03-25 Wed , 2015
一人旅してきた その3(リバティおおさかで性的少数者の展示物が削除されたと聞く)
その2の続き。

中津川行きの電車で「ここ、空いてますか」と声をかけてきた人は、YHで出会った関西方面から来た人だった。前日松本で泊まって、今日、家に帰るという。昨日、絵本美術館のところで別れたときに「これから二度と会うことはないだろう」と思っていたので、2人して「びっくりした!」と言い合った。こういう偶然ってあるんだなあって思った。

その後は2人で別れたあとにどうしたかを報告し合った。向こうはわたしと別れたあと、穂高駅から松本に向かったとのことだった。わたしはあの後はどこにも寄らずにYHに戻ったこと、前日の泊まり客がわたし一人しかいなくて寂しかったと言った(笑)

でも正直わたしたちはもう、そのことを報告し合っただけで十分だった。それ以外にはもう話すことはない。なので向こうは電車の中の別の席が空いたときに「向こうに座る」と言ってそれ以降は別の席になった。

実はわたしはこの電車に乗るときにちょっと緊張していた。それはこの沿線に

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このような駅があるからだった(笑)既にこの駅には高校の時に1度来ていて、そのときは降りて周辺を歩いたりしたものだったけど、今回それをやると次の電車が来るまでこの駅で2時間過ごさなければならない。そうすると次の目的地に行けないことになるので、通りすぎることを選んだのだけど、でも通った記念に駅の看板の写真は撮りたいなーって思ってたのだ。運良く反対側の駅のホームに立っている駅の看板が目の前だったので窓越しに写真を撮る。

前にこの駅に来たときは、まだ国鉄時代で、この駅は無人化されたばかりらしかった。駅に「一言ノート」みたいなのが残されてて、それを読んだ覚えがある。地元の人から愛されてた駅だったんだなーって思った。あれから30年くらい経ったのか。現在のこの電車は2両編成で、しかも塩尻から先はワンマンカーになっていた。降りるときは先頭車両の一番前側のドアからしか降りられない(運転手さんにお金を払うため)。乗るのも車両の先頭と最後のドアしか開かず、2番目と3番目のドアは「開ける」ボタンを押しても開かない。そんな電車だった。

12時54分中津川着。13時20分の名古屋行きに乗り換える。

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14時35分、名古屋着。15時発大垣行きに乗り換え。

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名古屋のホームで、YHで一緒だった人にまた会った。というか向こうから声を掛けてくれた。これからも同じ方向の電車には乗るのだが、別に一緒に行動するわけではないので、ここがお別れの場所にするつもりだったんだろう。わたしも「昨日は本当に楽しかったです。声を掛けてくれてどうも有難う」と言った。向こうは「なんか無理矢理連れ回してしまったみたいで、強引だったかなあと思ってたんです」と言ったので「いやいや、全然そんなことなくて、むしろ感謝してます」って答えた。そっか、お礼の言葉をいい足りなかったなあと思った。一期一会なんだから、そういう気持ちはしっかりと伝えないとね。

15時32分大垣着。15時37分米原行きに乗り換え。

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しかし、鈍行ってこんなにぶちぶち切れてたっけなあ、昔は。もうちょっと長い間電車に乗れたような気がするんだけど、これだと今、頻繁に走ってる一番長く乗れる区間って、東京~博多の新幹線?それとも四国とかはまだ長く乗れる区間の鈍行があるんだろうか。

16時12分、米原着。16時18分播州赤穂行きに乗り換え。

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米原からJR西日本。ここから先は通勤の客などが多くなってきて、電車の中は混み混み。そんな中、のんびり旅行してるのは申し訳ない気分になってくるけど、、まぁでもわたしだって行けるときに行っておかないと、後で後悔するのは嫌だから。

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ついにこの日の目的地、この旅行の目的地でもある新大阪に。17時37分着。

