08-15 Fri , 2008
8月15日
今日は8月15日。日本では終戦記念日という人と敗戦記念日という人がいる。
と去年まではそう思っていた。

けど、、この1年間で、日本にもいろいろな人が住んでいると知り、この日が解放記念日だって思う人だって存在することも知った。

もちろん、わたしだって、今まで日本だけが被害者であるとは思っていなかったし、日本がアジアの近隣諸国に対してどんなにひどいことをしてきたか、知らないわけではなかった。けど、よーく考えてみると、わたし自身、父方の親族はほとんど被爆者という環境で、その立場から「もう戦争はしてはいけない、この世から被爆者を出してはいけない」と思い続けていた。が、わたしと第二次世界大戦(太平洋戦争と言えばいいのか、日中戦争と言えばいいのか)のつながり、というとはっきり言うとそれだけだ。

そう、わたしの血の繋がった身内に、実際に戦争に行った人がいないのだ。本来なら、祖父の代ということになろうが、、父方の祖父は、子供の頃、原因不明の熱か何かが出て、兄が棺桶を用意するほど死ぬ寸前までいって、それから奇跡的に命を取り留めた。が、その後遺症で足が不自由になってしまい、軍隊には入れなかった(んだろうと思う。そういう話は一切しなかったし)。母方の祖父も学生時代に雨が降っている中で野球をしていて、それが元で結核にかかり、これまた病気療養中でずっと入院しっぱなしだったらしい。そして戦後、いつか分かんないけど亡くなった。だから、わたしは母方の祖父の顔は見たこともない。

唯一、戦争に行ったのは、母方の祖母が再婚した相手。わたしはこの義祖父(という言葉があるのかどうかは知らないが)のことを、小学校くらいまではずっと本当の祖父だと思っていた。本当のことを知ったときは特にショックも何もなかった。母や父が本当の親ではなかったら多分、すごくショックだと思うが、年に2度、盆と正月にしか会わない人は、特に血が繋がってなくてもなんというか「あ、そうだったんだ」くらいしか思わないもんなんだよね。だから、義祖父とは書きながらも、わたしの中では父方と全く同じ「自分のおじいさん」という認識なんだよね。

で、その義祖父は中国に行って散々ひどいことをしてきた、ってことはなんか薄々知ってるのね。何故かというと、危ういところで戦犯になりそうだったけど、シベリア抑留になって、んで、一番最後に日本に帰ってきた、ってことはなんかどこかで知らされてたから。で、そのときの義祖父はもちろん結婚してなくて、その頃は男が少なく(戦争に行ってみんな死んじゃったから)、女はよりどりみどりだったらしいんだけど、その中でわざわざ子供が2人(わたしにとって母と叔父)もいる祖母を選んだのは、どうやら義祖父が祖母に「一目惚れ」しちゃったかららしい。んー、そのくらい祖母は美人だったらしい(って祖母は今も生きてるんだけど(笑))。そのエピソードがあるために、多分、わたしは義祖父がシベリア抑留されていたのを知っているわけだ。

だけど、はっきり言って、お祖父さんとかお祖母さんとはわたしはあまり話さないんだよね。小さい頃は、それこそ年に2度家に行って「大きくなったね」って言われる程度で、それこそ戦争の話とか聞いたことないもの。そして、両方の祖父はわたしが大学生か大学院生くらいの時に亡くなってしまった。だから、結局聞きそびれてしまったんだ。。

それに、んー、父方の方は祖父がね、もんのすごく頭がよくて、飛び級するわ、東京帝国大学の法科卒だわ、ってその頃、そんな学歴持ってたら、すぐに「官僚」なんかがちらつくと思うんだけどさ、祖父自体が働くの、嫌いだったらしいのね。だから、実家もそんなに貧乏じゃないしってんで、ずっと長いこと高等遊民やってたらしい。結婚しても高等遊民やってて、で、子供ができたからさすがに親が無職ってわけにはいかないってんで、満州に行って仕事をしてたらしいんだけど、日米開戦(昭和16年12月8日)するやいなや(あっ、するやいなやって使ってるじゃん!(笑))、「ここにいては危ない」と言って、日本に戻ってきてしまったのだ。そう、この祖父はものすごく怖がりで、そして先見の明もあった。わたし、この祖父のね、怖がりってところだけ隔世遺伝してるの(苦笑)祖父は亡くなる何年か前にどうやら血尿が出てたらしいんだけど、病院に行くのが怖くて、ずーーーーーっと黙ってたらしい。そう、わたしが病院嫌いでめちゃくちゃ怖がりなのは、祖父譲り。できるなら、こんなところが似るんじゃなくて、頭の良さの方を似たかったよな~(苦笑)ってことはさておいて。

で、この祖父はめちゃくちゃ本が好きで、もうあらゆる本を読んでいたし、新聞の切り抜きもしていた。そしてなにより一人トランプが好きだった。というんで、朝起きて新聞読もうとすると、もう切り取られたあとなんだよ(苦笑)だって、新聞来るなり、切り取っちゃうんだもんねー。あとから読む人のこと、全然考えてないのよねー(笑)んで、広島も空爆があるかも知れないってんで、疎開してたんだけど、なんと真っ先に疎開させたのが、自分の持っていた本。ま、そういう人だったのよ。

