06-05 Tue , 2012
レズビアンになったきっかけ?(その3)
だいぶ間があいちゃったけど、その2の続き。

あ、その前に「その1」でも「その2」でも書いてた「ジェンダー受容体」って言葉はわたしの造語だ。ジェンダーというものはヒトが育つ過程で自然と身についていくもの、と考えられているが、自然と身についていくためには親を始め周囲から「男らしくしなさい」「女らしくしなさい」と言われながら育つと思われる。でも身につくためには「言われる」だけじゃダメなんだよね。本人がそう言われたことによって「男(女)らしくしなきゃ」と思ったり「男(女)らしくしたくないなあ」って思ったりすること、反応することがないと本人は「ジェンダー」を取り入れたり意識することはないのだ。そういう「男(女)らしくしなさい」という言葉に反応するかしないかが「ジェンダー受容体」があるかないかってことなんだと、わたしは自分の過去を振り返りながらそう思う。

わたしの場合、自分が育つ過程でおそらく「女らしくしなさい」とかそういう「ジェンダーのシャワー」みたいなのを他の人と同じように浴びてきたと思う。別に特殊な育ち方をしたわけじゃなく、自分だけ浴びなかったってことはないと思うしね。確かに両親からは強く強制されたという覚えはないけれど、、それなりに「女らしい格好をしろ」とか言われた記憶はあるし、、ただ、言われてもわたしには「ジェンダー受容体」がなかったので、右から左だったんだよね。他の人からも全く言われなかったわけじゃないと思う。けどそれに対しても右から左で、、要するにあんまり記憶にない。あんまり記憶ないから「わたしにだけそういうことはなかったんじゃないだろうか」ってずっと思ってた。けど上にも書いたとおり、わたしは決して特殊な育てられ方をされたわけじゃないし、自分の周囲を取り巻く環境も自分だけ特別だとは思えないのよね。だからそれなりに「ジェンダーシャワー」を浴びて育ったとは思うんだけど、それが自分の中に取り込まれたような気がしない。

「ジェンダー受容体」のイメージというのは、DSD(性分化疾患)の中で「ホルモン受容体」があるなしのイメージだ。もちろんDSDの場合、そういうものはあるとされている。が、ジェンダー受容体の場合はわたしの造語だからそれが本当にあるかないかは分からない。ただ便宜上そう考えると考えやすい、というものだ。

で、わたしはこれまで「性同一性障害30人のカミングアウト」を初めとするさまざまなトランスジェンダーの人のライフヒストリーとか、あと「女性同性愛者のライフヒストリー」を初めとするさまざまなレズビアンのライフヒストリー(「その2」にも書いたけど、池田さんや尾辻さんや笹野さんの本とか。しかしトランスジェンダーに比べると数は少ない)を読んでみたのだけれど、レズビアンのライフヒストリーに対してはどれも自分とは全く掛け離れていたため「あ、そうそう」「自分もそうだった」と思うことはなく、ただ「ふーん、そうなんだ」と思っただけで心を動かされることはなかった。でもトランスジェンダーは自分がトランスジェンダーでないにもかかわらず、「あー、この気持ち分かる」とか、逆になんかね、読んでるとだんだん違和感でもやもやした気持ちになってくるのよね。なんでかっていうと、レズビアンのライフヒストリーは「同性が好きになる自分」が焦点に当てられてて、ジェンダーにはほとんど触れられてないというか、触れてあっても「ふーん、そうか」くらいなものなのよね。「女らしくしなさい」と言われて自殺したいほど悩んだ、なんてことはほとんど書いてない(もちろん「悩んだ」くらいの人はいる)。まーわたしもそう言われて悩んだことはないのだけど。

だけど、トランスジェンダーの場合、「男(女)らしくしなさい」と言われて自殺したいほど悩んだ人はたくさんいる。そう言われて「自分は違う!」と思った人ばかりだし、FtMの人の手記などを読むと「あ、わたしもそうだった」って言うところが結構たくさんある。例えば子供の頃、どんなオモチャで遊んだかとか、どういうものが好きだったかとかね。だけど、一方、わたしが読んでもやもやするところがある。というのは「この人とわたしは同じようなオモチャを好んだり、あまり女らしくない行動をしたりしてるのは似てる。けどこの人は周囲に『女らしくしなさい』と言われて随分悩んでる。でもわたしがそう言われても全然悩まなかった。考えてみると結構『男っぽい』ことしてきて、周囲からも『変人』とか言われたけど、全然気にならなくて、自分の好きなようにしてきた。この違いはなんだろうか?」ということなのね。それはトランスジェンダーのライフヒストリー(FtM)を読むと必ずわたし、そう思うのよ(ただし、わたしには性別違和がなかったので、そのことがFtMの人とは決定的に違うのだけれど。
)。だからこそ、わたしは「ジェンダー受容体」という言葉を作りだしたのだけれど。悩む人はジェンダー受容体がある人なんだよね。そして未だかつてジェンダー受容体がないみたい、って人が自分以外実はいない。。。それはレズビアンでもトランスジェンダーでもね。。

