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09-19 Sat , 2015
わたしは忘れない
このタイトルを思い付いたとき、「そういえば、こういうタイトルの小説があったよね」ってふと思い出した。有吉佐和子の「わたしは忘れない」。どういうきっかけがあったのか忘れたけど、最初読んだのは中学生だったかな。結構好きな小説だった。売り出し中のモデルが主人公で、最初は楽しいこと、きれいなこと、でも物を考えることや泥臭いことが大嫌いで避けていた人なのだが、CMの撮影か何かである離島(確か黒島だったっけ?架空の島だと思うが)に渡ったとき、そこに台風が来て船が運航できなくなって島に何日間か閉じ込められちゃうんだよね。で、閉じ込められてる間、いろんなことがあり(これについては具体的には忘れたけど、災害とかいろんなことが起こったと思う)島の人たちがその中で泥臭く、地道に懸命に生きていることを知り、考えが変わっていく、という話だった。多分まだ持ってるはずなので今度読み返してみよう。
【追記(翌日)】ちょっと読み返してみたら、ぎゃー、話が全然違ってた(笑)CMの撮影かなにかで島に渡ったのではなく、いろいろあって傷心な気分で自らその島に行ったんでした。

前置きが長くなった。というか、いい加減、早く旅行記を書きたいと思ってるのだが、どうもその気になれなくてここまで来てしまった。でもこの一週間は自分自身が異様な緊張感を持ってた。特に横浜の地方公聴会があった16日から眠れなくなった。国会で今、どういうことが起こっているのか気になった。「そのとき」が来るのが怖かった。通ると分かってても「そのとき」が嫌だった。だからドキドキして全く眠くならなかった。

ついに通ってしまいましたね、安保法案。まぁこれは「想定内」のことだったので、通ったからと言って特に落胆はしてない。わたしはこの件で国会前を始め何ヶ所かのデモや集会に参加したけど、デモに参加する前は「デモに参加して、何かが変わるんだろうか」と思ってた。よくデモを批判する人たちが「ただ騒ぎたいだけじゃないか。発散させて終わりじゃないのか。そんなことをしても何も変わらない。自己満足に過ぎない」って言うけど、わたしもデモに行く前は確かにそれは言えると思ったし、だからこそデモに参加するのはちょっとねと思ってたし、デモに参加した今も「そういうところもあるかもね」って思ったりもするけど、でもやっぱり何か違うんだよなあって思う。わたしはこれに関するデモや集会にしか参加してないけど、確実に「響くもの」はあったんだよね。

最初はデモや集会に参加して「頭数」となることで、政府与党の議員の中でちょっとは「造反議員」が出たり、内部で異論が出たりすることを期待していた。過去、いろんな問題において政府与党内でも造反議員が出たりってことはよくあったことだし、内部から批判の声ってのも聞こえてくることはあったから。それは市民のデモの成果ではなかったけれども。でも今回、国会前にあんなに人が集まっても、政府与党からは一人の造反者もいなく、内部からの批判の声すら出てこなかった。これはすごく怖いことだと思った。これは決して政府与党が「一枚岩」ってことではない。だって人にはいろんな感じ方があるし、政治家だったらみんな自分自身の考えは持っているだろうし、自分の信念に基づいた行動をしたいと思ってるだろうし、自分の意見は言いたいだろうと思う。外に向けては発信できなくても内部では「やっぱり少しこれはおかしいんじゃないか」って議員間で話されてもおかしくないと思う。そうじゃなくみんな同じこと(強行な採決の仕方は正しいとか、議会運営の仕方は正しいとか、法案は絶対に通さなければいけないとか)を思ってたら却ってそっちの方が怖いよ(笑)完全複製人間じゃん。ロボットじゃん。

けど、そうできなかったのはそれが多分全部封じられてたんだと思う、上からの圧力によって。「異なる意見は言ってはいけない、それが例え内部であっても」という雰囲気に充ち満ちてたんだと思う。異なる意見が言えなかった、行動に移せなかったのはあくまでも自分の保身のため。造反して次の選挙の公認が取れなかったらとか、そういう「自分の保身」のために自分の信念を曲げた議員は絶対にいると思う。「政治家が本当にそれでいいのか」って疑問に思うけど、逆にもう政府与党の中では平気で「言論弾圧」が行われてるんだろう。そう感じて本当に怖かった。

