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03-03 Tue , 2015
そういうふうにできている
ときどき思うことがある。

「もし人間の指が5本じゃなくて6本あるのが普通だったら」とか「腕が2本じゃなくて1本とか3本だったら」とか「平均身長が今より1m高かったり低かったりしたら」って。そうすればきっと、人々の概念や暮らしやその他ほとんどのものが今とは別の形になっていただろうなと。

例えば、今の世の中の大部分が十進法で出来ている。数字は10になると一桁繰り上がる。中国には古くから「陰陽五行説」というのがある。ではなぜ「10」進法や「陰陽」の「2」元論や「五行」の「5」かというと、きっと腕が2本であり、指が片方5本、左右併せて10本である結果なんだろうと思うのだ。よく人は「二元論」で考えてしまう。男か女か、いいか悪いか、右か左か。これはきっと、腕が2本しかない結果だろうと。もし腕が3本あったなら、人間はきっと「三元論」で考えることが基本になるんじゃないかと思ったりする。そうすると思想の世界も今とは全く異なっていたはずだ。
※ただし、この世界もまれに十進法でできてないことがある。例えば時間。干支。暦関係は十進法でできてないのはとても面白い現象だと思う。

平均身長が今より1m低ければ、わたしたちの住む家はもっと小さいものになってただろうし、1m高ければ、もっと高いものになっていただろう。今のような高さのものになっているのは、今の人間の平均身長がこのくらいだったから。それしか理由はない。それに、今使っている道具は「腕が2本、指が左右10本ある人」が使いやすいように出来ている。これが1本でも多かったり少なかったりするのであれば、そういう状態のときに使いやすいように作られるに違いない。

そう考えると、少しの条件が変わっただけで、世の中は概念からしてまったく別の世界になっていただろうと推測される。

だから、今、わたしたちが考えている「常識」なんてその程度のことだよ、とも言える。何か一つ条件が変わっただけで今の常識は常識ではなくなるだろうから。けど「そうはいっても、今の世界はこうなんだから、やはり常識は重んじられるべきだ」と考える人もいるだろう。まぁどっちもどっちというか、判断する対象でそのどちらを取るかということになってくるのだろうと思うが。

例えば常識は世界共通ではなく、国とか民族によって違う、ということはある。人間って不思議なもので「こうだ」と教えられて育てられれば、そういう風にしか物事が見られなくなる傾向にある。

例を挙げると、日本では一般的には茶碗は手に持って、口に近づけて食べる。一方、韓国(おそらくいわゆる「北朝鮮」でも同じだと思うが)茶碗は手に持って食べてはいけない。もちろん、日本では茶碗は陶器、朝鮮半島では金属で出来ている。日本ではご飯は箸で食べるが、朝鮮半島ではスプーンで食べる。この違いがそういう文化の違いとして現れてるんじゃないかとは思うが、でも、おそらく日本人からすると茶碗を手に持たないで食べるのは「犬食い」と言われるほど「やってはいけない」ことになっている。そして「犬食い」をやってる人を見るととても汚く思えてしまう。

でも裏を返せば、朝鮮半島の人は茶碗を手に持って食べると、やっぱり汚く見えてしまうのだろうか?って思ったりする。そこのところは、わたしはそういう風習で育てて来られなかったので、茶碗を持つとどういう風に言われるかとか、どういう風に見えるのかは想像が付かないけどね。きっと「器や皿は手に持って食べてはいけない。行儀が悪いことだから」と育てられてるんだろうね(皿は日本でも持って食べないか。。)。おそらく向こうは向こうで「器を持って食べると行儀が悪い」という理屈を持ってるんだと思う。そして器を持って食べるととてつもなく下品だったり汚く思えたりするんだろう。

もう一つの例。日本ではそばとかうどん、ラーメンなどは「ずずっ」と音を立ててすする。その音が「おいしそう」に思えたりする。音を立ててすすっても「下品だ」とは思われない。そういえば、食べ物じゃなくて抹茶なんかも最後は「ずずっ」って音を立てて飲み干すよね、わざと。しかし、日本のものではないパスタなんかはそうじゃないよね、同じ麺なのに。却ってすする音をさせるのは下品だと思われる。それはパスタだったらイタリアかな?その国の習慣がそうだってことだよね。

ってわけで、常識なんてどこでどう変わるか分かんないよ~ってことだよね。自分の持っている「常識」は全世界的に絶対的なものではないってことだよね。まぁただ「郷に入っては郷に従え」ということわざもあるように、その地で「常識的でない」という習慣をやっちゃったら、自分の人格が疑われたりすることもあるわけだが。とまぁ、別にこんなことが言いたくてこの話を始めたんじゃなかった(汗)別にわたしは常識云々の話をしたくてこの話を書き始めたわけではなく。

なんというのかな。ときどき「そういうふうにできてるんだな」って思うことがある。それは特に理由もなんもないことで、偶然が積み重なった結果、人間の指の数は5本になったんだろうし、腕も2本なんだろう。誰が決めたというわけでもなく。そして腕が2本なのも指が5本であるのは特に「そうでなければならなかった」という理由はなく。世界の習慣は、最初は誰かが何となく「そう決めた」んだろうが、その地域ではそうすることに一定の「理屈」はあるんだろう。しかし別にそれが「絶対に正しい」わけでもない。「誰かがそう決めた」のは、そのときにそこに住む人たちの感性がそうしたわけで、そう感じたことは特に絶対的な理由ではない。世界中が同じ習慣にならなかったのは、一つの物事の理由が全然別の角度からも理屈を付けて考えられるということだからだ。そうすると、この世界がなんだかとても不思議なものに思えてくるんだよね~。すっごく微妙なところでこの世界が成り立っている。この現実世界は一歩ずれてたら、現実世界ではないんだと思うと、この世界は強固な根っこを張っているわけじゃない。ふわふわと浮遊しているか、ぐらぐらと安定性がないか、そういうイメージを持つ。

だからこそ、この世界はいかようにも変えていけるんじゃないかと思うこともあるし、いやいや、それでも手の指が5本、腕が2本ある人が圧倒的な世界で、二元論や十進法を変えていけるのかとも思う(分野によっては十六進法の世界などもあるんだけどね。。)。

まぁ最近はこんなことを考えている。本当はここから発展させたのか、この元になる話しになるのかは分からないけど思うことがあって、それはまた今度。
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