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12-06 Tue , 2005
ぼんち
最近、衝動買いで本を買うことが多い。実はこの本も衝動買いで買った本である。

本屋の少し入ったところに、この本は売っていた。著者は山崎豊子。有名な、有名すぎる作家である。わたしは今まで、彼女の作品の中では「白い巨塔」とNHKの大河ドラマにもなった「二つの祖国」の2つの作品を読んだことがある。この2つとも、読んでは考えさせられ、また記憶に残る作品だった。最近、この人の「沈まぬ太陽」が単行本化され、それを読みたいと思ったのだが、この作品は全5巻もあり、今のわたしにはちょっと荷が重すぎる。それでその近くにあった「ぼんち」が目に止まったのだった。ちょっと厚めであるけれど、全1巻。山崎豊子の作品なら面白いに違いない、そう思いながら、内容も確かめずに買った。

買ってから一番最後のページを見ると昭和36年1月31日発行、とある。なんだ、新しい本じゃないのか、とわたしは思った。新刊書と並んでいたので新刊だと思ったのである。「では一体どんな内容の本だろう」と思ってわたしは読み始めた。

読んだ感想は。。はっきりいってイマイチだった。わたしが本を読むときは、本の中の誰か(主人公が主だが)に感情移入して読む読み方をする。けれどもわたしはこの作品に出てくる誰にも感情移入して読めなかったのだ。原因は簡単。時代背景が古すぎて想像できないのである。船場の老舗の格式、芸者遊び三昧、複数の妾持ちは当たり前、どれも今のわたしには関係がないし、想像が付かない。それだから、イマイチ物語に入り込めなかったのだ。

この物語は、船場の老舗の足袋の卸問屋「河内屋」の旦那である主人公、喜久治とそれをめぐる女たちの話である。時代は大正から昭和の初期、第二次世界大戦直後までであり、祖母、母、妻、芸者、妾、その他いろいろな女たちが出てくる。船場の老舗の格式を重んじる祖母と母、子供を産んですぐに離縁させられた妻、毎日のように芸者遊びをし、これはと思った女を妾にして、その生活一切の面倒を見る、毎日のように妾の家を順々に廻り、酒を飲み、遊ぶ喜久治、そのような生活を描いた話である。

わたしには、この物語のキーワードは3つあると思われた。この本の題名にもなっている「ぼんち」、「女には騙されてもいいが、男には騙されるな」という父の死に際の言葉、そして「幇間(たいこもち)とは、女の道に苦労して、何かものを人に考えさせるような人間である」という言葉、この3つである。

初めの言葉、「ぼんち」というのは良家の甘い「ぼんぼん」と違い「根性がすわり、地に足が着いたスケールの大きなぼんぼん」という意味であるが、主人公喜久治は婿養子である父の死に際に「ぼんぼんになるな、ぼんちになれ」と言われる。そういう点では、妻とは離縁させられたものの、複数の芸者を引き抜いて用意した家に住まわせたり、商売でも新しい足袋を考え、作らせて売らせ、金を儲けたりするので、そのような点では、この主人公は「ぼんち」であるとわたしは思う。

2番目の言葉、「女には騙されてもいいが、男には騙されるな」という言葉だが、これも父の死に際の言葉である。しかし、中番頭の秀助に数万円の金をかすめ取られていたのだが、発覚したときは、もう秀助は召集令状が来た後で、完全に騙されてしまい、結局は「男に騙される」という結果を招く。

最後の3つめの幇間が言った言葉は、逆に旦那に対して「女道楽をしても何かものを考える人間にならねばならぬ」と言い換えられると思う。喜久治も散々女遊びをしたあと、残った4人の女をすべて同じ寺に疎開させるのであるが、戦後、その女たちと手を切るために手切れ金を持って、その寺に向かう。しかし、その寺で4人の女たちがそれぞれ将来の自分の道を考えていることを知ると、女たちには会わず、帰って行く。

本の中ではこの帰って行く場面について、「自分を取り巻く一切のものが潮の引くような鮮やかさで、遠くへ去っていく思いに襲われた」、という言葉で書かれている。要するに、この本ではここで喜久治は本物の「ぼんち」になれたということがいいたかったのだろう。

わたしはこの結末には賛成できる。しかし、心のどこかで「だからどうした」という気持ちがあるのだ。それは最初に書いたように今と時代背景がまったく違うからであろう。一人の人間が複数の人間と肉体的な関係を持つ、たとえそれがまったく違うタイプの人間であっても、わたしはその考えには同意することができない。その時代でのある階級の人間は、稼いだ金はぱあっと遊びに使って豪華に遊ぶ、そうすることが「粋」なことだったのだろう。それらは頭では分かるのだが、実感として湧かないのだ。わたしには、それが「粋」なことだとは思えないのだ。そういう意味で、この本はわたしに対して何の感動も与えなかった。

しかし、一つ思ったことがある。それは日本の美しい言葉がなくなっているということだ。例えば、着物関係の言葉だけでも、たかが40ページの間に、大島紬、博多独鈷、帷子、紗、紋綸子、前垂れがけ、木綿縞、糸入縞貫等と言う言葉が出てくる。これは着物関係だけでなく、髪の毛の結い方だとか、建物の名前だとか、今までわたしの聞いたことのない言葉が、全編にわたってどっさり出てくる。それらの言葉を考えるとき、たとえ、芸者遊び、妾等が受け入れられない自分と矛盾している、と分かっていても、このような言葉を廃れさせた戦後の日本とは、一体何なのだろう、と考えずにはいられなかった。

これがわたしの「ぼんち」に対する感想である。
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