02-22 Sat , 2014
神さまってなに?/森達也
これは一度、2010年頃に既に読んでいる本なんだけど、最近わたし自身が「神さまって何?」って考えてるので再読した。

前に読んだときにわたし、この本に対して星を4つ付けてるの。5段階評価で。わたしが星5つ付ける本ってまずないので(読んで自分の人生が変わったとか、相当心揺さぶられたとかそういうのじゃないと5つは付けない)4つというとかなり高評価の部類だ(本の評価は以前はソーシャルライブラリーってアプリで付けてて、今はブクログで付けてる)。

でも、正直、再読する前はこの本に何が書いてあるのかさっぱり忘れてしまっていた。そして2回目、読み始めたんだけど、途中までは「わたし、なんでこの本に星4つ付けたんだろう?」って言うほど面白くなかった。それは最初から「神さまはいる」って前提で話が進められているような気がしたから。いきなり「人間が神を求める理由」ってのが書いてあって、そこには「人間は自分に死があることを知ってしまったために、宗教を求めるんだ」って書いてあって、おいおいって思ったから。いきなりそこかよって。

人が死を知ってしまったために宗教を求めるのも、もちろん分からないでもないが、わたし自身は納得できないのだ。前にも何回か書いたと思うけど、わたしは死後の世界はどうでもよくて。というか、逆にわたしにはあっては困るのだ。魂が生き残るのもいやだ。死んだら一切が消滅しないと嫌なのだ。自分が存在すること自体が苦痛だから。それにいくら「そこでは永遠に心安らかでいられる」と言われても、苦しみや怒りなどの感情がない世界は、逆に楽しみや喜びもない退屈な世界なような気がするのだ。仮に楽しみや喜びだけの世界だと言われても、毎日ずっとずっと楽しみや喜びだけの世界って、そのうちまったく面白くなくなる世界だと思うわけなんだよね。苦しみや怒りなどのマイナスがあるから、逆に楽しみや喜びが何十倍にも大きく感じられるんだと思う。あとずっと心安らかなのも、ただ息をするだけで苦痛を感じている自分にとっては、地獄にいるのと等しく感じられる。わたしが心安らかでいられるのは、この世からもあの世からも抹殺されないといけない。消滅して初めて心安らかでいられるなあと思うのだ。

だからわたしには宗教でいくら「あの世で救われる」と言われても、それだとわたしは救われないのだ。で、「これが宗教の存在理由です、だから神さまはいると人間は感じているのです」と言われても、わたしは納得できないのだ。

この本はそういう説明をしたあとに、仏教、キリスト教、イスラム教の世界三大宗教の成り立ちの話が出てくるんだけど、仏教の部分はとても退屈だった。だからわたしは読んでて「なんでこれが星4つ?」って思ったのだった。なんていうかね~、仏教の教えってわたしには救いがないように感じられるのよね。言ってることは宗教的というよりも哲学的だし、あと「人生は苦しいものだ」と決めつけている感じがする。まぁ仏陀が悟りを開いた頃の民衆の生活はただ苦しいだけだったのかも知れないが、今のわたしはつらいながらも一瞬楽しかったり、面白かったり、心を動かされるときがある。まぁそれで「生きててよかった」とは思わないが、そういうひとときがあるからまだ生きていけるんだという気がしている。けどね、仏教って愛別離苦、というように、愛すらも苦しみなんだよね。ものに執着するのは苦しみだから、ものに執着しないようにしましょうって教えなのだ。これってあんまりだと思わない?なんか仏教の目指すところっていうのが、わたしにはとても「そうありたい」とは思えなくて、だからこそもっと仏教のことを知りたいと思っているのだが。。

あ、なんか仏教に対する文句になってしまった(笑)これは本の感想文だった。

だけどね~。キリスト教に入ってからしばらくして、俄然面白くなった。森節が冴えているというのかな。短く言い切る文章はスピード感があってぐいぐい引き付けられる。というわけで、イスラム教辺りのところで「やっぱりこの本は星4つだ」って確信した。特に最後の最後で「神さまを人間が求める理由」について、一番最初に書かれた「人間は死ぬって知ってしまったから」という理由以外にもう一つ理由があるって書いている。まぁそれも特に目新しい意見ではないのだけれど、でもわたしが最近読んだ本は(キリスト教関係の話だったんだけど)「死が恐怖」とか「永遠の命を与えられると約束することによって人間は平静でいられる」とか、そういう話ばっかりだったので、ちょっと嬉しかった。

