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08-09 Sat , 2008
無理だった
昨日、うだるような猛暑の中、唯一冷房のある寝室で「ひとを“嫌う”ということ」という本を読んだ。この本、実はもうずっと前に買ってあった本で(だって、2000年に出た本だもん)、それでも途中で読むのを挫折していた本だった。

最近、ずっとずっと考え続けていることがあって、それでどこから発見されたのかよく分からないけど、ポッとこの本が出てきた。考え続けていることについて「もしかしたら答えが出てくるかも知れない」と思って読んだ本だった。だから、一気に読んだ。

だけど、分かったのは、この本は初めから「わたしが読む本じゃなかった」ってことだった。なぜなら、この本は「人を嫌うことが罪悪だ」と思いこんでいる人に対して「人を嫌いになるということは、好きになるということと同じくらい人生を楽しめますよ」という本だったからだ。いつのことからか、多分、中学辺りからだと思うけど「嫌いな人と嫌いあえたら、こんなに幸福なことはない」って思ってた自分は、あまりに当たり前のことが書いてあったので、読んでも無駄だった、ってことだ。

しかし、一つだけ改めて分かったのは、「ある人の一部が好きでなくなると、それがどんどん増幅していって、最後には生理的にも受け付けなくなることがある」ってことだった。もちろん、わたしだってそういうことは知っているつもりだった。けど、改めて言われると「そっか」と思い、そして今、わたしが考えている事項については、どう考えてもそれが当てはまらないことだ、ということが分かった。それがなぜなのか、わたしにはよく説明できない。

思い返せば、わたしは人の好き嫌いがとても激しい。そして上にも書いたように「嫌いな人とは嫌い合えればそれは幸福なことだ」と思っている。ただし、それはあくまでも「個人対個人」のことであり、他人を巻き込むことは許されないと思っている。小学校の頃、よくなんの理由もないのに「○○さんを無視しようよ」と言われたことがある。けど、わたしはその人を嫌う理由がないので「どうして無視する必要があるの?」と聞くと、理由も言わないで去る、というパターンが続いた。人を嫌いになるのは個人の自由だけど、なんでそれを他人に押しつけるのか、さっぱり分からなかった。そしてそれによって「もしかしたら自分が無視されるかも」とは全く思わなかった。そういうところで、わたしはとても幸いなことに感覚が鈍いんだと思う。で、それを断わったからと言って、自分が無視された記憶もない。もしかしたら、無視されてたかも知れないけど、そこら辺はよっぽどのことじゃないと気がつかないんだよね、わたしって(^^;

というわたしも一度だけ無視でなく「いじめ」に遭ったことがある。中1のときだ。わたしは小学校は東京だったが、中学進学と共に父親の会社の都合で大阪に行ったのだ。わたしの行った中学は、1学年12クラスという超マンモス校。1学年だけでも500人以上いる計算になる。その中で、わたしは一人だけ「転校生」だった。けど、他のみんなも新しく「入学」したわけで、わたしの「転校」というのはうやむやだった。けど、一人だけ「東京から来た」という理由でいじめられた。まぁその頃のいじめって今みたいに陰湿ではなくて、無視されたり、椅子に画鋲が置いてあったり、輪ゴムを目に直撃されたり(これ、すんごく痛かった)、そんなもんだったけど。。

わたしは学校でいじめられていることは誰にも言わなかった。ああいうのって言えないもんなんだよね。親はどうやら察知したみたいだったようだけど「別になんともない」で押し通したし。でも、やっぱり毎日学校に行くのはつらかった。ただ、唯一の救いがあった。それはクラブ。うちの中学は新設校で、そんなにクラブもなかったんだけど、わたしは美術部に入った。そこでクラスの違う友達ができた。授業中は特にいじめられることもないから気が楽だったけど、苦痛なのは昼休みだった。そこで、わたしは一人で昼ご飯を食べて、あとは1組から自分の知り合いに次々と「挨拶する」ってことを思いついた。12クラスもあったので、昼休み中に全部は回りきれなかった。授業が終わってしまえば、あとは楽しいクラブだから、わたしはその頃は、ホント、クラブに行くために学校に通っていたようなものだった。

結局、いじめはあることがきっかけでピタッとおさまった。クラスの球技大会で、うちのクラスが惜しいところで負けたのね。で、わたし、涙もろいんで、思わず号泣した。そしたら、なぜかいじめがおさまった。今まで無視されていたのが急に話しかけられるようになって、なんだかとっても不思議な気がした。一体、あれはなんだったのだろうかと今でも思う。

まぁ、幸い、いじめを受けたのはこれが最初で最後のことだったんだけど。

確かに「いじめ」はよくないと思う。けど「個人対個人」で嫌い合うのは一向に構わないと、いじめを受けてさえもそう思い続けている。ただ「自分が誰を嫌っているか」を人には言うべきではないと思う。それは、嫌いな相手にだけ通じていればいいことだとわたしは思う。そして密かに嫌いなもの同士、嫌いあっていれば、無駄に話をしなくても済むし、顔を合わせることだって避けられるし、本当に幸福だと思う。

ま、そういうことがこの本に書いてあったので「なあんだ」って感じはするんだけどね。ちなみに人を嫌いになる原因としてこの本では8つ挙げられている。

1.相手が自分の期待に応えてくれないこと
2.相手が現在あるいは将来自分に危害(損失)を加える恐れがあること
3.相手に対する嫉妬
4.相手に対する軽蔑
5.相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること
6.相手が自分を「嫌っている」という感じがすること
7.相手に対する絶対的無関心
8.相手に対する生理的・観念的な拒絶反応

わたしの場合は圧倒的に「相手が自分を『嫌っている』という感じがすること」で、嫌い合うってことが多いかな。わたし、他人からの「好き光線」は超鈍感なんだけど、「嫌い光線」には超敏感なんだよねえ~(笑)で、自分からは滅多に「この人嫌い」って思うことはないんだけどね。

で、この本によると、1.~6.が、7.、8.に進行するんだそうだ。それを考えると、わたしは今現在、徹底的に避けている自分の親族に対して、最初は1.から始まり、今はもう8.まで行っちゃった、って感じかな。当分、いや、生涯を通してもしかすると8.のままかも知れない、と思う。だけど、それは人によって変わるんだ、ってことが、この本を読んで分かって、わたしはどうしてもどうしても嫌いになれない人間も存在するんだってことが分かった。

それはわたしにとって嬉しくもあり、そしてつらくもあるんだって、そう思った。

そういえば、今日は長崎に原爆が落とされた日。
去年のようにテレビで「平和祈念式典」を見ようと昨日の晩まで思っていたのに。。。
起きたら、オリンピック(重量挙げ)をやっていて、そっちの方に夢中になってしまったら、気がついたら投下時刻の30分以上過ぎていた。ああ、何やってんだ、わたし。。。やはり、広島の場合は「当事者」で、長崎はそうでないからか。。来年は、絶対に長崎の平和祈念式典を忘れずに見よう。

長崎市長による「長崎平和宣言

長崎が、人類の歴史の中で、最後の被爆地となりますように。
15:13 | (一般)本のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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