02-10 Wed , 2016
武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展に行く
これ、去年の11月の話です(^^;

なんの記事にしてもそうだけど、画像を挿入する場合は、画像をそのまま使えなかったりするので(ここのブログの設定が、画像1枚2MB以内に決められてるのでそれに合わせないといけない)そういう作業で書くに至るまでの時間が結構かかる。旅行記が止まってる理由も同じです(^^;旅行記の場合は画像の選択などもあるので、その作業すらめんどくさい。。

という言い訳はこれくらいにして。

わたしが行った、この、武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展は、新聞記事などにもなってたので、結構色んな人が知ってたんじゃないかと思う。2015年11月13日から21日まで武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の共催で行われた展示会だ。といえども、実は展示会ではなく、両校の間に掛けられた「橋」の方に焦点が当てられていたような気がする。というか、わたしも行く前まで「橋」が作品だと思ってたし、行ったときにギャラリーに展示されてる絵はあったんだけど、ほとんど鑑賞するという感じじゃなかったから。行った後に「しまった、もう少し個々の絵をちゃんと見てくればよかった」って思ったほど。なので、当然のことながら撮って来た画像も橋やその周辺のことが中心になってます。そこのところは今でも本当に残念。。

さて。武蔵野美術大学と朝鮮大学校、当然のことながら(と言っていいのかは分からんが)今まで無縁だったので行ったことがないところです。正直、芸術系の学校なんて、本当に無縁なので「一体、どういう人たちが通ってるんだろう?」って思ってドキドキしたほど。ただ、最寄りの駅から歩いて20分ばかりかかるところにあるんだけど、行く途中は玉川上水のほとりをずっと歩く、本当に景色の素晴らしいとこだった。

展示室は学校の中にあるので、当然学校の門をくぐらないといけないのだが、迷わず武蔵野美術大学の方から入った。てかやっぱり朝鮮大学校にいきなり行くのは怖いって思いは確かにあったのは事実で。で、わたしが到着したときはお昼をちょっと過ぎてたので、お腹が空いててね。駅前はご飯が食べられるところが見つからなくて(かなり寂れてたので驚いた)、なので「あ~、どうせ学校の中には学食あるしな」って、展示を見る前に学食でなんか食べようって思った。で、校門のところにいる守衛さんに「今、朝鮮大と共同の展示会が、、」って話しかけたらすかさず「ああ、『かけはし』ね」って言われ。そのときに初めてこれが「架け橋」って呼ばれてることを知った。守衛さんはわたしに「あちらでやってます」って教えてくれたんだけど、その前に「すいません、お腹が空いたので学食に行きたいんですけど」と聞き直したら「じゃああちらです」って教えてくれた。「こういう形の建物で」って教えてくれたんだけど、初めて学校の中を歩く時ってなんであんなに緊張してしまうんだろう。

案内された建物の中に入って、地下1階の学食に行く。

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どうやら守衛さんに教えてもらったのは「第二食堂」らしい。てかなんで第二??第一はどこなん?「第九じゃない、第一だ!」ってかなり古い上にローカルなネタですが(笑)、まぁそれは全く関係がないとして、なぜ第二を教えてくれたのか、今でもそれは謎のうちの1つだったりする。。第一は古いんですかねー?別の校舎にあるんですかねー?

ショーウィンドウにいろいろな食べ物が載ってたが、こういうのから選ぶのはかなり苦手なので、無難なところで味噌ラーメンにする。こういうところで迷ってると部外者だとすぐにばれてしまうので(実際のところ本当に部外者なのだが)「いや、いつもここ使ってます」みたいな顔してようと思いつつ、やはり食堂のシステムがイマイチよく分からないので、まぁ思いっきり部外者でしたね(^^;

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確か「特製味噌ラーメン」だったか?味はまあまあだった。で、座って食べてると机の上にあったこんなのが目に入ってきた。

