03-21 Wed , 2007
岐阜愛子
そういえば、昨日書くのをすっかり忘れてた。厚生労働省で「終末期に関するガイドライン(たたき台)」のパブリックコメントの件で、12日に要望書を提出をした遠藤まめた氏が「厚労省とのやりとりと考察」という題で、そのときの模様をブログに書いている。

厚生労働省とのやりとりと考察(3月12日の報告)

現在は第2次募集というわけで、締め切りは3月25日らしい。わたしは既に第1次募集の時点で署名しちゃったんで、できないけど。していない方は是非。

第1次締切り&第2次募集(~3月25日)

あと、わたしはブログを休んでいる間に、やっとこさ厚生労働省のパブリックコメントを書いた。(自分で呼びかけてたくせに、実はまだ書いてなかった(^^;)Word形式のやつを添付ファイルにして送った。

昨日も書いたけど、ブログを書いてない間、結構いろんなことをやっていた。前にわたしをいろんなところに連れてってくれたカープファンのおっちゃんと連絡を取りたかったんで、その当時の仲間にメール。今はそのおっちゃんとも連絡が取れる状態になってるんだけど、、ちょっと放置(笑)

そのおっちゃん、その当時は、ある雑誌の副編集長をしていた。が、それまで、はちゃめちゃな人生を送っていたらしく、実におもろいおっちゃんだった。既婚者だったんだけど、二丁目にも行ったことがあるらしく、レインボー書店(もう今はない)の前にたくさん人が立っているなーという話もしてた。わたしはその当時、二丁目に行ったことがあったけど、もちろん、その事実を承知していると言うことが言えずに相づちも打てなかった。他は誰も知らなかったのか、誰も反応しなかった。

まぁ、前も書いたかも知れないけど、わたしたちはIRCというシステムを使ってのチャットをしていた。CHOCOA(チョコア)が非常に有名なクライアントソフトで、それを使ってたんだけど、この3月末で使用期限が切れる、と思ったら、来年の3月末まで延びてた。。実はその当時のチャットの内容はすべて3.5インチフロッピーに入っている。が、今では何を話してたんだか怖くて見られない。。(^^;

そのこないだわたしと連絡を取った人は、ある社会人野球チームを持っている会社に勤めている。その人がくれたメールで、自分の会社のことを数字4桁で書いてるのを見て、すげー懐かしいと思った。あ、気になる人はグランドスラム8号から12号の値段(税別)の数字です。特に、偶数番号の号の裏表紙が、その会社の宣伝になってます。あの当時は「これは狙ってやったんではないか」と話してたんだけど。

そうそうその当時「みかか」って言葉も使ってたんだけど、これは結構有名な言葉だったのね。Wikipediaにも「インターネットスラング」って言葉で載ってた。ただ、わたしらは、みかか=社会人野球チーム、ってことで使ってたわけで。「みかか東京」とか「みかか関東」って感じで使ってた。決して電話料金を恐れて使ってたわけではない。それとともに「岐阜愛子」って言葉も使ってたんだけど、こっちに関しては、検索しても何も出てこないね。。これ、「gif icon」のことだったんだよねー。で、その当時、岐阜愛子さんがお辞儀をしているiconが確か、あったはず。。

昨日の夜、ちょっと、gifではなくjpgをいじってたんだけど、突然「岐阜愛子」のことを思い出した(笑)

それとともに、ある人の日記のコメントで「パソ通」(パソコン通信)って言葉が出てきて、超懐かしいと思った一方、あれ、別の名前で同じようなのがあったよなーって思って、いろいろ調べてみたのね。そしたらそれは、パケット通信だった。パケット通信って、アマチュア無線の周波数帯を使った通信方法だったのね。全然記憶になかったわ。

アマチュア無線といえば、実はわたしも無線の免許を持っている。中学の時に本屋で「CQ Ham & Radio」(CQ誌)って本を見つけて、高校に入ってから割とすぐに晴海に受験しに行ったんだよね。そーいえば、その当時、誠文堂新光社が出していた「初歩のラジオ」(初ラ)を読んでいた。思い出したが、小学校の時、既に秋葉に行って、お風呂ブザーとか、3石ラジオなんかのキットを買ってきて作ってたんだよね。なので、なぜかわたしは半田ごて、20Wとか30Wとかを持っている(もちろん、goot製品)。半導体(トランジスタのことね。石ともいう)は熱に弱いんで、20Wの半田ごてを使いつつ、ラジオペンチで熱が伝わらないように半田付け、とかやってたなぁ~。。もちろん、電気テスターもちゃんと持っている。今は全然使ってないけどね。(苦笑)

