06-06 Wed , 2012
レズビアンになったきっかけ?(その4)
その3の続き。自分では引き延ばしてるつもりはなかったんだけど、これだけ引き延ばしてたら「一体どんなにすごい話が待ってるんだろうか」って思われちゃうよね。だから、もう書くこと書いて、ちゃっちゃと終わらせよう(笑)

わたし、幼い頃から本を読むのが大好きで、周りの同い年くらいの子どもと一緒に遊ぶということがあんまりなかった。あと人見知りも激しかった。そのためか親はわたしを3年保育の幼稚園に入れたのだが、3年間、同じ幼稚園だったら親しい友達ができたかも知れないのに、寄りによって3年間で3回、幼稚園を変わらなくちゃいけなくて(親が1年ごとに住む場所変えた)、人に慣れるどころか、幼稚園というところに馴染めず、家から近い幼稚園だったときには、なんと園長先生が家まで迎えに来てくれるという「登園拒否児」だった。

まー、もともと幼稚園は大嫌いだったんだよね。なんというか、これを言われると「は?」って言われるんだけど、子ども扱いされるのが大っ嫌いだった。描きたくもない絵を描かされたり、踊りたくもない踊りを踊らされたり。。寝たくないのに昼寝させられたり。そういうのが全部嫌だった。

特にいつの幼稚園の頃か忘れたけど、発表会で踊りを踊らされることになり、それが男女に分けられてて、女の子って女っぽい仕草で踊らされるのが本当に苦痛で、しかも発表会のときはすごく女らしい格好をさせられるから、嫌で嫌で仕方がなかった。まぁ基本、わたしは踊るのが苦手で、踊りで許せるのは盆踊りとフォークダンスくらいなものか。

家に帰って一人で本を読むのが好きだったんで、だいたい幼稚園終わってからは部屋に一人で閉じこもってたんだけど、親にしてみればそれが気にくわなかったらしく、友達と遊べってうるさかった。まぁそれなりに友達はいたのだけれどね。3つ目の幼稚園のときに住んでたところは、その後ずっと大学院まで住んでたので、3つ目の幼稚園で友達になった人とはその後も結構長い間一緒に遊んだ(それこそ高校くらいまでね)。

本を読むほか、仮面ライダーなどの特撮も好きだった。確か5歳くらいの誕生日には当時流行ってた「ライダーベルト」をもらって、高いところから「変身、トゥ!」なんて飛び降りていた記憶がある。あと自転車も仮面ライダーが付いていたような。一方、人形遊びは時折やったが遊び方が少しおかしかった、というか、うちには叔母から譲ってもらったリカちゃん人形だのバービー人形などがホントたくさんあったのだが、わたしはその人形の首を全部もいだり、服を全部脱がせて手足をあられもない格好に曲げて楽しんだり、人間ができないような格好(膝の関節を反対方向に曲げたりとか)をさせて遊んでいた。傍目から見ると、ほとんど虐待としかいいようがない遊び方だったと思う。人形に対してはこんなもんだったが、ぬいぐるみとなると別で、いつだったか、モンチッチのぬいぐるみをもらったことがあって、それはホント、猫かわいがりしてどこでも連れて行った。どこでも持って歩くもんだから、ついに布が薄くなって、そこから詰め物が出て来ちゃったりなんかしたのを、母親に何度も繕ってもらったりして。そのくらい、気に入ったぬいぐるみに対しては愛着がすごかった。

あと「ごっこ遊び」は全くしなかった。「他の人になる」ということが、わたしは怖いというか大嫌いで、そういう意味で演劇も大嫌いなのだが、もうすごく小さい頃から「自分は自分である」「自分以外のものはいやだ」という思いは持っていたように思う。

小学校に上がるとき、密かに「赤いランドセルは嫌だなあ」と思っていた。赤より黒の方がかっこよさげだったから。そしたらたまたま、親に小学校受験させられて、それが運良く合格し、わたしは私立の小学校に通うことになった。私立の小学校って黒いランドセルなんだよね(笑)そのときは嬉しかったなあ。あと、制服で学校に通うことになるのだが、制服は大好きだった。もちろんスカートで、わたしは普段はスカートはほとんど穿かなかったのだが、制服は別だった。なんか「ちゃんとしてる(と自分が思った)」ものについては、わたしは抵抗感がなかった。トランスジェンダーの人でランドセルが自分のと違う色がいいって思う人もいるようだ。そこら辺は似てる。けど、わたしは制服は嫌だと思ったことがないので、そこら辺は似てない。

