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08-15 Mon , 2016
知るということ
71年前、日本は戦争に負けた。

一つのターニングポイントが1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃、すなわち日米開戦のときだったと思うのだけど、日本がアメリカに戦争を仕掛けたと知ったとき、「日本は負ける」と思った人もその当時、どの程度の割合かは知らないけど、全くいなかったわけでもないみたいだ。

わたしは去年の9月に「若者から若者への手紙 1945←2015」という本を読んだのだけど、その中で、戦時中教師をしていた人のお父さんが、真珠湾で戦争を仕掛けたことを新聞で知ったときに

「『アメリカと戦争をするなんて、なんて馬鹿なことを』と叫んだ」

と書いてあった(その教師自身はその日、家を出るときに空を見上げて「この青い空の一体どこで戦争をしているんだろうと思った」そうだ)。

実はわたしの祖父も同じことを思ったらしい。その当時、祖父たち家族は朝鮮半島にいて、そこで働いていた。わたしの父はそこで生まれた。ところが、日本がアメリカと戦争を始めたことが分かった途端、「これは危ない」と思って日本に帰って来た。その当時は満蒙開拓で家族ぐるみで中国大陸に渡っていった人たちも多くいたし、国もそれを奨励していた。その方向とは逆に祖父一家は日本に帰国した。これは日本が戦争に負けたあと、どうなるかを見越した上での帰国だったのだろう。実際、日本が戦争に負けたあと、当時満州にいた人たちが日本に戻ってくる際の引き上げの過酷な話を聞くと、当時幼かった父などは途中で死んでいたりしたかも知れないし、父が死んでたらわたしは今、この世にいない。

祖父の判断は正しかったのだ。

戦争が起これば、国民は国に全て身を捧げなければならないが、その身を捧げつつ、自分の身は自分で守らなければならない。国が自分たちの身を守ってくれるわけじゃない。

そこで必要となるのは「自分の頭」しかない。祖父はそういう点で非常に聡明だった。世の中のことをよく勉強して知っていた。この先、どうなるかをちゃんと見通せた。

しかし。そのような聡明な祖父でも原爆に対する知識は全くなかった。だから原爆が投下されたあと、身内を探すために幼い父を連れて爆心地に入ってしまった。そのために父も被爆者になった。だからわたしも被爆二世として生まれてしまった。原爆の恐ろしさが分かったのち、祖父は「父を連れて入るのではなかった」と悔やんでいたと聞く。

もちろんその当時、放射能に対しての怖さというのは一般的にはほとんど誰も知らなかっただろうから、祖父は責められないとは思う。が、上の2つの話を合わせると「人間は生きている限りにおいては、いろんなところにアンテナを張って、勉強し、知識を蓄えて、将来を見据えておかなければならないのだ」ということが分かる。

日本で宗教の話と政治の話はタブーなんだそうだ。

宗教の話は、それでもまぁいいと思うが、政治は今、生きている人間にとってどういう場合だって関わってくる。政治に関わりのない人間なんて一人もいない。日本の中での「制度」の枠組みの中で生きてるんだもの。なのになんでそれをタブーとして「放棄」してしまう人たちがいるのか。なぜ政治の世界は「自分には関係のない話」と言い切れる人たちがいるのか。政治の話はつまらないから?政治に関わると変な人と思われるから?変な人になってしまうと思うから?何も考えない方が楽だから?国が自分たちの都合の悪いようにはしないと思ってるから?

まぁそういう人間は国と一緒に心中して滅びてしまえばいい、とも思うけどね。

でも残念ながら、考えない人間の方が多数になってしまうと、民主主義の世の中だから、わたし自身は国と心中したくなくてもそういう方向に引きずり込まれてしまう。

だからこそ、今、言えるうちにいろいろ言ってるんだけど、どうも世の中そういう方向には進んでいない。

うーむ、この先は「自分の身は自分で守らなければ」ということもそろそろ考えておかねばならない時期になって来たのかも知れない。

怖いね。
15:11 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
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