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「なにこれ?」と思って読んでみると、何故この学校に自分はいるのか、みたいなことが書いてある。一瞬「これって受験生向け?」って思ったんだけど、11月って全然受験の時期じゃないし。それに学校が作ったわけでもなさそう。家に帰ってから調べてみたら、これ作ったグループがあるみたいね。ただ、エピソードは今のところこれが最新みたい。残念、結構面白かったんだけどな~。でもこういうのを作って制作して学食に置く、なんてさすが美術系大学だなあ、なんて思った。

それ以外にも、これはまったく撮ってこなかったんだけど、学食の入ってる校舎はいろんなチラシが置いてあったり、貼ってあったりして、これも芸術系だなあって思った。いろんなチラシってのは、美術展もあったけど、なぜか演劇のお知らせなんかもあって、あー、こういう活動してる人が多いんだなあって思ったり。あと、学内のところに作品らしきものがちらほら見えたりして、そういうのを観察するのも面白かった。ただ、美術系の大学だからと言って、構内を歩いてる学生は他の大学とそんなに変わらない気もしたんだけどね。もっと派手な人とか歩いてるかと思ったのに(ってこれは偏見か(^^;)。

特製味噌ラーメンを食べた後、早速展示会の会場に。ただこの展示、学内に知らせるチラシなどは一切見当たらなくて「本当にこっちなの?」ってちょっと不安を覚えたよ。だいたい校舎の前ですらなんの知らせもないんだもの。。でも、そこの校舎に入るときに、ぷーんっていい木の香りがしてね。なんと言えばいいのか、えーと、材木置き場の匂い?それがとっても印象的だった。でも「なんで木の匂いが??版画とかで使ってるとか?でも版画の木でこんな校舎中匂うような木ってどんなに巨大な木なんだ?そんな版画があるんか?」ってわけが分からなかった。そんで誰に聞いたんだっけな、ああ、受付にいたあの子かな?「ここの校舎に入るときに木のいい匂いがしたんですが、あれはなんですか?」って聞いたら「木の匂いなんかしますかねー?ああ、多分彫刻学科でしょう」と言われた。彫刻!確かに版画より匂いそうだね←?

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これ、会場に着いたときに一番に目に入ったもの。でも、その横の展示室は

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これ、だったのよ。この時点でよく分からなくなってて。「え、橋じゃないの?橋はどこ?」って感じだった。結局、その場でいろいろ見た結果、橋はただ、両校の展示室を繋ぐものに過ぎない、ってことがようやく分かったのね。記事でもなんでも「橋が架かった」ってことに焦点が当てられすぎてて、そこに何か展示してるものがある、なんて知らなかったのよね。しかも、この橋を架けるということの作業が注目されすぎて、わたしもそのときはそこにしか目が行かなかったものだから。。画像には一切、人は写り込んではないんだけど、実際のところ結構人は来てた。思ってたよりたくさん。ちなみにわたしが行ったのは、17日(火)なので、平日の昼間にも関わらず、って感じだった。

取り敢えず中で何をやってるのか全く分からなかったが、中に入ってみた。展示してある絵は観たんだけど、あんまりしっかり観てない。。入口のところに橋を架ける際に話し合った年表(と言えばいいのか)と、そのときにメンバーが思ったことであろうことが付箋に書いてあってそれが貼ってあった。これも全体図を撮ってくるのを忘れた。。

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まぁ、こんな感じで書いてあったり貼ってあったりするものです。これが2mくらいあったかなあ?初めから読んでいると、もう、そのものが「わたしが思ったことがある」こと、だった。。この中には武蔵野美術大学側、の人たちが思ったことしか書いてないのね。朝鮮大学校の人たちの思いは直接自分で書いたものではなく、話し合ったときの印象深い発言を武蔵野美術大学の人が「書き留める」というだけ(例えば上の画像で行くと「チョンオギ『ふわふわとした嫌な気分』」の付箋など)。思いは一方方向、なのです。マジョリティー側の思い。最初の方は「会話噛みあわず 何を話せばいいのやら」とか「お互いを知るとは 一体どういうこと」などの途惑い。

