07-20 Sun , 2008
四度、第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に行ってきた
はい。今日(既に昨日)が4度目の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でした。
今日は最初から続けざま3本。「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」、「ガールズ短編集」、そして「バルト9」で一回観たけど、途中、字幕が乱れてわけ分からなくなってしまった「彷徨える花たち」。

朝、11時ちょっと前にスパイラルホールに昨日と同様に行ったら、ホール前には既に列ができていた(汗)やはり、昨日は平日だったからなあ~。あと、1本目の上映時間も昨日よりだいぶ早かったしね。でも取り敢えず「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」は20番台を「ガールズ短編集」は10番台を確保。それから「彷徨える花たち」も20番台。っていうか、バルト9での話だと「優先的に入れてくれる」って言うから、パスより優先して入れてくれるのかと思ったら、全然違って、バルト9の半券と引き換えにチケットをくれて、整理番号を付けられただけだった。その時点で整理番号が20番台だったので、ちょっとびっくり。同じ時にもらった「ガールズ短編集」の整理番号は10番台だったからね。

「ヒストリー・オブ・ゲイシネマ」はねー、あそこに出てくる人、全く知らなかった(爆)知ってた名前は「デレク・ジャーマン」くらい?で、出てきた映画で観た映画は多分、1つもなし。「Go Fish」(レズビアン映画)は名前だけは知っているけど、んで、観る機会もあったんだけど、結局観なかったし、あの有名な「ブロークバック・マウンテン」さえわたしは観たことないし、「アナザー・カントリー」も名前だけ知ってるだけだ(苦笑)、よく考えたらねー、わたし、同性愛者が出てくる映画で一番好きなのは「苺とチョコレート」だし、その他で好きな映画は「The Sound of Music」とか「となりのトトロ」とか「櫻の園」、「Shall we ダンス?」なんかで、ホント、一般的な映画。その代わり、何回観たかよく覚えてないほど観ている。好きなのは持ってるからさ、もうビデオとかDVDとか。だからホントは映画に関しては、わたしの好みってホント、狭くて、そんですげー深いんだ。

だけど一応「テルマ&ルイーズ」とか「グリーン・フライド・ポテト」とか「バウンド」、「ロングタイム・コンパニオン」「トーチソング・トリロジー」とか観てて知ってるけどさー、あれって当事者が作った映画じゃないのかな?わたしは別に当事者かそうでないかなんかは全然考えたこともなかったんでね。そういうのは一つも出てこなかったなぁ~。

だもんで、誰が何を言ったかははっきりいってよく覚えていない。けど、言えるのは「当事者自身がいろいろな考えを持っている」ってこと。「社会的、政治的な映画を作らなければならない」って意見もあり「スペクタクル大巨編、みたいな普通の映画を作ればいい」って意見もあったし「演じる人はカミングアウトすべきじゃない。そうじゃないとヘテロの役が作り物っぽく見えてしまうから」とかもうそれぞれ。でもさぁ、その意見はちょっとおかしいんじゃないかと。だって、それこそゲイ映画に出てくる人がすべてゲイじゃないように、そしてゲイの「マネ」を勉強して演じているわけでしょ。ヘテロ映画にだって別にゲイがヘテロを演じたっていいわけじゃん。でもね、この人の言いたいことも分かるの。ゲイってカミングアウトした人がヘテロを演じたら、やっぱ心のどこかで「この人ゲイなのに」って思うと思うの。でもこれってすごく変だよね?ヘテロの場合は思わないのに、ゲイだとそう思ってしまうんじゃないかって言う自分がいる。それはすごくおかしい。でも、なんで自分がそう思うのかはよく分からないんだよ。やっぱ「少数者」だから?慣れてないだけ?ちょっとそこは自分でも疑問なんだ。

