01-30 Thu , 2014
理屈じゃないこと
以前、わたしは「見えないものの名前」って題で日記を書いた。高尾にゃんと出会えたことが、どうしても「偶然」とは思えない、何か見えないものの力が働いたんじゃないかって思える、そしてそのような「見えない力」を自分に及ぼすものに、人間は「神」という名を付けたんじゃないだろうか、ということだった。

わたしには宗教でいう「神」はいない。「仏」はわたしの持っている日本的な感覚から「いる」んじゃなくて「なる」もんなような気がしているが、でも今のところ、わたしは「死んだら仏にしてやる」と言われても断るような気がしている。理由はこの世でもあの世でも、どんな形であれ、わたしはもう存在したくないから。

だけど、わたしは人間が神を作りたくなる気持ちは分かる、と思っている。こんなこと言うと何かを信じている人にとても失礼なのだけど、人間は弱い生き物で、どこかに「絶対」と思うものや、今はつらいことばかりだけど、死んだら安寧に暮らせると思うことで、生きている間、安定して暮らせるんだろうと思っている。そしてそれはそんなに悪いことじゃないと思う(カルト宗教などは別ですよ!)。

でも以前はそんなことはあんまり思ってなかった。別に「無神論者です!」ってのを誰に強要するわけじゃなかったけど、神とか仏とかはまだいいにせよ、この世界で「超常現象」って呼ばれているもの、特に精神世界(スピリチュアルって言うんだろうか?)はとても否定的でバカにしていた。まぁ今も否定的でバカにしたい気持ちは大いにあるのだが。。占いとかおみくじの類もそうで、わたしは性格が4種類しかない血液型占いとか12種類しかない星占いなんかはもう長いこと読んでもないし、おみくじも最近は引いたことがない。ああ、これを書くこと自体「こんなもん信じてるなんてね」って根本ではわたしが思ってるってことが伝わってしまうかも知れないなあ。。(汗)まぁああいうものに振り回されて一喜一憂するのはアホらしいなあと今でも少し思っていたりする。

わたしは特にこの世で物理的に解明されていることしか信じないってわけじゃないって思ってたし、自分の目で見たことだからって、それが信用できるとは思ってない(錯覚があるから)。ただちゃんと自分が納得できる根拠があれば、信じられる。ある意味、わたしは理屈的な人間なのかも知れなかった。スピリチュアルなものもそれなりに理屈があるのだろうけれど、なんかどこかで飛躍していると思ったし、そういう意味でわたしにとっては論理的じゃないんだよね。だからスピリチュアルなものは胡散臭くて信じられない。まぁそういうものが多かれ少なかれ、お金に絡んでいることも印象がよくないのかも知れない。石は石で自分が素敵だなと思っているものを楽しめばいいのに、それがなんだかよく分からない「パワーストーン」だのと称されて、その分、金額が高くなっているような気がするのだ。正直わたしはあんまりそういうものに対して好印象を抱いていない。

まぁこんな風にして、わたしはある意味「強硬派」というか割と「原理主義」に近かったのかも知れない。論理原理主義というか、理屈原理主義というか。今でも根本的なことは変わってないと思う。

けど、やっぱりちょっと変わってきたんだよね。まぁいろいろあってね(笑)

例えば、猫が死んじゃったとする。神も仏も自分にはいないし、わたし自身、死んだら無になると思っている。魂などは存在しない。だから、猫はもうどこからみても、消滅したことになる。人が死んだとする。これも消滅してしまって、無だ。あの世にもこの世にもどこにもいない。

そう考えると、多分、悲しみって深いんだろうな~と思う。だって拠り所がないんだもの。

それより「虹の橋」なるものがあって、そこに死んだ動物は生きている姿で走りまわっている。そして、自分が死んだときに、虹の橋で再会できて、そこから一緒に天国に行けるのだ、って思うと「ああ、今は別のところで自分を待っててくれるんだなあ」「自分が死んだらまた会えるんだなあ」という気持ちになって、それは生きている人間にとっての「救い」になる。

大切な人が死んじゃったとしても、その人は空の上でいつも自分を見ていてくれる、とか、あの世で平穏に暮らしてくれてる、とか、天国にいる、とか、いやそうじゃなく、いつも見えない姿で自分のそばに実はいてくれるんだ、と思うことで、生き残った人の気持ちは少し楽になったりすることがあると思う。

そういうものを全部否定したとすれば、喪失感はモロ、人を襲ってくるだろう。まぁそれで自分を克服できる人もいると思うが、世の中にこんなに「死生観」がさまざまあるということは、やはりすべてを否定して生きていけるほど人間は強くできてないんじゃないだろうかと思う(とはいえ、死生観があるからこそ、それに人間が毒されている、という考え方ももちろんあるだろうけど)。