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「ただ一緒に展示できればいいの?どういう展示にしたいの?」「展示会の意義を考える。どういう姿勢で?」「ちょんおぎが書いていた(書簡に)「多文化共生」「異文化交流」について ちょんおぎにとってそれらはどういうもの?」

まだまだここから始まったばかり、という感じ。でも当然のことながら、展示会、まぁ世の中にはいろんな美術作品の展示会があるけど、みんなこういうこと、真剣に考えてやってるんだろうな。共催となれば、ましてやいろんな立場が違い過ぎる人たちと一緒にやるということってね。

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「在日20世はどうなっていると思う?」

実は、わたしにとってはこの言葉がそのときはとても印象深かった。というのは、前の日記に金民樹さんのマダン劇「我が家のイヤギ」を観に行ったことを書いたんだけど、その劇の一番最後に年を取っておばあさんになった主人公がいうのね。「在日一世、二世、というのはこの日本で一歩、また一歩歩むということなのかも知れない」って。だからその言葉を借りると在日20世、ってのは、20歩歩んでる人、になるんだよね。これを見たときは「おお!」としか思わなかったけど、今はこの言葉はとても複雑な思いをわたしの胸の中に抱かせる。

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「在日問題、歴史認識について聞く 他人事みたいですよねといわれ凹む」「私の立場とは?」

両者間に避けては通れない話が出てくる。でも、わたしを含め、ここら辺の歴史認識、というものは圧倒的に知識がない。それはちょっと掘り返すだけで「日本の加害行為」が出てきてしまうからだ。なので表面的なことしか教えてもらえない。だから「他人事みたい」と言われてしまうのだろうし、逆に実際問題として最初は「他人事」の認識しか持てないのだろう。「自分がやったことではないのに」というのが、今、ほとんどの「日本人」(敢えてこの言い方)が思っていることだろうから。まぁでもそれを逆に「日本人側の被害者」としてよく扱われる「被爆者」に向かって同じことを言えるのかね?とは思う。「あなたが受けた被害はわたしにはなんの関わりもないからわたしには関係ありません。あなたの痛みはわたしには全く理解できません」と被爆者に向かって言えるかどうか。多分、そっちの方は言えないか、これを言ってしまえば自分はなんてひどい人間なんだって思ってしまうと思う。しかしなぜ一方では「わたしがやったんじゃないから関係がない」と言えて、もう一方には「関係ない」と言い切ってしまうことに躊躇いが起こるのか。「日本のやった加害行為はわたしには関係がない」と言い切れる人は、ちょっと考えてみた方がいいかもね。

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「大学の政治性というものをちょっと知る。うまく企画が運ば(れ)ない。」

この展示は自分たちの内面との戦いだけではなく、外側でも戦わないといけないものであったことが垣間見える付箋。確かにそういう部分は大いにあっただろう。特に「朝鮮大学校」とのやりとりに関して、自分たちの思うとおりに話が進まない、という場面は相当あったのではないかと想像されるし、「朝鮮大学校との共催」ということで(武蔵野美術)大学側、もかなり慎重になったのではないかと推測される。ここをどういう風に考えるのかは難しいと思う。わたしも一言では言えないし、ましてやこんなところには言わない(笑)ただ、わたしが今思うのは、まずやらねばならないのは「相手を知ること」だと思う。政治性は本当に難しいとは思うし、相手を知ったところで考え方は相容れないんだから、どうにもならないことももちろんあるのだが。。しかし、それでもまず、相手のことは知らなければならないと思う。

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「個と個の対話にこだわっていたが マイノリティ、マジョリティの枠にのっとって話すべき(?) (多分イライラしていた)」「結果、何もいえなくなった。はれものをさわるような感覚。これでは日本人と在日朝鮮人がとなりにいるヴィジョンが見えない」「自分が日本人であることがマジョリティであることに無自覚だった。(知らないことの暴力)きずつけていた」

