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02-11 Thu , 2016
第685回東京YMCA午餐会「ドイツの今」
20151126.jpg


これも引き続き去年の11月の話。

まぁこれもひょんなところで知ったんだけどね。
てか、「午餐会」ってどう考えてもとってもキリスト教的な香りがするじゃん?
「午餐」の「餐」の字なんて「最後の晩餐」の「餐」と同じ文字だし(とてもくだらないこと言ってるような気がする)。
しかも場所がYMCAって、そりゃ、当然にキリスト教的なところでしょって。
なので、事前に予約するときに「キリスト教の信者じゃなくても参加できますか」ってメールで問い合わせしたら、
「信者じゃなくても全然構いません」
って回答が来たので、なら、参加しますってことで。
ご飯付きで参加費3,000円。

あー、参加の理由は単純な話。

「ドイツはなぜ今現在も謝り続けることができているのか」

これについて知りたかった。いや、もっと言えば、ドイツだって敗戦直後からずっと謝り続けていたわけではない。
強制的に働かされた人たちがアメリカの裁判所にドイツの企業を訴えた、ということだってあった。
(その昔、アメリカでは自分の国と全く関係ないものについても裁判できたそうな)
その補償は最初はごく一部の人たちだけだった(これは結構有名な話で、例えば強制収容所に入れられたユダヤ人の補償は真っ先に行われたが、同じように入れられた男性同性愛者についての補償はもっとずっと後だった)。
ドイツだって最初から率先して謝罪行為をしていたわけではない。
それがどうして、いつ、それが変わったのか。
どういうことがきっかけだったのか、その当時の国民の間ではどういう議論が起こったのか。
それが知りたかった。

というのも、この年の8月14日に「戦後70年 東アジアフォーラム-過去・現在・未来-」というイベントに出席してきたのだが
そのイベントにドイツから「記憶・責任・未来」財団の理事会アドバイザーって人が来ててね。
いろいろドイツのことについて話してくれたというか、わたしが印象的だったのは、第一部の記念講演の方ではなく、
課題別シンポジウムの方で話されたことなんだけど。

ドイツでは、今まで国防軍による「売春宿」(レジュメを翻訳した人によると、原稿を日本語に訳すときに「慰安婦」という言葉を最初は使っていたのだけど、どうも「慰安婦」という言葉にそぐわない。実態から考えると「慰安婦」よりも「売春宿」の方が適確だろうということで、この言葉に訳した、とのことだった)での女性強制性労働については全く注目されてこなかった。それはなぜか?「あった」んだけど、その他の方が中心となってしまって(ドイツはアウシュビッツなどの方が大きかったので)、それにかき消されてしまった、とは言っていたけど、やはりその中にも「その問題はとるに値しない問題」として放置されていた現状も確かにあった、みたいなのね。

で、その人は「この問題(慰安婦問題)は日本の方が進んでいます」と言っていた。
が、わたしは「そんなのすぐにドイツに追い抜かされるよ」って思った。
だって、その姿勢が全然違うもの。

しかし、そこでは「国民が自分たちが加害行為をしたことについて、どう思っているのか」ということは一切話されず、
というか、話す人が「そりゃ、謝罪するのは当然でしょ。で、どうすればそれが『謝罪』になるかなんだよね。それはやっぱり補償金払うことだよね」
という感じだったので、「こりゃ、次元が全く違うわ」と思い、
(しかし、補償金を払えばコトは済む、という趣旨で言ってるわけではもちろんなく、
根本に「謝罪し続ける姿勢」は絶対に忘れてはならない、その記憶は未来にも引き継ぐ、とのことでした)
それで「なんで日本とドイツはこんなに違いがあるんだろう?」と思って、
その後に一冊「日本とドイツ ふたつの『戦後』」という本を読んでみた。
なんか、そのことについて書かれてるかな、と思って。
んだけど、わたしが知りたかったことは全く書いてなかった。
(多分、これに関しては、別の本が出てると思うので読んでみたいのだが、今は時間が、、)

ちょうどその頃にこのイベントのことを知り、
「あ、じゃあ、ちょっといい機会だし、参加してみるか」って思ったのね。
だって、ドイツのこと、わたしは本当に何も知らないのだもの。
大学の第二外国語もドイツ語じゃないし。

会場に入ったら、その雰囲気の違和感に圧倒された。
まぁ、偏見と言ったら偏見なんだろうけど、ものすごく宗教臭い。
来てる人の雰囲気が、来てる人はほとんど高齢のおっさんばかりだったのだが、
なんというか、上品というか、穏やかというか、ちょっと気持ちが悪い感じ←
大声でゲラゲラ笑う下品なおっさんとか全くいない。

しかも会場の中ではうっすらクラシックのような上品な音楽が流れている。。
(こーゆーところは、わたしみたいなガサツな人間はそぐわない!!)って心の中で思った。

取り敢えず、お重のある席に座った。

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三段重ね。食べてるときに弁当の中身の画像を撮りたいと思ったんだけど、
それは恥ずかしいので止めました。まぁ普通の仕出し弁当でした。

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時間になり、式次第通りにコトは進んでいく。

最初の「開会の祈り(食前の感謝)」は、ホント困った。
って、もう何を話されたか具体的なことは覚えてないけど、雰囲気に違和感を感じて困ったことだけ覚えてる。
あ、例え他の人がみんな手を組んでお祈りしてても、わたしはしません。
だって信じてないんだもの。形だけマネしても意味ないし、第一信じてる人に失礼じゃん。
と思って、葬式以外の宗教行事に対しては、そういうときはただただボーッとしてます。