ただ、ゲイシネマの歴史としては、これはホント、狭義の「ゲイ(男性同性愛者)」の映画なんだけど、それによって一定の社会的な影響力を持っていたのは確からしい。ただそれが言えるのは、アメリカとヨーロッパのみ。「アジアとアフリカは何の動きもない」ってその中で明言されていたことが、すごく記憶に残っている。でもそういう意味では、確かに日本では「社会的な映画」って作られてないし、また、作ったとしても、あまり人目に付かないところで上映されそうでさ(苦笑)一般的な映画もそうだよね。まぁ映画については、本当によく知らないんだけれど。で、この中で「映画で社会を変えることができる」って言ってた人がいたけど、日本に関してはそれはなんとなく当てはまりそうにない。だって日本人って「権利」とか「人権」とかはっきりいってあんまり考えてないというか、考えたくないみたいなんだもん。だから、日本に関しては、別の方法を考えなくちゃならないんじゃないかなあとわたしは思っててさ。

でもね、わたし、これ観ててさ、逆に「同性愛者であること」が売り物でなくなる日がやってくるのか、とか、なんで自分が生きてる限り「(性的にね)少数者である」んだろうとか、なんだかそんなことが頭の中をぐるぐる駆けめぐってた。今、自分の生きてる生活は、自分にとって当たり前のことなのに、とかね。なんか自分が生きてる限り、社会的な存在になりうるのかと思うと、ちょっとウンザリ感じたのは事実。でも、人間なんて、みんな一人一人境遇が違うわけで、例えば異性愛者だって、みんな同じようなカップルじゃないと思うし、同じような生活をしているわけじゃないのに、なんで「一括り」にされるんだろうね。で、わたしらのような人間が入って初めて「多様性」になる、なんてちょっとおかしいんじゃないか、なんてことも思ってた。まぁこの映画祭自体が「レズビアン&ゲイ」だから仕方ないんだけど、この日本だって、全然「単一民族」でもなければ、みんな同様の暮らしをしているわけでもない。だから、みんな一人一人を見れば、それぞれみんな「多様性」を持ってるはずなんだけど、なんだか日本人って「みんなと同じ」って思ってるんだよね。最近は「格差社会」がひどくなって、そういう「幻想」もなくなりつつあると思うけど、でもこれって、悪い方向に行ってるって証拠で、決して多様性が認められたってわけじゃない。

なんかね、この映画を観ててそう思ったね。んで、やっぱり「レズビアン」についてはほんのちょっとだけしか取り上げられてなかったし、「トランス」もそうね。「トランスアメリカ」だけだった、取り上げられていたのは。そういうところでも「格差社会」ってのがあるんだよなあ~ってつくづく思った。もちろん、この映画を作った人の人脈とかも関係があるとは思うけど。

で、ゲイ映画が「社会的なもの」も含んでいる一方、レズビアンものはひたすら「日常的」なものを作ろうとしてるのね。それは、いわゆる「レズビアンもの」=「ポルノ(それも男性異性愛者向けに作られた)」って構図ができあがっちゃってるから。「そうじゃない、わたしたちの日常はこうなの」ってところから始めないといけないわけね、レズビアンは。でもさ、レズビアンであるわたしにしては、それは面白くないわけ。だって、レズビアンの日常なんて、自分の日常と同じなんだもの。そんなもん観てもちっとも面白くないじゃん。昨日観た「ボーイズ短編集」の「やりまくり映画」みたいなもんを作ってくれーって思うんだけど、作る方は極力それを避けてるような気がするのね。だから、ゲイ映画は平気で露骨なSEXシーンを普通の映画の中に入れちゃってるけど、レズビアンの映画って、キスだけか、よくいっても胸触るくらい?なんだよ。でも「わたしたちの日常」を描くんだったら、やっぱSEXシーンだって必要だとわたしは思うよ。それにレズビアンのSEXって多分、人それぞれ。異性愛者のSEXシーンみたいに男が女の上に乗ってお終い、みたいなものじゃなく、やっぱね、どこをどうして欲しいかってちゃんとみんな話し合ってSEXしてると思うんだよね(ってこういうことすんの、うちだけなの??)。一度だって同じSEXをしたことがない、だから同じ相手とでも「マンネリ化」しないんだよ、って思ってるけど、それってレズビアン一般の「常識」なのかすら、わたしには分からない。映画でそういうものを取り上げたものを見たことがないから。でもそういうものを取り上げた映画もあってもいいと思う。

