01-29 Tue , 2013
佐藤家の朝食、鈴木家の夕食
昨日の夜にBSジャパンでやってた「佐藤家の朝食、鈴木家の夕食」。

見た。

言いたいことはたくさんあるのだが、果たしてそれが適切なものであるかどうかは分からない。というのもわたし自身の中には「一般の人に知って欲しいレズビアンマザー、ゲイファザー像」ってものがあって(その実わたしはレズビアンマザーの実体についてもよく分かってないのだが(汗))どうしても「啓発的」なものを「善」としてしまう傾向にある。なので感想には多分に「これじゃ一般の人に誤解を受けてしまう」ってことが含まれていると思うのだ。それが果たしていいのかどうかは分からない。一つの作品として見なければと思うが、他に同じような作品がいくつもあるのなら「まぁこの作品はこうだよね」と言えるのだが、作品がこれしかない以上どうしてもこれが「代表」として見てしまう。だからわたしの感想には当事者として「この反応はおかしいんじゃないの?」ってのと内容的に「キャラクターの心の動きが引っかかる」ってのと「ここ、こういう書き方したら誤解を受けるんじゃないの?」って少し啓発的なものがそれぞれ入り交じってるところがあると思う。それをごちゃごちゃにして感想を書いてみたい。

まず、最初に2つの家族がすきやきを食べてるシーンで、片方のカップルがゲイカップル(というか、片方はバイセクシャルだから厳密に言えばゲイカップルではないのだけれど、ここではゲイカップルって呼ばせてもらう)ってばれたとき、なぜレズビアンカップルの方は「実はうちもそうなんです」って言わないのかってこと。これ、当事者にしてみれば結構不思議。当事者というのは心のどこかで同類を求めていて、例えば街で女性同士、男性同士歩いてる人を見かけると「あれはカップルではないか」と思っちゃうんだよね、習慣的に。そして心のどこかで「カップルであるといいなあ」という期待感も同時にあったりする。だから片方がゲイカップルって分かったら「あー、実はうちもなんです」って絶対に言うと思うんだよね。なのになんであそこで「同性愛カップルは近年増えてますからね。うちはそういうの全然気にしませんから」とか「うちは違います」ってことを言うのか、それがとても不自然に思えて仕方がなかった。

不自然と言えば、その次、ゲイカップルとその子どもが帰った後、レズビアンの人が「複雑って言うか、なんか変な家族ね」って言うんだけど、それを自分たちが言うか?って感じ。正直不自然。この台詞をわざわざ言わせたのはそれを受けて子どもが「うちの家族も変じゃないか。母親が2人なんて」って、この台詞を言わせるための台詞としか思えない。この台詞を言うことで視聴者に対して「ああ、この子どもは親のことで悩んでいるんだ」ってことを分からせるための台詞だとしか思えない。だから無理矢理言わせられた感があるのだけれど、でもやっぱりどう考えても自分ところと同類の家族に対して「あの家族なんか変」って言うのはどうも変だと思ってしまう。

あとそうそう、すきやきのシーンでゲイカップルの一人(バイセクシャルの人の方)にレズビアンの人が結婚を勧めるシーンがあるんだけどあれもかなり不自然。まずヘテロであったとしても初対面の人にいきなり言うか?ってのと、多かれ少なかれレズビアン自身も周囲から「結婚しないの?」と言われた経験はあるはずで、それがどんなに嫌なことかは身に染みて分かっているはず。だから他の人が結婚していないからと言って「いい人いますよ、紹介しましょうか」なんて絶対に言わないと思う。だからあそこのシーンもわたしからするとかなり不自然。

レズビアンカップルの方の子ども(息子)はどうやら同性愛について嫌悪しているらしかったんだけど、それはわたし、この子自身「自分はゲイじゃないだろうか」って悩んでいるからホモフォビア(同性愛嫌悪)が強いんだと思ってた。ゲーセンで友達にお金を渡すシーンとか、友達の手と自分の手が当たったときに思わず自分の手を引っ込めるシーンとか、あと決定的だったのはゲイカップルの子ども(娘)に対して「俺なんか同性しか愛せない血が流れてるみたいだし」と言ったシーンがあったし、ゲイカップルのゲイの人に対して「本当に女とは付き合えないのか」って聞いたシーンもあったし(ちなみに「(もう片方の人は)どうなのか」と息子に問われ「それは人のプライバシーに関わる問題だから答えられない」と答えたゲイの人の回答は素晴らしいと思った)、だからこそ、息子はホモフォビアが強く娘より両親を受け入れられないんだと思ってた。