しかも日に日に増える国会前の警察官。カマボコと呼ばれる青い車両(正式名称は知らんけど)が国会前の道路をふさぐ形でずらっと並べられたときは本当にびっくりした。国会前の道路は2回決壊したことがあったのだけど、そういうことが起こると力ずくでさせないように命令する。実際に決壊できないように車を並べる。いくら人が集まっても車をどかさない。結局こうすることは、政府与党に全く余裕がなかったことの表れだと思うが、権力によって抑え込もうとする態度。本当に怖いと思った。過去の自民党というのは、もっともっと余裕があって、そのことが逆に「大きな権力を持っている」という気がしたものだ。今は小物の政治家がなりふり構わずに権力を振りかざしている、そういう印象しかない。

ただ、結果的にはこういう態度が市民の怒りを逆に噴出させることになってあれほどまでになったと思うけどね。そういうことをもし計算できなかったとしたら本当に頭が悪い政府与党と言うしかないし、それは分かっていたけどそういうことは力で抑え込めばいいと思ってやっていたとしたら「民主主義って何?」って本気で思うし怖い。そしてその裏に「どうせ法案が通っても次の選挙までには有権者は忘れるだろう」という考えがあるとしたら、これほど「国民なめんな」って思うことはない(「国民なめんな」コールについては賛否両論あって、わたしは「否」の方なんだけども)。

ということで、政府与党についてはデモや集会によっても「変えることはできなかった」と思う。でもまぁ、これについては「ひょっとしたら」って思う程度でそんなに期待してたわけじゃないから失望感もない。ただ怒りだけは増したけどね。

しかし一方で確実に「響いている」と思ったのは、野党の態度だった。法案採決までできることを精一杯やる、それがこちらまで十分に伝わってきた。確かに法案は廃案にはできなかった。「所詮は引き延ばしではないか」と思われるのも十分に分かる(なんで金曜日24時を越えたのにその後で採決されることになったんだろうって今も思ってるんだけど。当初の言われ方では金曜日24時過ぎれば連休後の週明けになると思っていたのだが)。けど地方公聴会後のあの粘り、そして委員長解任の動議、内閣不信任案動議、各野党の演説を聞いたらね、「ああ、わたしの言いたかったことを国会という場できちんと言ってくれてる、怒りの声を直接言いたかった人に言ってくれてる」、そう思ったよ。特に山本太郎が委員長解任の意見陳述のときに「まず国会議員から、防衛大臣から、総理大臣から戦場に行け!」って言ったけど、わたしはまさしくそれ、そのことを彼らに伝えて欲しかった。あれは本当に嬉しかった。そして彼らにそう言わせているのはこのわたしたちだと感じた。全国で集まって声を挙げている人が彼らを動かしているのだと。これが「間接民主主義」だと。本当に実感した。国会前で直接議員の演説を聞いてるから余計そう思うのかも知れない。国会前の自分たちの叫びが本当に野党議員の耳に届いている、そういう実感があったから余計そう思うのかも知れないけれど。

わたしは普段、国会中継なんかほとんど見ないし、議員がそこでどんな演説をしているか、聞いたこともなかった。面白そうじゃないので聞こうとも思わなかった。しかし、今回、いろんな人が長い長い演説をしたけれど、それが無駄に長いとは全く思わなかった。どの演説も本当に説得力があったし、聞き応えがあった。「フィリバスター」というのは元々演説を引き延ばす作戦で、その中で聖書を読んだり憲法を読んだりして時間稼ぎをする、そう聞いてたけど、そういう意味では「引き延ばし作戦」なんかじゃ全然なかった。「ああ、本来政治家ってこういう演説ができる人たちなんだ」って思った。単純に「あれだけ蕩蕩と淀みなく、理路整然と喋れてすごい」って思った。

委員会の議長解任の動議の賛否の演説はまだ時間制限が設けられてなかったけど、その後、いくつかの大臣の問責決議案などから時間制限が掛かり、本当にあれは信じられなかった。今までフィリバスターはあんまり聞いたことがなかったけれど、牛歩戦術などはかつて野党がやっていたことはわたしの記憶にちゃんとある。それを時間制限の発議で禁止した、なんてこと聞いたことがない。牛歩だってフィリバスターだって、戦術として認められていると言うことは、権力側がそれを「少数側の権利」として認めていたということだ。その対応策として時間制限があるならば、それは戦術とはなり得ないからだ。しかも国会で国会議員の演説に時間制限を設ける、これは今日の安保法案採決の時に民主党の福山議員が言ってたけど、言論の府である国会でそれを行うって、それは自ら言論の府である国会を否定しているに等しい。わたしだって彼らの演説を、彼らがやりたかった、話したかった演説を、話したいだけ話す演説をすべて聞きたいと思っていたのに。そのわたしの権利さえ侵害されたと思う。

