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03-09 Fri , 2012
「特報首都圏 東京大空襲」を見た
つい数日前、NHKの朝ドラ「カーネーション」で太平洋戦争の加害について、自分の体験と思ってることを書いた。あのときは「加害の面も決して忘れてはならないことだ」という気持ちで書いたし、それは今も変わっていない(数日前のことだものね)。

しかし決して被害のことは別に言わんでいい、もうたくさんだ、と思ってるわけじゃない。わたしは折に触れ「被爆二世だ」と言い続けているのも、語り継ぐことの一環だと思っているし。ただね、加害より被害の方はたくさん語られてるじゃないか、そう思うのよ。そしてその理由は被害を受けたものの方が語りやすいから、そう思ってた。

ところが今日、夜8時からNHKで放送した「特報首都圏 東京大空襲」(首都圏だから、関東地方でしかやらない番組だったんだと思う。でもオンデマンドで見られるらしい)を見てみたんだけど、被害者の人でも今、ようやく口に出せる人が増えてきたって知って、少し驚いている。確かに被曝者の語り部なんかもこれよりは少し前にはなるけれども、ある一定の期間をおかなければつらすぎて話すことが出来なかった、と言われてたしね。そしてその両者は「自分が年を取ってきて、あの戦争のつらさを誰かに語り継がなければと思った。ここまで生きさせてもらったのは語る役割を持っているからではないかと思った」というのは全く一致する。

3月10日は東京大空襲の日だというのは、わたしの頭の中には常にあって(ただ、わたしの身内で東京大空襲にあった人は誰もいない)、その3月10日に偶然、わたしは彼女と付き合うことになり、そして今年からは「あの東日本大震災の前の日」ということも加わって、何かいっぺんにごちゃごちゃする日になってしまった。

そして3月10日の東京大空襲の話っていうのは子ども時代は「ガラスのうさぎ」を読んでいたし、それから海老名香葉子さん(故林家三平の奥さん)もこの空襲での生き残り、というのも知ってて、わたしの中では「割と有名なこと」のように思ってたんだけど、実はそうでもなかったみたいなんだよね。今日の放送で東京の空襲はこの東京大空襲だけじゃなく、半年間に100回も爆撃を受けたそうだ。5月25日には渋谷・原宿方面が焼け野原になった、ってことをわたしは今日、初めて知った。東京大空襲以外の東京での空襲のことなどわたしは今まで知らなかった。まぁ全然知らなかったわけじゃなく、中学の時にわたしらが住んでた近辺にも空襲があったのだという授業は受けた記憶があるが、、今、中学校の社会科の副教材だった「のびゆく狛江」(狛江市教育委員会発行、わたしが持ってるのは第3版で昭和58年発行)っつー本を持ってるが、そこには「昭和20年5月25日の夜22時30分から約2時間半にわたってアメリカ空軍のB29爆撃機470機が来襲し、都市部および東京西部地区に多数の焼夷弾を投下した。この時、東京航空計器などいくつかの軍需工場を持つ狛江にも焼夷弾が投下され、狛江国民学校をはじめ十数戸の民家が焼失した。」と書かれている。そっか。日付までは全く覚えていなかったが、この記述からすると5月25日ってかなり広範囲にわたって爆撃されたようだ。

しかし、これを読んでも「そういうことがあった」という記憶しかないのは、ここにはどのくらい人が亡くなったとか、そういうことが一切書かれてなくて、あくまでも客観的事実しか書かれてないからなんだな。まぁこれは社会科の副教材で平和学習ではなかったからね。ある意味仕方のないことなのかも知れない。

今日の番組は、これまで硬く口を閉ざしてきた遺族が「やはり後世に伝えなければならない」と動き出している、という話だった。しかも東京で起こった空襲についての全容については、実はよく分かっていない、とのことだった。これも今まで何が起こったかを話す人がいなかったからだという。その点が原爆のときとは少し違っていると感じた。原爆は放射能被害のこともあって(今でも「黒い雨の範囲」など分かってない点も多いが)ある程度被害者は確定しているし、うちの親も持ってるけど被曝者健康手帳などで法的な救済も受けている。二世であるわたしは、東京都で行なわれている健康診断は無料で受けられる(都道府県によって扱いは違うんだけどね。東京都は二世のための健康診断がある)。そういう意味では語り部はともかく、被害者については「おおよそこのくらい」という数字が分かっているし、あと広島の場合は「原爆ドーム」の存在も大きいと思う。長崎などはすべて焼き尽くされてしまったけれど、広島は原爆ドームが残っていて、世界遺産にも「負の遺産」として登録されている。原爆ってそれまでに人類が体験してこなかったため、扱いが大きいのだ。