けど、ゲイカップルの子ども(娘)に「じゃあわたしで試してみる?わたし、女だよ」って言われてセックスしちゃうんだけど、あれを持ってめでたくヘテロだったってことになるのかしら?わたし、この物語ではここのところがきちんと回収されてないって思っちゃうんだよね。女とセックスできたらゲイじゃないの?それはちょっと安易すぎない?同性の友だちに対する思いは一体何だったの?女とセックスできたらそれは消えちゃうの?ここんとこ、息子の心理がよく分かんないんだよね~。もっとここのところは丁寧に描いて欲しかったなと思ったりする。自分がゲイではないってことと、自分たちの母親を受け入れるってことは別問題だと思うのね。でもそれがなんかいっしょくたになってしまっている。

いっしょくたといえば、教師が三倍体と遺伝子組み換えの問題をごっちゃにして話してるんだよね。わたし、生物はあんまり得意でないので合っているかどうかは少し自身がないのだけれど、三倍体は自然界でもごく少数に存在しているよね。三倍体=遺伝子組み換えではないよね。授業中の説明にもあったとおり、三倍体ってのは、四倍体と二倍体が結合してできるものであって、それは遺伝子を操作した結果ではないはず。授業中、教師が息子に質問したのはあくまでも三倍体に対する「問題は何か」って聞いたんだと思ったんだけど、それに対する教師の答えって「遺伝子組み換えの怖さ」ってなんか違わない?

しかも「同性愛は自然ではない」ってことと「人工的に作られたものは不自然である」ってことを一緒くたにして語らせてる場面もあったよね。あの子供たちが父親の車で逃亡して見晴らしの良いところに行って話すシーン。あそこでは「種なしスイカ」についての話だったけど、種なしスイカ自体は三倍体であって、決して自然界に存在しないものではない。ごく少数だけど自然に有り得る話だ。まぁ確かに不妊ではあるけれどもね。そして同性愛も不妊ではあるが決して自然じゃないものじゃない。同性愛者にとっては同性を愛することは自然なことであり、作られたものではない。「子どもができない組み合わせ」は決して不自然なことじゃないと思うのね。そこんとこを打破して欲しかったなーと思う。結局あのシーンは娘が「だけどわたしは種なしスイカは好き」ってところで終わっちゃってて、なんだよ、好き嫌いの問題かよって思ってしまう。

それにしても人工的に作られたものは不自然であるって誰が決めたんだろう?そして不自然なものがそんなにいけないことなんだろうか?しかし、人間が生活する上では人間の手で作った「不自然なもの」に囲まれているではないか?パソコンにせよ、ハサミにせよ、ちり紙にせよ、電卓にせよ(ってこれは今、わたしのPC机にあるものを並べてみただけ(笑))。「不自然なもの」に囲まれているクセになんで子どもや家族の関係は「自然なもの」じゃなきゃいけないのか?息子に「種なしスイカは人工的で不自然」って言わせたのは「同性愛は不自然」って言わせたかったためで、それを回収する納得いく言葉がなかったのはわたしにしてみればとても残念だった。それを回収する言葉が好き、嫌いという好みの問題にされたようでなんだかなぁと思った。

しかもこれはわたしが思いっきり気に入らないシーンなんだけど、娘がパパに迫って、それから父親に「パパとお父さんの子どもを産んだら、わたしたち家族になれるのかな」っていうシーンがある。これって思いっきり血縁に拘ってないか?血が繋がってなきゃ家族じゃないの?子どもがいなきゃ家族じゃないの?夫婦は血が繋がってないよ、普通。夫婦だけの家族は家族じゃないの?自然じゃないの?

