09-13 Sun , 2015
国立ハンセン病資料館に行ってきました
ハンセン病患者が隔離政策によって過酷な人権侵害を引き起こしていたことはなんとなく知ってたし、それに今年の3月に大阪の「リバティおおさか」に行ったときもハンセン病の差別の歴史についての展示を見たりして、1993年に「らい予防法」が廃止された後も九州の温泉旅館が宿泊を拒否するなどして未だにその差別がある、ということは知っていた。でもそのときは「療養所に行ってみたい」とは思いもしなかった。

「あれ、行けるんだ」と知ったのは、昨日に引き続き「パレードへようこそ」が原因なんだけど(笑)それを観に行ったときの予告に「あん」という映画があって「なんか面白そう」と思って観に行ったからだった。「あん」という映画(原作は同名小説)の中で、多磨全生園という療養所のロケのシーンがあったのだ。その後、わたしは小説の「あん」の方も読んだ。映画では確かに元ハンセン病患者に対する差別が描かれてはいたが、それに対して「ずいぶん昔に特効薬ができて今はもう治る病気になってる。だから元患者から感染することはない」ってことはほとんど強調されてなかった。わたしはそれがちょっと不満だったのだが、原作の方はそれがきっちりと書いてあったし、しかしそう書いてはあったが、登場人物は元ハンセン病患者の徳江さんが住んでいる多磨全生園を訪れたときに「移るのではないか」とビクビクしている描写もある。小説の方が人の差別感情、偏見に対してよりリアルな感じがした。映画はその部分ではちょっとマイルドだったかなあと言う感じ。

まぁ感想はこれくらいとして、そのときに初めて「行きたい」って思ったの。多分、家からそんなに遠くじゃないはず。だけど「いつか」って思ってた。が、先月の終わりだったか、東京新聞をなにげにめくってたら「多磨全生園『人権の森』散策ガイドの開催に伴う参加者の募集」という文字が。これはまたとないチャンスじゃん!と思って、早速応募した。先着50名ってことで大丈夫かなって思ったんだけど(わたしのように「あん」を見て「行きたい」って思った人って他にもいると思って)、でもなんとか先着50名の中に入れたようだった。

で、今日、行ってきた。集合場所が「国立ハンセン病資料館」だったので、まずそこに行ってきたんだけど、なんというか、国立ハンセン病資料館は、多磨全生園の中にあるのね。

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入口はこんな感じ。

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休館日を見ると、土日祝日ではなく、全部翌日とか月曜とかなので、休日は開いてますってこと。

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入口に今日の催し物の張り紙が。最初はここの「映像ホール」というところで市長の挨拶やら自治会の会長の挨拶やらボランティアの人の挨拶やら。てか、わざわざ東村山市長がこんなところで挨拶するって、これ、そんなにすごい行事だったんかと少しびっくりしたのだが、東村山はほとんど多磨全生園と歴史を共にしてきているらしく(東村山の歴史は126年で多磨全生園の歴史は106年って言ってたっけ?)、ここで人権啓発をきっちりやっていきたいようだった。3人の挨拶の後、資料館の職員さんだったっけ、多分そうだったと思うけど、その人が20分くらいのガイダンスを。ここに入所してくるときは本名を奪われ、ここで新しい名前を付けられて、そして死んでからも外に出られないのだ、と。わたしは今日初めて知ったんだけど「北条民雄」って人がいて、その人は23で亡くなったけど作家だったらしい。その人の生誕100年がつい最近だったらしいが、死後77年経って初めて本名が公表されたと。その他にも2年前に亡くなった詩人がいたんだけど、この人は弟さんが葬式に来たけど本名は名乗れなかったと(ただし、その後、弟さんが親戚を説得して自分ところのお墓に分骨できたらしいです)。「今でもこういう現実があるのだ」と教えてくれました。そして前で話してた誰もが言ってたんだけど「この施設は本当に広い。だから、今日、1時間やそこらで全部回るのは無理。なので今日をきっかけにして何度も来てください」って言っていた。

その後、5班に分かれてボランティアの人に説明をしてもらいながら、散策。50人だとしても1班10人だから、これまた少人数でじっくり説明してくれる感じ。散策ルートが書いてある地図をもらったが、確かに園内は広すぎて今回回れるのはごく一部って感じだった。

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まずは「永代神社」。確か「えいたい」ではなく「ながしろ」って読んだと思う。この神社、実は入所者の宮大工さんが建てたそう。っていうか、ここは隔離されてたんで本当に全部自分たちの手でやらなければならなかったみたい。この先のものも全部作ったのは入所者だったと言ってた。だいたい元々多磨全生園は今よりもかなり狭かったんだけど、入所者が増えてしまったので、入所者が働いたお金(園内で家畜を飼ったり作物を育てたりしてたらしい)で土地を買い、今のような35万平米の大きさになったらしい。だけど、土地を買っても自分名義で登記できない(本名名乗れないし、戸籍とかどうなってたのか分からないけど)ので、入所者が土地を買って国名義にしたのだとか。でもそういうのって「国有地」になるのだろうか?そこら辺、どう整理してあるのかよく分からないけれど。。今度行ったときに誰かに聞いてみようと思う。というわけで、土地からして自分で稼いで広くしたのだ。

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入所者の中には学齢期の子どももいたので、園内には学校があったらしい。1979年に生徒がいなくなって閉校になったあともしばらく校舎は残っていたのだが、老朽化のため2008年に取り壊されたそうだ。だから今はひろーい空き地みたいになってる。「出発」というのは、最後の生徒たちで作った記念碑らしい。