あ、あと。この頃の時期には七五三があった。親はそれを楽しみにしていたようで、着物着せられて、化粧されて、写真館で記念撮影をした覚えがあるのだが、これがすごく嫌だった記憶がある(でも無理矢理親に笑えと言われて笑っている写真が残っている。悲しい、、)。このときの経験が「成人式には絶対に振り袖は着ない」とわたしに決断させた。

それからこれはもっと前の幼稚園頃の記憶だが、なぜかわたしはこの頃から親に対して「自分は結婚しない」と言っていたような気がする。よく小さい子どもに「将来の夢は?」と聞いて、女の子だったら「お嫁さん」とか「お母さん」と答えさせられるが、わたしはなぜか大きくなってから誰かと一緒に暮らしたり、自分に子どもがいる、という想像がまったくできなかった。だからそのときから「一生結婚しない」って言ったんだろうと思う。わたしは今まで親に「結婚しなさい」と言われたことはないが、5歳くらいから「自分は一生結婚しない」って言い続けてるんだもんな、と思ったりしている。

小学校に上がってからは、学校が楽しくて楽しくて仕方が無くなった。ただ、わたしは女子と遊ぶより男子と遊んでいた方が多かった。低学年の頃はあんまり気にならなかったが、大きくなるに連れ、女子はグループを作りたがる。そういうのに入るのが大っ嫌いでね。いつも男子と遊んでいた。男子のうち、1年から6年までずっと一緒のヤツがいたんだけど、そいつが動きがちょっととろかったりしたものだから、ご多分にも漏れず「おかま」だとか言われてたんだけど、わたしは6年間通じてそいつと一番仲がよかった。あまりに仲がよいので、他の男子から「お前ら夫婦か」と言われたこともあったんだけど、当人たちは言われても全然気にならなかったので、卒業までずーっとそのまま仲がよかった(おそらくそいつも「ジェンダー受容体」が欠如していたに違いない(笑))。

トランスジェンダーの人は幼い頃、生物学的な性と反対の性の人と遊ぶのが好きだったり、ゲイやレズビアンの人でも異性と遊ぶ方が好きだったりする人が割と多いと感じてるんだけど(本を読むとだいたいそんな印象)、でもあるとき周囲からあれこれ言われてそれでお互い意識して遊べなくなっちゃった、なんてことが多い。それがわたしからすると「なんで?遊びたかったら遊べばいいのに。なんでそうなっちゃうの?」っていつも思うんだけど、「ジェンダー受容体」がある人にとって、周囲からあれこれ言われるとそのことに囚われちゃうんだろうね、多分。でもそう言われても全然気にしなければ、何も言われなくなるんだけどね。

ただ、わたしが仲がよかった男子はそいつだけじゃなく、他の人ともそうで、例えば小学校2年のときに別の男子が「のらくろ」という漫画を持ってたんで借りて読んだり、その男子の家に行ってプラモデルの戦車などで遊んだ記憶があるし、その頃からわたしもプラモデルを作り始めた。最初はもちろん戦車。ただ、戦車のプラモデルは翌朝目覚めたらほとんど父親が作っちゃってて、がっかりしたなー。中学はアニメにはまったので、これまたちょうど流行っていた「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」をたくさん作ってた。この頃にはただパーツを外してボンドを塗って形を作るだけじゃなく、その後、すき間にパテを塗ったり、それを耐水ペーパーで磨いたり、着色したり、結構本格的になった。ガンプラに飽きた後は車のプラモデルになって、それから高校の時はバイクのプラモデルになった。

あと、放課後、男子はだいたいグラウンドで「カラバット」(プラスチック製のバットとゴムボールを使った野球)をやってたんだけど、わたしも女子一人にかかわらず、中に入ってやってた。随分大人になってから、同じクラスだった女子に「あのとき一緒に野球をやりたかったんだ」って言われたけど、だったらなんで入ってこなかったのか、と思う。わたしは女子一人でも別になんとも思わないで野球やってたし、その他の男子も別にわたしを入れることはなんとも思わず(と思ってたのはわたしだけか?)普通にやってたから。やはり「ジェンダー受容体」がある人は、周りの目が気になって異性の中では遊びにくいのか?

