01-13 Mon , 2014
成人の日に
今日は成人の日ですね。

ってわたしのときは成人の日は1月15日で、役所主催の式典に出た記憶はあるんだけど、正直、中学の同窓会みたいだったという記憶しかない。記念にもらったのは写真立てで、確か後に「不備があった」ってもう一つ送られてきたんだけど、どこをどう見ても何が「不備」か分からなくて、結局2つとも今でも使っている。

ただ、成人式はそのくらいの記憶しかなく、式典のことは全く覚えてないんだよね。

それよりもわたしは自分が二十歳の誕生日を迎えたときのことの方がよく覚えてて。前に書いたかも知れないけど。

二十歳の誕生日、わたしは国立国会図書館に行った。

国会図書館、今は満18歳以上なら入れるみたいなんだけど、その当時は20歳にならないと入れないところだった。わたしの誕生日以前、大学生なら20歳未満でも入れた時代もあったみたいなんだけど、わたしの誕生日の頃は大学生でも20歳超えてないと入れないところだった。だから、20歳になったときに初めて行ってみた。

入館するときに、身分証を見せなきゃならなかったんだけど、もちろんだけどすんなり入れた。

でも、わたしは不思議だった。「昨日ならわたしはここに入れなかったんだよね」って。だってわたし自身、昨日の自分と今日の自分は何ら変わってない。昨日の自分と今日の自分は同じ自分なのだ。なのになんで昨日はダメで今日はいいの?昨日と今日は何が違うんだろう?不思議で不思議でたまらなかった。

今は、、不思議じゃない。それは「人が決めた枠組みなんだ」と思っている。自分が変わっても変わらなくても自動的に「その日」が来てしまえば、権利を得たり剥奪されたりする。それはさ、何も国会図書館に行かなくても、例えばテレビのクイズの応募の「○○日の消印が有効です」みたいなのでも同じこと。すべて人間が人為的に決めたもの。ただそれだけのこと。

ただそれだけのことなんだけど、その権利が与えられたことによって徐々に人間が変わってくるんじゃないかと思う。昨日と今日の自分は違っているようには思えないけど、そこに権利を与えられることによって、社会的な身分が変わり、それによって自分の意識が変わって過去の自分と違う自分になる。日本だけじゃなくこの世界は大人になるほど与えられる権利が多くなってくると思うけど、その権利が自分を再び作り替えていくもんなんだよね。それは義務にしたって同じこと。権利も義務もその後の人間を作り替えていく。そしてあるとき振り返ってみたら、あのときの自分と今の自分がかなり乖離してしまっていることに気が付いて唖然となったりするんだよね(笑)

もちろん、権利や義務を得たりするだけが人間変わる要素ではないけど、人間変わる要素のうちの一つにこういうことがあるんじゃないかな~って思うのだ。

成人の日は個々の誕生日とは違うので、通過儀礼でしかないと思うけれど、二十歳になると日本では成人として扱われることになる。自分自身が気が付かないうちに様々な権利を与えられる。昨日の自分と今日の自分は違わないように思えるかも知れないけど、実は全然違う。でもまぁ「全然違う」と言われてもそのときは自覚できないだろうし、自覚できなくても別にどうってことはない。ただわたしみたいに後から振り返って「あー」って思う日が来るかもね程度の話。
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