08-09 Fri , 2013
8月9日午前11時2分
今日は長崎の原爆の日。

広島に比べると影が薄いと思ってしまうのだが、どうだろうか。まぁ昔のわたしも今日が長崎に原爆が落とされた日というのは知ってても、11時2分に黙祷なんかしなかったからね。気が付いたら過ぎてた、っていうのがいつものことだった。あとはやっぱりうちは広島の方に関係があるので、広島の記憶の方が強烈ってのはあるかも知れない。

例えば黙祷の時刻。広島の時は未だ行方不明な身内のことを考える。「あの日、あのときどこにいたのですか。どこで原爆に遭ったんですか」って。1分間、ずっとそんなことを考えている。しかし、長崎の場合は身内はいないし、そういう点で当事者じゃないからそういうことは考えない。だから却っていろんなことが頭の中をぐるぐるする。あのとき原爆に遭った人々。水を求めた人々。後遺症に苦しんだ人々。残された遺族。もう再びそんな世界にしてはならない。平和な世の中を作っていきますから見守っていて下さい、等々。。まぁおそらくだいたいの人と同じことを思ってると思う。

それと長崎には自分と関係のある身近なエピソードがない。だから、やっぱり影が薄い。

でも、、それだからこそ広島にも長崎にも無縁な人って原爆投下って言われてもピンと来ないんじゃないかなあ、とも思う。わたしも長崎はピンと来ない。広島の原爆のことは身を引きちぎられるような感じがするけれど、長崎は一般的な話としか感じられない。当事者じゃないってそういう感じなのかも知れないね。それはある程度は仕方ないと思う。けど、平和は誰しも無縁なことじゃない。平和な世の中があって、今の自分の暮らしがあるのだ。それを考えたとき、やっぱりもう少しは身近に感じて欲しいよなって思う。

何度目かの長崎の平和祈念式典(最近、特に気になって言うけど、広島は平和「記念」式典で、長崎は平和「祈念」式典で字が違うのよ)を今日、テレビで見て「ああ、いつか長崎の式典に行ってみたいな」って思った。中継時間の関係かも知れないけど、長崎は城山小学校の生徒が歌う「子らのみ魂よ」と純心女子高校の生徒が歌う「千羽鶴」があって、それがかなり後に残る。年に1回聞くだけだけど、メロディーを聞くと思い出す。その歌を、生で聞きたいなあって思ったのだ。広島の方は中継時間が35分しかないので、かなり忙しい感じだし、原爆投下時間前に流れる音楽がすごくおどろおどろしくてわたしは好きじゃない。できれば聞きたくない。あれが流れると「ああ、またこの曲を聞かなければならないのだ」って思ってしまう。以前、1回だけ広島の式典に行ったことはあるのだが、あれだけでもういいって感じ。それに比べると長崎の式典はなんだかさわやかな感じがするのだ。平和祈念式典にさわやかもおどろおどろしいもないと思うし、どっちがいいとか悪いじゃないけど、原爆投下時間の関係なのだろうか、なんだかそういう感じがするのだ。長崎の平和公園は1回行ったことがあるけど、もう一回、今度はじっくり周囲を見てみたいと思う。

それにしても今日の長崎市長の平和宣言はよかったと思う。広島よりよかったと思う。言ってることは大した違いは実はないのだが、長崎の方がきっぱりと政府に抗議していてよかった。アメリカ大統領とロシア大統領に核廃絶を呼びかける姿勢もよかった。そして被爆者による平和への誓いがとてもよかった。まぁ核兵器のみならず原発にも反対する、平和憲法を護るというわたしが考えていることと同じことを言ってくれた、ってのはあると思うけどね。しかし、後何年後かには被爆者による平和への誓いはできなくなるんじゃないかなあって、そんなことを思いながら聞いていた。広島は子どもに平和を誓わすんだけど、圧倒的に被爆者の話の方が説得力あるんだよね。だけど被爆者は年々少なくなっていくわけで。話せる被爆者がいなくなったら、長崎は一体どうなるんだろうなって思った。二世が話すにしろ、自分自身の体験じゃないからなあ。

