08-15 Thu , 2013
8月15日におもう
正直今日は日記は書くつもりはなかった。
6日と9日に書きたいことは書いたつもりだし。

でも今日の正午に行なわれた「全国戦没者追悼式」をテレビで見て気が変わった。
首相の挨拶からはアジアの人に対する加害、反省の言葉がなかった。不戦の誓いもなかった。
あるのは「お国のために戦った」人への「美しい日本を守るため」「愛する家族のために」といった「美しい」言葉ばかり。表面的な言葉の羅列に背筋がゾッとした。「きけ わたつみのこえ(日本戦没学生の手記)」でも読んで学生たちがどんなに「死にたくない」と思っていたか知れ、と言いたかった。まぁこういう人は「生きたくても生きられなかったお国のために尊い命を捧げた立派な人たち(英霊)」という言葉に代わっていくのだろうね、この手記を読んでも。決して「反戦」には行き着かないんだろう。それを思うと絶望的な気持ちになる。

わたしは偶然、一昨日から昨日にかけて「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)という本を読んだ。この本を初めて読んだのはいつだったか、わたしは全く覚えていない。けど、ものすごく感動して自分の手元に持っておきたいと思って岩波文庫から出ているこの本を買った。その本の版が'83年12月(第8刷)ってあるから、少なくともわたしが中3の12月以降だってことが分かる。だからおそらく中学時代にこの本を初めて読んだんだと思う。

それ以来、わたしはこの本を幾度も繰り返し繰り返し読んだ。その割には内容をちっとも覚えてなくて毎回「ああ、そうそうこんな話だった」って思うのだが、今回は久々に読み返してその内容をちっとも覚えていない割には自分が生きるにあたって大切にしようと思っていることがこの本に書かれていたので逆に「内容は覚えていなくてもわたしの血となり肉となっているんだなあ」と感慨深かった。わたしも40代となり、それなりに「自分らしさとはなんなのか」について、ある程度答えが出てきているような気がした。

そしてこの本で最も重要な話だと思っている「雪の日の出来事」「石段の思い出」の章を読んで、今まで考えたことがない考えが思い浮かんだ。

この本の主人公はコペル君って少年なのだけれど、他に親しい友人が3人いて、そのうちの一人が普段の彼の言動から上級生に目を付けられてしまう。そして上級生が彼に制裁を加えるかも知れない、という噂を聞いたとき、コペル君を始め仲間の3人は「そういうことがあれば君を守るよ」って約束をしたのだけれど、実際そういうことが起きたとき、コペル君だけ逃げちゃったんだよね。「仲間がいたら出てこい!」って上級生に言われたんだけど、コペル君は怖くて出て行けなかったの。それが雪の日の出来事。

その日からコペル君は熱を出して肺炎になりかけ、半月くらい学校を休んじゃうんだけど、その間仲間の3人に対してどのようにすべきか、あれこれ考える。言い訳もたくさん考えて「これならつじつまが合うんじゃないだろうか」って思ったりする。けど、それによって相手は納得させられても、自分自身だけは本当は逃げたという自分を知っている。そしてついには「謝りたい」と思う。しかし、謝ったところで相手が許してくれるとは限らない。それが怖くてコペル君は手紙を出せずにいる。そしてそのことをコペル君の母の弟、おじさんに相談するのだ。

おじさんはすぐに「(上級生に目を付けられていた友人に)手紙を書きなさい。手紙を書いて謝りなさい」と言うのだけれど、コペル君は「それによって許してもらえるかな?」とおじさんに言う。おじさんが「それは分からない」というとコペル君は「じゃあ、僕、いやだ」と答えてしまう。そこからのおじさんの言葉がおそらく一番重要だ。

「潤一君!」

 叔父さんは、もうコペル君と呼ぶのをやめて、まじめに話しかけました。

「そんな考え方をするのは、間違ってるぜ。-君は、友だち同志の堅い約束を、破ってしまったじゃないか。黒川(上級生)のゲンコツがこわくって、とうとう北見君(コペル君の友だちで上級生に目を付けられている子)たちといっしょになれなかったじゃないか。そして、自分でも悪かったと思い、北見君たちが怒るのも仕方がないといっている。それだのに、なぜ、そんなことをいうんだい。なぜ、男らしく、自分のしたことに対し、どこまでも責任を負おうとしないんだい。」