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新大阪から歩いて5分くらいの「新大阪YH」。だけど、新大阪って東口が2つあるので、最初はどちらから行っていいのか迷った。出口の表示に「ココプラザ」って書いてある方から出ればいいって分かったのは、しばらく後のことでした(笑)(YHはココプラザの中にある)

前日の「泊まり客は自分一人」から、一転してここはほぼ満員状態。それも一人旅をしている、という人たちはほとんど見なくて、「友だちと泊まりに来ました」って若い人がたくさん。。まぁここはYH会員じゃなくても一泊3400円で泊まれるし、何人もの友だち同士で泊まれる場所としては最適なんだろうけど。ただ、大都会の公営YHって昔も今もこんなもんだよね。

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YHから新大阪駅の間で見かけた猫ちゃん。急いで道路を渡ってるところでした。

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夜は、大阪の友だちのSさんにホルモンの美味しいお店に連れて行ってもらった。十三の「あらい商店」ってところ。わたしは今までホルモンは特に嫌いではなく、それなりに食べていたんだけど、本当に美味しいっていうホルモンがどういうものか分からなかったのね。だから、一回、美味しいと言われるところで食べてみたかったんだ。ホルモンの串焼きはカルビを除いて全部食べたかな。本当に美味しかった!特に「コリコリ」って言われる牛の大動脈と「ネクタイ」って呼ばれる牛の食道、初めて食べたんだけど美味しかった。「コリコリ」は3本も食べてしまった。「ミノ」とかよく聞く名前の部位も、ホルモンってガムみたいに口の中で噛みきれないもんだと思ってたのに、全然そんなことはなかったし。一つ一つが小さかったからかも知れないけど、すっごく美味しかった。

でも、食べながらいろいろなことを思った。以前見た「ある精肉店のはなし」という映画の中で弟さんが話された「牛を殺すなんて怖いと言いながら、その牛をにこにこしながら美味しいと食べている。そっちの方がよっぽど怖いわ」というセリフを思い出した。牛の大動脈を食べながら「本当にそうだよな」って思った。「大動脈」って聞くと「うわ、なにそれ。そんなところ食べるん?」って思うよ。だけど、食べてみると本当に美味しい。自分、怖いじゃんって。そして「ある精肉店のはなし」の中で見た、と畜される牛の様子を思い浮かべた。と畜の方法はあの映画とは違っているだろうけど、ああやってこの牛も殺されたんだろう。それをわたしは「美味しい」と思いながら食べている。

別にこれは自虐じゃない。「美味しい」と思っていることは本当だし、人間はそうすることでしか生きられない。わたしはあの映画を観て以降「美味しいと感謝しながら食べれば殺された牛も浮かばれる」という考え方は絶対に止めよう、と思っている。人間に食べられる生き物は、人間に感謝されても殺されてよかった、ああ、食べられるために死んでよかった、なんて絶対に思うはずはないから。これはただ、わたしたちの「逃げ」だ。そう考えることで自分が生き物を殺して食べている罪深さから逃げている、誤魔化して正当化しているとしかわたしには思えないのだ。そうではなく、人間は他の生き物の命を奪って自分の命を生きながらえている。人間は「そういう風にできている」のだ。だから、そのことはそのこととして目を逸らさずに事実を受け止めなければならないと思っている。

しかし、だからといって感謝すべきことが何もないとは思っていない。わたしが感謝するべきなのは、このようにまで牛を育ててくれた人、牛をと畜して処理した人、ここまで美味しく加工してくれた人だ。この人たちがいなければ、わたしはまたこのように牛を「美味しい」と思って食べられないのだ。

