09-28 Fri , 2007
ゲイプライドは持つべきものなのか
今朝、たまたま再開したばかりという尾辻さんのブログを見ていたら、今、東京と大阪で上映しているらしい「ヴォイス・オブ・ヘドウィグ」っつー映画の監督さんの言葉が載っていた。この映画、わたしのマイミクさんも観に行ったって日記に書いていたヤツだ。気になったのは、監督のメッセージで、

「自分の声を見つけること。そして、自分に誇りを持つこと。ゲイであることは神様からもらったものです。
けっして恥ずかしいことではありません。自分を愛して、そして、あなたのコミュニティを愛して下さい」

ってことが書いてあった。確かに後半部分は納得できる。別に性的少数者であることは恥ずべきことじゃないし、わたしは自分が好きだし、そして何よりわたしには愛すべき仲間がいるから。この監督が言ってる「コミュニティー」ってのは性的少数者に限ったコミュニティーかどうかは知らないけど、わたし自身は取り敢えず自分が自分のままでいられるところのことをコミュニティーだと思っている。なにも性的少数者のみんながみんな仲良くする必要はないと思うし(小学生じゃないんだから「みんなお友達」でもなかろう)、自分の気の合った仲間と付き合えばいいだけのこと。ま、それはともかく。

「自分に誇りを持つこと。ゲイであることは神様からもらったものです」っていうことは、これって明らかに「ゲイプライドを持て」ってことだよね?まーね、自分を否定することなく生きろってのは分かる。けど、果たして「ゲイであることをわざわざプライドとして考える必要はあるのか?」って感じもするんだよね。おまけにわたしは無神論者なので、わたしの中には神さまはいない(爆)それにもし仮に万が一、神さまがいるとして、わたしが「特に選ばれて」同性愛者になったのだとしたら「んな、余計なことしてくれるな」って思ったと思う(爆)だってこの世の中、確実に異性愛者の方が生きやすいもん。

わたしはよく性的少数者を左利きに例えるんだけど、以前読んだ本の中で、実は左利きの人って右利きより寿命が短いんだって書いてあった。それは、この世の中が右利きの人に都合よくできているから。左利きの人は自分が気がつかないところで疲労してて、右利きの人より寿命が短いんだって。ホントかウソかは知らないけど。でも、なんかある程度分かる気がする。というのは、わたし自身も完全な右利きじゃないからだ。ほとんどのことは右利きなんだけど、例えば歯ブラシを持つ手は左手だし、切符を持つのも左手が多い。歯ブラシは別に不便は感じないけど、実は自動改札機は通りにくかったりする。あれって切符を右手に持つ人の方が便利に作られているのだ。あそこを通るたびに「あ、わたしは左手で切符を持っている」と感じる。わたしにとっては自分が左利きであることを自覚するのは、たったのそれくらいのことだけど、生活のほとんどを左利きだったら、結構不便なことも多いだろうなと感じる。

でもこの世の中では右利きが圧倒的多数で、左利きがこの世の中の大半を占めることはない。ということは、左利きの人は生活に不便を感じていることは当たり前の感覚になってしまう。で、これって性的少数者にもある程度当てはまることだとは思うのよね。数が逆転することはまずないでしょ。あ、ただし前にも書いたけど、性的少数者は、最初から自分が性的少数者だと思っては生きていない。いつか必ず途中でそのことに気がつく。これは異性愛者ともあとは左利きの人とも決定的に違うこと。左利きは本人が気がつく前に、親が早い時点で気がつくかも知れないから、この点では左利きの人とは状況が違うんだけどね。性的少数者は自分のことに気がついた時点から「世の中の生きにくさ」を感じ始めるんじゃないかと思う。

そして人には言わなきゃ分からないから、自分のことをひた隠しにしようとする。そのひた隠しにすること=プライド(っていうか尊厳とでも言えばいいのだろうか。人としての尊厳ね)がない=だからプライドを持ちましょう、という図式は分からないでもない。が、一体、ゲイとしてのプライドってなんなんだろう??そんなもん、わざわざ持たなきゃいけないものなのかと思う。人間として、というか「自分はこうである」という尊厳は必要だと思うし、それを持ってなきゃ生きていけない部分はおそらくあると思う。わたしもわたしという個人に対するプライドは持っている。が、その中でも特に「ゲイプライドがあるか」と言われると途惑ってしまう。だって、わたしという人間は、ゲイという部分だけでは生きていないから。ゲイである自分は自分の要素のうちの一部分だとは思うし、そのことが自分に影響を及ぼしているとは思うけど、全部が全部影響を及ぼしているわけじゃない。それは左利きの人にも同じことが言えるだろう。また異性愛者だって異性愛と言うだけでは生きているわけじゃないだろう。人間、性欲だけで生きてるわけじゃないから。

だけど、自分のことを性的少数者だと公にした時点で、それ以降はカミングアウトし続けていかなければならない。左利きの人とは違って、見た目じゃ分からないから。でもそれって、かなりの精神的苦痛が伴う。こないだ(と言っても日本にいたときのことだけど)久々に民放のドラマを見ていて、自分の好きな相手に告白するかどうかめちゃめちゃ迷っているシーンを見たときに「これって、自分がカミングアウトする前の状況に似ている」と感じた。相手は自分の気持ちを知らない。しかも告白して相手に振られる(相手から嫌われる)かも知れない。これってまさにそうだよね、と。

で、異性愛者の場合は、自分の会う人にすべて「好きです」と告白するわけじゃないから楽だ。でもわたしは例えば、今後、ずっと付き合っていきたい相手に対してはみんなに「好きです」と言い続けなければならない。また、過去に自分を隠して生きていたときの人にも改めて「好きです」と言わなければならない。これって、、本当に大変なことなのだ。性的少数者の寿命を調べた統計って聞いたことないけど、もしかしたら異性愛者の人と比べたら短いのではないかとも思えてしまう。

少数者はいつまで経っても少数者だという現実には深い絶望と哀しみを覚えるが、だからといって、そのことを「プライドにする」ということもわたしにはできないよな、と思う。あくまでも「自分の一部である」だけでいいのではないかと。ただし、そのことに悩んで否定している人がいたら「それは違う」とは言いたい。既にその部分は自分の一部なのだ。否定しようがしまいが、その結果は変わらない。ま、否定すると言うことの逆の意味で「プライドを持つ」と言うのかも知れないけど。でもプライドって見せつけるものじゃないと思うんだよね、個人的には。

なんて、東京「プライド」パレードに堂々と(?)参加したわたしが言ったらおかしいかもしれないんだけど(笑)

しかし、尾辻さんのブログにあるAll Aboutに飛ぼうとすると必ず「警告」が出てくるのはなんとかなんないのかなー。あの警告が出るのって、All Aboutのコンテンツの中でたったの2つ(「同性愛」と「アダルトビデオ」)だけなんだよね。。「男の夜遊び」でさえ、警告は出ないのにねー。しかも21歳未満は見ちゃいけないとか書いてあるし。。真面目ないい内容のものが多いのに、なんでこんなところに規制かけられてるのかと思うと腹が立つ。これこそが世の中が持つ「同性愛を否定する世の中の一端である」と言いたくなる。

これなんか結構わたしは好きです(笑)

歴史の授業で習えなかった同性愛

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