11-29 Sat , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その6
その5の続き。今度こそ、最終回、だと思う。

記念館を出たのは15時半過ぎだったかなあ~?わたしはその日、名古屋で友人と会うことにしてて、その待ち合わせ時刻が18時だったので、遅くとも17時くらいに半田口の駅を出たいと思っていたのだが、ちょっと中途半端に時間が余ってしまい、しかもかなり疲れていたので、その後、時間つぶしにそんなに歩きまわれそうもなく。なんせ記念館から半田口の駅まではそんなに遠くないんだよね~。一応、前にも書いたけど、事前にここで行きたいところをチェックして、どういう順番で回ろうかな~って考えてたのよね。しかし、それを全部回ったところでせいぜい1時間くらいにしかならないだろうと。それだったらもうちょっと電車に乗って海が見えるところまで行こうかなって思ったり。でも、電車の時刻を調べたところ、行って帰るだけでお終いになるギリギリの時間しかなく断念。まぁ時間がすごく余るだろうけど、どこかで休み休み行けばいいやと思って駅に向かって出発した。

記念館のすぐ前の大きい道をずっと駅方向に向かって歩くと途中で岩滑小学校がある。ここ、画像は撮らなかったんだけど、卒業制作レリーフみたいなの?そんなのが校門脇の塀みたいなところにずらーっと並んでた。新美南吉の作品をモチーフにしたレリーフみたいな感じだったが、ほとんどが「ごんぎつね」や「手袋を買いに」の中、一つだけ「うた時計」を見つけて「おお、こいつら分かっとる!」みたいな(笑)廉がおじさんのポケットに手を入れたらうた時計が鳴り出すところ。

「おじさんのオーバーのポケット、大きいね」
「うん、そりゃ、おとなのオーバーは大きいから、ポケットも大きいさ」
「あったかい?」
「ポケットの中かい?そりゃあ、あったかいよ。ぽこぽこだよ。こたつがはいってるようなんだ」
「ぼく、手を入れてもいい?」
「へんなことをいう小僧だな」
男の人はわらいだした。でも、こういう少年がいるものだ。近づきになると、相手のからだにさわったり、ポケットに手を入れたりしないと、承知ができぬという、ふうがわりな、人なつこい少年が。
「入れたっていいよ」
少年は、男の人のがいとうのポケットに、手を入れた。
「なんだ、ちっともあったかくないね」
「はっは、そうかい」
「ぼくたちの先生のポケットは、もっとぬくいよ。朝、ぼくたちは学校へいくとき、かわりばんこに先生のポケットに手を入れていくんだ。木山先生というのさ」
「そうかい」
「おじさんのポケット、なんだか、かたい冷たいものがはいってるね。これなに?」
「なんだと思う」
「かねでできてるね・・・・・・大きいね・・・・・・なにか、ねじみたいなもんがついてるね」
するとふいに、男の人のポケットから美しい音楽が流れだしたので、ふたりはびっくりした。男の人はあわてて、ポケットを上からおさえた。しかし、音楽はとまらなかった。それから男の人は、あたりを見まわして、少年のほかにはだれも人がいないことを知ると、ほっとしたようすであった。天国で小鳥がうたってでもいるような美しい音楽は、まだつづいていた。
「おじさん、わかった、これ時計だろう」
「うん、オルゴールってやつさ。おまえがねじをさわったものだから、うたいだしたんだよ」



ああ、画像、撮ってくるんだった~(笑)

岩滑小学校を過ぎるとすぐに岩滑郵便局があるのだが、その手前の細い道に折れる。ここは「そうれん道」というらしい。さきに紹介したサイトには、

現在、岩滑コミュニティセンターのある場所は、昭和8年まで岩滑の墓地でした。「ごん狐」でごんが六地蔵の陰から兵十の母の葬列を見る場所は、ここが舞台になっています。ここから光蓮寺に続くを「そうれん道」と呼んでいました。



と書いてある。これを見つけたとき、わたしは絶対にここに行かなきゃ!って思った。だって、ごんぎつねの中でわたしが好きな場面の一つだからさ。一番最初にも書いたけど、わたしが「彼岸花」で思い出すのは、真っ先にこのシーンだ。

