02-14 Sat , 2015
渋谷区「同性パートナーシップ証明」について思うこと
2月12日は朝から騒がしかったですね(笑)

というのも、渋谷区が3月議会で「男女平等および多様性を尊重する社会を推進する条例」についての案を出すそうで、この条例案の中に区が「同性パートナーシップ証明」を同性カップルに出して、区内で同性カップルを「婚姻に相当する関係」として扱うように「お願いする」というものが入ってるからだそうだ。

以下、共同通信の記事。わたしが確認したところによると、関東地方では東京と毎日の朝刊に載っていたそう。

--------------- ここから ---------------
 東京都渋谷区は、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を三月区議会に提出することを決めた。区によると、自治体が同性同士をパートナーとして証明する制度は全国で例がない。性的少数者(LGBT)の権利を保障する動きは世界的に広がっており、家族制度をめぐる論議が高まりそうだ。

 可決されれば四月一日施行、証明書は二〇一五年度内の開始を目指す。

 同性カップルがアパート入居や病院での面会を、家族ではないとして断られるケースが問題になっていることを踏まえ、区は区民や事業者に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう協力を求める方針だ。

 条例案は、男女平等や多様性の尊重をうたった上で「パートナーシップ証明」を定めた条項を明記。区内に住む二十歳以上の同性カップルが対象で、必要が生じれば双方が互いの後見人となる契約を交わしていることなどを条件とする。カップルを解消した場合は取り消す仕組みもつくる。

 条例の趣旨に反する行為があった場合は事業者名を公表する規定も盛り込むという。

 憲法は婚姻関係を「両性の合意」のみに基づいて成立すると規定。区議会では条例案が従来の家族制度を揺るがしかねないとする議員の反対も予想されるが、区は、法律上の効力はなく「全くの別制度と考えている」としている。

 渋谷区は昨年、有識者らによる検討委員会を立ち上げ、LGBTの区民からも聞き取りをして条例の内容を検討してきた。桑原敏武区長は「互いの違いを受け入れ、尊重する多様性社会を目指すという観点から、LGBTの問題にも取り組みたい」と述べた。

 海外の同性パートナーシップ制度に詳しい京都産業大大学院の渡辺泰彦教授(民法)は「公的機関が同性パートナーの存在を認め、直面する問題に対処しようとする点に大きな意味がある。ドイツやスイスではまず地方自治体がパートナーシップ制度をつくり国家レベルに広がった。国内でも同様の動きが出てくるのではないか」としている。

◆渋谷区条例案ポイント
▼男女および性的少数者の人権の尊重。
▼同性パートナーシップ証明書の発行。
▼条例の趣旨に反する事業者名を公表。
▼男女平等・多様性社会推進会議の設置。
▼条例は4月1日施行、パートナーシップ証明は別途定める。
--------------- ここまで ---------------

まぁこういう案が出来、報道されることだけでも「大きな一歩」には違いないと思う。

ただ心配なのは、これ、決して条例が可決されたわけじゃないんですよね。まだ案の段階。3月の議会で通らなければ、何も変わらないどころか、「こういうのはまだ日本では早い」とみなされてるってことが証明されてしまうってこと。むしろ今後の同様の動きも抑えられてしまうのでは、という危惧の方が強く感じられてしまって怖い。で、こういうのが出ると、必ず「バックラッシュ」も起こる。これが世の常。それをどうかき消していくかが問題。これについては完全に同性愛者の権利問題なのだけれど、今までの世の中を変えていくためにはなぜか「多数者」に「認めてもらわないと」いけない。まぁ多数決の論理からするとそうなんだけど、でもなぜ少数者の権利、当然認められなければならない権利を多数者に「認めてもらわないと」いけないのかなぁって常々思ってるんだけどね。

だってさ。わたしももうじき彼女と一緒に暮らして丸10年を迎えるんだけど、やっぱり彼女が突然意識不明になって病院に運ばれたとき、わたしは病院から「家族」として扱われるのか?「面会謝絶」になったときに彼女に会えるのか?万が一、亡くなるときには、わたしはそばにいてあげられるのか?万が一、亡くなってしまったときに、わたしはお葬式にどういう形で出られるのか?単なる「親しかった友人」として?「家族」としてじゃないの?彼女の家族から「アンタは家族じゃない」って言われたら?わたしは彼女のお葬式にすら出られないの?っていう不安はいつも絶えず抱えてるから(厳密に言うとこれは「法的な地位」は保障されないので、家族関係には反映されません。だから、病院では家族として扱われたとしても、お葬式の時に家族に拒絶されるとそれは拒めません)。
※ただし、今のところの家族状況を見ると、彼女の親族からわたしに対して「アンタ葬式くんな」と言われるよりも、わたしの親族が彼女に対して「ろんたこの葬式には来るな」って言われる方が可能性高そうで怖いんだけど(^^;