わたしの死生観は上にも書いたとおり「死んだら無になる」で、わたしが死んだ後はこの世に一切の痕跡を残して欲しくない、というものだ(今のところはね。将来的には変わるかも)。だからもし不慮の事故とか突然死したときのことを考えて、彼女には「ブログもtwitterのアカウントもあれもこれもみんな削除してね」って頼んでる。わたしと関わった人すべての人からわたしに関する記憶は抹消してもらいたいって思ってる。

でもね、それは無理なことなんだよね。たとえブログやtwitter、ネット上でわたしの痕跡がなくなっても。わたしがどんなに「記憶を消し去って」と希望していても。だってさ、そう頼んでいるわたし自身の記憶の中には、もう今はこの世にいない人の記憶がずっと存在していて、それは多分わたしが記憶を失うまではずっと存在し続けてるだろうなって思うんだもの。

小学校時代の同級生だった人。その人は18歳のときに亡くなった。その人とは小学校1、2年のときしか同じクラスじゃなかったし、中学以降は別の学校に行ったので、名前は知ってるけどあんまり親しくはなかった。高校卒業してすぐの4月だったかな。亡くなったって聞いて、お葬式に行った。そのお葬式のことが今でも忘れられない。キリスト教形式のお葬式だったんだけど、終わった後に教会の敷地内の建物の中にみんなが集まって、立食式で出前のお寿司を食べた。そのとき父親らしき人が、親戚の人か知り合いの人かは分からなかったけど、多分親しい人だったのだろう。その人を見るなり一瞬泣き笑いみたいな顔になって、ガッシリ抱きついたのだ。そして二人とも抱き合いながら泣いてた。その光景が忘れられなくてね。スローモーションみたいにわたしの頭にこびりついている。春の風の強い夜だった。4月になって、同じような気候になると今でも思い出したくなくても思い出されてしまう。

もう一つ。わたしが小学生の頃だったか、父親の会社関係の人だったかよく知らないが、その人の奥さんが亡くなった。あるとき、家に香典返しが送られてきた。それは緑色のタオルだった。そこに添えられていた手紙に「妻が忘れ去られないように、妻の名前である緑色のタオルを送ります」みたいなことが書いてあった。なぜかわたしにとって、その手紙と緑色のタオルは衝撃的で、どこの誰かは全然知らないけど、あの緑色のタオルを使うたびにそのことを思い出した。そのタオルがなくなった今もタオルを送られた「みどりさん」のことは思い出すんだから、ある意味、そのダンナの思った通りになってるわけだ。

というわけで、わたし自身、亡くなった人の記憶は今でも残ってるのだ。

だからわたしの願いである「死んだら忘れて欲しい」ってことは、絶対に叶いっこない願いだってことは分かってる。だけどそれは故人の意志なんだから、忘れる努力はしろって少し前までは思っていた。

だけど今は逆にわたしが「死んだらもう無になって、あの世にもこの世にも存在しない」って言わない方がいいのかなって思ってる。

それは、そう言うことによって、残された人たちの拠り所がなくなってしまうから。残された人の死生観がどういうものかはわたしには分かんない。けど、もし「常に空から自分のことを見守ってくれている」って思いたい人がいてもさ、わたしが生きてる間中「死んだらどこにもいない」って言ってたとしたらそう思えないじゃん。「空から見守ってくれてると思いたいけど、ろんたこはそんなことあるわけないと言ってた」って思ったら、その人にとっての拠り所がなくなってしまう。拠り所がなければ、ずっとずっと悲しみに沈んだままになっているだろう。もちろんわたしはそんなことは望んでない。だとしたら、死後のことは各人が好きなように思ってくれればいいんじゃないか。葬式は遺されたもののためにあるって言うけど、死生観も遺されたもののためにあるんじゃないだろうか。最近そんなことを考えるようになった(とはいえ自分の葬式や自分の遺骨については、わたしが指示するとおりにして欲しいと思っている)。

そして、わたし自身の死生観。もちろん「死んだら無になる」って思ってる。けど、それを頑なに守らなくてもいいんじゃないか。人間が「神」という存在を作ったように(神さまを信じている人にはとっても失礼な話ですけど)、そのときそのときでわたしが感じる何かを信じてもいいんじゃないか。そう、これは理屈じゃない。「論理的でないから」という理由だけで、自分の悲しみを拠り所のないままにしておいたら、精神的にすごくつらいと思う。理屈じゃないものを信じることは、自分で自分を救うことだ。多分そのときが来れば、わたしは何かを感じるだろう(もしかしたら感じないかも知れない)。でもそれでいいのだ。どういうことを感じようとそれを否定するようなことはよそう、と今は思っている。
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