お昼がすぎると、ごんは、村の墓地へいって、六地蔵さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠くのむこうには、お城のやねがわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、村のほうから、カーン、カーン、と、鐘が鳴ってきました。葬式の出るあいずです。
やがて、白いきものをきた葬列のものたちがやってくるのが、ちらちら見えはじめました。話しごえもちかくなりました。葬列は墓地へはいってきました。人びとが通ったあとは、ひがん花がふみおられていました。



旧墓地、というのが岩滑郵便局の裏の方にあるのだが、そこから光蓮寺までの道が「そうれん道」らしいんだよね。ただ、わたしはもうそのとき歩き疲れて旧墓地までも行く気がしなかったので、そうれん道の半分くらいしか歩けなかった。「ごんぎつね」に出てくる「そうれん道」は彼岸花がずっと咲き続いていたらしいけど、そこには一本も彼岸花は咲いてなかった。

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お寺は奥の工事してるとこ。だから、ホントすぐの距離。ここの間で道のへりに彼岸花が咲いてるところを想像しようとしたんだけど、ちょっと難しかった(笑)わたしが想像してたのより道幅が随分広くってね。で、あっという間にお寺に。

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ここ、なんか工事してたのか、人が何人かいてとても入りにくかったので素通りした(^^;この「光蓮寺」ってのは、新美南吉が亡くなったときにここのお坊さんに戒名を付けてもらったということだ。中に入ってみれば、もうちょっとこのお寺についての詳しく書かれたものがあっただろうな~と思うんだけど、なんか中に入りづらかったんだから仕方がない。

このお寺の先は最早「そうれん道」とは言わんのだろうと思ったんだけど、でも、わたしの頭の中にあるごんぎつねの葬列の場面とどこかに何か、一致するもの、似てるものがあるんじゃないだろうかって、一生懸命探した。例えば

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こういう道の100年前を想像したり(笑)

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ああ、ここはちょっとわたしの想像してた姿に近いかなーって思ったり。

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わたしのイメージする彼岸花って、土手のじゅうたんみたいに咲いてる彼岸花じゃなくって、こんなんだよなって思ったり。

IMG_0577.jpg   IMG_0576.jpg


こういうところに上の画像のパラパラと咲いている彼岸花の姿を想像したり。まぁ思えばまるっきり怪しい人みたいに見えただろうな~(苦笑)なんでもない道を行ったり来たり。時には道ばたに座りこんでボーッとしてたり。おまけに画像どこで撮ろうかとかウロウロしたり。なんか何を撮りたいんだか分からないものを被写体にしてたり。だけど、ここはまさに、わたしにとっての「夢の国」、ごんぎつねの世界だったわけです。頭の中で40年弱、ずっとずっと描いてきたところ。頭の中で描いてきたものと現実の世界は全く違ったものだったけど、でも、わたしはずっとここに来たかった。それが今、ようやく叶ったわけです。きっと、40年間頭の中に暖めてきたものがこうやって現実の姿として目の前に現れる体験なんて、そうそうないはず。わたしは今、そういう極めて貴重な経験をしてるんだと、そう思いました。

そこから常福院ってお寺に行って、境内でしばらく休ませてもらった。ここの画像は撮ってこなかったんだけど、夏になると盆踊りをしてたところだって書いてあった。今現在のわたしの目から見ると、とても狭い敷地内でね。こんなところでみんなが集まって盆踊りしてたんだーって思った。あと確か、新美南吉の弟が戦死したのでここのお寺の招魂碑だったかに名前が書いてあるよーって書いてあったかな。探さなかったけどね。

常福院で少し休ませてもらったあと、「はなれの跡」に。ここは新美南吉と弟が暮らしていたところだそうだ。ただ、焼失して今は跡地に立っている看板のみ。周辺は普通の住宅地で、看板がなければ絶対に分かんないようなとこだった。

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ここから少し離れたところに岩滑八幡社という神社がある。ここの神社の前を南吉ははなれの家と実家を往復するときに通っていたそうだ(南吉はご飯は実家で、寝泊まりははなれの家でしていた)。岩滑八幡社の前の庭はかなり広くて、子どもが遊べそうな感じだった。

そこから、再び、南吉の生家に。その前にある常夜灯にも。常夜灯が出てくる作品もいくつかあるらしいんだけど、わたしは読んだことがない作品だった。

予定より時間がすごく余ってしまったんだけど、ここではもう時間が潰せないので、当初、速い電車(特急とか急行とか)で名古屋に向かう予定にしてたんだけど、のんびり各停で行くことにした。