ただ、まぁこの本の目的は宗教を説明するだけじゃなく「時には人を狂わせてしまうこともある、宗教とは何かを自分の頭で考えよう」ということなので、わたしの知りたいこととはちょっとずれているんだけどね。それにしても、やっぱりわたしは森達也の考え方や文章の書き方は好きだと思う。だけど、面白いことに、最終的にこの人とわたしが出す結論は違う。本の中に書かれている意見はほとんど「うん、うん、そうだよね」って思うんだけど、最後の最後で彼とわたしは意見が違う。死刑の時もそうだったし、今回もそう。それは自分でもとても面白いって思ってて、森達也の本は自分の意見を押しつけない「自由度」があるからだとわたしは思っている。今回、彼は「だから僕の結論。神さまはきっといる。そう思うことにする。」って書いてある。まぁそうした方が本の治まりがいいから、本当に彼がそう思ってこれを書いたかはかなり疑問だとわたしは思ってるんだけどね(ヲイ)。ただわたしの結論としては「神さまはきっといる」とはっきりとは思えない。「そう思うこと」にはまだしたくない。

っていうか、この最後の章「神さまは存在するの?」に書かれた「神さま」というのは、読んでみた印象としてかなり「キリスト教の神さま」に近いような気がする。仏教の仏のことを言ってるんじゃないような気がする。まぁこの本全般において、仏教の章を除いて、神と仏は明確に分かれてなくてなんかうやむやなんだけど(そこら辺は子ども向けの本なので仕方がないのかな)、そして最終章では宗教と神さまをくっつけて書いているので、印象としては「じゃあ、森達也の言う『神さま』ってどこかの宗教の神さまのことなのかな?」って感じなんだよね。だから、わたしはそこが違う。わたしは宗教とは関係なく、人間は神を求めているんじゃないかなと思っている。求めているからこそ、存在しているように見えるんだと思う。それはあくまでも「見える」んであって、存在しているかどうかはよく分からない。今のところ、わたしはそう思っている。

この本を読んでの感想はひとまずそれなのだけれど、その他に書いておきたいことがもう一つある。

この人がね、この本で言いたいこと。それは上にも書いたけど「宗教にはこういう危険なところがあるよ。だから自分の頭で考えよう」ってことだった。でもさぁ。これって宗教だけの話ではないんだよね。いや、宗教にも絡んでいるのだが、宗教だけというとちょっと違うと感じることがある。この本の中に

これは歴史を学びながらあなたに知ってほしいことの一つだ。特に正義とか善とか、多くの人が正しいとか間違っているとか主張して決まる概念は、とても揺らぎやすくて不安定だ。だからこそ人は間違いを何度も犯す。その瞬間には間違っていることに気づかない。それが正しいと何となく思い込んでいる。そしてあとから首をかしげる。どうしてあんなことをしてしまったのだろうかと。(111p)


読みながらあなたは、今どきこんなことが、とあきれるかもしれない。念を押すけれど、現在のイスラム諸国では、シャリーア(イスラム法のこと)を頑なに守るという国はむしろ少数派だ。でもかつては当たり前だった。罪人の腕や足を切り落とすとき、みんなで手に石を持って投げつけて罪人を殺すとき、いくらなんでも、と思う人はほとんどいなかった。べつにイスラムだけではない。中国でもヨーロッパでもアメリカでも日本でも、歴史を少しでも学べば、人はこれほどに残虐なことができるのかとあきれる。目を背けたくなる。違う生きものだと思いたくなる。
 だからあなたに知ってほしい。人はそういう生きものだ。周りの多くの人がやることなら、つられてためらいなくやってしまうときがある。周りの多くの人が大声を叫ぶことなら、つい自分も同じように大声で叫んでしまうときがある。あとから考えたときには何であんなことをしてしまったのだろうと思うようなことでも、そのときはすんなりとできてしまう。そして宗教はそんなとき、きちんと物事を考えたり悩んだり迷ったりすることを、停める働きをしてしまうことがある。(155p)