 コペル君は、鞭でピシピシと打たれているような気持でした。叔父さんは、構わずはげしい調子でつづけました。

「北見君や水谷君(コペル君の友だち)から絶交されたって、君には文句いえないんだぜ。ひとことだって、君からいうことはないはずだぜ。」

 コペル君は、目をギュッとつぶって、切なそうな顔をしました。

「そりゃ、仲のよかった友だちと、こんなことから別れてしまうのはつらいさ。」

と、叔父さんは静かな調子に戻っていいました。

「北見君たちに仲直りしてもらいたいッて気持は、叔父さんだってわかるよ。でもね、コペル君、いま君はそんなことを考えていちゃいけないんだ。いま君がしなければならないことは、何よりも先に、まず北見君たちに男らしくあやまることだ。済まないと思っている君の気持を、そのまま正直に北見君たちに伝えることだ。その結果がどうなるか、それは、今は考えちゃあいけない。君が素直に自分の過ちを認めれば、北見君たちは機嫌を直して、元通り君と友だちになってくれるかも知れない。あるいは、やっぱり憤慨したまま、君と絶交しつづけるかも知れない。それは、ここでいくら考えて見たってわかりゃしないんだ。しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。だから-、だからね、コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ。どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく堪え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。考えてごらん、君がこんどやった失敗だって、そういう覚悟が出来ていなかったからだろう?一たん約束した以上、どんな事になっても、それを守るという勇気に欠けていたからだろう?」

わたし、これ読んで「日本の戦争加害責任」というのが思い浮かんだ。前も書いたけど、この本は何度も何度も繰り返し読んでいる。しかし、この部分を読んでそんなことが思い浮かぶのは初めてだ。ちなみにこの本はそういうことは全然想定されて書いていない。なぜならこの本は1937年(昭和12年)に出版された本だからだ。それでもこの部分を読んで「日本の戦争加害責任」が思い浮かぶのは、わたしが日本がどうすればいいのかが明確に表わされているからだと思う。そして今の、いや、今までの日本がそうしてこなかった、そして今の日本がそうするつもりが全くない、というのが本当に悔しくてたまらないからだと思う。

「なぜ、男らしく、自分のしたことに対し、どこまでも責任を負おうとしないんだい。」
「しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。」
「どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく堪え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。」

まぁわたしとしては何回も「男らしく」って出てくるのが引っかかるんだけどさ(笑)わたしはこの言葉をそっくり今の日本で「いつまで謝ればいいんだ」とか「いつまでも謝り続けるのは自虐史観だ」とか「謝り続けたら日本人としての誇りが持てない」とか「謝り続けたら相手に付けいる隙を与える」って言ってる人に言って聞かせたい。我々はそういうことをしてしまったのだと。そしてその責任は我々で負わなければいけないんだと。そして「謝ったからもういいだろう」って思うこと自体が誤りなのだと。

だってさ、例えば自分自身のことで考えてみるけど、もし万が一、アメリカが「原爆落としてごめんなさい」って言ったとしても、わたし、許せないもん。許す気もないもん。そんなこと言われても父親が被爆者なのは変わりないし、わたしも被爆二世なのは変わりのないことだもん。「ごめんなさい」って言われるんだったら「だったら元に戻せ、それだったら許してやる」って言いたいもん。でもそんなこと絶対にできっこない。だからいくら言われても絶対に許せない。それと同じだと思うんだよね。いくら謝り続けたって、被害を受けた方は絶対に許すことは出来ない、自分自身のことを考えてもそう思う。

しかし、では一体その中で「謝り続ける」ということはどういうことなんだろうかと考えた。わたしがいくら被害者であるアジアの人たちに直接「ごめんなさい」と言っても所詮個人対個人の話でしかないし、そう言われた人たちは却って困ってしまうだろう。わたしが個人のアメリカ人に「原爆落としてごめんなさい」って言われてもなんとも言いようがないのと同じだ。ではどうすれば謝り続けることなのかなって思ったんだけど、それはやっぱり「もう二度とこのようなことはしません」ってことなんだろうと、わたしという個人としてできることはこれくらいしかないように思うのだ。

「できるのかな」「そこまでの覚悟はあるのかな」って思う。平和な世の中で「戦争反対」と言うのは簡単なことだろう。けれどもし、これからの日本が戦前のように言いたいことが言えない世の中になってしまって、国に不都合なことを言えば弾圧されて殺されるような時代が再び来たとしたら、その中でそれでも「戦争反対」って言い続けることはできるのかなって。正直、怖い。そこまでの強い気持ちが自分に持てるか、それはよく分からない。だけどそれを言わないといけないんだ、って、そう言えたらこの文章もちょっとはさまになってカッコよく見えるんだろうけどね(笑)、でも、わたしは嘘が書けない。もしそうなってしまっても「戦争反対」って言い続けることができる、って自信が今の自分はあるかどうか、よく分からないんだよ。。ない、というわけではないのだけれど。。

だからこそ、普段から言っておかなければならないんだと思う。段々、わたしの望むような日本でなくなってしまっているけど、今はまだ言える。だから今のうちに言っておかなければと思う。それがわたしにできること。わたしのアジアに対する人たちに「ごめんなさい」と言い続ける姿勢。それを認めてもらおうとは思っていない。ただ「ごめんなさい」と言うのみ。
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