実はわたし、娘はそこら辺のこと理解してると思ったんだよね。でも最後の方で実は母親(の手)が欲しかったんだとか、血が繋がってなきゃ家族じゃないと思ってるとかって分かってすごくがっかりしたんだよね。だったらあの最初のパパと父親に囲まれて幸せそうな姿をしてたあれは何?って思っちゃうんだよね。息子に対して「自分はパパとお父さんの子どもだ」って言い切った、あれは何?って思っちゃうんだよね。

わたしとしては、どうしても「こういう家族だってなんらおかしくない」ってところを少しでも見せて欲しいって思っちゃうんだよね。「血が繋がってなくても、母親が2人でも父親が2人でも家族は家族だ」ってことをもう少し肯定的に描いて欲しかったんだよね。それはさ、上で書いた「啓発的なもの」に該当すると思うのだけれど。でもこの作品を見ると、あんまりそういうのは伝わってこなくて、多分、そういうのは別に伝えなくていいって思ってんだろうなって見ながら思った(それとも他の人にはそういうことが伝わってくるのだろうか。わたしの感じ方がおかしい?)。

あとさ、ゲイカップルはお互い相手のことを愛し合ってて、そして結構娘のこと二人とも親バカで心配してて娘のことすごく愛してるんだろうなって分かるんだけど、レズビアンカップルの方はどうもキーキー言ってるばかりに思えてしまって仕方がなかった(冒頭に2人のキスシーンはありましたけどね)。息子がおじさんに「なぜ(お姉さんカップルに)精子提供することを承諾したのか」と言われて、おじさんが「姉さんは明るさだけが取り柄だったのに、、うんぬんかんぬん」って答えたけど、正直姉さんは明るさが取り柄って性格には思えなかったし、むしろ息子の態度でおろおろする頼りない母親に思えたんだけど。。子供を産んで性格が変わったのだろうか、という風に見えた。

それから最後の方、弟に結婚を勧めるシーンがあるんだけど「家族っていいものよ」って、独り身のままじゃダメなわけ?子供を持たないと「家族」じゃないの?もしかしてこの作品、そのことが「最も言いたかったこと」なのか?

ここんとこ、すごく幻滅したんだよね。まぁわたし個人としては「恋愛は絶対にしなければならないものなわけ?」とか「人を愛するのって無条件にすばらしいことなわけ?」とか思ってるので、こういう言い方をされるとすごく反感を持つんだよね。その人が本当に結婚したくてたまらないんだったら、誰かを紹介することはいいかも知れないけど、そういうことを言わない人に対してまで結婚を勧めるようなことは避けるべきだ。その人はもしかしたら異性愛者でないかも知れない、誰も愛さない人かも知れない、今の生活で十分満足って思ってる人かも知れないから。上にも書いたけどレズビアンって割と周囲から「結婚しないの?」とか言われて答えられなかったりして嫌な思いをしてきてるはずだから、まずこういう話は無防備にはしないと思うんだけどね、、

まぁこういう考えも多分に「啓発的」なのかも知れないし、この作品を作った人はそういうことは別に描きたくなかったのかも知れない。わたしはこの作品について「こうあるべきだ」という意見を押しつけるつもりはない。これはわたし個人の感想だ。だからこの作品がわたしと合わなかっただけ、とも言えるのだ。だけどやっぱりわたしが期待していたこととは別の方向に行っちゃってるので、わたし自身はこの作品については「うーん」って思うんだよね。まぁあと息子の性的指向を初めとして「回収してない話があるじゃん」とか「結局みんなこれで満足しちゃったの?」ってのはある。最後、収束した感じで終わってるけど、わたしはなんかあんまり収束したって感じを持てなかったんだよね。だからある意味「消化不良」に感じる部分がある。

それとこれは蛇足かも知れないんだけど、これってたかが3日やそこらの話だよね(詳しく数えたわけじゃないから分かんないけど。ただ数日間に起こったこと、ってのは間違いないと思う)。だけどなんか時間配分が悪いような気がしたんだよね。息子がおじさんと会って、実はおじさんの子どもだったって分かったときなんて、一体何時間あるの?って感じだった。一旦家に戻ってきたりおじさんとさらに会ってバッティングセンターに行ったり景色の良いところまで行ったり。その間、母親たちはずっと子どもの帰りを待って全然ご飯食べてないのもちょっと違和感があった。何時間も待たされて「先に食べてましょう」ってことにならなかったのかな。

それから、娘は生理になって数日間しか経ってないのに湯船に入ったり(別に入れないことはないけど)SEXしたりしてる(別にできないことはないけど)。そこは「女」の当事者として「えー、これはちょっと生理終わるの早すぎでは」とか思ってしまった(爆)まぁここら辺の感じ方は個人で違うかも知れない。