ホルモンの語源は、「放るもん(ほうるもん)」から来たと言われている。牛の内臓は食べられず捨てられて(放られて)いた。そのタダ同然の部位を丁寧に洗って、食べられるようにしたのが在日の人たちだ。彼らは貧しくて食べられるものがなかった。しかし何か食べないと死んでしまう。だからこうやって「放られたもの」を食べざるを得なかったのだ。Sさんによれば、ホルモンはもともと脂だらけの部位で、洗ってその脂分を取るのだが、洗い過ぎると脂分が抜けてまずくなる。その加減が難しいのだと。貧しく過酷な歴史の中でいかに放られたものを美味しく食べられるか、という技術が今、わたしが食べている「ホルモン」に凝縮されている。わたしはそのような「恩恵」も受けているのだ。

そんなこと思いながら「美味しい」と言って食べた。この複雑な思いは到底言葉で言い表せなかった。

Sさんとはいろんな話をした。普段はネット上の付き合いしかないけれど、ネットだと文字を媒介してでないと自分の意見が伝えられない。でも、文字のみだとどうしても自分の複雑な気持ちまでは伝えることができない。会って話すということは、文字では伝えられない複雑な気持ちを伝えることなんだと思った。が、言葉にも表せない複雑な気持ちも当然ながらある。物事を深く知れば知るほど、単純な問題ではないことが分かる。その中で感じた自分の気持ちはどうやったって言葉では伝えられない。自分の思ったことに対して、言葉が持つ意味が単純すぎるのだ。

だけど、会って直接顔を見て話すことは、単純な言葉よりも多くのものが伝わる。Sさんとは去年の夏に1回会ったのが初めてで、今回は2回目だったんだけど、前回よりも日頃思っていることが話せたような気がする。その中で「なんで日本人って細かく、繊細な方向に行ってしまうのか」という話が出たんだけど、これはその後の旅の中でもしばしば考えることになる。

YHは風呂の時間も門限も決まっているので、遅くならないうちに戻る。ただ、新大阪YHの門限は0時、風呂の時間も同じ時間なので、他のYHに比べるとかなり遅い。普通はだいたい風呂は22時、消灯は22時半か23時だもんね。さすがに都会のYH。

なのに!わたしはこの日、午前2時過ぎに部屋に戻ってきた人たちに起こされてしまうのだった。ここ、消灯は23時なんだけど、あくまでも「お願い」でしかないので、電気は付くんだよね。しかも消灯といっても談話室は何時まででもいいみたいで、だから午前2時まで話してたんだろう。しかし、午前2時っていうのはどう考えても非常識な時間としか思えない!そういう人はYHでなく、どこかホテルに泊まってくれ~。

3月17日。
この日は「大阪人権博物館」(リバティおおさか)に行く日。1回目で全体の1/3程度、2回目で2/3程度見終えたけど、果たしてこの日に見終えることができるのか。

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新大阪YHの朝食。安曇野のYHに比べると「うーん」って感じだけど、まぁ大規模YHってこんなもんだよね。朝食の料金安いし(税込み500円)。新大阪YHではこの他に2回、朝食を食べたんだけど、ちょっとずつメニューは変わっていたものの(3日目はパンケーキだった)ほとんど構成は同じだった。

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リバティおおさか最寄りの「芦原橋」の駅。駅の看板が去年の夏よりも新しくなってた。

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リバティおおさか。実はここに着く前に、こういう垂れ幕が見える。

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わたし、この垂れ幕を去年の夏に発見して、そのとき気が付いたことがあった。この境界線のないレインボーフラッグらしきもの。でも画像を撮ってこなかったんだよね。なので今回は忘れず。これを見て何を思ったかをここに書くと長くなるので、このことについては後日別記事にすると思います。

リバティおおさか、今回はハンセン病のところから見たのかな~。館内は相変わらず閑散としてた。時折団体客が来てたようだけど、あっという間に見てるわたしを通り越して行っちゃう。一つ一つの展示やビデオを見ると、ここは1回の開館時間ではとても見きれないほどたくさんの資料が置いてある。

でもね。展示物を見ていて「あれ?」って思うところがあるの。「なんか薄められている」って。分かるんだ、見てて。あるところはとても詳細なのに、突然大きなパネルなどが出てきて説明がちょっと、とか突然「この人たちは大阪府出身の偉人です!」みたいなのが出てきて「なんでこんなのがここに置いてあるの?」みたいなものが時たまあるんだよね。「ああ、ここの部分が変えられたんだろうな」って思った。