そういえばうちの学校は4年以降になるとクラブ活動みたいなものがあるんだけど(ただし課外活動ではなく授業中だったような)、わたしは迷わず「野球団」に入った。そこでもわたしは女子一人だった。けど、全然気にならなかった。野球、やりたかったんだよね。「カラバット」はグローブなしでできる野球だったけど、野球団の野球はグローブを使った野球だったし。

グローブと言えば、小学校2年くらいのときに親から買ってもらった記憶がある。そして休みになると父親としょっちゅうキャッチボールをしていた。わたしが小学校1年のときに、カープが初優勝し、それ以来、わたしはカープファンでね。父親が会社の関係で野球のチケットをもらってきて、後楽園(当時(笑))にカープ戦を何回か観に行った。野球熱は大学院生の頃から盛り上がり、社会人になってからは野球観戦(社会人野球の)が趣味になった。

男女問わず遊んでたので、担任は面談時に親に「○○さん(わたし)がいるおかげでクラスの男女の仲がいいです」と言われ、それがとても嬉しそうだった。けど、わたしにとってみれば、別に男女の仲をよくしようと思って遊んでたわけじゃなく。ただ遊びたい人と遊んでただけで。

だいたいどの本を読んでても小学校高学年くらいになるとクラスの中で「誰が好き」という話になるらしいのだが、わたしはそういう話は一切しなかったし、聞かれた覚えもない。もちろん特別に好きな人、というのはいなかったので「誰が好き」と聞かれても「いない」としか答えようがなかったけど。でも「恋愛」という概念は知っていて「わたしもいつかは人のことが好きになるのかなあ」とは思っていた。

小学校のときはやけに積極的で、高学年になるとうちの学校はやたら団(クラスを4分割して、1団にする。1団は2班に分かれる)で行動させたんだけど、その団長にはよく立候補してた。けど、他の団員と一緒になって遊んじゃったりして、担任から怒られたこともしばしば。責任感はあんまりなかったな(笑)でもだからといってすごく目立つ生徒ってわけじゃなく、例えば学級会であれこれ意見を言える人はすごいって思ってた。わたしはひたすら退屈で「早く終わらないかな~」って思ってた。

劇もよくやる学校で、これはわたしにとっては非常に苦痛だったんだけど、なぜか主役級の役が回ってくることが多かった。中でも小学校5年かなんかに「セロ弾きのゴーシュ」のゴーシュ役をやらされたんだけど、この中で「俺も男だ、頑張って稽古するぞ」という台詞が嫌で嫌でたまらなかった。だって、わたしは女なのに。って、何かを演じることすら嫌だったのに、それに輪を掛けて男を演じさせられたのが嫌だったので、このことは非常に記憶に残っている。

小学校5、6年の担任はこの頃から成長期を迎える女子に配慮して、教室の一角を「女子更衣室」にしたんだけど、わたしはそれを使うのがなんだか嫌でね。女ばかりのところが恥ずかしいというか、窮屈だというか。とにかく使うのが嫌だった。だから結局1回も女子更衣室では着替えなくて、女子更衣室の横の教室の後ろの机のところで着替えてた。この女子更衣室は他の組にはなくて、他の組の女子がうちのクラスはいいなあって言ってたけど、わたしはどこがいいのかさっぱり分からなかった。

確かに周囲の女の子はどんどん成長期を迎えてて、どんどん身長が伸びていくんだよね。わたしは元々背は高い方で、後ろから3番目とかそんな感じだったのに、知らないうちにどんどん追い抜かれていった。中学に入ったら前から8番目になってて、それがすごくショックだったなー。