ここら辺になると徐々にわたし自分がかつて同じことを思ったこと、その当時(これを見た去年の11月17日当時)も同じように思っていたことがどんどん出てくるようになる。でもわたしはこの人たちが羨ましかった。だって、彼らは「対話」を通してこのように感じているのだから。わたしはいろんなものを読んだり聞いたりして同じようなことを徐々に感じ始めてきたから、この思いは誰にぶつけることも出来なかった。もちろん、これを書いた人もだから相手にぶつけられた、ってわけではないと思うけど。自分が「マジョリティ」と気付いてしまったら、もうその気持ちは素直に「マジョリティ」の人たちにはぶつけられなくなってしまうのだから。でも、わたしは彼らが直接、人とかかわり合いになれるのが、とっても羨ましかった。わたし、自分の中にこういう感情を抱えているのが本当に苦しくてね。苦しくて苦しくて仕方がないときがあった。誰かに言いたくても誰にも言えなかった。相談したくても、相談出来なかった。

けど、もう一方の面から考えてみることがわたしにはできる。そう。「性的少数者である自分」としてからの面。相手を「異性愛者」として考えた場合、相手方の気持ちも分かってくるような気がする。「異性愛者」は何も苦労せずこの世を謳歌している。誰かを好きになって、向こうも自分を好きになり、つきあい始める。そのあと結婚という選択肢が目に入ってくる。そう、選択肢。「結婚する、しない」を「異性愛者」は自分の意志で自由に選ぶことが出来る。社会の仕組みが、自分が別にそう願ってなくても自然に整っている。「婚姻制度」の枠の中に入ってしまえば、相手は自分の配偶者となり、多大な権利が得られる。税金の仕組みの中にも相続の仕組みの中にも入れる。そういう法律的なことだけに限らず「妻です、夫です」と言えば、周囲はそれを完全に何の疑問もなく受け入れてくれる。相手が病院で意識不明になったときも「あなたは患者と血のつながりがないから病室には入れません」とは言われない。敢えて婚姻制度の枠の中に入らない人たちも、すべてではないが、ある一定以上のことは「結婚したもの」としてみなされる。そして「異性愛者」はそれを生まれたときから「当然」にあるものとして考えている。いや、もしかしたら「当然」とも思わないで暮らしているかも知れない。

そういう「異性愛者」の「あって当然」の無邪気な姿を見ると、わたしは無性に腹が立つ。「何も苦労せずに権利を得られるくせに、その上何も考えないで過ごせる身分なんて」と。しかし、それを言われた「異性愛者」はただ途惑うだけだろう。「え、だって、生まれる前からそれがあったんだし」って。そして逆に自分の持っている権利の大きさを自覚してしまったなら、持っていない相手に対して「自分という存在だけで相手を傷つけてしまうのではないか」と思って何も言えなくなるだろう。

結局、だいたいそういうことなんだよね。わたしは、この2つの立場を「日本人としてのマジョリティ」と「性的少数者としてのマイノリティ」という2つの面から見ることができるので、置かれた境遇についての双方の気持ちはちょっと理解できる。が、だからといって在日朝鮮人のこと全部分かるわけではないし、っていうか、だいたいそんな感じの気持ちだろうくらいで、その複雑な感情のすべては到底分かりっこない。在日朝鮮人の問題は、歴史問題が絡んでるし、戦後はすぐに国から一方的に日本国籍剥奪など、本当に理不尽な目に遭ってるのだから、そこのところは性的少数者の問題とは全く違う。そしてこんなことは有り得ないけど、それらのことが全部分かったとしても解決方法なんか見つかりっこない。マジョリティとマイノリティの間には、本当に深い溝があると思う。そこを埋めようと思っても埋められるものではないし、だから結局、「お互いの溝がなくなり、みな平和に暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」になる話ではないのだ。そしてそのことは、今回の「架け橋」に象徴されていることでもある。壁をなくせばいいという話ではない。壁は自分たちを守ってくれるものでもある、しかし、わたしたちは双方お互いに相手のことを知り合わなければならない。そして壁を「乗り越える」ということは、果たしてそこにどういう意味があるのだろう。そこのところを来た人たちにも考えてもらいたい、そんな展示だったのだろうと思う。