展示を見てたらボランティアのおじさんらしき人が「何か質問はありませんか」と聞いてきたので「展示に関することですか?」って聞いたら「なんでもいい」というので、最初は見てたハンセン病の差別の歴史について疑問に思ってたことを聞いた。そのうちおじさんが「ハンセン病のコーナーも前はもっと別のものも取り上げていたんだけど」って言い出して。「ホームレスのコーナーも前は『ホームレスは大阪府が日本で一番数が多い』という統計を出していたんだけど、橋下市長が『こんな不名誉なものが出せるか』と言い出して、展示物から削除された。でも、ホームレスがあの当時日本で一番多かったのは、いくつかの理由があって、まずは阪神大震災で復興需要に湧いたとき、東京方面から片道切符でこちら方面に来た人が多かった。けど、復興需要は3年で終わってしまい、その後、再び職がなくなってしまった人がここに残るようになった。もう一つは小泉首相だったときに竹中が規制緩和で派遣法を改正したこと。あれによって今まで若い人たちの派遣労働が増え、年寄りに仕事が回らなくなってしまった。そういうのが理由なんです」と。そして「ここにはかつて性的少数者の展示があったんですが、全部削除されました。性的少数者の人権について取り上げている博物館は世界でも例がなかったみたいで、外国からの評価が高かったんです。外国から来た人にそう言われました」と。

あー、そうだったのか。それは全然知らなかった。しかし、なぜ性的少数者の展示が全部なくなったのか。一体何が不都合だったのか?聞いてみたけれど「それは分かりません」と言われた。
(注:ちなみに性的少数者の人権についての展示はすべてなくなったわけではなく、入口近くに移されてます。が、以前はそんなものではなく、もっと規模が大きかったようです)

「確かに展示物が変えられたところは見て分かります。こことか、こことかですよね」と言ったら、「そうです」って言われ、「かつての展示の様子は以前出した展示図録で分かります」と言われた。で、いきなり「こっちに来て下さい」って言われ、もう出口に近い資料を集めてるところに連れて行かれて「これです。かつてはこういう展示だったんですが、これがなくなって、これもなくなって。。」と説明された。「以前は『学ぶ権利』というコーナーがあったんですが、市長に『義務教育なんだから、権利じゃない。子どもは教育を受ける義務があるんだ』と言われて。。義務教育というのは、親が子どもに教育を受けさせる義務であって、子どもに対する義務ではないのですが」と言われた。きっと市長は市民が「権利」を持っていると思うのがたまらなく脅威を感じるのだろうなと思った。今の日本の施政者はみんなそうだよね。だから憲法を改正して国民の持っている権利をすべて奪い取って義務だけ課したいと思ってるんだよね。でも、同じこの国に生きている自分たちの権利はどうなんだろう。橋下だって安倍だってみんな等しく「権利」は持っているはず。国民の権利を奪うことは、自分たちの権利をも奪うってことなんだけど、彼らは自分たちの権利は特別で奪われないと思ってるのか知らん?

「この図録は残念ながらもう入手できなくて、でも、コピーなら2階で取れるので、欲しいところは言って下さい」そう言われた。わたしは「あー、残念ですね。じゃあそうします」って答えて別れたんだけど、その後わたしが展示コーナーに戻って展示を見てたら「数冊残ってました。帰りに言って下さい」と言われたので買わざるを得なくなっちゃったよー(笑)てか、言われなくても欲しかったけど。でも一番心配だったのは、買った冊子が荷物の中に入るかどうか、でした。

