それと同性愛についての関係にも触れていて、例えば「ソドミー法」(同性愛行為を禁じる法律)があるために、同性愛者は隠れた生活を行なわざるを得ず、敵国から「お前が同性愛者ということをばらすぞ」と脅されてその国のスパイになっちゃうとか、そういう例を挙げて、弊害があるって認めてるんだよ。しかもそういう人たちを刑務所に入れて、治療しようが、それは上に書いたように刑務所内では同性愛行為が行なわれているので「全く治療にならない。時間の無駄」とまで書いてるんだよ。

ただし、基本的に「同性愛者は性倒錯者」だと思っているので、「男色者の社会に『参加』し、自己の倒錯感情を全的に是認する倒錯者は、次の段階として恋愛に陥り、程度の差はあれ激しく閉鎖的な常時を経験する。この場合、異性愛者の結婚制度である一夫一婦制を模倣しようとする人が多いが、これらは彼らの天性にも社会環境にもそぐわぬ解決策である」とか、まー、確かに今のゲイの人たちもくっついては離れ、の人も多いよ。けど、長く一緒に暮らしている人たちもいるわけで(ただし、長く一緒に暮らしているからと言って、SEXの相手は自分のパートナーとは限らないこともあるけど)。こういうところが、偏見バリバリなんだよな。。

で、安定した男色者カップルについては「奇妙なことに」という前置きをして「性的習慣を別にすれば、彼はいたって適応性に富んだ人間で、そのために彼は隣人たちの好奇の目を避けてひっそり暮らさざるを得ないのであった。少なくとも意識的には、何らの罪悪感も抱いておらず、彼の言を借りるならば、悪いことをしているわけではなく、ただ自己の本性に従って生きているのであった。誰にも害を及ぼしてはいず、理解のある人間には自分の気持ちを説明してもよいと考えていた。彼とはこの話し合いが最初に記録されてから12年後に、再び会う機会があった。彼はその間ずっと前記の男色者の友人と一緒に生活をし、自由時間と余暇の大部分を彼と過ごしていた。この友人は、家事を好み、普通、妻が夫のためにするような仕事の多くを引き受けていたが、その影響が性的な役割への嗜好にまで及ぶことはなかった。」って書いてる。んで、これまた別の長年付き合っているカップルの例も挙げてるんだけど、そういう彼らに対する「評価」がまたおかしい。「これだけ完全で永続的な倒錯は珍しい」だと。。。

そんでさ、さらに「R・E・L・マスターズは同性愛擁護者たちの運動を評して次のようにいう。彼らは同性愛者は正常な人間より優れているというような素振りを見せたり、適度の寛容さの枠を越える大幅な自由を要求したりする点において、世間の同情を失っている、と。確かに同性愛者たちは社会の不当な糾弾に対し、しばしば反撃を試みている。これは敗北者に特有な言動に過ぎぬかもしれないが、結果的には彼らが政治的な危険分子であるという印象を広める役目をしている。中でも同性愛雑誌は最も闘争的な少数派に討論の場を提供している、記事は非常に偏った性格のもので(おそらく話題や寄稿の範囲が限られているため、そうならざるを得ないのであろうが)、時折途轍もない考えが公表される。たとえば、男色者同士の結婚は法的な保障を与えられるべきだとか。男色者カップルにも養子が許されるべきだというような提案が大真面目に取り上げられるのである。」なんてそれこそ「大まじめ」に書いてるんだよ(笑)この人が仮に今、生きていたら、今の世の中どう思っただろうね。