確かにこれまでの10年間、わたしも彼女もお互い入院したことがあるけれど、そのときは病院側に関係をきちんとカミングアウトして「家族」として扱ってもらえた。それはもしかしたらとても運がよかったのかも知れない。双方意識をなくしたことはないので、そういう場合は認められるのかも知れない。だけど前に「家族」として扱われたからといって、将来も「家族」として扱われる保障はどこにもない。

本当にとてもとても不安定な身分なのだ。これが男女の場合だったら、たとえ婚姻届を出していないにしても「事実婚」として扱われ、当然の如く「家族」として扱われるだろう。わたしたちは普段、男女カップルと大して変わらない生活をしているはずなのに、こういう危機的な状況、人生がガラリと変わるかも知れない状況の時にはこんなにも差が出るものなのだ。

こういう不安を常に抱えているにもかかわらず、わたしたちの「権利」って他人から決めてもらわないといけないものなの?って思っちゃうよね。男女カップルなら当然として認められている「権利」なのに。

まあ、そうは言っても「世の中そういう風に出来ている」わけだから、なんでと思いながら「多数者」に自分たちの権利を「認めてもらわないと」いけないわけだけどもね。というわけで、3月の議会がいつから始まって、いつこの件について審議されるかはよく分かんないのだけど、それまでは自分の出来ることはするつもり。

だってさ。こういった「証明」がされることで、少し、不安な状況がなくなるんだよ。ほんの少しだけだけどもね。「病院で看取れる権利」はホント、最低限。今までその「最低限」すら認められてなかったわけだから、常に不安を感じざるを得なかったわけだけど(と言っても今回のこれは「法的に認められた権利」になるわけじゃなく、あくまでも区が事業者に対して「お願い」してるだけに過ぎない)。でもそれがなくなると想像するだけで、自分の上にのしかかっていた石が少し軽くなるように感じたんだよね。今まで自分の上に石がのしかかっていたとは認識してなかったんだけどさ。軽くなった分だけ前の重さが分かるというの?まぁ、でも本当に軽くなったわけじゃなく、条例案通らなければ軽くはならないわけだけど(っていうか、それ以前にわたしはそこに住んでないから条例案通っても何も変わらないんだけども(笑))。

アパート入居については、女同士というのは割と不動産屋さんからも問題は問われないわけで、これによって大家さんから入居を拒否された、というのはあまり聞かない。わたしも彼女とは今まで2回、一緒に部屋探ししてるけど、別に「女同士」を理由に貸してもらえないってことはなかった。問題は男同士なんだよね。これはしばしば耳にする。男2人だと部屋が汚く使われるという理由などで貸してもらえないそうだ。しかしこの理由は口実で、ホモフォビア(同性愛嫌悪)も多分にあるんだろうな~と思ったりする。

わたしなんかは彼女と「一緒に住みたい」と思って、そのまますんなり一緒に暮らしてるわけだけど、それが困難だというのは想像が付かなくてね。なんにしろ「当たり前」のように思ってるから。だからもしかすると病院でも家族と認められるのは、男女カップルとしては「当たり前」のように感じられるものなんだろうか。それが「当然じゃない」のは、想像が付かないことなんだろうか。でも「一緒にいて欲しいときに一緒にいられない」のは、病院にせよ、同居にせよ、同じことだ。わたしらにはいざという時「一緒にいる権利」が保障されていないのだ。

あと、このことが報道されてから、いろいろな否定的な意見が出てるのは知ってる。渋谷区はホームレス排除してるじゃないかとか。いや、だから、そのことについては全く別の話で、たとえ渋谷区がこの条例案通したとしても、それによってホームレス排除が「免罪」されるわけじゃないよね。条例通過したとしても「渋谷区さん、有難う!!わたしはこれであなたのやってることには何も文句は言いません!」ってことじゃないよね。別にこの条例案に賛成したとしても、渋谷区に魂まで売ってるわけじゃないのだ。ホームレス排除の問題は、深刻な問題だし、これはこれでこの先も追及していかねばならないだろう。そんなの当然のことだ。

それから「婚姻制度が強化される」っての。確かにこれは分かる(笑)でもさ、だからといって、わたしは2人の間に何の法的な権利がない状態が好ましいとは思えない(何度も言うが今回のこれは法的な権利ではないのだけれど。これは法的な権利への第一歩に過ぎないことはよく分かってる)。「婚姻制度解体」を言ってる人もいるけど、じゃあ、具体的に「婚姻制度解体」に向けて何か行動してるんだろうかっていつも思う。その行動が全然見えてこない。日本で「婚姻制度に与したくない」という理由で結婚しない男女カップルがいる。が、そういう人たちでも男女であれば「事実婚」になってしまうのだ。事実婚は法律婚から遺産相続以外の権利はほぼ認められている。それはとりもなおさず「婚姻制度の恩恵を受けている」ということになる。だけど同性カップルは一緒に住んでいるだけでは事実婚扱いにはならない。それは同性カップルには「婚姻制度」がないからだ。本当にこの日本から「婚姻制度」を廃止させたいのであれば、婚姻制度廃止をもっと世の中に訴えなければならないのに、そういう訴えはほとんど聞くことはない。身内でごちゃごちゃ言ってるのが聞こえるだけだ。
【後日追記】男女の「事実婚」についてだけど、確かに「遺産相続」と「税金」以外は法的な保障が受けられるのだが、それ以外、例えば成年後見人の申し立てはできなかったり、あと、なんと病院での「看取り」は法的な保障ではないので逆に「家族」として扱ってもらえない場合も多いらしいです。「事実婚」の場合、逆に法的な保障以外のところで保障されないって初めて知った。
(参考)http://konkatsu-nomiss.info/indignity/

