11-18 Fri , 2005
女ひとり世界に翔ぶ
実はわたしが仕事を辞めたのは、彼女と一緒に住みたいっていうのが第一の理由だったけど、国際社会で働いてみたい、っていうのも理由のうちの一つだった。それまでが狭い世界で働いてて、ずっとこれが続くのかなって思ってたから。

だからインターナショナルな仕事ってどういう感じなんだろうって興味津々で、それだから彼女から彼女がこの本を読む前に奪って持ってきた。

読んだ感想は、、「すごいなあ」の一言。著者の小野節子さんという人はオノ・ヨーコの妹、というだけじゃなくてひいおじいさんが安田財閥の創始者、おじいさんが元日本興業銀行の総裁、父親が元東京銀行のニューヨーク初代支店長、また叔父と従兄弟に画家と彫刻家がいて、伯母がバイオリニストというすごい家系。なんか最初からスタートラインが違うって感じがしたんですけど。。

日本の大学を卒業後、著者はスイスのジュネーブにある大学院を博士課程まで進み、同級生だったイタリア人の人と結婚する。結婚後、ほどなく習慣の違いから離婚を決意、ワシントンで職探しをするのだが見つからず、日本に戻ってくるのだが、そこで学者でもやろうと思ったところ、思わぬことに遭遇する。その前に願書を出していた世界銀行に就職が決まったのだ。といっても推薦者がすごい。東京銀行の初代頭取、推薦してもらったときの頭取、と偉い人が身近にぞくぞくといて、その人達に推薦してもらい、そこから世界銀行の理事に挨拶に向かう。するとすんなり就職が決まったのだった。普通の人ではこうはいかないだろう。

イタリア人の夫とは離婚しようと思っていたが、ちょっとした運命のいたずらで離婚には至らなかった。彼女は言う。「結婚後25年は哲学者デカルト生活をともにしているような感じで、しっくりなじむようになったのは50代半ばを過ぎた、ここ4、5年だ」と。

その後、モーリタニアという国を8年間担当し、いろいろな投資を行う。当時は無駄なことだと言われたりもしたが、結果的にはその国のためになっている。しかし時代はアメリカ中心に動いていて「ワシントン・コンセンサス」という保守的なマクロ経済担当の促進と市場の発展を原動力にする考えが起こるようになっていった。先進国は行政の縮小、民間主導への転換を行うことによって競争力を高め、発展することができるが、発展途上国はそうはいかない。まず、公のものを作って、そこから国民を指導することによって、その国が発展していく。それをやらずに無理矢理民営化したり、独裁者政権に金を貸す。すると国民全体にはその金は行き渡らず、民営化した会社、独裁者のみがその金で潤うことになる。発展途上国に「ワシントン・コンセンサス」を持ち込むべきではない、と彼女は考えている。

著者は一貫して銀行の中の政治とは無縁な存在でいようとする。しかし、日本の大蔵省(現財務省)からはやっかいものとされていたり、自分の今後のキャリアに生かそうとした人間しか来ず、本当にその国のことを考えて行動するような人間はいない。また、著者のような民間から来た人間のことは「バナナ」(表は黄色いが中は白い)といって2級白人のように見られて、同じ日本人に馬鹿にされる。彼女は一生懸命、国際社会での日本の立場をあげようと努力するのだが、そういう人達によってそれを阻まれてしまう。日本人ばかりではない。外国人にだって同じような考えの人がいる。自分の頭を越えて上司に自分の悪口を吹き込まれる、そうするといくらその世界で実績を上げていようが、降格人事にされてしまう。

そんなこんなで著者は世界銀行から米州開発銀行に押しやられる。いつか世界銀行に戻るという約束をつけて。しかし、そこでも同じような目に遭う。しかし、彼女だって負けてはいない。いろいろな人脈を駆使して(だいたい、同級生のダンナが橋本龍太郎だったりするんだから)、またオンブズマンに相談して、立場を守ろうとする。そこが彼女のすごいところだ。彼女の思うところはたったの2つ。自分の担当した国をよりよいものにすること、国際社会に置いて日本人の地位を上げること。そのことを思い、必死で奮闘するのだが、なかなかうまくいかない。日本の外務省のポストにそう簡単に民間人は入れないのだ。結局米国開発銀行には10年いることになり、世界銀行には強引に戻るということになってしまう。

世界銀行では彼女は運営委員会の事務官という立場になり、組織開発基金(IDF)の政策、指針が各地域で的確に実践しているかの監視を担うことになる。この仕事はやりがいがあったそうだ。

また、米国開発銀行で不遇の立場に置かれている間、彼女は近くの芸術大学で木や鉄の彫刻をして、芸術活動も行っている。それが評価され、キューバのハバナのビエンナーレに作品を展示することになる。本当にすごい人だ。

この本を読んで思ったのは人間言うべきことは言う、やるべきことはやらねばならない、ということだ。もちろん、著者は上に書いたように、この世界の実力者を知っていて、その人達に協力してもらいながら事を進めている。これは何も後ろ盾がないわたしのような一般人には無理なことだろう。そういう意味で恵まれた人だとは思ったが、やはり「信念の人」というのが一番の感想であろう。

振り返って自分を考えてみると、これからすべてが始まる、ということだ。それに向かって努力ができるか。本当のところ、よくわからない。英語だってもうほとんど忘れているし、その上他の言語となれば、かなりの努力が必要だろう。人脈も作らねばならないだろう。その上、鬱病がまだ治りきっていない。要するにわたしはまだまだスタートラインにさえ立っていないと言うことだ。

きっと1ヶ月前にこの本を読んでいたら「絶対わたしには無理だ」と思っていたことだろう。しかし今はなんとかして自分のできるとっかかりを探したいと思っている。まだまだ遅くはない。(と思いたい)早く病気を治してやれることを見つけ、コツコツと努力していきたいと、今はそう思っている。この本はそう感じさせてくれる本だった。
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