02-19 Wed , 2014
高学歴者の哀しみ
日本社会は学歴社会だ。

中卒より高卒、高卒より大卒の方が世の中で優遇される。

一番顕著な例は仕事だと思う。「職業に貴賎なし」と言われるけれど、
実際は頭脳労働の方が肉体労働より上に見られ、また大企業の方が中小企業より上に見られる。
(もちろん中には「そんなことない!」って思う人もいるだろうが、世間的な風潮はこうだよね)

そして、その「上」と見られている職業に就くためには、学歴が必要だ。
募集要項に「大卒以上」と書いてある求人には高卒は応募すら出来ない。チャンスさえ与えられない。
そして、大卒でも「就職しやすい大学」とそうではない大学がある。
もちろん、難関大学と呼ばれている大学の方がそうでない大学よりも就職しやすい。
要するに日本社会は学歴社会なのだ。
まぁこんなこと、わたしが指摘するまでのことはないのだけれど。

時々「学歴がない」とか「低学歴」って自分のことを思っている人たちの声を聞くことがある。
その人たちはそれで人からバカにされたり、いないことにされたり、不本意な思いを随分しているのだと思う。
それはそれで「正しい」と思うので、わたしは納得しているし、世の中は変わるべきだと思っているし、協力できることはしたいと思っている。

けどね。
一方で「じゃあ、わたしは?」って思いをどこかに持っているのだ。

今までの日記を読んだりすると分かると思うけど、わたしはおそらく「高学歴」という部類に入っていると思う。
高学歴って、どう定義されているのかが分からなくて、一説によると「難関大学を卒業した人」が高学歴だと聞いたこともある。わたしはそうじゃなく、大卒以上が高学歴って言うのだと思っていたのだけれど。。まぁどちらにせよ、わたしの場合は大卒ではなく、修士修了なので高学歴だと思う。最終学歴って、中退は含まず、卒業(修了)した場合のみを言うってどこかで読んだ気がするので、取り敢えずわたしが学歴を言う場合はそこまでにしている。

けど、本当はその上に行っていたのだ。最終学歴とは言わずになんて言えばいいのか分からないけど、わたしは実は博士課程中退している。でも逆にこれを言うとびっくりされるので、普段はまず言わない。まぁその当時、わたしは研究者になるつもりだったので、当然のように博士課程に進学したのだが、結局途中で嫌になって辞めた。うつ病になっちゃったってのも大きいと思う。その当時かかってた精神科の医者に「それは学校を辞めないとよくなりません」って言われたのをよく覚えている。

だけどね~、辞めてどうなるの?っていうのが一番の問題だったのだ。なんてったって、就職先がない。勉強してた分野を生かすには「研究者」しかなくって、その他の道がない。まぁあったとしてもその頃は既に20代後半で、しかも就職は「超氷河期」と言われていた。大卒新人ならともかく、博士課程中退では一般就職のスタートラインすら立てず、本当に本当にどうすればいい?って、とても困ったのだ。

まぁこの先はあまり詳しくは書かないけど、もう道は一つしかなかった。だからわたしはものすごく努力した。今までやったことがないような努力をした。後にも先にもあんな努力をしたことはわたしにはない、と思うほど頑張った。

「学歴がないからスタートラインすら立てない」って言っている人に対して「そうなの!学歴はあるけど、わたしもそうだった!」って本当はとても言いたい。日本社会は均質的な社会なので「普通以外」をとても嫌がる。大卒は「当たり前」なので受け入れる。しかし、そこからはみ出たものは苦労したり努力しなければ、受け入れられないのだ(もちろんどんなに努力しても受け入れられない場合もある)。だからわたしも苦労している人の気持ちはものすごくよく分かるし、だから「わたしだって、すごく苦労してきたんだよ」って言いたい気持ちもある。

だけど、言えない。それは事象は同じでも立場が全く違うから。やっぱり「高学歴」は力を持つものだから。

話は変わるけど、最近ちょくちょく「男性差別」という言葉を聞く。そう言っている人の言い分は「弱者男性もいる」ってことらしいが、でもわたしはそれを聞くたびに腹が立つ。「目に見えない部分で、男性をどこかで享受してるでしょ」って思う。男はまず行動を制限されることはない。やりたいことをやれる。道路で寝てたって何も言われない。女性が道路で寝てたらまず人から何か言われるし、もしも襲われたりしたら「そういうところで寝ているから自業自得だ」と言われるだろう(例えがしょぼいね(笑))。でも多くの男性はおそらく自分が「男性として有利に扱われていること」についての自覚はあまりないように思える。だから「男性差別」なる言葉も発するんだと思う。

「高学歴」もこれと一緒だ。この社会は「学歴社会」だ。学歴があればいいと思われている。だから「高卒です」と言ったときと「院卒です」と言ったときに対して、他人は別の印象を持つだろう。その人に対する態度も変わってくるかも知れない。そういう、目に見えない部分での違いは確実にあると思う。そしてその違いをひしひしと感じているのは、おそらく高学歴の方ではなく、学歴を持っていない人の方が多いのではないかと思う。

だからこそ。わたしは「自分も同じ気持ちだよ」とは言えない、と思っている。だって「同じ」じゃないから。

そう、それは頭ではよく分かっている。

でも一方。「じゃあ、わたしのこの苦労してきた経験や気持ちはないものなの?」とも思うのだ。あんなに一生懸命頑張った、まぁ、その頑張りは一応報われたわけだけども、でも、あんなに苦しくて、一生懸命で、頑張った自分は隠しておかなきゃならない自分なのかなあって。それを思うとちょっと悲しいんだよね。

そりゃ、恵まれてるって思ってるさ。いくら勉強したくても金銭的な面で諦めた人ってたくさんいると思うし。金銭面だけじゃなく、勉強をずっと続けられる環境だったし。本人の努力だけの問題ではないって分かってる。それはそうなんだ。けど、それだけじゃ割り切れない思いもわたしの中には確実にあるわけなんだ。だけど、わたしのこの思いを誰かに伝えれば、きっと傷つく誰かもいるだろう。この文章で、傷ついた人はきっといる。わたしは誰も傷つけたくない。けど、自分の思いもなかったことにはできない。

この矛盾する思い。
18:45 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<神さまってなに?/森達也 | ホーム | 考えても分からない>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://rontako.blog39.fc2.com/tb.php/1731-2c3599f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
AX