それにしてもtwitterをしてるといろいろ目にするのがつらい文字列が目に入ってきたりする。被爆者はアメリカに抗議しろだの、悲しむより戦え、だの。アメリカに抗議しないのは「自虐史観」なんだそうだが、確かに日本は敗戦国であるということから、アメリカには抗議できない、という背景があったのは否めないだろう。抗議しても仕方がない、と思ってしまう部分はあると思う。が、被爆者が求めるのは「世界恒久平和」だ。アメリカ一国に訴えても仕方がない。逆に原爆に遭った「被害」のみを取り上げて、その原因を作ったアメリカに被害を訴えるというのみに「矮小化」させないでくれ、と思う。もちろん「自虐史観」って言う人は被爆者が「世界恒久平和」を訴えることこそが既に自虐的にねじ曲げられた結果だ、と言いたいんだと思う。しかしわたしは例えそれが事実だとしても、この世の中のためには「世界恒久平和」を訴える方がよっぽど人類のためになると思う。戦争は一部の人が莫大な利益を得るもので、大多数は不幸になる。自由は剥奪され、無理矢理戦いに駆り出される。それを人々は望んでいるのか?決してそうではないと思うのだが。

また、被爆者は悲しむより戦え、というのは、例えば「すべての同性愛者はカミングアウトして戦え」と言われているのと同じだ。まぁこれを言ったのはアメリカの映画監督だそうだから、同性愛者に対してもみんなカミングアウトして戦えと言うんじゃないかとは思うが。。戦う、戦わないは個人の自由だし、世の中に訴えたい人もいればそうでない人ももちろんいる。わたしなんかは戦うより悲しむ方だから「戦わなきゃダメじゃないか」と言われるのは非常につらい。逆になんでアンタにそんなこと言われなきゃならないのだ、と思って余計に悲しい。反論するのもつらい。でも言われっぱなしもつらい。どちらにしてもつらくて悲しいんだから、そういうことはどうぞ言わないでくれと思う。

ただアレだね、被爆者がアメリカに対して抗議しない、ということを捕らえて「従軍慰安婦も日本に被害を訴えるな」って思う人いるだろうな。。そこで「韓国も中国も日本に謝罪要求してもいい」って言うとまた「自虐史観だ」って言われるだろうな。だいたい「自虐史観だ」って言う人の思考って分かってて(笑)、まぁなんでも「自虐史観だ」って言って人を貶めてたら楽だろうなって思います(笑)

あのね、加害者は被害者に「アンタにはもう謝ったからこれでいいだろう」って権利はないの。それを決めるのは被害者なの。だから加害者は被害者が納得してくれるまで謝り続けなければならないの。原爆に対して言えば、加害者はアメリカで、だから、アメリカが被爆者に対してどうするか考えるべきことなの。例え被爆者が謝罪を求めてなくても。日本は日本で加害を加えたことがあるのだから、それについてひたすら考えるべき。こう言うと「加害の事実はない」とか「そんなこというから中国韓国に舐められるんだ」とかって意見が出てくるんだろうな。しかし、わたしの祖父は戦時中、中国でひどいことをしてシベリア送りになって戦後、長いこと日本に帰って来られなかったのだがね、、

なんか長崎の原爆の日からつらつらと思ったことを書いてしまった。

【追記】平成25年、長崎市長の平和宣言。

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久


同じく、平成25年、被爆者代表の平和への誓い。

 今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主食のカボチャを食べた後、すぐに寝ました。

 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空壕(ごう)まで逃げました。

 防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦げになっている人、皮がペロリと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えたわが子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれぼうぜんと立っている人々の姿がありました。まさに地獄絵図でした。

 やがて起こった火事に追われ、長与の臨時治療所にたどり着きました。その翌日から疎開先の自宅で療養しましたが、2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次々と亡くなっていく話を聞くと、次は私の番かと恐怖の中で死を覚悟したものでした。私はそのときまだ、放射能の怖さを知りませんでした。

 幸いにして、私はこうして生き延びることができました。今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。しかし、いまだに核実験が行われ、核兵器の開発は進んでいます。もし核兵器が使用されたら、放射能から身を守る方法はありません。人類は滅亡するでしょう。

 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。それなのに、先に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。

 その一方で、世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被ばく者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことがあらためて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。

 ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

 そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、二度とあのような悲惨な体験をすることがないように、被爆者のみなさん、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。長崎では核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願って活動を続けている高校生、若者がいます。彼らが集めた署名は100万筆になろうとしています。

 この高校生たちに励まされながら、私はこれからも被爆の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべての大人の責任です。

 ここに、私の願いと決意を述べて、平和への誓いといたします。

 平成25年8月9日

 被爆者代表 築城昭平

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