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「会って話すうちに以前にも感じていた居ごこちの悪さを思いだす。」「朝鮮大と武蔵美、そして境界にある橋。これだけで交流など内示的意味が成立する。」「『安易な友好ではない』というのは、ただ明るくポジティブな関係だけでなく、どうしても理解できないことがあったりして、何もトラブルなくスイスイと交流が進んできたわけではないという思いから。『交流』を全否定しているわけではないし、明るく楽しいことも色々あった」「北朝鮮という呼び方は日本が国として認めてない」「というハナシもあるが、、。差別語ではなく、今はふつうの呼び方として定着してきた感。」

きっと、これを読んでる人の中で「なんでこんな思いをして彼らと付き合わないといけないんだ、自虐的だ」って思う人もいるかも知れないと思う。が、本当にそれでいいのか?とわたしは思う。自覚していないマジョリティから、自覚し始めたマジョリティへ。そこに進むうちにどうしても「居心地の悪さ」というのは感じてしまう。わたしも「異性愛者」に言われたことがある。「性的少数者はいろんな人がいるので、自分が何かを話すと傷つけてしまうのではないかと思うと何も言えない。性的少数者のことを知れば知るほど、怖くなる」って。でもわたしはそれに対してどう答えればいいのかよく分からない。だって、それは「異性愛者」が今まで何も知らなかった、考えてこなかった証拠でしょう、って。今まで権力を持ちながらそれに無自覚だったのはあなたですよって。あなたたちは今までわたしたちを「いないもの」として扱ってきたでしょって。「いないもの」にされてわたしはどんなに悲しかったか、寂しかったか。そしてこれからもその思いはきっとまだまだ続くでしょう。でもマジョリティは「見て見ぬフリ」ができるから、「居心地が悪い」と思ったら、その場から立ち去ることが出来るだろう。そして一生、そういう人たちと関わらなければ、その人達が感じているつらさや生きづらさなんて無視して生きられるだろう。でもそれは、果たして「人間」として許されることなんでしょうか。「関わると自分がつらいから」という理由だけで見て見ぬフリをして生きていくのは人間として正しいことなんでしょうか?(本当は「正しい」という言葉を使いたくはないんだけど。この言葉嫌いだから)そこのところをもっとよく考えてくださいよ、と。

いわゆる「北朝鮮」という言葉。これがどうなのか、と判断することはとても難しいと思うし、実はまだ自分でもよく分かっていない部分がある。ただ、これも前の日記に書いたように、日本人(この言葉の使い方は本当に難しい)にとっては彼の地は「朝鮮半島」であって「韓半島」ではないわけなんだよね。そうするとただ「朝鮮半島の北の方にあるから」ってことで「北朝鮮」と読んでるだけ、という感覚なんだろうと思う、日本人はね。けど、「朝鮮半島」「韓半島」と2つ呼び名があるように、ここは政治的なイデオロギーが絡んできている問題である面がある。そしてそこの日本人の感覚ってのは「蚊帳の外」なわけで。なのでこの問題、あの国をどう呼ぶか、という問題については、わたしは今のところ本当のところは「よく分からない」んだよね。ただ、彼の国を「いわゆる『北朝鮮』」と呼ぶわたしは、やっぱり日本人としての感覚が主である、という認識を強くさせられることではある。。

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「歴史との向き合い方、受け止め方 まだどうやって関係すればいいのかわからない」「対話とは?不可能でも続けるとは?何かを知る、わかるってどういうことか迷走中、、、。わたしはずっとリエちゃんとチョンオギにとっては?マジョリティの市川なのか?」「在日問題について調べてもネットでまともなサイトを探すのが難しい」