まー、わたしがこんなこというのは、エロいからさ(爆)それだけなんだけど。もう「キス」とかよくいって「胸を触るだけ」のシーンは飽きたのよ。わたしはそれだけじゃ満足しないわけよ。誰か当事者でレズビアンの濃厚なSEXシーンがある映画を作ってくれないかなあ~。欲求不満で爆発しそう(爆)

ってわけで、「ガールズ短編集」ね。去年のガールズ短編集は実は全然覚えてないんだけど、今年のは結構どれも面白かった。1つ目の「プライベートライフ」は、'50年代のイギリスの話なんだけど、当時のイギリスはまだ「ソドミー法」があったんで、ゲイやレズビアンは逮捕されてたわけ。その当時のいわゆる「隠れた同性愛者たち」の物語。主人公の女性と「共存(?)」する男性がいて、週末だけ彼女らは町へ行き、自分たちが来ている服を交換して(それも「女子トイレの中で!」)、そして女装をした男性はゲイバー(って言うのかな?)へ行き、そこでダンスをし、男装した女性は彼女と短いデートをする。そんなことをしているうちに、ゲイバーの方に警察の手入れがあって。。って話なんだけど、んー、コメディっぽくて、随所に笑えるシーンがあったんだけど、まぁそれだけの映画かなあ。その女性はどうやら製糸会社の経営者の娘で結構身分が高く(って言うの?)、父親から結婚がどうの、って言われてたけど、でも最後は「わたしたち、このまま週末の短い時間だけ会う関係でいいの?」って言ってた恋人はどうやら彼女の会社で従業員として働くようになったようで。。でもその後どうなるかは分かんないんだ、わたしには。

2つ目の映画は「シュガー・ブラッド」。ドイツの映画らしい。完全モノクロ映画。これがねー、わたしは気に入ったのだ。恋人のいる女性が、その恋人が浮気ばかりするというので、彼女の友達の多分ヘテロであろう子持ちの離婚女性に「自分も浮気をして彼女に思い知らせてやる!」って言うんだけど、そのヘテロの女性は「そういう安っぽいことは止めなさい。わたしも離婚したんだし、あなたも別れる方がいいわよ」って言うのね。で、彼女は公園をぐるぐるする。その公園がさ、なんとな~く「有栖川公園」を思わせるような公園で。

で、彼女は誰か浮気相手を探そうと、初めは携帯で話している女性の後を付いていくんだけど、逆に女性から「ストーカー」呼ばわりされてしまう。で、ぐるぐるするのに疲れてベンチに座ると、横のベンチでお芝居のセリフを覚えている途中の女性に会う。その女性が「これを早く覚えないといけないから手伝って。あなたは男性のところのセリフを読んで」って突然シナリオを渡されるのね。で、その内容が、男性が浮気をしていて女性から責められる、って内容で。。本来なら彼女は恋人に言うセリフをそのまま自分に対して言われ、それで女性がシナリオを無視して「あなただって浮気したでしょう!何回も何回も。もう僕はそんな君とは付き合っていられない!」とかなんとか言っちゃって、練習を頼んだ相手はシナリオ通りじゃないんで目を白黒(笑)

そのあと、また公園をぐるぐるするうちに、池のそばでなにやらアヤしい踊り(?)をしている女性に出会う。その女性の隣のベンチに座っていると「あなた、わたしのそばに寄らないで。あなたのチャクラは閉まっているから、負のエネルギーでいっぱいなの。そうそう、あなたもチャクラを開かせてみない?こうやって大地から取り入れて、それを頭から放出するの」と、後ろから手取り足取り、腰を取って(?)「こんな風にやるのよ」と振らされ、よそから見ると一見、ちょっといやらしいことをしているように見える(笑)もちろん「チャクラの女性」は本気なのだ。だけど、その動きがアヤしくてね。そこに、本物の彼女が現われ、、「何をやっているの??」と主人公を問い詰める。そりゃ、相手だってチャクラの女性に自分の彼女の腰を持って振ってたりなんかしたら誤解するだろう(笑)