ただし、ご存じのとおり、8月6日の原爆で、広島市内にあるものはぜーんぶなくなった。なので、彼の地に残っている戦前の本ってすごく珍しいのだ。で、それは今、父が引き継いでるんだけど(だって捨てる気ないって言うんだもん)、図書館に寄贈しようと思ったら何とかかんとか言われた、とかで、このままだとわたしの代まで残ってしまうことになる。どーすんだよー!ってこんなところで言ってても仕方ないか(笑)

ってわけで、わたしはついに、祖父からは戦争の話を聞くことは出来なかった。ただ昨日ね、「徹子の部屋」を見たの。小沢昭一がゲストだったんだけど。小沢昭一って、海軍兵学校に行ってたそうだ。昼間は課業でそれこそ寸暇を惜しまず次々といろいろな勉強をしていたらしいが、夜になると涙が出てしかたがなかったそうだ。それを見てたときにね、わたしの頭の中で「へいたいさんはつらいんだよ~、よるねてなくんだよ~」って音楽が鳴り出した。「あれ?誰に教わったんだろう、この曲」って思った。でも教わる人がいたとしたら、、義祖父からしかない。んー。いつ、どういうところでこれを教えてくれたのか、そこまではわたしは思い出せない。もしかしたら、何か伝えたかったのかも知れない、と思った。でもわたし、そこまで大人じゃなかったんだよね、まだ。

そして今日、正午。わたしも彼女もNHKで「全国戦没者追悼式」を見て、黙祷した。

それから、朝日、毎日、それぞれの朝刊と夕刊を読んだ。そう、多分、いつもと変わらない終戦記念日の新聞。そこには「もう戦争はしてはいけない」「平和が大切」と書かれている。読者欄も今日は戦争体験談ばかり。いつもはそこで終わっていただろう。けど、今年は「何か足りない」って思った。みんな戦争に負けて「引き上げの大変さ」や「夜明かりを付けることのできる喜び」については語っているけれども、誰も戦争で人を殺した、と書いている人はいない。

毎日新聞で少し前に「モンテンルパのうた~兵士が遺す言葉~」というシリーズが連載されたが、その中で「慰霊はできても、戦争には死ぬまで言えないこともあるんですよ」という言葉がね、引っかかったんだよな~、わたしの胸に。この連載の中でも「住民を殺したのは誰と誰」と言った上官が、その誰というのはもう死んでしまった仲間の名前を言ったつもりだったのだが、実は生きていて、その人が戦犯として捕まる、という話も載っていて「これじゃあ、身内のかばい合いじゃん」とも思ったんだよね。。「死人に口なし」で、みんな死んでしまった人に罪を被せればいいと思っていたのか、とわたしは思うわけで。確かに戦犯になったら死刑囚として殺されてしまう可能性はあるわけだけど、でもやっぱりそんなのはなんかおかしい、って思うのはわたしだけ?

今はもうだいぶ高齢になったと思われる当時の日本兵。いや、日本兵だけじゃなくて憲兵とかひどいことをした人は何人もいるだろう。が、そういう「加害」の声が全く聞こえてこないのは何故?大陸からの引き揚げ者がものすごい苦労をして日本に戻ってきた話はよく聞くが、それ以前の大陸の生活は一体どういうものだったのか、誰も語らないのは何故?

今朝の朝日新聞に、女子のサッカーの試合が今日、中国とやる(いまやってる)が、その中の中国の観客の3分の1が「サクラ」だと書いてあった。今日は中国にとって「日本の投降記念日」なので、訓練された「サクラ」の観客がいて、おとなしく観ているようにするってこと。これは何年か前の試合で、中国の観客が日本の選手に向かってものを投げたり、大ブーイングだったりしたためらしい。中国の人は、過去に日本人に何をされたのか、語り継がれているのだ。一方、日本ではそういうことは語り継がれていない。まぁ、そこで試合をしている選手たちにはなんの罪もないんだから、そういうことをやるのもどうかとは思うが、少なくとも、ある程度、両国で「共通認識」ができていればなあ、と思う。

「戦争は戦争に行ったものしか分からない」と新聞には書いてあったけれど、それでも何故、これからの平和のために語ろうとしないのか、それがわたしには分からない。これは自虐的でもなんでもない。「戦争は人を常人でなくする」と言うが、そうならないためにはどうすればいいのか、それは過去から学ぶしかないのではないかと思う。

去年は「戦没者の母」がテレビで映し出されていたが、今年はいなかった。新聞によれば、3年ぶりのことらしい。

これからますます「戦争体験者」はいなくなる。

これでいいのだろうか。本当にこれで、今後も平和は守られ続けられるのだろうか、と思う。
これからの歴史を作るのは、実は自分たちの年代だったりするのだ。
しっかりせねばならない、と思う。
22:32 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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