そういえば、その当時(小学校時代)はちょうど真空管と半導体の入れ替わりの時期で、よくそこら辺に捨ててあった電気製品から、真空管を抜き取って集めたりしてたな。。

「ハムフェア」にも行ってたな~、、YAESUとかTRIO(現Kenwoodっていうか、その当時からもうKenwoodだったけど)とか、Marantz、MIZUHOなんかとっても懐かしい会社名。。(遠い目)秋葉の九十九電機やロケット3号館なんかにも行ってたな~。ラジオデパートにもよく行ってたし、ある意味、今と違った「ヲタク」だったのかも?(苦笑)

アマチュア無線ってのは、免許を取ったからすぐ開局できる、ってわけじゃなく、開局するまでにまた金がかかるのよね。確か、その当時開局するための金は9,000円かかったんじゃないかと記憶している。そこで初めて「免許状」がもらえて、開局できるのだ。しかも、無線機にJARL(社団法人日本アマチュア無線連盟)承認のシールをまた買わなきゃならなくてね。すげーぼったくり、って感じだった。しかも、自分の使用する周波数帯しか使えなくて、それ以外の周波数帯の無線機を買って使おうと思ったら、書き換えをしなければならず。。よくアマチュア無線家はアマチュア「無銭家」と言われてた。

ただ、うちの場合は、高層マンションに住みながら1階に住んでいたので、アンテナを立てることもできず。初めて買った無線機はYAESUの2m(144MHz;通称「いっちょんちょん」)のFMハンディ機だった。これでも高校生でできる最大限の範囲だったのだ。。(そーいえば、2mのアンテナって「ポコチンアンテナ」とか言われてたな(笑))で、アンテナは付属の「ポコチンアンテナ」ではなく「ロッドアンテナ」にして。家の中では絶対にできないので、わざわざ屋上に上がって「CQ、CQ」ってやってた。ただ、悲しいかな、FMの周波数帯はほとんど近辺しか受信できないので。。

で、そのうちうちの高校の物理部が無線をやることになって、そこでやらせてもらってた。(物理部の友達がいっぱいいたもんで)アンテナも屋上に建てて。ただし、なぜか144MHzのSSB(Single Side Band)の固定機。この頃は結構144ってのはマイナーな周波数帯だったんだけどねー。わたしは6m(50MHz)くらいでやってみたかった。

その後、確かMIZUHOの6mとなんだっけな、もう一つ、買ったはず。この無線機はいわゆる「自作」しなければならなくて、しかもハンディ機だった。(だから安かった)といっても、非常に簡単な「自作」で済んだんだけど。で、免許状も書き換えして、、だけど、ほとんどやらなかったなー。。っていうか、免許状は確か5年ごとに書き換えがあって、そのたびに金を払わなきゃならなかったのよね。ホント、金がかかる趣味だった。。

その頃は「ラジオライフ」(三才ブックス)って割とアングラな雑誌も買ってて(これだけはまだ今も残ってるはず)、無線機の改造をして、警察無線や消防無線を聞く方法も載ってた。で、わたしはそのYAESUの2mハンディ機を改造して、警察無線をしょっちゅう聞いてた。そのころは警察無線もアナログだったから、丸聞こえ。ただ、個人情報を流す際(例えば、車の照合など)は「秘話反転装置」をかけて分からなくしてた。けど、秘話反転装置っていうのは、音声の周波数を逆転させたもので、ちゃんと「秘話反転装置を解読する機械」なんてものも存在してたんだよね。ま、わたしはそこまではやらなかったけど。まー、面白かった、面白かった。学校から家に帰ってきてからはずっと警察無線を聞いてノートに付けてたりした(爆)「こんなんで警察呼ぶのかよ」って思ったこともあったし、あとは結構「ガセ」も多かった。勉強しないでこんなことばっかやってたんだなぁ。。(しみじみ)

ってこういう話をすると彼女は「もともと理系だったんだねー」って言うんだけど、わたしは別にそういう意識は全く持ってなかった。「パケット通信」や「パソコン通信」もやりたかったんだけど、なんせ金を持っていなかったので、できるはずがなく。ホント、パソコン通信は憧れだった。

で、ここからラジオを聴く生活に入っていくんだけど、これを書くとその倍くらいの分量になるんで、それはまた後日。73&88!(←超懐かしい!)
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