それから娘が息子に「性別なんかなければいいのに」みたいなことを言ったあとで「でもスカートはけなくなるからやだ」みたいなことを言ってたけど、わたしはその論理がよく分からなかった。それだったら男がスカートはけるようになればいいだけの話じゃない(笑)女からスカートを取り上げる必要はないじゃない。

最後にキャストについて言ってみると、まずはつみきみほ。これはもう「櫻の園」好きなわたしとしては「おー、あの杉山さん!」って思ったね。しかも歳取ってもしゃべり方はあんまり変わってないみたいだったから、杉山さんを彷彿とさせ、まるで杉山さんの未来がこうなってるような感じがした(ただし、杉山さんは高校時代は不良だったのでそこのところは齟齬はあるが)。ちなみに「櫻の園」ではわたしは志水部長が好きでした~(笑)

それから池田政典。わたし、この人のデビュー曲「ハートブレイカーは踊れない」のときを知ってるんだよな~。あれから25年くらい経って、こんなに渋くなってるとは思わなかった。今回、このドラマで唯一まともなキャラだったかなと思ったりした。いい役ではあったよね。

ってわけで、なんか文句ばっか書いた感想だけれど、やっぱりちょっと個々の人物(特に息子と娘)を描き切れていなかったような気がする。「なんでこれがこうなるの?」って場面がちょっと多かった。最後は息子も母親たちを受け入れられたようだけど、そこもあんまりよく分からなかったし。娘の「パパたちの子供を産めば血の繋がった家族になれるのか」という問いの答えはなかったような気がするし。しかも息子と娘はくっつきそうな予感で終わってるし(片方の子どもが娘で片方の子どもが息子だったことから最初からそういう予感はあったんだよねー)。娘の方は最初から息子に興味があったようだが、息子の方の同級生への思いはどこにいったの?って感じだったし。

ああ、ごめんなさい。せっかく日本でもレズビアンマザーとゲイファザーを題材としたドラマが出てきた!って思ってたのに、それをぶち壊すような感想の数々で。。まぁでもこのようなドラマがやっと日本にも、って気はしてるので、こういう作品がもっと数多く制作されればなあと思ってます。
21:55 | (性的少数者)テレビのこと | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
今日、このドラマを鑑賞しました。
冒頭でレズビアンカップルが、せっかくゲイカップルと出会うことができたのに自分たちのセクシュアリティや関係を隠してしまったところなど不自然な関係はあったけれど、こういう話がドラマになったことを考えると、私的にはまあまあなのかな、と思いました。

私の個人的な話になりますが、私は実母を中学二年生で亡くしました。その後、父が自分の営む会社で働く女の人複数人が夕食を作りにくる状態が続きました。やがて、そのうちの一人の女性Mさんが私たちの家で暮らすようになりました。でも、結婚もせず、二人の関係を我々子供達に説明されることもなく、だけど子供たちも二人の関係を暗黙のうちに了解していて。やがてMさんは妊娠して私が19歳の時に異母兄弟ができました。

そして数年後Mさんと父は結婚しました。

私は最初Mさんを苗字で呼んでいたけれど、家の中のぎくしゃくした空気を変えてMさんと仲良くなろうと力んでMさんと名前で呼ぶようにしました。

そして、血が繋がっていなくても、一つ屋根の下で暮らせば家族になれる…と心の中で幾度も自分を納得させようとしました。

私は、27歳でうつ病を発症するまでステップファミリーとなった実家で暮らしていましたが、ステップファミリーというものに疲れた、そして、そのことを認めてはならない…という思いに疲れていたというのも、うつ病の原因の一つだと思います。

ゲイやレズビアンが築くファミリーが幸せなものだといいな…と思う半面、そこに育つ子供は、相当気を遣って家で暮らしているだろうなと思います。もちろん、そうじゃなく、心底仲良しの家もあるでしょうが。

一方、男女が築いた家族はどうでしょう。なんの問題もなく幸せな家族はいるでしょうか?

私は自分の経験から導いた答としては、家族の幸せの形は家族の数だけある…ということ。幸せそうに見える家族は、皆が互いに我慢し合っている。ということです。

そんな感想を、このドラマに感じました。
Posted by: さよ at 2013/09/16 15:49 URL [ 編集] | page top↑
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