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07-12 Sat , 2008
「弱い病人」じゃダメなのかな?
今現在、わたしの病状はちょっとずつ改善されているような気もする。けど、そう感じないときもある。これを一進一退、と言うのかどうかはよく分からないが、でも一番ひどかったときと比べると雲泥の差なことは確かだ。

このあいだ、NHKで「アメリカの大学教授の最後の授業」ってのをちらっとやってたんだけど、それがなぜ話題になったかというと、確かその人は歳が40代かで、末期の肝臓ガンを患っていて余命3~6ヶ月、と診断されたらしい。で、残された日々は家族と穏やかに過ごしたい、ということで「最後の授業」になったということだったんだけど。彼は最初、自分にできている肝臓のガンを見せて「自分の肝臓には10個以上の腫瘍ができてます」と自分の病気から説明を始めた。で、彼本来の専門の講義に入るんだけど。でもその中で彼は「この中で自分はまだ一番元気だ」と言わんばかりに腕立て伏せを何回もして見せたり、ものすごく「元気でタフな病人」(をわざとかも知れないけど)見せてたんだ。

わたしは、、それを見てとても複雑な思いをした。
テレビなんかでは、しょっちゅう「身体が不自由な人」や「ガンや不治の病と闘っている人」を「こんなに頑張っている人もいます」って紹介する。それを健康な人が見ると「ああ、こういう(不幸な)人もいるから、健康なわたしはもっと頑張らなきゃ」って、多分、テレビを製作する側はそう思わせるように番組を作るんだろう。出ている人は多分、同じ障碍や病気の人に対して「自分もこうなんだから、アナタも頑張ってね」と思わせたいのかも知れない。でもわたしには出ている人の本当の意図は分からない。

でね、わたしは病気が最もひどかったときは、どうやったら治るのかも分からないし、自分で立ち上がることさえできなかったし、だからといって、死ぬような病気じゃないことも知っていたし、不謹慎だけど「これが死に至る病気だったらどんなによかっただろう」って思った。

右腕が痛くて痛くてたまらなかったときは、そのことしか考えられず、しかも何の薬を飲もうが効きやしない。痛みはその人の人格を変えると思った。その痛みに耐えられず、何回も何回も「もう自分が耐えられないと思っているのに、なぜ自分自身が自分自身を痛めるのか」と思った。「もしガンの痛みだったら、薬でコントロールできるのに、そしてその患者のクォリティーライフ(QL)を充実させることができるのに、なんでわたしの痛みはコントロールできずに、毎日毎日死ぬほどの痛みを感じながら生き続けなきゃいけないんだろう」って思った。

そして、それから全く立つことができなくなり、耳の後ろから首の前に繋がっている筋肉がコチコチに固まって(まるで自転車のゴムのチューブをつけたみたいだった)、自分では何もできなくなって、何をやるにも人の手を借りなければならなくなったときは、人にものを頼むのが苦痛で苦痛でならなかった。右腕のことより歯や頭のことが気になり始めたのも、この時期だった。それまで確かに歯や頭のことも気になってはいたんだけど、右腕が治ればそっちも同時に治まってくるだろうと思ってたのよね。けど、ひどいときは頭に手を載せるだけで歯が動いた感じがしたり、寝るときも右を向いたら歯が動き、左を向いたらまた別の方向にはが動き、、って感じでそれが気になって気になって仕方が無く、それで眠れなくなった。

人にやってもらっても自分とやり方が違うときなどは、またいちいち自分で説明しなければならず、それによってどんどんストレスがたまっていって、ときどき爆発したりした。多分やっている方は「せっかくやってるのに」って思ったと思う。そして「そんなのは贅沢だ」と思われるかも知れない。けど、今まで普通に自分でできていたことが、ある日突然できなくなって、人にやってもらうようになるとそういう気持ちがするのだ。

その頃は新聞を毎日丹念に読んでいたが、今まで目も止めなかったような「健康に関する広告」がやたら目に付くようになった。例えば「老化現象を食い止めるもの」に対する広告が一番多かったかな。その他「神経痛に効く」とか、そういうのを見て「わたしもこういうのを飲んだら治るのだろうか」と思ったりもした。

あるとき、どういう内容の記事だったかは忘れたが「病気に立ち向かえる人もいるが、そうでない人もたくさんいる」って書いてあったのを見て「やっぱり」と思った。でもそういう人はまず、目に見えないだろう。そして一人一人で苦しんでいるに違いない、と思った。だって自分もそうだったから。

「弱い病人」の姿はなぜ見えないだろう?って思った。「弱い病人じゃいけないのかな?」とも思った。だって、新聞やテレビに出てくる人はみんな強い人で、希望を持ってあきらめない人だったから。それに比べてわたしは毎日絶望の中で暮らしていたし、正直言って死にたかった。何回も何回も耐えきれなくなって、切れた。そのたびに彼女がわたしを止める。「そうやって止めて、また時間稼ぎしたら、そのうちわたしの切れている気持ちもおさまると思ってるんでしょう?」「どうして切れる前に何とかしてくれないのか」何度も何度もひどい言葉で彼女を責めた。本当にあのときは地獄みたいだった。うつ病の方がマシ、とも思った(彼女はうつ病の時の方がひどかったと言っているが)。うつ病の時は、本人は実はあまり覚えてない、ってことがある。そういう病気なのよね。だから、多分、そのときは本人はつらくてつらくてたまらなかったんだと思うけど、今にしてみれば、頭がはっきりしている分、今回の方がわたしにとってはつらかった。今回の件で救急車、2回呼んだからね。。

