07-10 Tue , 2012
苦しい
「戦争と罪責」に引き続いて今は「虜囚の記憶」って本を読んでいる。これも知人から紹介された3冊のうちの1冊だ。

「戦争と罪責」は加害者について書かれた本だった。しかしこの「虜囚の記憶」は中国人被害者の話をまとめてあるらしい。まだ半分も読んでないけど、今のところ最初からずっと日本に無理矢理連れて来られて、炭鉱などで働かされた人たちの話が続いている。

「戦争と罪責」も読むのに疲れて1人分の話が終わると少し間をあけないと読めないくらいだった。が、「虜囚の記憶」はそれに輪を掛けて読むのが苦しい。疲れるんじゃないの。苦しいの。それはなんでだろう?って思いながら読んでるんだけど、なんでなんだろうね。

事実の描写に対しては、加害者側の言葉の方がより詳しくて残酷なの。元軍医が、中国人を生きたまま人体実験した際の話を「こうやってこうやって、こうしてもまだ死ななかったので、これをして、でもまだ死ななかったので結局こうやって殺した」とか(具体的にはもう覚えてないが)。元軍人が中国人の首をはねたときの話も「まず日本刀に水を切り拭きかけて、それを空中で切って、それから首をはねたのだけれど、あとで見たら一箇所刃こぼれがしてて、それは多分顎の骨に当たったんだろう」とか首をはねた瞬間、頸動脈の2箇所から血が噴き出して、何人も殺すうちに辺りが血の海になってしまったことだとか、拷問の仕方もすごく詳しく書いてあって、それはもう、すごくすごく残虐なの。

一方、被害者の方は畑仕事をしていたら突然日本兵に囲まれてそのまま拉致されて汽車に乗せられ、それから収容所みたいなところに連れて来られて、それからまた今度は船に乗って、それからまた汽車に乗せられて全然知らない炭鉱で働かされて、みたいな、ぼわんとした話なのね。何十年してから「あそこにいたんだ」って知った人もいる。って当たり前だよね。わたしも突然拉致されて、字も読めない国に連れて行かれたら、そこがどこの国でどういうところかなんて分かるわけないもん(尤も字が読めた人はどこの港に着いて、などということは分かったらしいが)。人が死んでいくさまも加害者側の証言に比べるとそこまで詳しくない。中にはまだ少年で、父親が膝を怪我して看病しているうちにどんどん悪くなって化膿して蛆が湧いて、全身膨れて死んでいった、なんてことも書いてあるけど、頸動脈から血が吹き出て、そこら辺が血の海になって、というよりはわたしにとっては残虐な著述ではない(これはわたしが血がすごく苦手ってこともあると思うけど)。

ひどい目に遭わされて死んでいった人は後に「自分はこうやって殺されました」という証言ができるわけじゃない。それに被害者も極度の空腹や疲労感でほとんど頭が働いていない状態だったらしい。だから、生き残った被害者の証言は加害者に比べるとそんなに残虐な描写ではないのかなあと思ったんだが。

しかし、読んでいるわたしは被害者側の話を読む方が苦しい。なんでなんだろ?すごく重たい感じがする。被害者から責められてる感じとかそういうのはないのだが。。

彼女が「あんまりそういうのを読み過ぎると身体に悪影響を及ぼすから、適当にしなさい」って言ってるんだけど、図書館で借りてきた本だから期限はあるし、少々つらくても無理に読み進めないとって思ってる。もしかしたら頭のどこかで「被害者の人がこれだけつらい目に遭ったんだから、自分も少しくらいはつらい目に遭うのは当然(って全然次元が違うんだけど。比べる方が恥ずかしいか)」って思ってるのかも知れない。

とにかく読んでるとどんどん嫌な気分になってくるのだが、「なぜ自分は加害の話より被害の話の方が苦しい思いをするんだろうか」という謎と一緒に読み進めていきたいと思う。
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