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11-27 Tue , 2007
マジョリティーとマイノリティー
わたしはどうしても自分が「性的少数者」なので「マイノリティー(少数者)」の視点で考えがちだけど、最近「マジョリティー(多数者っていう単独の言葉はないのね、日本語は。少数者の反対語って実は日本語にはないんだ??)」のことも考えている。

というか、自分自身、あまり自分が社会の中の「絶対的多数」だと実感するときはなかったんだけど、今、それを強く感じていて、それでその「持って行きようのない感覚」に悩まされている。

今のところ分かっているのは「多数者には理屈はいらない」ってこと。だって、多数がそうなんだから、自分が何者であるかなんて考える必要がない。少数者は周りとは違うから「どうして自分はこうなんだろう」って考え続ける。だから「少数者である自分」はちゃんと確立している。しかし、自分が多数の中に入っているときは、一体、何から考えていいのかさっぱり分からない。だって、今まで疑問なんて感じたことがないんだから。何が疑問であるかさえよく分からない。だから、正直言って、どこをとっかかりにしていいのかよく分からない状態だ。それが「持って行きようのない感覚」ということ。

そしてその感覚がしっかりしておかなければ「少数者」に対する問いかけはできないんじゃないかと言うこと。自分は下手に「少数者」であるから、「多数者」からどういう言葉で傷つくか、十分分かっているつもり。だけど反面、少数者だから、という理由で安易にくっつきたくない。それはお互いの傷をなめ合っているようでいやだから。そうでなく、自分個人がよく考えた上で賛同できる部分は賛同し、違うと思ったときは違うと言いたいと思っている。でも多数者の立場での発言ってどこか「一個人の意見」と受け取られないんだよな。それはいくら「個人的な意見」としてもどこかその背後にある「多数者の影」がちらついて見えるのだ。これって考えすぎなんだろうか。。

だから「多数者」であるときには、その発言はかなり「抑え目」にしなければ、ただケンカ売ってるようにしか見えないんじゃないかなと感じていて、ではそうでない言い方って一体、どんな風に言えばいいんだろうと考えている。でもそれは逆に少数側から言えば「自分たちが配慮されるなんて差別じゃないか」と言われるのではないかと恐れている自分もいる。本当に「腹を割って話す」なんて面と向き合ってじゃないと無理なんじゃないだろうか、とか。

これは「少数者である自分が多数者を考えて、それを元に自分なりの多数者像」を逆転して考えるのが自分には分かりやすいのかな。あとはそれに対する知識ももちろん必要だ。なぜって少数者は「自分が何であるか」について考えるために、それなりの知識を必要とするからだ。が、1を知って10を知るどころか、100知っても10分かるか分からないかよく分からないという自分は、一体、そのことについてどれだけ知ればいいのだろうか。そして知ったことが事実ではないかも知れないと言うことについても、気をつけておかなければいけない。

というわけで、今のわたしはすごく頭が混乱してるのね(笑)
身体の調子が悪い割には、こんなわけ分からないことを考えているし、なんかぐじゃぐじゃな状態。。なんだか疲れた。気持ちを切り替えて頭真っ白にして眠りたい(苦笑)
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