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帰りはこの「ごん」がお見送り。今度来る機会があったら、ここを通り越して知多半島の先まで行って、海を見てきたいなあ~って思った。

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名古屋で無事に友人と合流でき、夕飯は一緒にしゃぶしゃぶを。3年くらいぶりに会うので、積もる話があるある。というか、3年って短いようでかなり長い時間なのだね。。報告されることにたまげてばかりでした。

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夜は予定通りに夜行バスに乗って東京へ。友人はわざわざ寒い中、バスの発車時間までそばにいてくれて有難かった。また会おうね~。たまにはこっち方面にも来て下さいな。

夜行バスってのは、スペース広くなったり椅子が座りやすくなったり、リクライニングもできたりするのになんであんなに寝にくいんだろうか。新幹線の座席は別に寝るようにできてないと思うけど、新幹線の座席の方がよっぽど座りやすい。新幹線では寝ようと思わないのに気が付いたら寝てたりすることあるし。あと、夜行バスは光が入ってこないようにするために窓にカーテンが引いてあって、それで外が全く見れなかった。これはかなり窮屈でした。どうせ眠れないんだったら、窓の外見てればいいやと思ってたから(真っ暗でもいいの)。

結局一睡もできず。浜松で一旦休憩したときは外に出なかったけど、足柄で止まったときは外に出てみた。

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辺りは真っ暗。吸い込まれそうだった。

そして、そこから2時間ちょっとだったかな。朝4時50分、ほぼ定刻通りに新宿に着いた。

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まだまだ暗い新宿駅西口。これから一日が始まるところ。

しかし、わたしはお疲れ。家に帰ってベッドの上で寝ました。

今回は「いつか行ってみたい」とずっとずっと思って来たところだったため、「やっとここに来られた」って思いと、あとは年月の移り具合を肌で感じた。新美南吉の世界はもう新美南吉の作品の中にしかないんだなーってつくづく思った。でも100年違いだけど新美南吉はまさにここで生まれて育って暮らしてたんだし、そう思うととても不思議な感覚だった。「ヒーロー」っていうと全然ヒーローなんかじゃないんだが、なんていうんだろうね、これらの作品はわたしの中の血と肉になってると言ってもいいと思うのよ。そういうものを子どもの時に植え付けられ、自分の中で段々育っていったものが今現在の自分の中に存在している。こういうものがあるってかなり幸せなことだよね。年月をかけないとこういう気持ちにさせるものはないもの。

そういう意味では、愛知県半田市岩滑ってところは、本当にわたしにとっての「夢の国」だった。
11:46 | 一人旅 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
素敵な旅日記をありがとうございます(^w^)♪ごんぎつね、懐かしかったです☆仕事が繁忙期に入り、落ち着いてコメント出来なく残念です。子供の頃に、真っ赤な彼岸花を家に持って帰り、母に家が火事になるって言われてるから、飾るお花じゃないんだよって教えられた事も思い出しました(⌒~⌒)(笑)(笑)白い彼岸花、とても素敵でした♪♪♪年末まで猛ダッシュで働きますo(^-^)o(笑)ろんさんゎ体調良くなられましたか?寒い冬。日照時間の少ない冬。上手く乗り切って行きましょうね(*^ー^*)v♪♪♪
Posted by: moёt at 2014/12/01 22:15 URL [ 編集] | page top↑
>moёtさん
コメント有難うございます。長いのに読んで下さって有難うございました。
「ごんぎつね」は懐かしいですよね、この歳になると。。

お仕事、年末に掛けてお忙しくなるのかな?じゃあまだまだこれからですね。
身体に気をつけて乗り切って下さいね~。

そうそう、彼岸花、わたしも大好きな花なんですが、世間一般では忌み嫌われてる花なんですよね。。花にはなんの罪もないのにね~。でも、うちの庭に植えちゃいましたよ。今年の春頃だったかな?赤いの10本、白いの3本、黄色いの3本だったかな。そのうち、秋には赤いの多数と白いの1つが咲きました。嬉しかったですよ~。来年は黄色いのも咲けばいいな。

体調、だいぶよくなってきました。わたしもいつまでも体調悪くて何もできないのはイヤなので、最近は体調をよくするためにいろいろ努力してます。

お互い、乗り切りましょうね!
Posted by: ron at 2014/12/02 09:57 URL [ 編集] | page top↑
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