しかし中では時間制限を無視して演説を続けた議員たちがいた。「ルール破りだ」というヤジがたくさん飛んでいたけど、何がルール破りだと思った。自分たちはどうなんだ、って。地方公聴会後の締めくくりさえせず、よく分からない採決繰り返して議事録にも採決結果が記録されていない。あれのどこがルール破りではないのか。「やったらやり返せ」はわたしは好きじゃない。だけどこの件に関しては「時間制限」というルールの方がおかしいのだ。そして議長の「時間制限をとっくに超えています。これ以上続けるのであれば発言を禁止せざるを得ません」というプレッシャーに負けずに演説を続けた議員たち、正直言ってあれこそが頑張っている姿として具体的に見えたと思う。山本太郎の一人牛歩だって同じだ。もちろん「あれは次の選挙のために今、頑張っておく姿を見せる作戦だ」という考えもあるだろう。山本太郎に至っては「完全なパフォーマンスでしかない」と思う人もいるだろう。でもさぁ。わたしはあれこそが「デモの成果」だったと思うのだ。彼らは本当に渾身の力を込めて演説をしていた。山本太郎の演説もすごかった。あれは単なる「パフォーマンス」じゃない。見ていて熱意が伝わってきたし「本気で頑張ってる」って感じた。「一分一秒でも採決を送らせたかった」という山本太郎の言葉は本当だろう。本気か、単なるパフォーマンスかは見ていればよく分かるものだ。でも彼らをそうさせたのは、わたしたちも本気だったからだ。

確かに「たったそれだけのためのデモなの?」って思う醒めた人もいるだろうなと思う。けど、今までデモしてて、その効果が目に見えて分かるってこと、なかったように思う(脱原発のデモは効果を挙げたみたいだけど)。それに演説の時間制限でも分かるけど、政府与党は数を力にして次々とめちゃくちゃなことをやってくる。そうしたらできることといったら、もうあんなことしかないじゃない。その他に何ができるというのか。

そういう点ではわたしは時間制限を超えて演説した民主党の議員の人たちはよくやったと思う。逆にそれをしなかった共産党、あと維新の党も入るのかな、なんでなのかなと思った。共産党はやっぱりエリートの塊なのかねえ。それとも党員がそういうことを許さない雰囲気があるのか。そこら辺のことはよく分かんないけど。

あとそうそう、これに関連して言いたいことがあった。これだけ全国の人たちが注目していたのに関わらず、国会中継をしないNHK!!NHKは一体何をやってるんだと。議長解任の動議の日は大量の抗議電話があってなのか全部流したけど、それ以降も内閣不信任案などが提出されていたにも関わらず、まったく中継をしなかった。ネットでしかその様子を見ることはできなかった。これってなんなの?電話で抗議が殺到しなければ中継をやらないのか?毎回毎回「中継してください」って電話掛けなきゃ中継しないの?本当にNHKはおかしいとしか言いようがない。あの野党の人たちの演説を多くの人に見られるのが怖かったのか。政府与党がめちゃくちゃな議会運営をしていることが直接分かってしまうから怖かったのか。上からの圧力で放送できなかったのか。

とにかくわたしが感じた「デモの成果」は野党が頑張ってくれたことだと思う。あそこまで議員の人たちと通じ合っている、そう感じたことは今まで本当になかったから。選挙前にちょっと演説聞いて投票する。でもその後、議員たちは国会で何を喋ってるのか、どういう行動をしているか、全く見えなかった。それが今回、見えたから(ただ、わたしが投票する人はほとんど当選した記憶がないところが悲しい。わたしは特定の支持政党がない完全な無党派層だけど、保守系政党には一度も投票したことがない、いわゆる「革新系」(この言葉は死語だよね)の無党派層であり、毎回投票には行くけど候補者が当選した経験はほとんどない。あ、市区町村議員は別ね)。

そういえばそのことでも言いたかったんだった。「デモに行く前にちゃんと選挙で投票してるのか」みたいな言葉をtwitterなんかでたくさん見たけど、ちゃんと毎回行って投票してるわ!しかし、投票した候補者が通らなかったら、わたしはわたしの意志を表す機会がないではないか。だって国会でわたしの「代弁者」はいないのだもの。

