04-13 Sun , 2008
昨日の「一期一会」
土曜日の22時25分からNHK教育テレビで「一期一会 キミにききたい」という番組がある。わたしはもともとその前の22時からの「あしたをつかめ~平成若者職業図鑑」という番組も一緒に見ていて「一期一会」はその続きでみることにしている。

「一期一会」という番組は「○○と考えているイチゴさん(くん)」がそれと全く逆の考えを持つ「イチエさん(くん)」と3回くらい会い、そして話すことによってどうなるか、という番組だ。イチゴさんがイチエさんの言うことについて納得することもあるし、しないこともある。この番組の面白いところは、何が正しく何が正しくない、ではなく「人が自分の意見を変える」ということ。イチゴさんが変わっていく際、必ずどこか、イチエさんに共感する部分がある。それを元に自分の場合を考える。そうすると何かを得る場合がある。そして、双方が分かり合えた場合、変わるのは決してイチゴさんだけではない。イチエさんもイチゴさんから何かを学ぶのだ。人は決して一方だけ変わるのではないなとそのときに感じたりする。そこが面白くてわたしはこの番組を見ている。

もちろん、双方の意見が全く歩み寄らないで、そのままで終わってしまうこともある。でもそれはそれでいいのだ。それがこの番組の面白さなのだ。

昨日の「一期一会」は「化粧をしない22歳女性(イチゴさん)」と「性同一性障害の女性モデル(イチエさん)」だった。化粧しない女性は、会社に行く前に自分の姿を鏡で見る時間は7秒とのことだったが、まー、それでもわたしよりマシだな(爆)わたしは自分の顔はもちろん洗うが、自分の顔はそのとき見ないらしい。以前、野球観戦開けに会社にいったときに上司や同僚から「○○さん、その顔はどうしたんですか!?」と言われた。確かにそのとき、目が妙に開けにくいなあ~と思っていたのだが、実は野球観戦で顔が日に焼けて、目が半分くらいしか開かなくなっていたらしい。「すぐ医者に行け」と言われて行ったんだけど、医者からは「完全にヤケドです」と言われたw職場の人たちからは「家に鏡がないのか?」と言われたけど、あっても見ないものなあ~(爆)

昨日の番組の話に戻る。

化粧をしない女性は、化粧に興味がないわけではなかった。むしろ「化粧をしたい」と思っていた。性同一性障害(だったといえばいいのか?)の女性モデルは彼女の「化粧をしたい、でもできない」という気持ちを昔の自分と重ね合わせていた。そして化粧をしない彼女に、化粧をしてあげるんだけど、化粧をしない彼女はそこで自然と笑顔が出るようになる。自信が出てくる。彼女は昔、学校でいろいろあって「女らしくなりたい、けどできない」状況にあったのだ。それを思い出す。だから化粧とは無縁なオタクに走り「自分はオタクだから」といい訳を繰り返していたのだ。昨日の番組はそう面白い、と思ったわけではなかったが、化粧をするという行為が人をこんなに変えるんだなあと言うことが分かった。

が、逆に自分のことについて考えてみると、わたしはどんなことがあろうと化粧なぞしたくない。「化粧をする=女性になる」という考えがどうも受け入れられないのだ。そんなことしなくても、わたしは女性だ。というか、わたし自身、女性らしさよりも自分らしさの方が大事だ。自分らしさは、世間で言う女性らしさと重なっていてもいいし、そうでなくてもいいと思っている。

わたしは自分以外を演じることが大嫌いだ。演劇で役を演じることすら嫌いだ。小学校の頃、わたしはなぜか学校劇で主役になることが多く、その中でも「セロ弾きのゴーシュ」のゴーシュ役をやったことがある。その中のセリフに「よーし、俺も男だ。頑張って稽古するぞ」というセリフがあった。が、わたしにはそれを言うことがとても苦痛だった。だって、わたしは女だもの。たとえそれが役の上であったとしても男だなんて言いたくない。わたしはその部分が来るのがイヤだった。毎回毎回、吐き捨てるように言った。そこの部分が終わるとホッとした。今でもそのことを鮮明に覚えているのは、本当にこのことは自分の中で嫌なことだったんだろうなあ~、、まぁこれは典型的な例だが、それ以外にもわたしは「自分という役」以外の役はやりたくない。自分が言いたいセリフ以外は言いたくない。よく役を演じる人が「自分の人生以外の人の人生が体験できる(だっけ?)」と言うが、わたしは自分の人生だけで十分だ。