ネットでこの問題について検索しても、マトモなサイトが見つからない、というのは本当にそうなんだよね。引っかかるのはおどろおどろしい「真実系」のサイトばかりで。まぁ確かにごく少数ですがまともなサイトは存在する。けども、手っ取り早いのは本を読むことかなあ。徐京植さんが書かれた「在日朝鮮人ってどんなひと?」なんかは中学生向けに書かれているので割と平易な文章で読みやすいと思います。

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「たくさん話した。バーっと吐き出すように話した気がする。」「2人にとってマジョリティとはと質問して意外とふわふわ?していた。未来の日本人も加害者なのか」「属性とは。切り離して考えることができること?」「自分の悪質な種?のようなものに気付く。はっきり分かったし、自ら認めた。その存在に」「マイノリティー/マジョリティー? 被害者/加害者? ずっともんもんとしていた土屋がその思いを言葉にできて嬉しそうだった。土屋もリエも身(ママ)をひらいたミーティングだと思う」「10月5日 話したいこと聞きたいことが話せて すごくよかった」「『あ!』りえちゃんとちょんおぎに自分がマジョリティとして自分が思っていたより強く?見られていることを実感する」

時は10月くらいらしいので、展示会のおよそ1ヶ月ちょっと前、というところだろうか。いろいろ話し合っていくうちに、徐々に何か発見するものや感じるもの、そしてそれを言葉に出して言えるようになった、ということだろうか。「悪質な種」、については、この人が感じたものとわたしが認識してるものはもしかしたら違うのかも知れないけど、わたしの中にも「悪質な種」と言えるものは確実にあるし、これはもう自分の中からは消し去れないだろうなと思う。けど、これを持っていることに気づけるというのは、自分のことをそれだけ客観的に見ることができるようになった、という意味でもないかと思ったりする。

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「立場的に相手の傷口にふれるようなことになってしまう それでもたとえ痛みをともなったとしても返事をしてくれた」「りえちゃんとカマキリの話」「マイノリティー・マジョリティーで考えたときの逃げ場のなさにとまどう」「『発言』というものへの恐怖心がどんどん大きくなる。私はいらぬことを言ってしまったのではないか。まちがっていることを言っているのではないか。。。 急に後ろめたさと後悔。 本当に「在り方」が分からなくなる。自分の告白に自信がもてなくなる。」

「分かった!」と思ったのに、また同じ思いが繰り返される。。でもそれは仕方がないんだよね。いくら話し合ったってお互いは「違う」ところにいるのだから。そしてそれが「マジョリティ/マジョリティ」という関係ならば、当然のこと、力を持っている方が少数者に対して「相手を傷つけてしまう。どうすればいいのか」と途惑うのは当たり前のことだよね。「こういう風な関係であればいい」なんていう答えはどこにもないわけなんだから。なんてわたしだって分かったような口を聞いてるけど、本当は分からないです。だけど人を絶対に傷つけない、というマニュアルなんてどこにもない。わたしはそのことがやっと分かったし、そして、自分が人を傷つけてしまう存在であるという覚悟だけはできたというか、ね。

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「橋が完成した夜にメンバーでへいのところに集まる。さくごしで話す。土屋さんと市川さん、ねころがる。灰原さんとチョンオギ、私はチョデミ側。で立っていた。あのとき初めて、『あっ、この空間いいかも、、、。』と思った。あの瞬間はとても良かった。」

なんかこの光景が目の前に浮かぶようだった。もちろんこれは到達地点ではなく、ただの「通過点」でしかないんだけど、でも、初めて空間が「いい」って感じることができたのは、今までのいろんな経験と思いがあったからだよね。

