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12-31 Tue , 2013
今年も終わり
なんだかあと数時間したら今年が終わってしまうらしい。

けど正直、実感が全くない。身体の調子が悪いからかなあ~。
ほとんど何もせず一日が終わってしまう、というより、何もしないだけならまだいいんだけど、絶えず身体の痛みに耐えてて正直しんどい。
寝てる間は別に痛くないので、寝てる間だけは幸せ。

最近「祈ること」について考えている。

祈るって、生まれつき人間が持っている行為なんだろうか?
人は一般的に誰に向かって祈りを捧げてるんだろう?
なぜ人は祈りたくなるんだろう?

わたしは最近「神や仏に対して何か願い事をするのは間違ってるんじゃないか」と感じている。
だって、いくら祈ったって願いが叶うわけないもん。
例えばとても不幸な境遇の人がいたとして、その人のために祈ったとしても、
それは単なる自己満足でしかないんじゃないか?って思う。
それだったら、自分が何かその人のためにできるかを考えて、それを実行する方がよっぽど建設的じゃないかと。
もちろんその人のために自分は何も出来ないことがある。
きっとそういうケースの方が多いだろうと思う。
でもだからといってそこで祈ってしまったら、そのことはそれで忘れてしまうのではないかと。
それだったら何もできない自分を自分の中に深く刻み込ませておいて、
その人のためには何も出来なくても、いつか、誰かのために何かできるように忘れないことが大切なんじゃないかと。

それ以外にも自分のために祈るってこともあるだろう。
「病気が治りますように」とかさ。
でも、祈って治るんだったら医者はいらないよね。
てか、自分自身、何度も何度も病気がよくなればいいなって願ったけど、物理的に考えて、病気は原因をなんとかしなければよくならないわけで。祈っただけで治ったというのなら、所詮その程度の病気だったってことだろう。
なので自分のために祈るのもなんだか無駄なことという気がしている。

でもだとしたら、一体何を祈るのだろう?
願望ではないことを祈ることって一般的に存在するのだろうか?

もちろん何かに祈ることによって、精神的な安定効果はあるかも知れない。
けど正直それだけじゃん、って感じがする。
それが大きいって人もいると思うけど、わたしは精神的な安定はあんまり祈ることと関係ない。

でもそれでも何かに祈りたくなるときがある。
それが考えても考えてもよく分からないのだ。
その都度「なぜわたしはそんな無駄なことをしたいと思ってしまうのだろう?別に誰が願い事を叶えてくれるわけじゃなし」と思う。

願う、ということと、祈る、ということは別なんだろうか。
願わない祈りがあるのだろうか。

前に書いたけど「神」は今のところ、わたしは人間が作った概念だと思っている。
だから祈る対象はそういう「神」でもいいんだけど、「祈る」という行為がどこから来るか。
なぜ祈っても誰かが願いを叶えてくれるわけじゃないのに祈りたくなるのか。
祈るという行為は自分にとってなんなのか。

なにか参考文献とかないかな~。

というわけで、この課題は来年に持ち越し。
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