次の「Peace」ってのは、要するに「いただきます」ってのと同じことだと理解した。
「前と左右の方とご挨拶」と式次第には書いてあるが、
そうそう「Peace」とは言えんわな。

で、黙々とご飯を食べる。
てか、なんか緊張してご飯はどこに入ったのかさっぱり分からん感じだった。
だいたいわたしは人見知りなので、こういうときはまず誰かに話しかけたりはしない。
そして、わたしの外見はとても話しかけづらいのだろう。
誰かから話しかけられるという経験もほとんどない。
しかし、心の中では「誰か、わたしに話しかけてよ~。ここに迷える子羊ちゃんがいるんだから」と思っている。
まぁそんなことはどうでもいいか。

ご飯を食べ終わったらいよいよ、今回のゲストである小塩節さんって人のお話が。
てか、この人、結構有名な人らしいのよね~。
NHKのドイツ語講座とか担当した人らしい。
てか、その前に駐西ドイツ大使館公使、だったらしい。
大学の先生でもある。
1931年生まれって書いてあるから、結構なお年の人。

話は確か、日本とドイツの関係、から話したと思う。
てか、ほとんどもう覚えてない(^^;

最初にドイツに日本を紹介したのは、ケンペルって人で、この人は将軍綱吉に会った、とか。
で、そこで「小鳥だったら」という古いドイツの歌があるのだが(わたしはこの歌、小学生の時に習った)
それを将軍の前で歌ったらしい。
というわけで、そこで小塩さんはドイツ語で「小鳥だったら」を歌いはじめた!

小鳥だったら小鳥だったら飛びたいな
海を越えて 海を越えてどこまでも

青い空は青い空は広いんだ
だけど僕は だけど僕はチビだもの

大きくなったら大きくなったら飛行機で
世界一周だ 世界一周だ僕の夢

世界一周だ 世界一周だ僕の夢

ま、こんな感じの歌詞でわたしは習ったんだけど。
ただ、「飛行機で」とか、まぁ綱吉の時代にあるわけないから、
この日本語の歌詞はとってもとっても新しい、ってことだろう。
だけどメロディー自体はとても古くからある歌なんだってね。知らなかったけど。

あとはシーボルトとシュリーマン、だったっけな、日本と関係したドイツ人。
シーボルトはドイツに日本のイチョウを持って帰ったんだってね。

一番印象的だったのは、森鴎外の話だった。
てか、結局その話で分かるだろうけど、戦後のドイツの補償とか、そんなことについてはほとんど話さなかった。
まぁ、そうだよね。大学の専門、別にそういう関係ではないし。

森鴎外がドイツに留学して、そしてドイツ人の恋人がいたってのは有名だろう。
だって本人が「舞姫」とか書いてるもんね。
でも、どうやらその恋人を「捨てた」ってわけじゃなく、毎月お金を送金していた記録が出てきたとか?
それから、脚気の話もしたな。
当時、脚気の原因は分からなくて、陸軍の方はぴかぴかの白米が配給で食べられることが
当時の兵隊にとってはとても喜ばれて、でも、白米は配給でも、おかずの方は自費だったので、
みんな梅干し1つでご飯何杯も食べてたとか。で、脚気になっちゃった。
海軍の方は麦飯混じりで、それがとても不評だったけど、脚気の人はいなくて。
でも、不評だったので白米に変えたら、脚気が蔓延した、とか。
しかし、これと森鴎外の関係はなんだったか忘れた。
森鴎外は陸軍の軍医だったんだけどね。

あと、森鴎外の出身地は石見の国、だから島根県、になるのかな?
いや、津和野だから山口か。(津和野は島根県です!よく「萩・津和野」って観光地で一緒くたにされて、そして萩の方は山口県なので、津和野も山口だと思ってた時代があり)
彼の墓のことはとても有名だけど、
でも、生前、森鴎外は地元に1回も帰らなかったそうだ。

その理由はどうも、長崎から隠れキリシタンが津和野に連れて来られて、
そこで虐殺かなんか起こったんだよね。森鴎外の父親がそれに関係してたか、幼い森鴎外がそれを見たのか。
そこは忘れちゃったけど、どうやらそれですごい「贖罪の意識」があったらしい。
だから、死ぬまで故郷に帰らなかったんだと。

とはいえ、森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったらしいが、
しかし、著作の中に(なんだったか忘れた)とてもキリスト教的な一説があるらしい(それも忘れた)。
森鴎外自身はキリスト教信者ではなかったけど、キリスト教的なものは彼の中にはあったのではないか、
そんな感じの話だった。

あとはドイツの経済的は話を少し。
あのときはちょうどフォルクスワーゲンの排ガス不正問題が大きかったときだったので。

てなわけで、今、覚えている話はこれくらいしかない、、、

まぁ、自分の知りたいこととは全く掛け離れてた話だったが。
しかし、「集団の中に入って感じる違和感」ってのが、この頃のわたしにとっては非常に面白く。
というのは、この国に住んでて、「違和感」を感じるときって、あまりないんだよねえ、わたし。
なので、この場所も結構わたしにとっては「おー、違和感、感じてる、感じてる」と思ってたんでした。

ただ、この頃は自分にとって割と違和感のあるところにばかり行ってたこともあり、
たまに違和感のない場所で、違和感のない人たちとしゃべると、とっても開放的なんだなあ
ってことも感じてて、人間って面白いなあって思ってました。
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