もう、どうすればいいのか分からなくなったときに、わたしはこの曲をよく聞いた。



kokuaの「Progress」って曲なんだけど、これはNHKの「プロフェッショナル 彼らの流儀」って番組に使われている曲だ。この中で2番の歌詞に

「誰も知らない 世界に向かっていく 勇気を未来っていうらしい」

というのがある。わたしは毎日毎日寝る前にこの曲を聴いて「明日を迎えると言うことは、それだけで今のわたしにとっては『勇気』なのだ」と思って、気持ちを奮い立たせて、泣きながら寝た。けど、この気持ちも長くは続かなかった。この曲の一番最後は「あと一歩だけ前に進もう」という歌詞なんだけど「もう一歩も前になんか進めない」って思ったとき、もうこの曲は聴けなくなった。

要するに人間、追い詰められて、追い詰められるともう希望も何もないんだよね。気持ちを奮い立たせることもできない。新聞を読めなくなったのは、もうそのずっと前からだったが、その前から新聞を読むたびに何回も涙するようになってしまって読めなくなった。音楽も聴けなくなった。何もできなくなった。日常生活では立てるようになって、歯も少しずつよくはなっていってはいたが、実感として「完治できる」というものがなかったから、毎日絶望的だった。頭の中では「苦しい。もう耐えきれない。誰か何とかしてくれ」そればっかりだった。「耐えきれないと思っているのになんでわたしは耐えながら生きていかねばらならないんだろう」って思っていた。

あの頃感じていたことを、あのとき言葉にしていたら、もっと厳しいものになっていたことだろう。今だからやっと過去を振り返ることができるようになった、とも言える。

しかしやっぱりこう思う。

「弱くて病気に立ち向かえない病人って絶対にいるはずだ」って。そして毎日絶望の中で生きているんだろうなって。わたしは弱くて病気に立ち向かえない病人がいてもいいと思う。今のわたしだって、病気に立ち向かえてないと思うし。だけど、なんで弱音を吐いちゃいけないんだろう?その弱音が取り上げられなくて、不幸な人の強さばかり取り上げられるのだろう?

わたしは不思議でたまらない。

「病気に立ち向かえない弱い病人が、ここにいます」

テーマ:闘病日記 - ジャンル:日記

23:09 | 病名が分かった後のこと | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
はじめまして。
前から読ませてもらっています。
>わたしは弱くて病気に立ち向かえない病人がいていいと思う。~不幸な人の強さばかり取り上げられるのだろう。
激しく同感します。
でも、アートの世界には人間の醜いところとか、ずるさとか世の中の理不尽さとか人間の暗くてマイナス?的なものをテーマに表現している人が沢山います。それ自体は決して暗いことでも恥ずかしいことでもいけないことでもないですよね。。そういうことを感じて世に表出する自由があるとおもいます。作家とか詩人でも闇にめを向け続けた人で世で広く認知されてる人はたくさんいます。わたしは少なくてもそういった人たちをしっかり認識していきたいです。ほんとうだと思うことだから。。
前に「かなしみと向き合って」という美術展をみにいきました。同じような世代の30代の人たち。大方いろんな事情で亡くなられたり療養したりしてました。でもどれも、彼らが目を向け続けたことは普遍的な私の核となることでした。どんな時代でもそういうものに向き合って生きがいとする自由はあると思います・・つまりそんな自分がいてもいい自由はあるでしょ(笑)と。。v-14
>弱さをはいちゃいけないんだろう?その弱さが取り上げられなくて
は、私もかんじています。
それは今の文明の「進化」という名で脅かされている「人間性」のいろいろな本来の生命の危機の叫びだとおもう
Posted by: u- at 2008/07/13 07:26 URL [ 編集] | page top↑
>u-さん
初めまして!コメントどうもありがとうございます。
いろいろ、芸術の世界に通じられている方なんですねぇ~。わたしは本から与えられる情報が最も多く、それからテレビ(といってもNHK(^^;)、あとは映画のこの3つかな~。あ、音楽も自分はやってるんだった。けど、自分自身の言葉で語れる自信はありません。

> わたしは少なくてもそういった人たちをしっかり認識していきたいです。

そうですねー。わたしもこういう状態になって初めてそれが分かりました。今まで「自分の身体が思ったように動かない」とか「起きてる間中苦痛な状態」を感じたことがなかったので。。今は逆に「身体に何の違和感のない状態である人たち」が不思議でなりません。そしてわたしもいつかそういうこと(=身体に何の違和感のない状態)がまた再びやってくるのかもよく分かりません。

わたしはもともと、自分が弱い人間だと思っていましたが、今回のことでさらに弱い人間だと言うことが分かりました。多分これからも「つらい、しんどい」と言いつつ生きていくんだろうなと思っています。わたしは頑張って弱音を吐かない人間より、つらいときはつらいと言える人間になりたいと思います。
Posted by: ron at 2008/07/13 18:38 URL [ 編集] | page top↑
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