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12-06 Thu , 2007
謎を解く鍵になる
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)という本がある。

この本を初めて読んだのはいつかはもう忘れてしまった。多分、小学校の高学年か中学生の時ではないかと思われる。そのときなんて感じたかは具体的には覚えてないけれども、かなり感銘を受けた本だったことは確からしい。だって、それから何年か経って、本屋で偶然この本を見かけたときに買ったから。

今持っている本は、岩波文庫の1983年12月20日第8刷なので、このときの年齢を考えると15歳なんだけど、記憶では中学生だったような気がしないので、高校生になってからか。それから幾度となく、思い出してはこの本を読み返している。「よかった」と思う割には具体的にどこがよかったかは次に読むときはすっかり忘れている、というしょうもないパターンなのだが、おそらく今までずっとこの本が「何度も読み返したくなる」というのは「六 雪の日の出来事」から「八 凱旋」までが引きずり込まれるように読んでしまうからだろうと思う。

で、この歳にもなって、というのもあるのだが、また久々に「君たちはどう生きるか」を読み直してみた。今までと違って、いくつか引っかかる部分ができていたが(笑)、これはわたしが大人になった証拠だろう(苦笑)でも根っこに流れている精神というのは、多分わたしが思っているのと同じはずだ。

そして今回、読んでみてハッとした部分がある。「四 貧しき友」のおじさんのNoteの部分だ。この本は昭和12年に書かれたものだから、今の日本とは状況がだいぶ違う。だからこの本に書かれていることをその通りに受け取ると、時代にそぐわない感じもする。が「裕福な主人公(コペルくん)=権力が強いもの=マジョリティー(数の上では違うけれども)」と「貧乏な友達(浦川くん)=権力がないもの=マイノリティー(数は違うけれども)」と考えたとき、今までわたしの中で悩んでいる「マジョリティーとしての自分」をどう考えていくかの鍵がそこに書かれていることを発見した。

そこには「貧しい人たちは自分を引け目に感じる必要はない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ」と書かれつつも「だからといって、貧しい境遇にいる人々の、傷つきやすい心をかえりみないでいいとはいえない。少なくとも、コペル君、君が貧しい人々と同じ境遇に立ち、貧乏の辛さ苦しさを嘗めつくし、その上でなお自信を失わず、堂々と世の中に立ってゆける日までは、君は決してそんな資格がないのだよ」と書いてある。

もちろん、わたしがマジョリティーの部分はマイノリティーにはなれないので、その部分についての辛酸をなめ尽くすということはできないだろう。が、スタンスは多分、こういうことなのだ。それは上から下に見下ろすわけでなく、かといって不当に自分を落として相手を見上げることではなく「対等に向き合う」ということなのだ。といってもやはり、なかなか対等にすることは難しいに違いない。が、ある意味「方向性」は見いだせたかも知れない。もちろん、まだまだそれを自分の具体的な行動にしていくことにはかなり時間がかかるだろうけれども。

ちょっと頭がすっきりした。
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