06-04 Sat , 2016
6月4日
6月4日は虫歯の日、でもあるらしいが、天安門事件の日、である方が重要だと思っている。

この日は今から7,8年前から意識するようになった。が、この日にその関係の日記を今まで書いたことがないのは、だからといって何を書いていいのかすら分からなかったからだ。今も正直なところ、よく分かってない。大雑把に「中国の民主化運動」ってことくらいは知っている。この事件が起きたのは1989年で、わたしは当時大学2年生だったから、リアルタイムで覚えているのは確かなことだが、なんでそうなったのかはちっとも分からない。なので6月4日が来るたびに「今日は天安門事件の日だ」とは思うけど、それ以上に語ることはない。

今も正直全く同じ状況なんだけど、実はこの間「太陽がほしい」というドキュメンタリー映画を観た。この映画は班さんという中国人が制作した中国人の元日本軍「慰安婦」の人たちのことを取り上げた映画だ。中国人の元日本軍「慰安婦」の人たちは朝鮮人元日本軍「慰安婦」の人たちとは状況がちょっと違う。それは朝鮮が日本の植民地だったのに対して、中国は「敵国」だったので、捉えて監禁、その間に元日本軍兵士に強姦された人も多くいる。それ以外に朝鮮人元日本軍「慰安婦」のように慰安所を作られて、その中に入れられた人ももちろんいた。こういった人たちがどのように暮らしているかを丹念に追った映画だった。

中国人元日本軍「慰安婦」のことを取り上げた映画だと言うと、ある一定の人たちはすぐに「反日映画」とレッテルを貼るだろう。しかし、この映画は中国では上映できないそうだ。ある一定の人たちが言うように(というか、最近では中国に対する好感度が地に落ちてしまった日本人からすると、そう思う人たちが圧倒的多数なのかも知れないが)中国が「反日国」であって、中国人元日本軍「慰安婦」の人たちが被害を日本に訴えている「反日」の人たち、であるならば、この映画は中国という国から賞賛されて中国で上映されまくってるはずではないか?しかし、現実にはそういうことにはなっておらず、日本では細々とではあるが上映はできるが、中国では上映できないという。それはなぜか。

それは、中国政府と日本政府の思惑によって、中国政府から元日本軍「慰安婦」当事者の思いが抑えつけられているからだ。

この映画の中に元日本軍「慰安婦」だった人が「自分はこういう目に遭った」と中国で記者会見をしているシーンがある。その場面で軍なのか警察なのかはよく分からなかったけど、とにかく「政府側」の人たちがいきなり部屋の中に入ってきて「何をしてるんだ」と記者会見を止めるシーンがある。

もう一つ。元日本軍「慰安婦」だった人がカメラの前で「被害を訴えることが反逆罪になっても構わない。もうこんなに歳を取ってしまって先は長くないのだから」のようなことを言うシーンがある。

中国は「反日」国家だとしか思ってない人たちには「中国で日本から受けた被害をおおっぴらに言えないなんて信じられない」と思うだろう。かといって、わたしがこういうことを書いているのは、中国の肩を持って「中国は『反日』ではない」と言いたいわけではない。「反日」とかそうじゃないとか、○か×のようなそんな単純なことが言いたいわけではない。そこには個人の被害の訴えとは違う、国の思惑、というのがあって、そういうのがあるから現実はとても複雑になっているのだと言うこと。元日本軍「慰安婦」の人たちは中国人民からも貶められていて、とても肩身の狭い思いをして生きてきたということ(その国の一般の人たちに貶められているのは中国だけじゃなく韓国でも同じ。そして日本ではそれがあるから怖くてほんのごく一部の人しか「自分は『慰安婦』だった」とは言えなかった)。そして、政府同士や人民が誰も彼女たちのことを考えていないのだったら、「これをなんとかしなきゃ」と思った日中の市民同士が連帯しなければならないということ。

映画の中で何人もの中国人元日本軍「慰安婦」の人たちが出てきたが、今は誰一人生きてはいない。中に一人、'90年代から被害を訴えている人がいて(といえども、その人は自分の「直接の被害」を訴えてはいない。もちろん、この人も元日本軍兵士から監禁されて強姦された当事者だ。しかし、その人はそのことを問題にしていたんじゃなくて、実は別の殺された子供に対して繰り返し繰り返し「かわいそうだったから謝れ」と言ってるんだよね。なぜこの人は自分のことは問題にしないのかというと、おそらくこれを認めると、このおばあさんは自分の人生やりきれなかったから、真正面から受け止めたら壊れてしまうからじゃないかとわたしには思えた。そこには複雑な人間の心理状態、というのが現れていると思った)、その人は最初、本当に「日本(日本人)」というものが許せない、というものすごい厳しい表情や口調だった。

しかし、約20年に及ぶ撮影で、この人は死ぬ間際のインタビューがあるんだけど、そのときに言うんだよね。「日本の友だちのためにまだまだ自分は負けていられない」って。亡くなる直前の映像で本当に弱った状態だったし、こんな状態で自分を作ってはいられないだろうと思うので、この発言はこの人の本音だったと思う。結局、日本で裁判を起こしても訴えは通らなかった。中国で被害を訴えようとしても上から抑えつけられる。中国人民からは差別される。この人は生前、何一つ報われなかった。だから、本当は「よかった」って思っちゃいけないんだと思う。けど、わたしは亡くなる間際の「日本の友だちのために」という言葉を聞いて、ちょっとだけ「よかった」って思ったんだよね。

まぁそんなわけで、現実って言うのは○か×か、という単純に二分割できるほど簡単なものではないのだ、ということがよく分かる映画だった。

で、なんで6月4日にこの映画の紹介をしたかというと、まぁもう分かると思うけど、この映画の中で「なぜ天安門事件が起こったか」ということも少し触れているからだ。そしてこの映画が中国では上映できない、ということを聞いて、まだまだ「天安門事件」は続いているのだ、ということが分かったからだ。

いい映画だったので、機会があったら観て欲しいと思う。
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