中学からは父親が大阪に転勤したので、大阪の公立の学校へ。実は私立の小学校は、エスカレーター式で高校まであるんだけど、中学から女子校になっちゃうんだよね。で、わたしは女子校に通うのは嫌だって思ってたので、これまたちょうどよかったのよね。決してその学校が嫌いだというわけじゃなく、ただ女子校は通いたくなかったの。なんでか知らないけど、女子だけの空間にはいたくなかった、という感じ?女子だけってなんかすごくドロドロしてる感じがして怖かったし、女子の中だったらわたしは多分「ボーイッシュ」と見られて、女の子が寄ってくるのが怖かった(そうなる保障はどこにもないんだけどね。ただこの当時「女の子が寄ってきてヤだ」と思ってしまったのは、前にも書いたとおり「男の代わりをするのがヤだ」と思ってたから。まだ「女同士」って観念がなくて、相手が女だったら自分は男に見られてると思ってたから)。

トランスジェンダーの中でもMtFの人が男子校出身だったり、FtMの人が女子校出身だったりするけれど、ただMtFでも人によって、男子校でも(椿姫彩名さんみたいに)「自分のいやすい場所」にしてしまう人と(佐倉智美さんみたいに)「男子の中では絶対ダメ」と共学校の高校に入り直してしまった人がいるんだよね。わたしはどちらかというと後者のタイプかな。まぁ、結局一生「女子校」とは無縁だったので、いざ入ってみてどうなったかは不明だけれど。

というわけで、大阪の公立の中学に入学するわけだ。その中学が巨大な中学でね。12クラスあって、1クラスはだいたい45人くらいだったろうか。3学年揃うと全校生徒が体育館に入りきれないほどだった。

その中で前にも書いたけど、わたしは背が伸びなくて、前から8番目っていう、今までからすると信じられないくらい前になってしまって、結構ショックを受けた。だいたい中学入学した頃の身長が150センチだったかな。それがね、中1、中2で7センチずつ伸びて、中3になったら165くらいになり、背の順も定位置の後ろから2、3番目になってね。それはそれでホッとしたものだったけど、まさかそれからさらに背が伸びて、結局身長が170センチ超えることになるとは思ってなかったね。大学院の時も毎年健康診断があるんだけど、毎年2、3ミリ程度伸びてるんだよね。「あれ、誤差かな」と思うんだけど、その誤差が3年続くと1センチになるからね~。結局大学院生の頃になっても身長は伸び続けてました。

大阪の中学のときは、東京から来たというので、最初の頃はなんかいじめられたり、いろんなことがあった。クラブは美術部で、そこでアニメにはまった。クラブは女子が多かったものの、男子もいてね。クラブの顧問の先生はとても変な人だったんだけど、それでも結構楽しかった。いじめられてるときはほとんどクラブが楽しみで学校に行ってるようなものだった。まぁそのいじめも2学期の後半くらいに治まるんだけど。

1年のとき、社会科の女の先生が好きになった。その先生は話が好きで、自分が行った外国の話とか、授業中にいろんな話をしてくれた。その話がものすごく楽しくて、他の生徒も何かあったら「センセー、話して」ってねだってた。そうなるとわたしはその先生から好かれたくて、テスト勉強は社会に始まり社会に終わる、といった感じで、ほとんど社会の勉強しかしなかった(笑)それ以降、わたしは何人かの女の先生を好きになるんだけど、いつもこのパターン。男の先生を好きになるのはほとんどなかったな~。中2のときの歴史の先生くらいか。別に女の先生を好きになることについては、なんとも思わなかったな。好きって言っても「成績が良くて気に入られたい」くらいのことしか思ってなかったしね。

それからわたしの髪型についてなんだけど、小学校に入った頃が多分、人生で一番髪の毛が長かったんじゃないかな。おかっぱ、っていうの?肩に髪の毛が付くくらい長かった。それは自分がそうしたいからじゃなくて、親がそういう風にさせてたんだよね。わたしは髪の毛が長いのは嫌だった。だから、それからはだんだん髪の毛が短くなった。とはいうものの、わたしはいつも「なるべく短く」って言うんだけど、そういうと美容師さんは「刈り上げるんですか?」って聞くんだよね。そう言われるとなんか刈り上げるのって特別なことなのかなと思い、そこまでの勇気はなかったから、いつも「いや、刈り上げじゃなくて、でもギリギリまで短くしてください」って言わざるを得なかった。だけどいつもすっきりした感じはなくて、なんか中途半端な感じだった。刈り上げたのはもっと大人になってからで、最初に刈り上げてもらったとき「なんだ、この程度だったらなんでもっと早く刈り上げてもらわなかったんだろう」って思ったほどだった。

