05-31 Sat , 2014
世話する方とされる方
彼女が骨折して歩けなくなったので、車いすを借りた。でも全く歩けなくなったわけではなく、松葉杖を使って歩いている。ただ、松葉杖って両手が塞がるのでものが持てないんだよね~。なので本人の移動はできるのだが、ものを持って歩けないのでそのたびにわたしがどうにかしなくてはならない。これが結構ね、彼女の入院中は自分一人のことだけやればよかったんだが、彼女が退院してからは彼女の分までわたしが動かなくちゃならなくなり、なんか絶えずくるくる動き回っているような感じに囚われた。

あ、1週間前に両手松葉杖から、片手松葉杖になり、今は室内では松葉杖を使わなくても歩いていいと言われているので、わたしも結構楽にはなったんだけど。

だけど外はそういうわけにはいかず。もちろん外でも片手松葉杖で歩いていいって言われてて、実際一回松葉杖で歩いてみたんだけど、怪我した足の方に負担を掛けない歩き方をしなくてはならないため、めっちゃ速度が遅くしか歩けないのだ。あのスピードではわたしが合わせるのがとても負担なのと、時間がものすごくかかるために彼女はすごく疲れるらしい。到底買い物などはできないと言うことが分かり、外で買い物をするときは車いすで出るようにしている。できるだけいろんな経験をしたいってことで、車いすで電車にも乗ったし、役所にも行った。

わたし、実は車いすを押して歩くのは初めてでね。いろいろ発見も多かった。

車いすで一番よかったなと思うのは、押しながら彼女と話ができることだった。普段同じ道を二人で自転車に乗って通っているが、自転車ってのは話しながら走れないんだよね。だからいつも道で何か発見して彼女に「ねえねえ!」って言いたいときもグッと我慢してそのうちその話を忘れてしまうことが多かった。でも車いすだと話しながら歩ける。これはすっごく楽しいの。それが一番車いすでよかったなと思うところ。

ただ道路で車いすを押すのが一苦労なところもある。今まで全く気が付かなかったんだけど、道路って排水のためかどうかは知らないが、右か左に傾いてるところがあるんだよね。どちらかに傾いていると、ただ押して歩くだけでは勝手に曲がっていくので、曲がらないように押して歩くのが結構大変なのだ。腕に力がかなりいる。

それとよく言われてるけど道路の段差ね。あれ、ほんのちょっとしか段差がなくても車いすでは登れないの(わたしに腕の力がないからなんだけど)。彼女は今は立って少し歩けるので、そういうところは立ってもらって移動してもらってるけど、もし全然歩けない人だったら押す人は大変だな、と。お店って今まであんまり考えたことなかったけど、入口が段差になってるところが結構あるんだよね~。あと入口が狭くて車いすなど到底入れないところ。だから事前にどこで買い物する、と決めるときはそこに段差があったか、車いすでも入れるかってことを考えるようになった。もちろん、車いすでは入れなさそうなところは、彼女はお店の入口付近で待っててもらって、わたしだけ買い物に行く、ってこともやった。逆に道路からバリアフリーで入れるお店はなんだか嬉しくてね(笑)今までそういう視点で考えたことなかったから、新鮮な感じがしている。

車いすを押して歩いているときは、周囲の人は結構気遣ってくれている。けど、こっちも気遣う。なんかどうしても「迷惑かな」って思ってしまう。彼女は「いいんだよ、大きい顔して通っても。車いすより歩いている人の方が身軽なんだから」って言うんだけど、どうしてもわたしは周囲に「すみません、すみません」と言いながら道路の端っこを通ってしまう。こういう感覚ってなんなんだろうね。わたしは別に普段から「障害者が大きな顔して歩くな」って思ってないんだけど、自分がこうなるとなんか大きな顔して歩いちゃいけないような気になってくる。わたしも知らないうちに「人に迷惑掛けたらいけない」って世間から思わせられて育ってきたんだろうなぁと思ったりする。