当初、デモや集会に参加しながらも、わたしは「自分がやりたくないと思ったことはしない」って決めてたからコールは一切しなかった。叫ぶことによって自分自身が高揚してコールの先導をしている人たちのことを熱狂した目で見てしまうことを恐れていた。確かに国会前に行き始めた頃はコールしてる多数の人がちょっと熱狂的で怖いなと感じたこともあった。けど、ここ2週間くらいかな。空気がどんどん変わってきたと感じてた。みんな、本気で怒ってコールしてるんだよなあって。誰かに先導されて踊らされてコールしてるわけじゃなく、本当に直接怒りを持って国会にいる国会議員、特に政府与党、中でもとりわけ総理大臣に向けて言ってるんだなあと。確かに「戦争反対」とか「安倍は辞めろ」とか「廃案」というコールは、わたしはこの法律が直接戦争に結びつくとは思ってないし、安倍だけが辞めればいい問題じゃないし、廃案は望んでても無理だというのは分かってた。だからそういうことで納得いかないコールではあるけれど、一人一人の力のない民衆が何か大きな権力に異議を唱えるにはこういう短くて端的なものでないと表せないんじゃないか、そう思うようになった。

それから抗議の声によって野党の人が力づけられている、そう感じたことは大きかった。「野党はがんばれ」と言うことで本当に頑張ってくれている、国会内にわたしたちの声が届いている、そう感じたからこそわたしは本当に最後の最後、行ったときにコールをした。だけどコールしたからと言って高揚感は全くなかった。頭はすごく冷静だった。発散されたとも思わなかった。「そんなものなのかな」って思った。まぁその日は土砂降りの雨の中だったからかも知れないけど。

さて。この法案が通ることは「既定路線」だった。とすると、今後はどうするか。それはもう、次の選挙で自分の意志を示すしかないでしょう(っていうか、わたしはこういうことがなくても毎回投票に行ってるけどね!)。今日の未明にあったことを来年7月の参議院選挙まで忘れない、そのことを「合い言葉」にしなければならないと思う。特に今まで保守系政党に投票したことがあって、この法案に反対だった人はどうかこの思いを忘れないで投票行動に繋げて欲しいと思っている。今まで「誰も入れたい人がいない」と言って選挙に行かなかった人も投票して欲しいと思っている。「棄権」は結局反対票にはならないのだから。

そして野党の人たちには是非選挙区では「選挙協力」して欲しい。去年の選挙でも総投票数は与党よりも野党の方が多い。にもかかわらずこういう結果になってしまっているのは、とりもなおさず選挙区制度の問題なんだけど、だからこそ野党が分散して候補者立てたら絶対に与党には勝てない。是非すべての選挙区において「与党候補者対野党候補者」の一騎打ちにして欲しいと思う。有権者に「自分が投票すれば変わる」と思わせて欲しい。これはかなり難しい問題だと思うけど、是非是非実現して欲しいと思う。比例区は好きな党に入れてもらっても、選挙区では複数候補者立てないでって思う。
【追記】これをアップするまで全然知らなかったんだけど、今日、共産党の中央委員会総会で「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現が提案されたんだってね。次の選挙で野党の選挙協力を呼びかけたとか。今後注目したい。っていうか、各党、いろんな思惑はあるだろうけど本当に頑張って欲しい。安保法の廃案と集団的自衛権行使容認の閣議決定を取り消したいみたいだから政権取らないとダメだけど、そのためには少なくとも4年後?の衆議院選挙まで待たないといけないってことだよね。今の状態で今の政府与党が衆議院を解散するわけないしね。

来年の7月までの約1年、きっと「戦争」は起こらないだろうと思う。そのときに政府与党はなんと言うか。「みなさんが懸念したように戦争状態にはなっていません。だからこれからも戦争にはなりません」と言うだろうよ。それに騙されてはいけない。当たり前だ。法律が施行されるまでは効力はないし、施行後にすぐに何かコトが起きればそれこそ怖い。そしてその間に軽減税率が実施されることになったとか(既にこの話題は今日の朝刊に載ってたよ)、そういう市民にとって「甘い汁」を少し吸わせておく。まぁそれで「チャラ」だと評価する人も中にはいるだろうけど、それはあくまでも彼らの「所詮有権者はこんなもの」という作戦だということに気が付かなければならない。そういう目先のことに騙されてはいけない。なんてったって、彼らは「違憲の法案」を通したのだから。それが許されていいはずがない。

今日のこの思いを自分の意志にしたければ、「わたしは忘れない」、これは絶対に肝に銘じておかなければならない。
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