と書かれている箇所がある。

わたしはこれを読んで、昨今の日本のきな臭さを思う。国家を無条件に賞賛する人。強さとは自分の主張を強引に押し通すことだと考えている人。真実は一つしかないと思っている人。そういう人たちにも当てはまる言葉ではないか。もちろん、ここには宗教の入り込む余地もある。戦前と戦中の日本がそうだった(このことはこの本の中でも触れられている)。神道は国家に利用された。

しかし、これは宗教だけの話ではない。外国人を差別すること。特定の民族を差別すること。戦争加害を認めないこと。これらは今の日本では直接宗教とは関係がない。関係がないけれど、上の文章になんかとても当てはまるものがあるよね。ちょっと待ってよ。これ読んで「他の国が同じことをやってきたから、日本もやっていいんだ」とか「他の民族が日本のことを貶めているから、日本も他の民族を貶めていいんだ」って、思ってない?でもそれは正しいことなのかな。少しこれについて考えてみた方がいいんじゃないか。「他の人がやってるから、自分もやってもいい」ってなんだかおかしくない?それはこの文章の中の「周りの多くの人がやることなら、つられてためらいなくやってしまうときがある。」に該当しないかな。

かくいうわたしも、もちろん自分の考えがすべて正しいとは思ってない。思ってないけど、やっぱり人を貶めたり差別したりすることは嫌なのだ。それは自分の中では美しくないことだと思っている。「条件付き」の美しさなんて美しさじゃない。「正しい」という言葉が使えないので、美しいと言い換えているが(笑)それだけ「正しい」という言葉は使い勝手のいい言葉なんだなあ~と文章考えながらつくづく思ったりして。もちろん、わたしは自分が美しい人間だとはちっとも思ってないけどね。美しくはありたいと思ってるけど、おそらく永遠に美しくはなれないだろう。そういう意味では意味は全く違うんだけど、キリスト教で言う「罪人」って概念と似てる感じかも。人は生まれながらにして原罪を持っているという。うーん、ちょっと違うかな?(笑)キリスト教はキリストを信じていれば、罪はなくなるんだもんね。わたしのは、永遠に美しくはなれないんだからね。わたしの考えは「性悪説」と言えばいいのか。どう、努力しようが絶対に善人にはなれない。けど、一生、善人を目指して生きるのもいいじゃないって書きつつ、わたしは善人にはなりたくないんだった。。(爆)きっとそうだ。わたしは「善」って言葉が嫌いなのだ。「美しい」は許せるけど。ここら辺、自分でもとても興味深いんだけど、生まれつきの感覚に近くて、多分解析できないことなんだろうな、、

なんて、ごちゃごちゃわけ分かんないことを書いたけど(苦笑)

この本は世界三大宗教について知りたかったら、かなりよくまとまってると思う。前に「ふしぎなキリスト教」を読んだのだけれど、「予定説」についての説明はあの本ではよく分からなかったが、この本読んで「なんだ、こういうことなのか。あれはこういうことを言ってたのね」って思ったほど分かりやすかった。もちろん「ふしぎなキリスト教」とは目的が違って被ってないこともすごく多いんだけど、わたしはね、「ふしぎなキリスト教」はあんまり面白くなかったのよ、、(なので感想は書きません。多分文句ばっかりだろうから)

宗教戦争の説明の部分が多くて「なんでこの世に宗教なんてあるの?」ってつい思っちゃうような本だけど「だから宗教なんて百害あって一利なし」って短絡的な結論を出すんじゃなく、「宗教とはなんなのか」「なぜ人間は神を求めるのか」について、これを機会に考えてみましょうよって感じかな。だってさ、「宗教なんてないほうがいい」「必要悪だ」って思ってたとしても、多分、大部分の人は心のどこかに「超人的なもの」を求めてしまうはずだからさ。

でも僕は思う。時おり感じる。理屈や論理だけでは説明できない何かがある。その何かが何なのかはわからない。でも何かだ。

その何かを神さまと呼ぶ人がいる。(231p)

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