道を歩いてるときは気遣ってくれるんだけど、一番「うわー」って思うのは、エレベーターに乗るときね。あのときはほとんど気遣ってくれないね(苦笑)確かに「自分一人が降りても車いすは乗れないし」って思うんだろうなって思うよ。やっと来たエレベーターだろうしね。しかし、こっちの移動手段はエレベーターしかないんだよね。わたしは今度からエレベーターに乗ったときに車いすの人が待っていたら、率先して降りようと思いました(笑)

あと、車いすを押して歩くと不思議な感覚になることに気が付いた。それは妙にテンションが高くなって、ともすれば「彼女の保護者」みたいな感覚になってしまうことだった。それに気が付いたのは、彼女の用事で役所に行ったときだった。そこの窓口は椅子が2つ置いてあるけど、車いすのスペースがなかった。なのでわたしは彼女を近くに待たせて、役所の人に「本人はそこにいます」って言って、でもわたしが申請書書いたりハンコ押したりして手続きをやったんだけど、終わったあとに彼女に「なんか自分が無能力者になったような気がしてとても不愉快だった」と言われた。

わたしとしてはわざわざ椅子をどかして車いすのスペースを作って彼女に申請させるより、待っててもらって自分でやった方が早いと思っただけだった。だからそう言われたときに「わたしがやった方が早いでしょ」って反論したんだけど、でもあとでよく考えてみると全くその通りだったなって。世話をする方は世話される方が何ができて何ができないかを把握して判断するより、全部自分がやった方が早いのでついつい全部やってしまう。そしてそのことに対して満足感を覚えたりするのだ。満足度が高いものは彼女の手足となって動くことよりも、例えば申請書を書くなど、動かないことの方、頭を使うことの方だってことも分かった。わたしは彼女を支配したいとは全く考えてないと思っていたが、もしかして無意識のうちに支配したいと思ってるんじゃないかと思った。これってすごく怖いよね。

なので、このこと以降、わたしは彼女が今、何ができて何ができないかっていうことをその場その場で考えるようになった。確かにいちいち考える方がわたしにとってはめんどくさい。けど、彼女は歩けないだけでその他は全く問題ないわけだから。無意識のうちでも人を支配してしまうってことは怖いよなあと思っている。

それから、世話をする方とされる方に必要なものにも気が付いた。それは笑顔。穏やかな心。どうしても今はわたしの方が負担が大きいので、ときどき堪忍袋の尾が切れて怒りが爆発する。そうなるとどうなるかというと、世話したくなくなるのね。でもわたしが怒ったって世話しなくてよくなるわけじゃない。彼女だって世話をされたくなくてもされないといけない。そうするとね、やっぱりどうしたって世話をする方が強い立場になる。「やってやってるんだ」って気持ちになる。「いいよ、もう世話しないから」って思ったりもする。わたしは彼女じゃないのでやってもらってる方のそのときの気持ちは分からないんだけど、悔しいだろうなって思うの。彼女も気分が悪いだろうなって思うの。

だから怒ったときはできる限り早く怒りを鎮めようと思っている。そんな気持ちじゃ出かけられないからね。怒ること自体を止めたいのだが、人間的にわたしは未熟でなかなか「怒らない」ってことはできない。でも怒りを持ち越さない努力をしたら、今まではケンカしたら数日口を効かなかったのが、長くても半日くらい(そういう場合はだいたい夜を挟んでいる)になった。これは大幅な進歩だと思っている。

そんなわけで、外出時はこれからもまだまだ車いすで移動すると思うのだけれど、実は明日から札幌と青森に旅行に行くことにしている。もともと骨折する前から決めていたことなのだが、いろいろ事情があって車いすを使ってでも旅行することにした。予約は全部連絡したり取り直したりしたし、事前にどうやったらいいかを問い合わせたりして結構大変だった。けど、こういう経験ってなかなかできないのでいい経験にはなった。

明日からその予定通り行動するだけなのだが、どうなるか、、楽しみでもあり不安でもある。

ずっと笑顔で旅行できればいいな。
22:54 | 二人のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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