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06-28 Thu , 2012
「重重-中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち」安世鴻写真展@新宿ニコンサロンへ行ってきた
わたしの今の情報源は圧倒的にtwitterによるもので、この写真展のこともtwitterで知ったんだよね。当初ニコンがこの写真展を行なうと承諾したにもかかわらず、後になって「写真展は政治活動の一環」という理由で中止を申し入れて、それで写真家側が写真展を開催できるように場所の提供を認めさせることを裁判所に訴えたところ、その訴えが通って写真展が開催された、ということだけれど。あ、裁判所がこのことについて場所を提供するようにという仮処分をニコン側に命じた、というニュースはテレビでも見たな。

写真展は26日からで、開催直後はものすごい人が多いだろうなと思って、今日ちょっと出かけた来たついでに新宿に寄ってこの写真展を観に行ったんだけどね。警備で会場が物々しい雰囲気になっているってことは、twitterで流れてくる情報でも知ってた。けど、一部報道されてるようなセキュリティチェックがある、なんてことはわたしが見た時点ではなかった(わたしが行ったときはたまたまなかったみたいで、同じ日の夜に行った人はセキュリティチェック受けたそうです)。セキュリティチェックはなかったものの、新宿エルタワー28階のエレベーターを降りてから写真展の会場に着くまでのホンの数十メートルの間に5人もの警備員がいたのは、やっぱりどこか「普通じゃない」雰囲気を感じた。しかも会場には「スタッフ」って書いてあったけど、目つきの鋭いおじさんがいて、しきりに腕時計を見てたりして「この人一体何のためにここにいるの?」って感じがすご~くしたしね。

開催3日目で人、来てるかな~と思ったんだけど、思った以上に人が来ててね。来てる人も若い人はあまりいなかったように感じられたんだけど、割と年配の男の人や女の人が多かったかな。誰かと一緒に来たというより、個々に来てる人が多く感じられた。すーっと来てすーっと帰る人も中にはいたが、そういう人は結構少なくて、写真を見た後も中央の椅子に何冊かあった安世鴻さんの写真集をじっくり見てる人が結構多く(ご多分に漏れずわたしもだが)、またアンケートに答えたり、あと多かったのが主催者側と思われる人たちが入口近辺にいたんだけど、その人に対して「パンフレットみたいなのは置いてないのか」という質問をする人。主催者側の人は「ここでは配れるものは何もないんですよ」と答えて、しかしパンフレットを希望する人は「芳名帳」みたいなのに名前を書いた上に「パンフレット希望」って書けば、あとで送ってくれる(その代わりパンフ代に800円かかって、パンフと共に振り込み用紙が入ってるとのこと)って言っていた。写真展の開催を知らせるハガキが1枚置いてあったのだが、それも「配れない」とのことだった(まぁだから1枚しか置いてなかったのか?)。

会場に行って写真を見たんだけどさ、わたし、順路の逆から見たようで、最初に「この写真をどういう想いで撮ったのか」みたいに書いてあったのを一番最後に読んだんだよね~(苦笑)しかも、わたしはこの写真展の名前も全部把握してなかったようで、最初は韓国に住む元慰安婦の人だとばっかり思ってた。けど、どう見ても「これが韓国?」って雰囲気だったんだよね。一番最後に「中国に残された元慰安婦です」ってのを読んで、納得した。だって写真に出てくる家の雰囲気とか、わたしが知ってる限りにおいては「大地の子」に出てくる、あの貧しい中国の家そっくりだったんだもん。途中中国政府から発行された「入籍証」(?;そんなのあるの?)みたいなのとか、パスポートみたいなのを見せてる写真もあったんだけど、それ読んで「あー、そうか」って初めて納得した。っていうか、それを読むまで誤解していたのが恥ずかしい、、

しかしね、わたしも中国の一般の人がどういう暮らしをしているのか全く知らないのだけれど、明らかに「貧しい暮らしだなあ」って思われるような家や部屋ばっかりなんだよね。あと動きがある写真が多かったので「この写真を撮った人は一体どういうことを話しながら撮ったんだろう?」って思ったな。