でも確かに、今の日本の状況を考えると、上に書かれたことは結構日本に当てはまってないか?とも考えられないことはないのよね。だって、今、日本では同性同士のカップルに対する法的保障のことなんか、議論にもならないしね。「パレード」をするだけでも一部の熱狂的なゲイリブ嫌い(?)からは「左翼的行動」と思われているし「政治的な行動」はしちゃならないみたいだしね。だいたい、政治家を動かさずして、どうやって日本を変えていくんだよ、って気はするんだけど、まー、そういう人は現状に満足してて、表だって行動する人がいつか、自分たちのことを「アウティング」させるんじゃないかとか思って怖いんだろうね。でも、ネット社会でしか生きていない人は、所詮、そこで吠えてるだけでみえやしない存在なのにね。で、世の中変わらない方がいいと思ってるんだろうけどね、自分たちが日の目を見ない暮らしの方が落ち着いていていいんだろう。けど、出てきたい人が出ていけばいいんだし、世の中変えていきたい人が変えていけばいいんだし、出てこない人は出てこなくていいんだから、出ていきたい人の足を引っ張るなよ、とは思ってるけどね。こーいう考えだと「ゲイリブ」とか思われるか知らん?でも、わたしゃ、別に活動家じゃないからさ。ただ、彼女と結婚したいだけだからさ。でも、同性愛者は結婚できないからって「同情」されるのは真っ平ごめんだしさ。

わたしさぁ、これ読んでてすんごく疲れたのは、「性倒錯者」だのって言葉がいっぱい出てきて、それが自分の心にグサグサ突き刺さるんだよね。これは「過去の遺物の本だ」って分かってても、こういう「悪意」のある書き方(別に彼は悪意じゃなくてそれが適当と思ってるわけだけどさ)をされると、やっぱり読んでると相当凹んでくるんだよね。。読んでるだけで、気分が悪くなってくるんだからさ、本当にこの時代を生きた同性愛者たちって大変だったんだなって思う。

だけど、この人、世間に対しては「現代の小説や演劇の主題として、同性愛者の一般的イメージの悪化に拍車をかけている」など、同性愛者というのは一般に、本人自らではなく、異性愛者からの「作られたイメージ」によって、それをまた一般の異性愛者に広められる、といってるんだよ。これはすごく正しい見解だと思う。同性愛者は上にも書いたように「隠れて暮らしている」から、一般のイメージなんか一般の人に分かりっこない。だから、異性愛者が勝手に「同性愛者なんてこんなもんだろう」と思って発表した演劇や書物なんかで、一般の異性愛者がまんまと「同性愛者ってこんな危険でとんでもないヤツなんだ」って誤解するわけね。これって、はっきりいって今、というか最近までは完全にそうだったと思うね。同性愛者が出てくると、それは犯罪者だったり、狂人だったりして、最後には死ぬか殺されるかどっちか、という役割しか与えられなかった、とこないだ第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭の「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」でも誰かがそう言ってたよ(苦笑)

で、結局、この著者は精神科医だからさ、精神分析をするの。それがまた変でさー。

例えば、男性同性愛者に対しては、最初に「見ただけでは分からない」って書いてるのに、被験者の対象は全部「女っぽい男性同性愛者」なんだよ(苦笑)で、彼らがなぜ同性愛者になるのかというと、フロイトのエディプスコンプレックスで説明してるんだけど「大多数の同性愛者には、神経症的な兆候を持つ人々と同様、母親に対するエディプス的な愛情が認められるが、母親への執着の度合いはほとんどの場合、同性愛者の方が強い」「同性愛者はある点で、自分に欲求不満を抱かせた母親と一体化しようとする。母親と同じく、彼は男を愛する」とね。

これを女性同性愛者に当てはめるとこうなる。「彼女たちが父親には粗暴な、嫌悪すべき人間という見方をしているのに反して、母親に対しては親密で理想的な感情を抱いていることを認めている。これらの女性の何人かは、母親との完全な同一視に対する反動から他の女性へ向かったのだと彼女(ジョイス・マクドゥーガルって人)は考えた」。

これって明らかにおかしいよね。男性同性愛者も女性同性愛者も、父親を憎み、母親に対しては異常なほど仲良しであるのに、向かう性対象が逆転するの。例えば、男性同性愛者が父親を憎み、母親に対して異常に執着し、女性同性愛者はその反対で、母親を憎み、父親に異常に執着する、というのなら、話は別だよ。だけど、前提条件が一緒なのに、答えがまるっきり違うのは、どう考えてもこじつけとしかいいようがない。これを書いてる人や読んでる人、はたまた訳した人はこの説明に対して「変だ」って思わなかったのかなあ????

