11-18 Tue , 2014
彼岸花を見に(新美南吉記念館) その2
その1を書いてから半月以上経ってしまった(汗)9月29日に行ってきた旅行記を今頃書いても、って気もしてるけど、まぁ、書いて残しておきたい気もするんで、今のところは一応最後まで書く気でいます。

で、どこまで行ったんだっけ。あ、名古屋に着いたところまでか。いや、実は結構前に「その2」を書き始めてたんだけど、画像をアップする上でここのブログ、画像1枚2MBまでっていう制限があるんだよね。それにひっかかる画像が多くて、先に画像を加工してたらこんなに時間が経ってしまった、ということだったんだよね(汗)画像自体の加工は割とすぐに終わったんだけど、それが終わったら書く気と書く時間が失われてました(笑)

「新美南吉記念館」の最寄り駅は名鉄「半田口駅」なんだけど、ここに行くためにはまず、新幹線から名鉄に乗り換えなければいけないわけで、これが結構歩くんだよね。まぁ迷いはしませんでしたけどね。あ、でも名鉄がどこに行くのかよく分からなかったので(今でもよく分かってないが)名鉄乗り場の案内のところに飛行機のマークが書いてあって「あれ、これでいいのかな?」って不安に思ってしまったのは事実。名古屋から飛行機に乗ることはまずないので、飛行場自体どこにあるか分からないし、あと「半田口」って知多半島の方だから、なんかそれとイメージ合わなくてね。

で、名鉄名古屋駅に到着。てか、「名鉄」も駅名に入ってるのね。

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事前に電車の時刻を調べて行ったんだけど、少し前に着いちゃって(思ったより名鉄名古屋駅まで行くのに時間が掛からなかった)行き先の電光表示にまだ載ってなくて、ホームが本当にここでいいのか、かなり迷いました。だって名鉄って、同じホームでも乗る電車によって行き先が全部違うみたいなんだもん!その行き先がわたしが行こうとしている「半田口」と同じなのか、そうでないのか、地名だけでは判断できないので電車来て乗って、本当にそちらの方向に行くのか確認できるまで怖かったです。まぁ、初めて行くところだったしね、、

てなわけで、無事、半田口に到着。名鉄名古屋駅から40分くらいだったかな?1時間掛からなかったと思います。確か途中まで特急だか急行だか途中の駅を飛ばしていく電車で、その後各停に乗り換えた記憶が(ほとんど2ヶ月前なので既におぼろげにしか覚えてない(汗))。

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半田口には昼少し前に着いたんだけど、「まつり」の期間中だから、十数人は降りるだろうと思いきや、数人しか降りなかったのでちょっと拍子抜け。駅は「新美南吉」一色。まぁ当たり前か。

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こんなん、とか、駅を出て踏切を渡ろうとしてみれば

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こんなのがドーンって書いてあったりね。「ごんぎつね」のふるさとなんで、キツネの絵なんかががたくさん書いてあったり、立体の姿のキツネもたくさん見たんだけど、この先も。正直、どれもかわいすぎて、わたしの中の「ごんぎつね」とは掛け離れてた。わたしの中の「ごんぎつね」はもっと不細工な顔をしてます。

ごんは、「へえ、こいつはつまらないな」と、思いました。
「おれが、くりやまつたけをもっていってやるのに、そのおれにはおれいをいわないで、神さまにおれいをいうんじゃ、おれは、ひきあわないなあ」



こんなことを思ってしまう「ごん」だから。もっと眼が細くて、もっと口が尖ってて。不平、不満もたらたら言って。そういうのがわたしの想像している「ごんぎつね」。なにぶんにも、小学生の頃から繰り返し読んでいる「新美南吉」なので、わたしの中では何十年も繰り返し、繰り返し、想像されてきたものなんだよね。だから、描いてある「ごん」、飾ってある「ごん」はどれもかわいすぎるようにわたしには思えてならなかった。

駅を出て、彼岸花を見に、矢勝川に向かう途中でまず見たのがこれ。

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この画像自体は、帰るときに撮ったものなので夕方になっちゃってるけど。わたしはこの「岩滑」って文字を見て「ああ、やっとここに来たんだ」って思ったの。新美南吉の作品の中にはたくさん「岩滑」って地名が出てくる。この地名を初めて見る人は多分、これをどう読むのか分からないだろう。「岩滑」とかいて「やなべ」と読む。岩滑という文字ほど、わたしが「ここに来た」という実感が持てるものはなかった。これを見て、初めて「ここが多くの物語の舞台になったところなんだ」って実感した。