しかし、最後の方は本当に展示が薄まってたー。一番見応えがあったところは、真ん中の部分、ウチナンチュ、在日、アイヌ、水俣病のところだったような気がする。特にわたしは水俣病のところが印象に残った。水俣病は熊本大の原田医師って人がずっと患者と寄り添って国と戦ってきたんだけど、その人が「患者側に偏っていると言われるが、これは名誉なことだと思っている。そもそも『中立』とは何か。国と患者の間、等距離を保ったとしてもそれは『中立』にはならないのだ。国が圧倒的に強く、患者は圧倒的に弱い。そういうもの中間に立つということは、それはすなわち『国側に近い』ということを意味している。患者側の方に寄ることで初めて『中立』と言えるのではないか」みたいなことを言ってるのね。

わたし、それを読んで「あ、トルクとモーメントと同じだ」って思った。例えばやじろべえかなんかを思い浮かべてもらいたいんだけど、片方に重く、片方に軽いおもりがついているとしたら、バランスが取れるところって、(重さ×距離)が同じところでないと釣り合わないんだよね。決して(距離)だけの問題ではない。距離だけ中間の位置を取ったとすれば、重い方に傾くに決まっている。重い方、すなわち「強い」方だ。距離だけ中間を取って「中立」をきどっている、ということは、強い方に味方をしている、ということになるのだ。
(ただし、この考え方だとバランスを取るためには、軽い方に長い距離を取らなくてはならないことになるので、そういう意味では「弱い方に距離が近くなる(=寄り添う)」っていうイメージとは逆になっちゃうんだけど)

展示を見終わってトイレに行った。ここのトイレは女子トイレでも

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こんな感じ。ここ、色だけ見て男の人が女子トイレに入ってしまうのだそう。だから、上に

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こういう表示を付けたんだとか。これを見て「こんなめんどくさいことをするくらいなら、女子トイレの表示を他と同じように赤くすればいいじゃないか」という意見が絶対に出てくると思う。けれど、ここでわたしたちが気が付かなければいけないのは、「色を見て性別を判断する、ということをわたしたちは生まれてきてから教育されていて、意識しないうちにそういう風に動いている」ということだ。すなわちそれが「ジェンダー(社会的性別)」というものだ。便利とか不便とかそういうことではなく、自分の中に知らず知らずに「そういうものが植え付けられている」ということを気が付かせるものだ。そしてこれはジェンダーだけの問題でなく、人間は生まれてからいろいろなものを身に付けさせられて生きていく。民族の習慣だったり、常識だったり、風土だったり、、いろいろなものを。

もちろんそれがすべて「悪いもの」であり、そんなものがなくなればいいと言っているわけではない。ただ、普段「当たり前」のこととして意識していないもの、そういうものを少し意識すると、今まで見えなかったものが見えてくるのではないかと言いたいのだ。

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出口というか、受付というか、ミュージアムショップっていえばいいのか、そういうところで売っていたもの。画像では分かりにくいんだけど、後ろのごちゃごちゃしてるものは「ピンチ(洗濯ばさみ)」で、リバティおおさかの危機(ピンチ)と洗濯ばさみの(ピンチ)が掛けられてる。こういうところ、なんでも笑いにしてしまう大阪っぽいなーって思った。でももしかしたら「弱いものは時折自分の状況を笑いに変えて、力強く生きてきた」ってことを表したかったのかも知れない。しかし、こんな100円単位で応援になんてなるんだろうか。。と思いつつ、わたしは荷物が増えるとわたしの方がピンチになってしまうので、2個しか買えなかったのだけど。

思いがけず早く展示物を見終えてしまったので、18時に友人と待ち合わせをしていたのだが、それまでタダで時間を潰せるところをネットで探す。本当にスマホってこういうとき便利だなあと思う。

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阪急梅田ビル15階、スカイロビー。

今日の夕食も友人とともに。ヨドバシカメラの上の居酒屋。

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わたしと同じくセクマイの人なので、そういう関係の話をした。個人的な話とかもね(笑)なんか「ああー、わたしも頑張らなきゃな」って思ったよ(笑)

その4に続く。
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