主人公は「別に変なことはしていなかった」と言い、アヤしい女性は「うわー、なに、この女。ちょっと近寄らないで。あなたから悪いエネルギーがたくさん出てるわ!!あっちに行きなさいよ!」とか、本気で言ってたりして、もうめちゃくちゃ。これがまた笑える。で、最終的に主人公の女性は恋人に「もう別れる」と別れを告げるのだ。なんかね、ちょっと抽象的な映画ではあったけど、コミカルで面白かった。最初は「浮気して相手を連れ戻す」はずが、いろんな人に出会い、いろんなことがあって、別れちゃった、ってことで「あ、そうですか」みたいな(笑)でも、この浮気していた恋人の名前が「ミヤ」って名前でね、髪の毛も黒くて東洋人なの(本当は、日本人でなく中国系の名前ではあった、その女優さん)。どうやら「恋人は日本人」であったようだ。なぜ日本人の設定にしたのかは不明だけど(笑)

3つ目は「水に満たされて」ってアニメの映画。これ、すんごい抽象的だったのね。で、5分と短かったの。でも、なんかねー、わたしにとっては面白かった。ハートを胸に持っている女性が、テレビの中で踊っている人と恋をして、ハートが相手に半分渡る。けど、結局それが壊れてしまって、彼女はその半分壊れたハートを海の水に漬けて、そしてまた一つのハートを取り戻すってただそれだけの話なんだけど、なんかねー、アニメでの動きそのものも面白かった(自分は動かず、ものが動いてくれるとか。でも多分、これ、観た人しか分からないだろう(笑))し、一つの恋が始まって終わり、それでまた水に漬けて元通り、ってのは、なんかねー、胸に残った。

4つ目。「ラブ・イズ・ラブ」っていうアメリカ映画なんだけど、これが大爆笑の映画でさ。最初、男性が「右利きは85%で左利きに生まれた人は右利きになりたいって言うけど、今、自分もまさにそんな心境で」って言うから、てっきりその人はゲイだと思いきや、実はヘテロの男性。そう、この映画での世界は、ヘテロとゲイの比率が入れ替わってる世界って設定なの。

そして女性の神父か牧師かは知らないけど、教会で叫びまくる。「男性と女性が付き合うなんて、なんておぞましいことなんでしょう」と。そしてヘテロ男性向けエロ雑誌を振りかざし「彼らはこんなものを見て、SEXのことばかり考えています。なんて野蛮な人たちなんでしょう。そして彼らはいつも戦争を起こしてきたのです」と。教会に来ているゲイやレズビアンカップルは「なんてことだ!」って顔をして、目を背ける。

一方、あるヘテロ女性もカウンセラーらしき人に相談しに来る。「わたしは男性が好きです。どう考えても女性は好きになれません」と。カウンセラーは「いつそのことに気がついたんですか?」と言うとその女性は「大学の時です」と答える。これって今の世界で性的少数者がずっとされ続けてきた質問だ。今の世界じゃヘテロセクシャルの人にまずこれを問うものはいないだろう。

あるとき、映画館に行ったヘテロ男性は、隣に座っていた男性に近寄られ、肩に手がかかる。それを苦痛に感じ振り払うと、隣の男性は怪訝な目で彼を見る。そしてヘテロ男性は、隣のレズビアンカップルと思われる女性の胸につい、目を寄せてしまう。するとその横に座っている女性がまるでケダモノを見るような目で彼を見てそして、自分の恋人よと言わんばかりに彼女の肩を抱く。周囲の人から「あの人、ヘテロよ」と言わんばかりの目で見られ、ヘテロ男性は居場所がない。