つーか、この人は精神科医だから、なんでも精神分析に結びつけようとして、フロイトのことを持ってくるんだけど、あれだね、フロイトなんてとんでもないヤツだって感じだよね。だいたい、女性のことを「従属的な役割にまつわる軋轢や女性の不完全性に対する憤懣、いわゆる『ペニス羨望』などは」って書いてあるけど、男性から見るとそりゃ、女性にはペニスはないので「不完全性」に見えるかも知れないけど、女性はもともと「持ってない」わけだから、不完全性とかなんか思うわけがなく、ペニス羨望なんかもあるわけないじゃんか、と思う。これって、男の側の論理だよね、完全に。確かに「ある」ものがなくなったら怖いだろうさ。けど、もともと持ってないものに対しては、別に羨ましいとか思わないのだよ。だって、例えが変だけどさ、腕が3本欲しいとかって思う?腕が2本しかないからもう1本足らないと思ったりする?それと同じことなんだよね。

で、最後に治療方法について書かれているけれど、最初にも書いたとおり「強固な同性愛者」や「自分について治そうとは思わない同性愛者」への治療は難しく、不成功に終わる場合が多いと書かれている。一方、どうしても治したいと思う同性愛者などは、まぁまぁの成功度らしかったんだけど、期待通りのものではない、と書いてある。しかも「治った」と思ったらまた元通りになったりするので、結婚をすることはあまり勧めない、とも書いてある(笑)同性愛者に結婚を勧めるのは、誤りであるだけでなく罪悪なんだそうだ(爆)

つか、「同性愛を治したい」と思うのは、やっぱり「罪深い」とか思いこんじゃってる同性愛者で、そういうのは、どちらかというと自分が悪いんじゃなくて社会が悪いわけなんだよね。そう、わたしがこれ読んで一番に言いたかったのは「社会が同性愛者を悪者にしている」から、こんな問題が起こってくるわけで、本にも何度も「性倒錯以外は社会的に適応している」って出てくるんだから、なぜ「同性愛が悪いわけではない」という結論に達しないんだろう、と。だから「人間って、思い込みの激しい動物なんだな」と逆に分かったわけで。ま、もちろんわたしも人間だから、多分、思い込みが激しいとは思うけどw

最後の方にね、一カ所だけ「異性愛者にはこのような実験はされてはいない」ってポロっと書いてあるところがあるんだよね。「なんだ、分かってるんじゃん!」って思ったけど、それ以上の言及はなかったし、結局、何やらかんやらいいながら、結論は「同性愛者への寛容はそれの奨励と同じものではない。医者としてはまず若い人々に対して、同性愛的生活に伴いがちな破局や悲劇について厳しい警告をなすべきであり、はじめからそういった傾向に案じることを勧めるような助言は絶対に慎むべきであろう」なんだから、結局、それが言いたかったのかよ、って感じなんだよね。

確かにこの本、そんなに間違ったことも書いてなくて、読んでる途中は若干気分が悪くなるくらいだったんだけど、結論としては「あっ、そう」なのね~。異性愛者の生活でも破局や悲劇ってたくさんあると思うんだけどねー。もう本当に「人間の思い込み」って怖いわっ!

という本でしたー。
さっき調べたら、Amazonで最低価格で800円、古本屋だったらもうちょっと高い値段で売ってます~。あんまりお勧めしませんが、過去の遺物を是非読みたい人はどーぞ。でも、読んでいるうちに気分が悪くなっても知りません(笑)
23:23 | (性的少数者)本のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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