化粧も同じこと。自分が自分でなくなるような気がする。人は自分の表面だけしか見ずに、中身を見ないような気がする。そんなことは真っ平ごめんだ。だからわたしは年中、同じ格好をしている(それもあまりきれいな格好とは(苦笑))。日本は四季があるから、それなりにそれなりの格好はしているけどね。もちろん、何を着るか考えるのがめんどくさい、というのもあるが。。(笑)基本的には1年、4種類の洋服があればそれでいい。それが擦り切れなきゃ、もっと楽なんだけど。。(爆)

化粧やきれいな洋服を着ることによって、自分自身が変わったように感じられ、それが自分の自信や行動力の活発さが出てくるのなら、それはそれで構わないと思うし、とても素晴らしいことだと思う。けどね、わたしは違うのだ。わたし自身の考えは決して変わらないとは言わない。でもわたしを変えるのは、姿や形じゃない。もっとその他のことだ。日々生活することによって、わたしは自分を変えていく。そのことは怖いことじゃない。外見で言えば、わたしは自分のありのままの姿が自分で一番好きだ。歳を取ってくるにつれ、白髪が増えてくる。それはわたしにとってとても喜ばしいことだ。だって、それだけ年を重ねたと言うことだもの(早く全白髪にならないかな~)。シワのことはまだあまり考えないけど(っていうか、それこそ鏡を見ないのでシワがあるかどうかはよー分からん(爆))、野球観戦を繰り返したせいで、目の周りはシミだらけだ。けど、それは自分の勲章。わたしの今まで自分の好きなことをして生きてきた証。まぁこれから目はどんどん見えなくなったりするだろうけど、それはそれでいいのだ。それがわたしだから。だからわたしは「自分を変えるための化粧」はしない。

次にね、もう一つ考えたことがあった。それはこのイチエさんが性同一性障害で性別適合手術をし、戸籍を女性に変えたということ。性同一性障害で女性になりたい(っていうか、もともと女性なんだから女性に戻るという感覚なんだそうだが)人は、とても「女性」に見える。逆にわたしは生物的に既に女性だから、女性の格好をする必要がない。男と間違われても「わたしは女性です」と胸を張って言える。自分がそうしたいのならともかく、女だからって無理に女らしい格好をする必要があるの?逆に男は無理に男らしい格好をする必要はあるの?「そういう格好がしたいから」「自分がしたい格好をして、普段の自分を変えてみたいから」(多分、女装子さんはこういうような考えなんじゃないかなあ?あ、女装子さんってのは、女装したいだけで、別に女になりたいと思ってる人じゃない人のことね。それは言ってしまえば「趣味」の部類に入るんだけれども)それならわたしにだって分かる。わたしにはその考えが欠落しているだけだ。そのイチエさんは化粧をすることで自分らしく生きられているみたいだが、じゃあ化粧をしなければ女性とは言えないのかなあ~?なんかふと、そんなこと思っちゃった。

そして逆にね、わたしはこう思った。わたしは生まれつき、身体も女で性自認(自分は男か女かという自分の認識ね)も女だから、そのことについては悩んだことはない。でもね、ふと考えた。そんな人間有り得るのかどうかは知らないけど、性的な器官が全くなかったら、と。胸は平らで子宮も卵巣も精巣も睾丸もない状態。こういう状態だったら、わたしはどうしただろうか。それでもわたしは「これが自分」と言い続けられるだろうか。それとも「男」か「女」、どちらかになりたがるだろうか。そしてその手段はやはり「洋服」であったり「化粧」であったりするのだろうか。

ちなみに昨日の「一期一会」は、水曜日夜0時45分(火曜日深夜ってこと)から再放送があるらしい。よかったらごらんください(ってわたしは別にNHKの回し者じゃないのだー(爆))

【付け足し】3月まで「おはようにっぽん」を担当していた松尾剛アナ、見なくなっちゃったな~と思ってNHKのサイトをチェックしたら、なんと福岡放送局に転勤になってました。がーん。。松尾さん、しばらく見られないのね。。orz

テーマ:性同一性障害 - ジャンル:日記

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