というわけで、この年表(?)を見るだけでもかなり時間がかかったのだが、しかし、これを読んだ後、じゃあなぜこの展覧会の名前が「突然、目の前がひらけて」になったのか、そこが引っかかった。だって、こんなことがあったあとでは全然「突然、」じゃない気がするんだけどって。まぁでも、両校との間に壁が出来たのは1960年代からだそうだから(武蔵野美術大学がこの地に来たのが1961年。朝鮮大学校はその前の1956年からあった)、その時間感覚で見ると「突然、」なのかも知れない、やっぱり。

で、橋。このギャラリーを出て、もうちょっと奥側に、それはあった。

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これは武蔵野美術大学側から見た橋。

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これが朝鮮大学校側から見た橋。

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そして誰もが撮るであろう、ボーダーライン。「こんなに薄いのか」と思う人もいるだろうし、「だけどものすごく厚い」と思う人もいるだろうし。「これを渡れるということにどういう意味があるのか」を感じる人もいるだろうし、ただただ単純に「渡った!」って人もいるだろうし。わたしは正直なところ、よく分からない。今だけ渡れたとして、それが何か意味があることなのか。しかしそれは今、評価できることではないとは思う。象徴的な「橋」はこの時点ではあったけれど、今(この日記を書いている時点)ではもうない。でも、これからこれがどこにどう繋がるかだよね。それは武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の関係だけではなく、ここの展示を観に行った人たちにも共通して。

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ちなみに武蔵野美術大学側にこれが置いてあり、一体これは何かと思ったら、夜間、橋の上に付けておく柵なんだそうだ。これは一体、誰のためになんのために必要だったのかはよく分からないが。。夜中に渡るなということでしょうか(笑)

で。武蔵野美術大学側から橋を渡って朝鮮大学校美術科に行くためには、この前に受付で名前と住所(いったっけ?)を書く必要があってね。で、番号がついた札を首からぶらさげないといけなかった。そして武蔵野美術大学側から入った人は、必ず武蔵野美術大学側から出ないといけない、ということだった。で、わたしも受付して、その後、この橋を通って朝鮮大学校美術科に行った。

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これは朝鮮大学校側の展示会の案内。

てっきり朝鮮大学校側にも武蔵野美術大学側と同じように受付があって人がいるのかと思いきや、そこには誰もいなかった。。。

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ただこんなものが置いてあるだけで。まぁでもこれは朝鮮大学校の学生向けでしょう。注意が朝鮮語で書いてあるし。朝鮮大学校教職員と学生は、とか読めるので、多分、こっちから行く内部関係者はこれを付けるようにっていうことでしょう。てか、偶然、ここに居合わせたときに、朝鮮大学校の学生と思われる子たちがこれを首にぶら下げて、一人が友だちに向かって「회사원~」って言ってるのが聞こえて(全部は聴き取れませんでした!(苦笑))、多分、首から札をぶら下げた姿が「会社員みたい」って言ってるんだろうなあ~と思ったら、なんかすごい微笑ましく思えてしまって。朝鮮学校はもちろん、学校内では朝鮮語を使わないといけないので、朝鮮大学校でもそれは同じこと、ましてやこうやって、わたしたちのような「部外者」が来るわけだから、なおのこと朝鮮語を使わなければならない状況だと分かってるけど(もちろん彼らはわたしたちと同じように日本語喋ってますけど、普段は)、でも、なんというか、やっぱりかわいいな~とか思っちゃってね。

ま、この展覧会で朝鮮大学校の学生と関われたのはここだけでした。あとは武蔵野美術大学も受付の人以外は全く誰とも関われなかった。美術展ってのは、そんなものなんだろうか。

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これが朝鮮大学校美術科のギャラリー。ちょっと寒々しいところでした(笑)武蔵野美術大学の方は武蔵美の学生、朝鮮大学校の方は、朝鮮大の学生、の展示かと思いきや、全然そんなことはなかった。ごちゃまぜでした。その中でかなり印象的だったのは、

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この絵だった。絵というか、まだスケッチのみなのか、それはよく分からなかったんだけども。