髪型に関しては、中学の頃になるとよく女子は髪型のことがヤケに気になって、櫛とか持って歩いたり、休み時間には女子トイレの鏡で髪型を整えてたりしたのを見たことがあったけど、わたしはそういうのには全く興味がなく、髪の毛は楽なのでできるだけ短くしたいって思ってた。髪型には全く興味がなかった。それは今でも同じで、新しい美容院に行ってあれこれこうしてくださいっていうのはすごい苦手。だからいつも行きつけの美容室があって「いつものようにしてください」というのがわたしの理想。だいたい、前髪が眉毛にかかるとか、耳は出すかとか、いろいろ聞かれても、めんどくさいだけなんだよね。そしてなるべく美容室には行きたくないので、行くと「もうじゃんじゃん切って短くしてください」と言い、それから髪の毛が長くなって洗ったり乾かしたりするのがめんどくさくなるまでは延ばし放題だ。

まぁ自分の容姿をどうこうすることについては、今も昔も全く興味がなくて、化粧したのは上に書いた七五三のときだけ?今まで化粧をしたいと思ったこともない。「化粧をするのはエチケット」とか言う人がいるけど、なんでそれは女性にだけ課せられなきゃならないんだと思うし、人間、中にドロドロした汚いものをいっぱい抱え込んでるクセに、顔だけきれいにしたってどうにもならんだろと思う。とにかく「きれい」に見せたくない。もちろん敢えて汚く見せようとも思ってないけど、自分を飾ることがものすごく嫌いだ。人に自分の「虚構」を見せるのが嫌なのだ。それは昔も今も一貫している。

あと中学の時というと、やっぱり女子はグループで行動する人が多かったんだけど、わたしはそういうのは全く好きじゃなくて、どこのグループにも属さなかった。別に一匹狼でいいじゃん、って思ってた。休み時間にみんなで連れ立ってトイレに行くのは「アホくさ」って思ってた。みんながみんな、同じ時間に尿意を感じるわけじゃあるまいしってね。だからわたしと友達はいつも「一対一」の関係だった。あ、でも中にはすごく自分と気の合う友達もいた。けど恋愛として「好き」って気持ちは持ったことがなかった。友達は友達だった。

ただ面白いことに、そういう態度だと結構不良グループ(っていうのかな。スカートの丈を長くしてた人たち;当時はスカート丈を長くしてるのは不良とかつっぱりって言われてた)の女子からも気軽に声を掛けられたりして、わたしとしてはそれが不思議だった。

中3でまた東京に戻ってくるのだが、近所の公立中学でね。1学年3クラスしかなくてびっくりした。中3のときは幼稚園で友達になった人たちと一緒になった。文化部が演劇部しかなく、そんでたまたま幼稚園で友達になった人たちはみんな演劇部だったんだよね。で、なぜかやっぱりアニメファンで。だから遊ぶのはその人たちってわけで、わたしの人生では珍しく男子と遊んだりってことはしなかったし、クラスの中で何やってたかの印象はすごーく薄い(わたしの中ではこの時代は「中3」じゃなく「高校受験生」のイメージがある。先生方やたら「受験生」「受験生」って言ってたし)。嫌いなのに演劇部に入ったのは、何か部活に入ってないと内申に響くから、という受験生的な理由。でも「演じるのは嫌い」って言ったから、専ら効果音とか裏方さんで役は一切やらなかった。

で、中学でもやっぱり「誰が好き」って話はぜーんぜんしなかった。「アニメキャラのうち誰が好きか」という話をした覚えはあるが(笑)でもアニメキャラって、別に男性キャラが好きでも女性キャラが好きでも別に構わないんだよね。女子が女のキャラを好きと言っても「えー」ってホモフォビックのような感じにはならなかった。「へー、そうなんだ」とか「いいじゃん、わたしも好きだよ」とか言えるし。それにわたしらの中学時代って、前にも書いたけど「パタリロ!」や「アニメトピア」が流行ってた時代だったからねー。「同性愛」は自分には関係ないけど、そういうのはあるんだろうって漠然と思ってたし、気持ち悪いとかそんなことは全く思わなかった。

というわけで、長くなったのでその5に続く。。
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