また「婚姻よりも個人としての保障が手厚い方がいい」っていう声も知ってる。けど、具体的に「個人の手厚い保障」ってなんなんだろ?って思う。だって、病院に家族として認められるとか、住居にカップルとして入ることが出来るというのは、一人一人の保障を手厚くすることによっても保障されない権利だ。一人の生活は確かに不安な面もたくさんあって、でもそれは二人の生活から生じる不安とはまた全然別のものなのだ。

ただ、そういうものを「婚姻制度」によって保障するかしないか、というのはまた別問題なんだけどね。この世界には「婚姻」とは別の概念「パートナーシップ」ってのがあって、そこで保障されればいいじゃんか、という話もある。

まぁこれを話すと話が長くなってしまうのだけど(笑)、例えばフランス、フランスは同性婚が認められる前に「Pacs法」というものが出来た。「市民連帯契約」というものだ。これは特に同性の関係だけでなく、男女だったり、友人でも可、というもので、これによって同性の関係が認められたんだから、別に同性婚はいいじゃないか、ってことも言われてた。これ、オーストラリアでも同じ。オーストラリアでは先に「パートナーシップ法」が出来た。でも、この2つの国は結局のちに、同性婚制度を導入した。

なぜかというと、それは「婚姻の平等」をこの国の人たちは求めたからだ。異性愛者の婚姻と同性愛者の婚姻の間に全く差はない、要するに異性愛カップルと同性愛カップルは同等なのだ、というものを求めたからだ(同性愛カップルは婚姻に「準ずる」という関係ではない、ということ)。それはとりもなおさず同性愛者の地位の向上を意味する。同性愛者は「二級市民」ではない、ということを示すためだ。

果たしてこの日本で、どこまで求めるか、という問題はこの先にはあるだろう。けど、今はまだそういう話では全くないのだ。だって何度も言うけど、この条例案は別に同性カップルの法的な保障とは関わりがないから。だけどとにかくこの一歩が踏み出せなければ、この先の話もクソもない。

それから「カップル志向になって、独り者が生きにくくなるのでは」という声がある。まぁ確かにそれは有り得るので、その点は注意しなければならないとは思うが、だからといって、一人でいたい人たちのために、二人で生きていく上で感じる不安を持ち続けなければならないのかというと、それはちょっと勘弁してよと言いたい。というか、同性同士の関係を認めることと「一人でも生きていっていい」という概念が広まるのは両立しないか?と思う。

あ、少子化に繋がるとかそういうのは、アホらしくて反論する気にもならないので(笑)同性婚を導入した国の出生率を見てもらえば分かるけど、導入後、少子化になってないから。結果はその逆だから。同性婚を導入した国はちょこっとだけど出生率も上がっている(下がっている傾向はない)。それに同性婚が認められたら少子化って、どんだけ同性愛者の数が多いと思ってるんじゃって感じだよね(笑)別に同性愛者がこの世の中を動かしてるわけじゃないから(爆)あと、アメリカで「同性婚論議」が発生した一つの理由は、レズビアンたちが産んだ自分の子どもに対して、何の保障もないので、それをどうにかして欲しい、というところから始まってるわけで、レズビアンマザーが増えたからこそ同性婚の議論が始まったのだ。だから同性愛者は子どもを持てないわけじゃないんだよね(ただ、これも「結婚したら子どもを持たなければならない圧力」に繋がる恐れがあるので、そこんとこは気をつけないといけないのだけれど)。

あとはそうだなー。だからといって、わたしは「この条例案はすばらしい!」ってキラキラしてるわけじゃないです。これは本当に「第一歩」に過ぎなくて、そしてこれが戦いの始まりなんだと思う。だから、自分でもやれることをやらねば。案は一人歩きして勝手に条例になるわけじゃない。それを支持することを表明して、その案が本当に必要であることを世間に表明しなければ。誰かが勝手にやってくれるわけじゃない。権利って言うのは上から自然に降ってくるものじゃないんです、お情けみたいに。

行動に起こす、というのはしんどいことだと思う。でもそれを誰かに任せてていいんだろうか。自分が行動を起こさないで誰かに期待して、それがもしダメだったとしたらそれも他人のせいにしてしまうのか?まぁそういう思いがあって、わたしはその第一歩として自分のブログで意見を表明しているのだけれどね。
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