08-06 Wed , 2014
8月6日午前8時15分
今朝、起きてゴミ出しをするときに、真夏の日差しを浴びながら「今日も暑いな。69年前のあの日もそうだったんだろうか」と思った。

ところが今日の広島は大雨だったらしい。雨の日は43年ぶりとのこと。道理でこの日は「晴天」というイメージしか持ってないわけだ。もし、あの日が雨だったら、、果たして爆弾は落とされたんだろうか。それとも長崎のようにどこか別の「晴れている」ところが選ばれて、その地に落とされたんだろうか。ふとそんなことを考えた。

もう何年も何年も同じ日に同じ日記を書いているけれど、今年も書く。

今日は広島に原爆が投下された日。1945年8月6日、午前8時15分に原爆が落とされて、わたしの身内が行方不明になった。その3日後、行方不明になった身内を捜すために祖父と父が入市、被爆者となった。それゆえわたしは被爆二世である。

身内は69年経った今も行方不明だ。8月6日、たまたま用事があって爆心地に向かったらしい。「らしい」というのは、誰もそこへ向かうのを見た人がいないからだ。そしてそのまま帰ってこなかった。だからおそらくあの日あのときは爆心地にいて原爆に遭い亡くなったのだろう、としか考えられない。まぁ今さら真実がはっきりするわけはない。このまま未来永劫、行方不明のままだろう。

最後の姿が分からないのだから、想像するしかない。広島には原爆投下によって一瞬の内に影だけ残して消えてしまったという、その影が投影された石が残っている(「人影の石」という)。わたしは幼い頃からその石の話を聞くたびに「もしかしたらその影は身内なのかも知れない」と思っている。不思議と被爆して焼けただれて「水をください」と言いながら死んでったという想像はあまりしない。おそらく想像としてはこちらの方がよりつらいからあまり考えたくないというのもあるだろう。だから「人影の石」の話はわたしにとっては「原爆の恐怖」を認識させるものではなく、感覚的なんだけど、あの石の影からわたしは妙に暖かいものを感じるのだ。遺族という当事者ゆえの歪んだ感覚と言えるんじゃないかなと思っている。

一方、「被爆二世」という当事者としての感覚。これは恐怖としか言いようがない。自分の中に病の爆弾を抱えているような感覚が常にある。将来どんな病気にかかるかは被爆者でなくても誰もが知りようがないし、それはわたしも同じなのだけれど、「人より病気になりやすいのではないか」「考えつかない変な病気になったらどうしよう(既に口腔異常感症という一般の人では考えられない変な病気は持ってるけど)」とどうしても考えてしまう。世の中には福島原発の事故で放射能の恐怖に脅えている人に対して「放射脳」と馬鹿にしている人もいるみたいだが、わたしは逆に馬鹿にできる人はおめでたいと思っている。全く人ごととして考えられて羨ましいとさえ思う。

最近ちょっと調べてみて知ったんだが、東京都に住む被爆二世は年に2回無料で健康診断が受けられるそうだ。ただし、健康診断を受けるためには自身が被爆二世だと言うことを証明しなければならなくて、親の原爆手帳の写しや親との関係を示す戸籍抄本、そして東京に住んでいることを証明する住民票の写しなどを申請書に添えて提出しなければならない。

そして認定されたある種の病気にかかると医療費は免除になる。認定されたある種の病気って見てみたらすごく幅広いんだよね。まぁ精神病は除外されてるから、今のところわたしは適用されてないわけだけど。この病気の種類を見て、わたしは「やっぱり被爆の影響によってあらゆる病気にかかりやすいと考えられているんだ」と思った。だから怖かった。ある意味「被爆二世はこういう病気にかかりやすいですよ」って都からのお墨付きを受けているわけだからね。

では逆にこの制度がなくなれば、病への恐怖心はなくなるかというと全然そんなはずないわけで。制度がなくても恐怖心はあるに決まっている(当然のことながら、今年初めてそういう制度があると知った以前から恐怖はずっと持ち続けている。恐怖心は物心付いてからずっと持っている)。逆にこういう制度があってよかったと思うし、「日々恐怖心と闘っているわけだからこのような制度があって当然だ」と思う。しかしね、おそらくこの制度は全国の都道府県のうち、広島、長崎はあるとしても、他は東京くらいしかないんじゃないだろうか(きちんと調べてないので分からないが)。これはひとえに当事者団体の活動によるものなんだろうなと推測する。本当にありがたいと感じると共に、東京以外に住んでいる被爆二世との格差があることに心が痛む。