教会の牧師か神父か知らないが叫ぶ。「今や同性同士で子供が作れるようになりました。これは『神の意志』です。男女カップルはなぜ神の意志に背くようなSEXをするのでしょうか?」そういって、試験管の中に入った水色の液体を取り出す。どうやら「それ」によって同性同士で子供が作れるらしい。

ヘテロ男性はバーで言う。「この同性愛社会で、自分に合う女性は果たして見つかるのだろうか」と。「自分の両親(ここが"Dads"って言葉になってた)は『愛に性別なんか関係ないさ。きっと見つけられるよ』って言われるんだけど」と言って、両親(もちろん、両方男性)と自分が写った写真を取り出す。もう爆笑。

そう、その世の中は、完全に今の世界の「逆」なのだ。ヘテロを変態呼ばわりし、あとはちょっとフェミも入ってるかな~(笑)って感じ?今の世界でわたしたちが言われていることを、その世界のヘテロはそのまま突きつけられる。カウンセラーと話している女性が言う。「わたし、『ストレイダー』を持っているんです」と。もうここで会場、大爆笑。そしてカウンセリングを終えた彼女はその「ストレイダー」でヘテロ男性と出会う。ま、めでたしめでたしなんだけど。

それで終わりきやと思うと、再びカウンセラーのシーン。「『ストレイダー』とは何?」って。「その人がヘテロかどうかを見分ける力です。あなた(カウンセラー)からは全くそれが感じられないわ」と彼女は答える。これは、「ゲイダー」や「レズダー」という言葉のパクリ。その言葉を知らないと笑えないところだ。これがわざわざ入っている、ってことは「ゲイダー」や「レズダー」を知らない人のために付け加えられたシーンだろう。わたしにはここのシーンはいらない、って思ったんだけどね。

いつもいつも現実世界では肩身の狭い思いをしている性的少数者のクリスチャンの恨みが込められているような話だったー。きっとキリスト教原理主義の牧師はヘテロ相手に同性愛がどんなにおぞましいことかをこんな高圧的な口調で語っているんだろうなあと思わせるほど。

しかーし!、もしかしたらいつか、本当に同性同士で子供ができる方法が確立されて、もしかしたら、ホモセクシャルとヘテロセクシャルの人が逆転するかも知れない!ヘテロの人、覚悟しておきなさいよ~(ふっふっふっ)←んなわけない

で、最後「どっちがトップ?」って話なんだけど、なんか片方の恋人はマンネリなSEXしかしない人なんだけど、もう一方はもっと違ったことがしたくて。。で、SMの世界の想像やら妄想やら。。んー、これはわたしにとってはちょっとイマイチだったかなあ~。でも実はこれが一番エロかったのは確か。でも、わたし自身はSMの嗜好は持ってないので、あんまりいじめられて、、ってのは好きじゃないのよね。

「ガールズ短編集」、どれも結構面白かったんだけど、やっぱねー、SEXシーンがないのよ。あってもキス止まりなのよ。やりまくりのレズビアンの話とかないのないのかしら?って思うんだけどさぁ。前日に観た「ボーイズ短編集」は、そのほとんどがSEX絡みだったんで、やっぱそこんとこが違うのかなあ~。わたし、別にゲイのSEXシーンは観たくないんだけどさぁ(苦笑)なんでレズビアンのSEXシーンやってくれないのかなあ~。別に生々しくなくてもいいから、せめて胸くらいまでは触ってくれ(笑)で、できたら脱がせてくれ(爆)ただ、SEXシーンがないということから、これだけさまざまな分野のものを集められたのかも知れない。だけど、一つくらいでいいから(←しつこい(爆))

で、最後に「彷徨う花たち」。
これね、観て分かったんだけど、時系列はあまり考えちゃいけないのね。3つの話がそれぞれちょこっとずつ重なってはいるんだけど、ただそれだけ。物語の場面場面で「列車」が登場する。その「列車」はね、時空間を飛び越えていく列車なんだ。そして映画の中で歌われる「チューチュートレイン」。これも「列車」にかけてある。