一番印象に残った写真はね、部屋に東アジアの地図を貼ってあってね、おばあさんが韓国のところと日本のところに握り拳を置いてるの。あれ見たときとても複雑な思いがした。一体、この写真を撮られたときはどういう話をしてたんだろう?どういう気持ちだったんだろう?この人の人生はどういう人生だったんだろう?ってね。

残念ながら、わたしは無知なので中国に残されたままの元慰安婦の人が、どうして中国に残されたままなのか、戦後67年間(尤もこの写真が撮られたのはもっと前らしいが)いかにして生きてきたのか、その背景や実態を全く知らない。だからいくらでも悲惨な想像をしようと思えばできるのだけれど、でもそう決めつけてしまうのもなんだか失礼なことなんじゃないかと思ったりもするのだ。写真は一瞬の姿でしかないし、そこからその人の全部の人生が見えるわけじゃない。それがなんかすごくもどかしく感じられたんだよね。

写真はもっと暗かったり、何かを訴えようとしてたりするものかと思ってたけど、案外あっさりした印象があったので、そういう意味ではこの写真展はあんまり「政治活動的」な感じは持たなかったのだが。。まあもちろん「元従軍慰安婦の人が写ってる」ってだけで政治活動的なのかも知れないけどね。でも、上にも書いたとおり悲惨な想像をしようと思えばいくらでもできるけれど、そしてわたしは「慰安婦を作りだした」加害者の側に立つ国民なんだけれど、なんかね、写真からは「責められてる」とは感じなかったの。いや、もしかしたら責められてるのかも知れないけど、わたしの印象としてはそんな感じがしなかったんだよね。だからといって決して「楽しい」と思える写真ではなかったけれど。

「楽しい」と言えば、この写真家は最近、韓国と日本で「アジアシャーマニズム」の写真を撮っているそうで、わたしは去年発行された韓国の「グッ」という、えーとなんだっけ、祭祀みたいなのを撮った写真集を見たのだが、それはすごかった!それが見て「楽しいか」と言われるとなんだかちょっと違う気持ちもするんだけど「うわー、韓国ではこんなのがあって、こんな人がいるんだ」って思ったし「もし日本が取りあげられるのなら、どういうものを『シャーマニズム』として取りあげるのかなあ?」って思って、この人の今後に注目したいって思った。

来てる人の中には主催者側の人に「写真展が開催できてよかったですね」って声を掛けてる人もいた。

そうなんだよね。なんでこの程度(って失礼だけど(^^;)の写真展が中止に追い込まれなきゃならないのかなあ~って思ったよ。しかもニコンのウェブサイトにはまだ「6/26 (火) ~7/9 (月) 安世鴻写真展は諸般の事情により中止することといたしておりましたが、東京地方裁判所から、「ニコンサロンを安世鴻氏の写真展のために仮に使用させなければならない」との仮処分が発令されましたので、これに従って、安世鴻氏に対し新宿ニコンサロンを仮にご使用いただくことといたしました。(現在、東京地方裁判所へ保全異議申立中です) 」なんてことが書いてある。なんだかなあって感じだよね。

この次に行なわれる「李容夏写真展」は「政治活動的」じゃないのかね。ベトナムの枯れ葉剤の被害者に焦点を当てた写真展みたいで「作者は、本展をきっかけに“戦争なき平和”が世界中に定着することを望み、これ以上この地球上の人が互いに銃口を向けあい、命を奪い合う行動が起こらないことを望んでいる。」なんて書いてあるから、写真展で平和を訴えているみたいだけど、平和を訴えるのは「政治活動的」じゃないのか。

肌触りが悪いものは遮断して、心地よいものだけを残す。それではいくら写真を通して物事を伝えようとしても、都合の良い物事しか伝えていないということが分かってしまった以上、その訴えは半減するだろう。ニコンは今回そのことを世間に示してしまったと思う。
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