矢勝川に行く途中で、新美南吉の生家があるってことで、寄ってみた。

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生家の中は入ることができたし、階段降りて1階(と言えばいいのか。ここは家の向こうが「がけ」みたいになってて、ここから見ると平屋に見えるんだけど、この部分は実は2階なんだよね。2階というか、ここが1階で下に降りて地下1階、というか。でも別に「地下」ではないので、、表現が難しい)も降りて台所とか、みんなでご飯食べてたところとか、風呂桶とかそういうのも全部見られる。とても小さい家でした。小さいと言えばいいのか、低いと言えばいいのか。ご飯食べてた部屋なんて、多分、わたしは背を伸ばして歩けないくらいの低さだったんじゃないかと思う。「生家」というのは、新美南吉は生まれて8歳くらいで母方のおばあさんの養子になるんだよね。まぁなんかおばあさんと2人暮らしが寂しくて、数ヶ月で戻って来ちゃうらしいんだけど。それから、大きくなってからは離れが近くにあって、弟と一緒に離れに暮らしてたらしいです。ご飯を食べるときに母屋に戻ってきてたとか。

生家に寄ったあと、なんか近くにトイレがあるって言うんで行ってみたら、でかい金木犀の木が植えてあって、それも満開だった。そうそう、これからずっと土手を歩いて行くんだけど、なんかずっと金木犀の香りが漂っていてね。そういうのも思い出の一つとして残ってます。

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生家に寄って矢勝川に行く途中、こんなのを見つけた。

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お地蔵さま。新美南吉の作品にはお地蔵さまの描写ってあったっけ?あったとしても具体的に今、すぐには思い出せないんだけど、ただ、作品とこういう風景はとても合っていて。「ああ、こういう中で南吉はあれらの物語を書いたのだ」って思った。ただ、もうちょっとこういうのに遭遇するかと思ってたんだけど、わたしが気が付いたのはこれだけだった。

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というわけで、ついに矢勝川に着く。ただ、すぐに土手を歩いたわけじゃなく、この進行方向、道路を挟んだ右側に「ごんごろ緑地」という公園みたいなのがあったのでそこに寄る。

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「ごんごろ」といえば、すぐに思い出すのが「ごんごろ鐘」という作品。もちろんこの緑地の「ごんごろ」というのは「ごんごろ鐘」のお話から取ったものだろう。この作品は特に好き、というものではないが、戦時中、鐘を供出するときの出来事を書いた話で、中でもとりわけ印象的なのが

紋次郎君とこのばあさんが、
「三河のごんごろうという鐘師がつくったと書いてねえかン」
と、きいた。
「そんなことは書いてねえ、助九郎という名が書いてある」
と、吉彦さんがこたえると、ばあさんはなにかぶつくさいって、ひっこんだ。



というところだ。「ごんごろ鐘」の「ごんごろ」の由来について、作った鐘師のぜんそくが移っただの、三河のごんごろうが作っただの、最初は「ごんごん鐘」と呼ばれていたのがいつの間にか「ごんごろ鐘」になったのだの、って話が最初の方に出てくるのだが、供出するに当たって鐘を下ろして中を見たときの場面だ。「ごんごろう説」を唱えていたおばあさんが自分の説が正しいと思って聞いてみたら、全然違う人の名前が書いてあったので、ぶつくさ言って引っ込む。ここの場面、本当に目の前に浮かんでくるような感じ(笑)わたしは新美南吉の、時折すごくリアリティがある描写がとても好きだ。

まぁ、だからといってこの公園には名前以外にごんごろ鐘を思い出させるものはなかったのだけど。あ、あとは画像は撮ってこなかったんだけど、なんか石碑(句碑?)みたいなのが入口にあったような気がするな。

というわけで、その3に続く。。

次からやっと、彼岸花の画像、出ます。今回もなんだか前振りみたいなものになってしまった。。まぁでも、わたしにとってはここは一種の「夢の国」みたいな感じで、既にもう気持ちはふわふわしてたんだよね。。
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