前も書いたけど、この話、出てくる女性はみんなレズビアンで、男性も多分ほとんどゲイ。すごい世界だなって思うんだけどさ。背の高い男か女か見た目じゃ分からない一応、生物学的には女性の「ディエゴ」(アコーディオン弾き)と目の見えない歌姫「シン(だっけ)」。その妹「メイ」。メイは小学生なんだけど、背の高いディエゴに恋をする。けど、ディエゴは姉とできてしまうのね。結局メイはある家庭に引き取られることになり、大人になるまでディエゴたちとは会わない、と里親(って言うのかしら)と話し合う。そこでね、里親が「失礼だとは思うんだけど、あなたたちのような暮らしではメイにとってはよくないと思うの」って言うんだけど、これが「あなたたちが同性カップルだから」を意味しているのか、それとも職業柄、両方夜に働いているから、ってことを指しているのか、どっちかはわたしには分からなかった。

そして、何年かが過ぎ。メイは高校生になる。学校で同級生に「男の人でも女の人でも愛は愛でしょ」とはっきりと言う。それを聞いて気まずい雰囲気で去る同級生。その後、男の人からもらったラブレターらしきものを学校の寮から家に帰る途中、列車の中で破り捨てる。学校が休暇で里親の元に帰るのだ。そして家に帰ると、ディエゴたちカップルが待っていた。「すっかり大きくなって」と言われるメイ。まだディエゴのことが忘れられないのか、笑顔を見せたあと寂しそうな顔をするメイ。

ディエゴカップルがいつものようにレストランで仕事(ディエゴがアコーディオンを弾き、シンが歌う)をしているとき、一組の結婚披露宴が行なわれる。これが第2話の始まり。この結婚をするカップル、実はゲイとレズビアンでお互いにパートナーを持つ、いわゆる「偽装結婚」だった。

その後、何年過ぎたか分からないが、どうやら女性(リリー)の方はパートナー(オーシャン)がとうの昔に死んでしまったようで、一人暮らしをしている。一方、男性(イェン)はパートナーに若い恋人ができた挙げ句、自分の方はHIVに感染してしまって、薬を飲まなければならない身体になっていた。しかし、どうしてもその薬が合わず、副作用で吐き気を催している。

物語は年老いたリリーの元に家を飛び出たイェンがやってくるところから始まる。リリーはアルツハイマー病にかかっていた。そのため、結婚したイェンが来たとは認識できず、本来の恋人であったオーシャンだとずっと思いこむ。イェンが普通の男の格好をしていると「父さんがいつ来るか分からないから、そういう格好は止めて」と言い、イェンは無理矢理「女装」させられ、それで街を歩き、そして中学生か高校生らしき人に「ホモ野郎」だの「変態」だのと言われ、ボールをぶつけられ傷つけられる。イェンはリリーに向かって「アンタのせいよ!」って言うんだけど、それが分からないリリー。リリーの中ではイェンは恋人である「オーシャン」なのだ。イェンはそういう彼女と一緒に暮らしていこうと決意する。

第3話は若かりし頃のディエゴの話。ここでディエゴは「ショーガール」をしているリリーと出会う。「女の身体は嫌いだ。だけど男にもなりたくない」というディエゴ。「女のままで女を愛せないのかな」というディエゴ。「愛せるわよ」というリリー。そしてリリーの方から「キスしていい?」と言い、二人はキスをする。「早く家を出たい」というディエゴ。「家を出て、そして好きな女の人と一緒に暮らすんだ」というディエゴ。「わたしのことを愛してくれる人と出会いたい」というリリー。

そうしてディエゴは列車に乗る。
列車には年老いたリリーとイェンが乗っている。リリーはオーシャンを探している。
そして、列車には高校の寮から家に帰る途中の大きくなったメイも乗っている。