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これは一体、何を表しているんだろう?右側の人たちと左側の人たちが言い争っているのは分かる。しかしそれに混じってカメラを抱えた報道陣なんかの姿もある。とっても気になる作品でした。これはこれで完成品なんだろうか、とか。

しかし、この時点では分からなかったんだけど、これはこの時点ではまだ完成品ではなかったようです。というのも、今年の1月下旬に同じところで別の美術展があって、それにこれもまた飾ってあったそうです。わたしはその展示会のことを最終日に知って、それなので観に行けなかったけど。。これがどういう作品になってたのか。それがとても気になります(そしてこの作品、まだ完成していないらしい。そのことはその後に聞いた)。

朝鮮大学校側で作品を観ているうちにふと思った。「これって、朝鮮大学校側からも来られるんだよね?」って。だってさっき、武蔵野美術大学側のギャラリーに新聞が置いてあって、そこに「両方から入れる」って書いてなかった?と。で、武蔵野美術大学側の受付に戻って、そこにいた人に「朝鮮大学校側からも入れるんですかね~?」って聞いてみたら「多分入れないんじゃないかと思います」という答え。「えー?」と思ったが、やはりそこは試してみなければ。と思い、一旦、武蔵野美術大学側の受付に札を戻したあとに、武蔵野美術大学を出て(構内、迷ったヽ(;▽;)ノ)、そして朝鮮大学校の入口に向かった。

朝鮮大学校に向かう途中、ふと思いだした。ヤンヨンヒさんが書いた「ディア・ピョンヤン」の中で(映画の方じゃなく、著作の方)ヤンヨンヒさんが朝鮮大学校の学生だったときに、しょっちゅう学校を抜け出して演劇を観て、そして夜中に学校にまた忍び込む、みたいなことを書いてたよなって(朝鮮大学校は全寮制)。なんだー、この道かあーって。

で、学校の中に入ったら、受付があったのでそこで名前と住所書いて。そこで首からぶら下げる札と注意書きを渡されて。「写真、動画の撮影は美術科展示室内外と「橋」のみに限らせていただきます。」というところに赤い線を引かれて。

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まぁ確かに普段来ないところだから、撮りたくはなるよね。だけど、それをされると向こうがすごく迷惑、ってことも分かる。学校側がピリピリするのもいろんな理由があるんだよね。

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これが渡された通行書。こっちには番号とかは書いてなかったなー。

まぁでも展示会自体は既に観たものだったんでね。ただ、帰った後にもらったパンフレットみたいなものを読んでたら、そこで行かなかった場所があったことに気が付いた。てか、それはどこにあったんだか、今でもよく分からない。どうやったら行けたんだろう。どうやら2階っぽい??「アンケート用紙」って書いてあるけど(パンフレットに)、そこでアンケート書けたんだ!わたし、ここはそういうの全くないんだな?って思ってた。いろいろ思うところもあったのにー!ってことで、わたしはアンケート書いてません。いろいろな言いたい思いを抱えて全部持って帰ってきた。

とはいえ、ギャラリーの向こう側でちょっと扉が開いてたところを覗いてみたら、こんなものが。

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柿。朝鮮大学校の敷地内にある柿の木でできたものらしい。人には全く会えなかったが、この気持ちは嬉しかったです。なので、一ついただきました。

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家に帰って食べたけど、甘くて美味しかったよ!

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最後に。帰る途中、見かけた白い猫ちゃん。

しかし、事前に橋が架かることだけしか知らなかったので、創作したものが展示してあるとは思いもよらず。ちょっと本末転倒になってしまった感が否めない。しかも現地でその意図を把握出来なかった自分の失敗。「自分と同じ思いをしている」という嬉しさ、「でも同じことをこの人たちは大学生で感じることが出来たのだ」という羨ましさ。

その他、この展示会については本当にいろんなことを思って感じて。

でも、これはゴール地点じゃないし、これから先もまだまだ続くこと、なんだよね。
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