09-04 Tue , 2012
パラリンピックを見ている
オリンピックは途中でスクーリングが始まっちゃったりして、あんまり見ることはなかったんだけど、パラリンピックはほぼ毎日NHKのダイジェスト番組を見ている。しかし所詮ダイジェスト番組はダイジェスト番組なので、国際パラリンピック委員会がネット上で流しているヤツも時折見ている。

健常者(って言い方はあまり好きではないのだが)が出るオリンピックは正直重量挙げくらいしか感動しなかったのだけれど(と言っても重量挙げは始まった日くらいに日本人がメダルを取ったって言うのでやって以来、見ることはなくて他の試合も見たかったのに残念に思ってたんだよね)障碍者の出るパラリンピックはなんでこんなに心を動かされるのだろうというくらい、見入ってしまっている。

でも「なぜ自分は試合を見てこんなに感動するんだろう」って思うと、自分の中でもしかしたらどこかで障碍者の人を低く見てるんじゃないかって思っちゃうんだよね。「この人、手がないのにすごい」とか「足が動かないのにすごい」とか。意識をしてそう思ってるわけじゃないけど、心のどこかでそういうのがあって「すごい」と思っているんじゃないだろうかと思うとすごく怖くなる。差別してると思ってないのに結果的にはそうなっているんじゃないのかと思うとすごく自分が嫌になる。

もちろんそうは思わないゲームもあって、例えばゴールボールなんて人間の聴覚は鍛えるとあんなにすごい能力を持っているんだって素直に感動できるのもある。けど、足の動かない選手や腕が半分くらいない選手が泳いでいる姿を見て「すごい」って思っちゃうのは、わたしの心のどこかで「足が動かないのに」とか「腕がないのに」って思ってるんじゃなかろうか。本当はそういう目では見たくないって思ってるのに。だいたいわたしはオリンピックでは競泳とかほとんど興味がなくて、いくら速く泳ごうがあんまり「すごい」って思ったことがない。この違いはなんだろうって考えるとやっぱり自分はどこかで障碍者を「特別」に思ってるんだなあと分かってしまって悲しかった。

おそらく障碍者の人は自分の持っている能力を最大限に生かして一生懸命競技をしているんだと思う。そこは健常者と全く変わらないと思う。けどわたしが見た印象がオリンピックとパラリンピックでこうも違うというのは、心のどこかで障碍者の人を低く見てるからなんだと思う。

そういうのは本当に嫌なのに、どうしてそう思ってしまうんだろう。どうしてもっと公平な目で見られないんだろう。おそらく障碍者自身もそういう目では見られたくないに決まってるのに。

というわけでわたしは感動を得ながらも罪悪感に囚われていると言うわけだ。

ただ昨日だったか、日本の車いす卓球代表で選手団の最年長(だったと思う)の別所さんって人が自分が障碍者になって車いす卓球を始めた歳が44歳だったって知って、それには勇気づけられた。44歳というと今のわたしと同い年。今から何か始めてもまだ大丈夫なんだなあって思ってね。別所さんは残念ながら2回戦で負けてしまったのだが、試合後のインタビューで「まだまだ卓球界に貢献していきたい」って答えてた。すごいよなあ~。わたしが20年後どこで何してるかは知らないが、そんな気力に溢れてるだろうか。とにかくこの姿勢を見習いたいと思った。

ただこのパラリンピック、全然中継でやらないんだよね。テレビでやったら絶対に見てはまる人がいると思う。NHKはあんなにオリンピックを中継したクセに、なんでパラリンピックは1日たった45分のダイジェスト番組なのかなぁ。もっとパラリンピックにも陽の目が当たってもいいと思うのに。
21:57 | (一般)テレビのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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