列車は時空間を越えて走っている。この物語には時系列、というものが存在しない。ただ、どこかでなにかが繋がっている。そんな不思議な映画。まー、わたしはこの手の映画はちょっと苦手なんだけどね(^^;

この映画の上映後、監督さんとディエゴ役を演じた人とシン役を演じた人、それから撮影した人の4人が挨拶した。わたしは知らなかったんだけど、この監督さん、「TATTOO(刺青)」って作品を作り、去年、この映画祭で上映したそうだ。「TATTOO」(もちろん、わたしはこれ観てません(^^;)と違い、今回は、台湾の今の同性愛者の状況に割と似たものとして作ったらしい。とすると、わたしからすると同性愛者は結構受け入れられてるんじゃん?って感じがした。だいたい、ホモフォビックな反応を示す人はいないし、ディエゴの母親は、彼女が全く女らしくないので、自分たちのやっている芝居小屋を兄と2つに分割して譲り渡そうとまでする。兄はそれが気に入らなくて「継ぐのは自分だ」といい、ディエゴに向かって「嫁に行くなら持参金は渡すが、劇団は渡さない」と言うくらいだし。

また、確かにディエゴは自分が「女である」ってことは嫌だけど、でも「男にもなりたくない」という。そんなディエゴを若いリリーは「女であることが嫌いな女の身体を持つ人なのよ」って言うんだけどね。わたしはディエゴ自体は「男にも女にもなりたくない存在」なのであって、だから「女の身体」である証拠の「胸」を潰そうとサラシを巻いていたりするんだな、と解釈した。だから「性別違和」というよりも「何にもなりたくない自分」なんだよね、あの人は。前も書いたとおり、日本語では「僕」と訳されていたけれど、あれは訳した人がそう解釈しただけであって、わたしは「わたし」でも構わないと思ったし、もしかしたら「自分」かも知れない。ただ、性的指向は女性に向いている、という人なのね、ディエゴって。

監督さん自身は、撮影している人と7年越しのパートナーらしいが。。

しかし、ゲストが来るからか、すんごい人だったー。それも圧倒的多数で女(笑)。レズビアンものでもこんなに客が入るんだなって分かったよ。そしてゲストに呼ばれた彼女らはみんな、一言ずつ挨拶するときに必ず何か、一言日本語で挨拶するんだよ。その日本語はなんかアンチョコが掌に書いてあるようだったけど(笑)「こんにちは。わたしは○○です」って。ディエゴ役の人は「映画は面白かったですか」(ここで拍手)「ホント?ホント?」とか言ってて、とても気さくな人だった、といっても彼女は今、台湾の何とか大学で演劇を勉強している人らしい。若いのだ、とても。これから彼女は台湾で、どんなふうに活躍していくことになるのかな、とちょっと思った。背が高くて(といっても、そんなに高いようには見えなかったのだけれど)、中性っぽい彼女。レズビアンの役しか回ってこない、なんてことのないように。。でも女の人から人気が出そうな感じではあったけどね(笑)

ってわけで、一日に3つ観るとさすがにくたびれるわー。
疲れ果てて、昨日中に日記をアップできなかったのよね。

わたしの映画祭は今日でお終い。あと2つ。一つは一回観た「フリーヘルド」。もう一つは「パートナーシップ法は突然に」。結局、わたしが「観たい」と思う映画はドキュメンタリーが多い。。

そうそう、会場で「バルト9」で19日からレイトショーでやってる「後悔なんてしない」のチケットを買っちゃった(笑)これさぁ、買うともれなくポスターが付いてくるって言うんだけど、別に男のポスターなんぞいらん、って思ってたら、知り合いのゲイが「欲しい、欲しい」というんで、んじゃあ、といってチケットと一緒にポスターももらって、んであげてきた(笑)こういうところでゲイとレズビアンは「共存」できる(爆)といっても、ポスター付きってことはあの映画は「腐女子狙い」なのかしら、、って思わないこともないんだけどね。

テーマ:同性愛 - ジャンル:日記

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