それに比べると東京大空襲は焼夷弾ですべて焼き尽くされて「これ」という象徴がなかったこともあるだろうし、戦後の東京の発展で当時の様子など思いも寄らない姿に今はなってしまっている。今日の放送で言ってたけど、東京スカイツリーの近くの川は、空襲後、遺体で埋め尽くされたそうだ。そして過去にはお地蔵さんなどもあったらしいが、それも今は開発でなくなってしまい、とても複雑な思いを抱いている、と言っていた。

被曝者は被爆二世、三世と続いていく。そういう意識があるのは「放射能」が人体にどのくらい影響を及ぼすのか、全く分かっていないからだ。だからある程度語り継がれやすい。しかし、東京大空襲に遭った人は、その人が死んでしまえばもうその体験は語られないと「なかったこと」になってしまう。その違いはとても大きいと思う。だからこそ、今、生き残った人たちの中で、今まではつらい経験なので忘れようとしていたことを敢えて「自分が語らないと」と意識を変えた人たちがいるのだ。

番組の中では、5月25日に母親を亡くした遺族(子ども)が母の遺品を初めて自分の子どもや孫に見せて、いろいろ話しているシーンや、3月10日の大空襲で自分以外の家族をみんな亡くして孤児になって(なんと当時3歳だったそうだ)、「やっかいもの」として親戚をたらい回しにされた遺族の話、そのことを自分が親が生きていたら通ったであろう小学校で体験として話すシーンなどで構成されていた。わたしは通うはずだった小学校で赤いランドセルを背負い「赤いランドセルを背負うのが夢だったのよ」と語り、そして「この学校に通いたかった」というところがすごく印象に残った。たった3歳で孤児になり、そして「お前も一緒に死ねばよかったのに」などと言われ続けて育つなんて、なんと言えばいいんだろう、それでよくここまで生きてこられましたね、と、本当に心の底から思ったし、こういう人はこの人だけじゃなく、例えばスタジオに来ていた海老名香葉子さんも同じことを言われた、と言っていたから、そういうのは「特別なこと」ではなかったのだろう。「自分のような思いをする人はもう今後出したくない」という海老名さんの声が震えていた。それはすっごく「リアル」だった。当時、戦災孤児になった人は何人いるんだかよく分からないけど、なんか「檻」みたいなところに入れられてる写真があって、こういう人たちはそれぞれその後どういう人生を歩んだんだろうって思った。今、それぞれ幸せに暮らしているといいけれど。。

そういえば、「カーネーション」にも戦災孤児が出てきたよね。主人公の糸子がパーマ機を東京まで買いに行ったときの宿で糸子が腹帯の中に入れてたお金が戦災孤児に盗まれるという話。「おばちゃんらがいい世の中にしたるさかいな」って言って、その後、確かに豊かな世の中にはなったけれど、あの子たちはどうなったんだろうな。

そんなこんなで、当時戦災孤児がどのように過ごして、どうやって育っていったかとかは、いろいろと想像をするしかないんだけれど、わたしはこういう被害者の言葉や戦災孤児がいたという話も受け止めて生きていかなければならないと思うし、本当はそれだけでなく、加害の面も受け止めて生きていかねばならないと思うんだよね。結局、被害と加害、両方受け止めて生きてかなきゃならないんだ。

それは同じ目的のため。「もう戦争はしてはいけない」「平和な世の中を続けていくため」。

たださぁ、思ったのは、被害者でさえ戦後67年経ってようやく口に出すことが出来るようになったわけで、加害者はそれよりもっともっと口に出しづらいよね。特に加害者で集まって何かをする、という目的もないわけで、加害者がその加害に対して何かを言うとすればそれは1人で言うことになるだろう。それはやっぱりとても勇気がいることだ。そして被害者も今は大半が亡くなってしまったように、加害者だって大半が亡くなってることだろう。そうするとやっぱり「加害はなかった」ってことになってしまうのだろうか。これだけは個人のそれぞれの思いだから無理矢理「言え」とは言えない。そこのところが難しいところだよね。。自分がやったことにより未だに悪夢を見ている人もいるかも知れない。けど「やったこと」は口に出したくない、言えない、おそらくそういう人っているんじゃないかなあ。もちろんやったことの罪は消えない、けれど、その罪にずっと苦しんでいるとすれば、その人もある意味被害者なのかもしれない、などと思ったりも実はするんだ。。「戦争」というものに対しての被害者という意味でね。

そしてこの世界には不幸にも戦争までには至ってなくても、至る所に争いが起こっている国や地域がある。それは直接わたしがどうこうするわけにもいかないし、できることではないけれど、どうか「戦う」以外の方法を模索して欲しいと願っている。でもねー、願っててもことはそう簡単にはいかないんだよね。歴史の中でいろいろと拗くれているところがあって、どう解決していいのかすら分からないところもある。それは十分分かってるんだ。分かってるんだけど、なんとかして、人類の知恵で戦いをなくすことはできないのだろうか。今現在も爆撃に晒されている人たちが存在する。そういう人のことを思うと、、本当に胸が痛む。
22:22 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
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