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「望郷の丘」と呼ばれるところ。ここはもちろん元々は平地だった場所なのだが、昔は隔離政策で脱走できないように周囲は全部堀があったらしいのね、というか、この堀も入所者が掘らされたのだが。その余った土をここに持ってきて丘みたいにしたんだと。そして木を植えてここの高いところから自分の故郷を思う、そういった場所だったらしい。今はぐるりに柵があって中には入れない。数年前までは入れたそうだが、子どもが落ちたとかで。ここから眺める景色はどんな景色だったんだろう。

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ちなみにこれが敷地内と敷地外を区切っている木々です。さっき言った堀もここに沿ってあったらしい。といっても、今はもう区切られてません。外から見ると(右側の画像)何やらまだ背の高い木が植わってるけども、それはもう施設内、なんです。元々の区切りは左の画像に見られる今は1mくらいになってしまったものです。この画像を見るだけだとなんか雑然と雑草が茂ってるだけに見えるかも知れないけど、ここは元々柊(ひいらぎ)の木が3mほど生い茂ってて、その上には鉄条網なんかも張り巡らされていたらしい。これは確か「あん」でも出てきたけど、柊の葉っぱってトゲトゲしているので痛くて突破できないのね。そういえば、今日、ここを案内してくれたボランティアのおじさんは地元で生まれ育った人なんだけど、子どもの頃は親から「ここには絶対に近づくな」と言われていたそうです。「病気がうつるから」と。

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ちょっと見にくい画像でごめんなさい。ここには「敷石道 この一帯は関東ローム層で、雨の日や霜柱が融けたときなどは、下駄がとられるほどぬかて、更に盲人たちは出歩くのに難渋した。1930年頃、道に石を敷く話がもちあがり、患者と職員とか費用を出し合って工事にかかった。しかし、これではとても足りず、「多磨」誌の前身である「山櫻」を通すなどして募金を呼びかけ、それぞれの不自由舎をつなぐとともに、医局や風呂場、礼拝堂などへの敷石道を造った。盲人たちは敷石を杖の先で探り探り歩いた。」と書いてある。その敷石道ってこれ。

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広い道も狭い道もずっと敷石が張り巡らせてあった。

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唐突だけど、園内には宗教施設がいくつかあった。これは聖公会のを適当に撮ってきただけだが、仏教(宗派は分からず、、)とキリスト教(カトリック、おそらく日本基督教団、そして聖公会の3つ)があった。やはりこういうところで暮らしていると宗教は心の支えになるんだろうね。しかし、様々な職業の人たちがいたからすべて入所者の手でやってきたと言っても、宗教者まで入所者とは思えず。でも隔離政策の中、坊さんや牧師さん神父さんたちはどうやってここの施設にいたんだろうか。まぁこれも次に行ったときに誰かに聞いてみよう。

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園内は本当に緑が多いんだけど、これは緑化委員会の人たちが植えたり、あとは1本5千円で個人個人が苗木を買って植えたものらしい。その木のところには名札が付いてたりした。この他、写真は撮ってこなかったんだけど、さくら公園と呼ばれる桜がたくさん植わってるところや、梅園などもあった。あと今回は行かなかったんだけど、恩寵公園というところもきれいらしい。そういう意味ではとても自然が残っているというか、この自然は意図して作られたものだから残ってるわけじゃないけど、ちょっと自然を感じたくなったらここに来るといいなあって感じ。森みたいなところもあった。

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そして、最初にも書いたけど、ここに来た人は死んだ後も故郷には帰れない人がたくさんいました。だからこうやって納骨堂も自分たちで作らざるを得なかった。右側の画像の「尊厳回復の碑」というのは、強制的に堕ろされた子供たちを偲んでだそうです。入所者は結婚できても強制的に断種手術をさせられて子どもを作らせないようにされていた。世界にハンセン病患者を隔離していた施設は多々あれど、断種手術まで行われていたのはただ日本だけだそうです。ちなみに堕ろされた子供は長い間ホルマリン漬けになってたらしい。碑の前におもちゃが置いてあるのは、子ども(にもなれなかった)霊を慰めるためでしょう。納骨堂とか、そういうものはあまり撮りたくなかったので撮ってこなかったんだけど(だってやはりとても神聖な場所だと思ったので)、この話を聞いて「これは撮るべきだ」と思って撮りました。もう二度とこういう目に遭う人を(親も子も)出してはならない。

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これが「いのちとこころの人権の森宣言」の碑。ボランティアの人が「どうぞ全文読んでください」と言っていた。東村山市内の小学生には見学に来た際に、この文を声を出して読ませたりするそうだ。ここにはもちろんまだ実際に住んでいる人がいる。200人くらいいるって言ってたかな。だから傍若無人に見学していいというわけではない。あくまでも住んでいる人の迷惑にならないようにして見学しなければならない。そしてこの地で何が行われていたか、それを勉強する地でもある。そして二度とこのようなことを起こしてはならない。それを十分肝に銘じるところでもある。東村山市には是非頑張ってここを保存して、そして一人でも多くの人が訪れるようにして欲しい。

こんな感じで時間としては約1時間ちょっとだったかな。説明を聞きながら回ったんだけど、あっという間だった。一つ一つもう少し丁寧に見たいと思ったんだけど、ボランティアの人は「自分がゆっくり回りすぎて、資料館見学してもらおうと思ったのにほとんど時間がなくなってしまった」って言ってたんで、これでもかなり時間を掛けて回ったんでしょうね。確かに散策が終わってから、資料館に戻ったんだけど見学時間はあと20分くらいしかなかった。ので、ほとんど資料館は見られず。でもいいんだ、また来るから。

終わりにまた映像ホールに戻って、そして市の人の挨拶聞いてアンケート書いて終了。

ここでは定期的に「お話し会」とか「清掃ボランティア」とか「お祭り」などという行事が行われているらしい。だから、そういうのをきっかけに行ってみるのもいいかも知れない。
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