03-06 Tue , 2012
やったんやな
毎日、NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」を見ている。

先週の火曜日だったか、安岡のおばちゃんが病室で戦争で亡くなった息子の勘助(主人公糸子の幼なじみ)が一度戦地から戻ってきて、人が変わったように塞ぎ込んでいたことに対して「あの子は気が弱いから戦地で上官にいじめられたと思っていた。けど、昨日戦争で日本軍がどんなことをやったのかテレビで見た。あの子はやったんやな」と言った。

正直、朝ドラで戦争についての加害性について言うなんてことは思いもしなかったんで、びっくりしたと同時に二度目の戦地に行くときの、誰にも言わずに少し微笑みながら電車に乗って去っていった勘助の顔を思い出して涙が出そうになった。

今、なんだかよく分からないけど、先の戦争について日本はなんもやってないだの仕方がなかっただのという風潮が出てきていると思う。戦争については主に被害の面だけが強調され、加害の面のことを言うとすぐに「反日」だのなんだのと言われて口を噤まざるを得ないような状況になっていっている。

つい先日もね、わたしが住んでる自治体で「平和祈念展」みたいなのをやったのよ。でもそのポスターに書いてある内容は全部「被害の面」からしか語られていなかった。それを見てなんだか複雑な思いを抱いた。そりゃあさ、被害の面を語る人の方が多いだろうしね。「こんなに悲惨な目に遭ったのだから、二度とそういう思いはしないようにしましょう」って方が心にはいってきやすいとは思うよ。そしてわたしだってことあるごとに「被爆二世です」と言っているということは「被害者です」と言ってるのと同じだと思うしね。

けどさ、加害の面も決して忘れてはならないし、それも同時に語り継がなければならないと思うんだよね。「日本はなにも悪いことはしていない。むしろいいことをやった」と言うのは、まぁ全部間違いではないにせよ、全部あっているとも言いきれないよね。

資源に乏しい日本がなぜあんな戦争を起こしたか、ということについて、わたしは「戦争の論理」という本をこないだ読んだのだが、日本はともかく戦地を拡大しながら現地で資源を調達しながら戦う、という方法を取ることに決めた、と書かれてあった。そこで想像してみるんだけれど、ある地域を戦って占領したとする。そこで資源を現地調達するためにはどんな人たちが働かされるかを考えてみる。当然戦っている日本兵ではないことは確かだ。だって日本兵は戦うためにいるわけで、現地から資源を調達する役割はないだろう。そしてあの時期は日本から開拓団が渡っていったと言っても、開拓団が行った先というのは、まさに戦争が行なわれているところではないはずだ。とすると、誰が資源を調達するかと言うと「それまでそこに住んでいた人」としか考えられないではないか?

そしてこれは「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本も読んだのだけれど、その中にアメリカ兵捕虜の扱いのデ-タについて書いてある。それによると捕虜となったアメリカ兵の名簿から、捕虜となり死亡したアメリカ兵の割合を地域別に算出したところ、同じ敗戦国のドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%だったのに対し、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼった、と書いてある。

捕虜の扱いがこんなにひどいのだったら、現地にいる人の扱いも相当ひどかったに違いない、と推測される。それに(今もそう信じて止まない人たちがいるけれども)中国や朝鮮の人たちを「三流国」の国民として馬鹿にしていたのではないか。「三流国」の国民だと思っている人たちに対して誰が丁重な扱いをするだろうか。多分、そう考えるのが自然だと思うんだよね。

そして、これはわたし自身の体験というか、身内に加害者がいる。わたしの血の繋がっていない祖父だ。血の繋がっていないことにはわけがある。わたしの血の繋がっていた祖父は身体が悪く、戦時中に亡くなってしまっていたのだ。そして、戦後、復員してきた血の繋がっていない祖父と祖母が結婚(祖母にとっては再婚)したのだ。

わたしは誰からその話を聞いたのかもう覚えていないのだけれど、義祖父(という言葉あるかどうかは知らないが)は中国ですごいひどいことをした、と聞いた。そのためもう少しで戦犯になるところをシベリア抑留され、そして一番最後の船で復員してきたそうだ。以前、いつだったか「ラスト・エンペラー」という映画が公開されたことがあった。そのときはまだ義祖父は生きていて、そのラスト・エンペラーが愛新覚羅溥儀のことと知ると「ああ、あの溥儀くんか」と叔母に語ったという。シベリアで同じ収容所に収容されていたらしい。

わたしにとってはとてもやさしくて、そしてどことなくひょうきんな義祖父だった。盆や正月に訪ねるたびに「べっぴんさんになったなあ」と言われた思い出がある。そして非常に愛妻家だった。だって考えてもみて。あの頃は極度の「女余り」だったのだ。男が戦争に行っていなくなってしまったから。だから男は引く手あまただった。義祖父はそれまで結婚もしてなかったし。なのにわざわざ「子持ちの女」と結婚した。周囲からは「またなぜそんなよりにもよって」と言われたらしい。が、義祖父の一目惚れだったそうだ。だから、祖母はそれこそ「お姫さま」のように扱われていた。そういう仲睦まじい夫婦だった。その義祖父もわたしが大学院生のときくらいに亡くなってしまった。元々離れたところに暮らしていて、あまり会ったこともなかったし、あまり話さなかったこともあって、わたしは直接戦争の話について聞いたこともないし、語られたこともない。今思うと聞いておけばよかった、と思うことがよくある。確かに義祖父にとっては戦地での体験がどうだったかは分からない。もしかしたら孫には話さなかったけど、子ども(わたしの叔父や叔母)には語っていたのかも知れない(溥儀のことも語ってたし)。でも、わたしはわたしなりに聞いてみたかった。義祖父が生きている間にそんなことを思ってもみなかったのが悔やまれる。

わたしには、そういう体験がある。そしてそれは語り継がなければならないと思っている。だからこうやって書いている。

戦争に行ってどんなことをやったのか、加害のことを話す人は少ないだろう。誰も自分がやったひどいことについては黙っていたいと思う。そしておそらく大半の人が語らずにこの世を去ってしまった。それはある意味仕方のないことなのかも知れない。けれど、今、あれから65年以上経って「なにもなかった」ような風潮になっていることがわたしには許せない。わたしが被爆二世である、と絶えず思い、言うように、中国や朝鮮の人たちも「被害者だ」と言う人がたくさんいるだろう。そういう人たちに対して「済まないことをした」と謝り続けることは果たして日本人としての誇りを失わせるものなのだろうか?わたしは逆だと思う。「もう二度とあのようなことはしません」ということこそが日本人としての誇りだと思う。だから憲法9条は「日本人の誇り」なのだ。

もちろん、今現在の日本はアメリカの「核の傘」の中に入っているからそういうことが言えるのだ、と言う人もいるだろう。北朝鮮が、という人もいるだろう。それはわたしにも十分分かっている。

だけど、日本はもう戦争をしない国なのだ、と国際社会に訴えることがなぜいけないのだろう。今後、再び世界大戦が起こったときは、もう生物はこの地球上では生きていられなくなる、と思う。だとすると人類に残された道は「平和への道」しかない。日本は世界に先がけて「戦争をしない」ことを訴える国になる役目を持っていると思う。

わたしはそう思っているのに、日本は逆の方向に行っているように思える。

わたしにはそれが悲しくてたまらない。
21:45 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | page top↑
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