----- -- , --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | page top↑
08-28 Fri , 2015
ま~旅行記でも書きましょうかね
なんせ最近、書くことがあまりない。
書くことがあまりないというのは「書きたいことがない」というわけではなく、書きたいことはあるのだが、書き始めるとめんどくさいほど長くなるかも知れなく、かつ、結論なんかない、ということだからだ。書いたとしても「現実って言うのは複雑なんだよね」という結論にしかならない。だからなんか書いたって仕方がないんじゃないかな~って思ったりする。

全然関係ないけど「断片的なものの社会学」(朝日出版社)という本がある。まだ新刊の部類に入ると思う。

著者は社会学者でわたしとほぼ同年代(向こうが1つ年上)なのだが、読んでみてとても面白かった。自分が今まで生きてきて考えていたこととリンクすることが多いし、同じように結論が出ていないというのが共感できる、というか、「ああ、この人もここまで考えてて、でも、やっぱり答えは出てないんだな」と思うとなんかとても親近感が湧く。

結局長く生きるということは、現実に起きていることはそんなに単純明快でスパッと答えが出るものよりも、なんかどう、考えていいのかさっぱり分からないことがたくさんあるってことを知るって言うことなのかなと最近よく思う。そこには明解に「善」と「悪」の線を引くことはできないし、何が正義で何が正義じゃないか、正義の絶対値なんかない。ただ生きてて「絶対」なのは、人間はいつか絶対「死ぬ」ことだけ。これだけがこの人生において「確実」なものなのだ。

だとすれば、その確実な「死」に向かってどう生きていけばいいのか。

わたしは自分がどういう死に方をするかまだ全く分からないにせよ、ある程度準備はしておきたいと思う。最近わたしが結構あちこち旅行しているのはそのせいだ。わたしは一つでも自分の心に残る風景を自分の頭の中に残しておきたいと思う。そして死ぬ前にその風景を思い浮かべながら死んでいきたいと思う。もちろん、そういう「死に方」ができるかどうかは今の時点では分からない。今まで生きてきた記憶なんか全部失って死ぬってこともあるだろうし、病気や事故で瞬間的に死んでしまって今までの人生を振り返る余裕なんかないかも知れない。でも、それだったらそれで別に構わない。今の時点で自分の最後が分かる人なんていないんだから。

「あの世に金は持っていけない」とはよく言われる言葉だ。でもさあ、持って行けないのは金だけじゃないんだよね。生きてるときに身に付けた知識だって経験だって資格だってすべて持って行くことはできないわけで。それらは「いかに自分が生きているときに生きやすい道具であるか」ってことだけで。「あ~、人生ってそういうもんなんだなあ」って最近よく思う。しかしそれは現実なんだから、それが寂しいとか虚しいとか、そこにそういう感情をくっつけることはないんじゃない?って思う。「物事はそういう風にできている」わけなんだから。まぁそこに寂しさとか虚しさとか、そういうことを感じると「文学」や「芸術」ってものに発展していくのかもね。

だから、わたしは自分の最後は自分が今まで見てきた美しい風景を思い浮かべながら死ねたらいいなと思っている。なので、今のうちに身体が動くうちに行こうという気力があるうちに、行きたいところにはどんどん行っておくのだ。最近、旅行ばかりしてますね、体調が良くなったんですねって言われるけど、まぁ、本人の意識としてはあくまでも旅行するのは死を意識してのことだし「後ろ向きに前に進んでます」という感覚だ。まぁそんなわけで。

夏の東北旅行、記録として残しておきたいと思う。

この旅行中に感じたことのキーワードは「平和」と「日常」だった。
15:36 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<ワイパックス再び | ホーム | 帰ってきました!>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://rontako.blog39.fc2.com/tb.php/1824-468a4b7a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
AX
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。