こういうことを書くと「被爆者特権」っていう人がいるんだろうな。どこが特権だよ。特定の病気に対する医療費が免除されることと引替に、日々恐怖心と闘わなくてはならない身分になってみろと言いたい。わたしはこんな「特権」なんかいらないから「被爆二世」という身分を捨てたい。被爆の影響が自分の中にあるかも知れないという恐怖が全くない人生ってどんなにすがすがしい気持ちになるかと思うと、本当に本当にその方が羨ましい。わたしは被爆二世になんか生まれたくなかった。被爆二世として生まれた恐怖を「特権」などという輩にすべて押しつけることができたら、本当に喜んで押しつけるよ。医療費免除も喜んで押し付けてあげる。そしてわたしは恐怖のない人生を楽しむ。そんなことができたら、どんなにいいだろうと思う。

と同時にわたしがここで毎年同じようなことを書いているのは「わたしは被爆二世になんか生まれたくなかった」という気持ちからだ。このことは翻って「もう二度とわたしのような思いをする人間を作り出してはならない」と思うからだ。未来を生きる人たちにわたしのような思いはさせたくない。だから、わたしは戦争に反対する。

核兵器を使った戦争に反対するんじゃなくて、戦争自体に反対する。今日、広島市長の平和宣言とか、首相の言葉を聞いてて思ったのは「核兵器を使わない戦争ならしてもいいってこの人たちは思ってるのかな」ってことだった。特に首相の言葉は「核兵器廃絶に向けてぼくちゃんこれだけのことをしてますよ~」っていう羅列に過ぎなくて、聞いててすごく気持ちが悪かった。この人も平和、平和と言っているが、わたしが思ってる平和とは全く違うものだからね。広島市長も被爆者援護だけを国に求めるんじゃなくて、もっと積極的に今、国でなされようとしていることに明確に反対すればよかったのにと思う(集団的自衛権のことです)。

しかし今年の平和記念式典はなんだかとてもサラッと終わってしまった感があるな。平和記念式典ってわたしの中のイメージではもっとおどろおどろしいものがあって、本当はとても見るのが嫌なんだけど、今日のは「あれ?」って思った。中継の仕方が変わったのかな、、子ども宣言のとき、子どもたちが「お祖父さんが被爆者です」って紹介されているのを聞いて「へー。お祖父さんが被爆者って、わたしも同じだよ〜」って思ってたら、子ども宣言の中で「お祖父さんは5歳のときに被爆しました」って言ってた。げ。うちの父と同い年だったorz

ただ毎度のことながら、あれを見ると「悲惨な思い」「悲惨な目」「被害者」になりたくないから戦争をしてはならないという論理がねー。まぁ一方でそれは正しく、そして原爆投下されたという点では全くの被害者なので、この場では仕方がないと思うのだが、やっぱりそれだけではいけないと思うのよ、わたし。これも何度も書いてるけど、加害の面もきちんと認識しなければ。戦争では「誰かを殺す」(それが自分の意志に反していたとしても)「誰かを悲惨な目に遭わせる」「誰かの幸せを奪う」可能性があることもきちんと認識しておく必要があると思う。過去の加害の面について目を逸らさずに事実を知り、戦争をすることによって被害者だけじゃなく加害者になる可能性も十分あるということ。被害者だけじゃなく加害者にもなりたくないから戦争をしない、そのことももっと訴えていかなければね。

最後に。

被爆者と被曝者は違うものなんだけど、やはり被爆二世として気になるのは、福島原発の被曝者のことだ。最近新聞で読んだのだが、福島(だけではなくその周辺)の住民に対する健康被害調査、健康被害への国の補助、などの話し合いがされればされるほど「なかったこと」への方向に進んでいるらしい。「なかったこと」、それはイコール「ない」では全くない。「ないことにしたい」のであれば、逆にきちんと調査をして、本当に影響がなかったら「ありません」と言え。調査自体をしない、ということは、すなわち「調査したら何か不都合なことが出てきそうだからやらない」と言っていることと同じことだ。「調査したら不都合なことが出てきて、そのことが今後の原発を存続できないということに繋がるから調査しない」と言っていることと同じだ。福島(及びその周辺の地域)の人たちが自分の健康や自分の子どもへの健康に対してどんなに心細く、不安な気持ちでいるかは、被爆二世という当事者として、本当によく分かる。国民(住民、でもいいんだけど)に対してなすべきことをしない国なんて、それは国としての役割を果たしていない。国は「国土を守る」とか「大切な人を守る」とか国民に言わせようとしているけれど、でも国自体は全く国民を守ってくれないではないか。国を愛することを要求するだけ。国は国民を決して愛さない。大切にしない。しかし本来、国は国民のために存在する。国が存在するために国民が存在するんじゃない(という概念も本当は自明ではなく、非常に新しいものなんだけどね)。

わたしはもちろん原発に反対だが、調査して何か異常なことが出てくればいいとは全く思っていない。それが原発反対するための理屈に使えるとは全く思っていない。逆だ。異常がなければいいと思っている。健康被害調査を受けることによって、一人でも被曝に対する不安を取り去れる人がいたらいい。

こんな思いをする人間はわたしたち、広島長崎の被爆者とその子孫だけで十分なんだよ。
10:59 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://rontako.blog39.fc2.com/tb.php/1769-a5230328
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
AX