そして例えばトランスジェンダーでトランジョン(性別移行)を始めた人は、例えば男女別に分かれているところ、トイレとかお風呂とか、そういうところへ行くことが非常に困難になる。またトランジョンしてない人であっても「自分は男なのに女子トイレに入るのはイヤだ」という人もいる。望む性のトイレに入り、周囲から何も言われずに出てくる、ということはヒヤヒヤものなんだけど、わたしも望む性(わたしは女だけど)のトイレに入り、周囲から何も言われずに出てくる、ということはヒヤヒヤなのだ。わたしが外でトイレに行くとまずじろじろ見られたり「ここは女性用ですよ」と言われたり、あとこれは被害妄想なのかも知れないが、何人かの人がわたしの方を見てヒソヒソ言ってるような感じがしたり。だから意を決してトイレに入って誰もいなかったら心の底から「よかった」と思ってホッとする。なのでここでも根本的なものは違うが、状況がすごくよく似てるんだよね。だから思わず「うん、うん、そうそう」って思っちゃう。ただトランスジェンダーの人からすると「自分は努力して見た目を自分の望む性にしてるけど、アンタは全く違うじゃないか」と思うだろう。中にはわたしが「生物学的な性」の上にあぐらをかいてることに憤りを感じるんじゃないかと思ったりする。

でもさあ。本来は「自分がそうしたいからする」んじゃないのかなあ。周囲の人から望んだ性に見られたくて過剰に望む性を身に纏わなくてもいいんじゃないかなあって思ったりもするんだよね。「それで望んだ性に見られれば苦労はしないわよ!」って思ってるトランスジェンダーの人っておそらくいると思うけど。。わたし自身は望む性に見られたくて過剰になるより「自分はこういう姿の男(女)なんです」って世間に訴える方がいいと思うんだけどな。まぁ、それやると疲れると思うけれども(わたしがそうなので)。

ってなかなか本題に入らないな(苦笑)

っていうか、純粋に性的指向だけで話をするとすると、

「いろいろあったけれど、あるときまで別に誰が好き、とか誰と付き合いたいって強く思ったことはなかったので、逆に20代半ばに『自分は人(この時は男だと思ってた)を好きにならないけど、なんでかなあ』と思って、自分の過去をいろいろ振り返ってみたら、実は女の人の方が好きだったんじゃん、ってことに気が付いた」

ってそれだけなんだよね(爆)まぁ気付き方なんて人それぞれだろうけど、今までわたしが読んだ本の中にはわたしのようなレズビアンは誰もいなかった。他の人はだいたい「あるときに女の人をすごく好きになり、でもこれは思春期には同性への憧れっていうものがあるから自分もそうで、いつかは男性を好きになるに違いないって思ってて、そして実際男性とも付き合ったりするんだけど、男性と付き合ってもしっくりいかず、思春期越えても女性が好きなままで、それでものすごく悩んだりするんだけど、他にも自分と同じような人がいることが分かって、あ、自分は女の人が好きなままでいいんだってことが分かった」みたいな感じかな。多少はもちろん各個人個人で違ってくるけど、ほとんどがこんな感じだった。わたしのように悩むほど女の人を好きになったわけじゃなくて、気が付いたときも特定の人が好きだったわけじゃちっともなく、ただ頭の中で考えて「あ、わたしはレズビアンなんだ」って思った人は、今のところ本を読んだ中では誰もいなかった。ただ、、わたしの彼女も確か今まで女の人と付き合ったことない割に「自分は女の人が好きかも」と思って気が付いた人だから、中には結構そういう人はいるのかも知れない。確かにわたしの話だと全然劇的でもなんでもないから、インパクトが重要な本とかお話とかドラマとかね、そういうのはしにくいだろうなとも思う。ただまぁ「女性同性愛者のライフヒストリー」は別にインパクト云々でできた本ではないけれどもね。でも「女性同性愛者のライフヒストリー」に話にある一定の共通性があるってことは、多分、レズビアンの中でもそういう風にして気づいた人が多いということではあるだろう。まぁ多くのレズビアンと自分が違ってるからと言って、わたしはそのことで悩んだりはしなかったけれど。

もう一つ、本で読んだレズビアンの人たちと違ってる部分がある。中・高校生のとき、同性に好かれたりする人がいる。わたしもそうだったんだけど、本で読んだ人たちはみんな「好かれて嬉しい」って言ってた。けど、わたしは好かれても全然嬉しくなかったし、嬉しいどころか逆に気持ちが悪かった。それはわたしがホモフォビア(同性愛嫌悪)だったからではなく、わたしを好きだった人たちというのが、悪いけどわたしを「男の代わり」に思ってたんじゃないかと感じたからだ。わたしを好きになってくれた人はみんなすごくおとなしくて、普段男子と全くしゃべったことがない、しゃべってるのを見たことがないような人たちだったからね。「男子としゃべったことがないけど、男性的なものに惹かれるから、その結果、そういう人たちにわたしは選ばれるのだ」と思ってて、でもわたしは自分のことは女以外に思われたくないので、すっごく気分が悪かったんだよね。あとはわたしの女性の好みが前にも書いたけど、全く逆なんだよね。当時はレズビアンの自覚は全くなかったけど、好みの点では自分にすごく忠実だったんだと思う。だから女性から好かれても全然嬉しくなかった。好みの人からそう言われたらどうだっただろうな。ただ、口に出して本人に言ったわけじゃないけど「気持ちが悪い」と思ってたのは、好いてくれた人には悪かったと思ってます。。そのバチが当たったのかどうかは知らないけど、レズビアンの世界ではわたしはもてたことはありません(爆)

ってことで、今回は核心部分に入れるかと思ったら、入れなかった(苦笑)その4へ続く。。
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