02-24 Fri , 2012
おじいさんと草原の小学校
彼女は毎日家で仕事。わたしは昨日の日記に書いたとおり、一日中家で勉強したり本を読んだりしてる。そして休めない性格をしている。だから意識的に「休みの日」を決めなければ、休めない。

というわけで、今週の火曜日だったか、二人で映画を観に行ってそれから夜はどこかで食べて帰ろう、ってことになった。映画は気分が楽しくなるようなほのぼのした映画がいいね~となったものの、二人の性格からしていわゆる「普通の娯楽映画」は絶対にほのぼのするどころか、文句たらたらになるだろう、ということで、彼女が「名画座」で検索して出てきたのがこの「おじいさんと草原の小学校」という映画だった。題名がすごくほのぼのしているし、映画の中身も「ケニアで初等教育の無料化に伴い、84歳になるおじいさんが文字が読みたい、という理由で学校に通う物語」って書いてあって、なんとなくほのぼのしそうだね、ってことでこれに決めたのだ。ただ、そこに付いていた「PG-12(小学生には助言・指導が必要)」マークがちょっと気になったところではあったけれども。。

見終わって愕然とした。ほのぼのするような内容では全くなかった。

もう正しい部族の名前とか地名とか人の名前なんかは全く忘れてしまったのだけれど、そこにはアフリカ(正確に言えばケニアなんだけど)が植民地時代に支配者からどういう支配をされていたのか、反政府軍(というより、わたしの目には反政府「団」くらいにしか思えなかった)がどんな仕打ちを受けてきたのか、そして現在のケニアの状況。わたしにとっては「アフリカ大陸」というのは今まで学校でもそんなに教わってこなかったし(不自然にまっすぐな国境線は列強の勝手な思惑で決められた、ことくらいは知ってたけど)イメージ的には「難民がたくさんいて特に子どもの食糧やワクチンが足りない。たった○円で子どもが何日食べられるとか、1回ワクチンを受けられる」と言った「寄付」関係のものが大半で、「歴史」についてしかもその「歴史」というのは、たった数十年前、そしてそれが今、まさに続いていることなんか考えもしてなかった。

映画の内容。上にも書いたとおり、部族の名前等は覚えきれなかったし、内容についてはわたしの誤解も多々あるかも知れないけれど。

2003年にケニア政府は「初等教育の無料化」を打ち出した。「出生証明書を持ってこい」という政府に対してどっと押し寄せる子供を持つ国民達。定員50名のところ、200人もの生徒が集まって、小学校が作られる。そこに84歳になるという老人が学校に現われ、授業を受けたい、と言う。「学校はただでさえ子どもでいっぱいなのだから、老人には受けさせられない」「学校は子供たちのものだ」「学校に来るためにはノートと鉛筆がいるのだ」「学校には制服を着てこなければならない」そんな理由で毎日毎日拒否される。

しかしあるとき、そこの学校の校長(女性)が「なぜそこまでして学校に来たいのか」を問う。老人は「文字が読めるようになりたいのだ」と答える。老人には以前、とあるところ(実は大統領政府なのだが、彼は字が読めないので分からない)から一通の手紙が来ており、その内容を読みたいのだ、ということが映画の中で示される。老人は断わられる度にノートと鉛筆を用意し、学校の制服も買い、そして校長の独断で「学校に来て勉強してもいい」という許可を受け、勉強を始める。毎日学校へ通う姿を近所の人が見て冷やかす。それでもアルファベットの「a」から、数字の「1」から教わる老人。

そういう「現在」と、この老人が若いときに経験した「過去」の回想が交互に出てきて、映画の中では何も言わなくてもこの老人は若い頃「マウマウ」と呼ばれた反政府「団」に誓いを立て、そして白人(イギリス人)の家を襲撃し、その罪によって政府に捉えられ、目の前で奥さんと子どもを殺され、自身は囚人として収容所で逆さ吊りなどあらゆる拷問に掛けられ、マウマウの誓いを破棄するよう求められた過去を持つことが明らかにされていく。

特に奥さんと子どもを殺されるシーンは残虐としか言いようがない。支配層であるイギリス人が政府に協力しているある部族(赤い帽子を被っている)に命じて、必死で2人の子どもを離すまいとする奥さんから子どもを引き離し、夫がマウマウであることを言えと言われるが無言で拒否すると、こめかみに銃口が向けられ一発で殺される。そのそばで泣きわめいている子どもも同じく銃で殺される。それを目の前で若い頃の老人が見ていて、気が狂わんばかりに叫ぶ。

わたしは無知で全く知らなかったんだけど、現地の統治の仕方は帝国がそのまま支配するのではなく、現地のある選ばれた部族が支配層の帝国に優遇されて統治していたのだよね。帝国は自らの手を汚さない。部族と部族が憎み、争うように仕向ける。人間ってなんて卑劣なことができる存在なんだろう、そのことがわたしの頭の中を離れない。

校長は老人が教育を受けることを許可する一方、あれはどういう位置の人なのか、校長より上の存在なのか、よく分からないんだけど、老人が学校に来ることを強硬に反対する男性がいる。「あの老人は元マウマウだ」「マウマウは危険だ」と言い、そしてことあるごとに校長に「老人を学校の中に入れるな」と言う。しかし「学校は子どもだけが通っていいとは言われていない」「今は部族と部族が対立する時代ではない、みんな一つのケニアなのだ」とつっぱねる校長。老人もその男性は過去に拷問を受けた部族であることから「ヤツなんかの授業は受けたくない」と厳しい口調で言う。

校長はあるとき、老人が手首に数字が刻印されている金属のリングがはめられていることを発見し、聞く。「自分は昔、囚人だったんだ」と老人は答える。

そしてなぜか84歳で小学校に通う老人がいる、ということを世界中が知り、老人に世界中の記者が殺到する。老人は「ペンは力だ」と答える。そのことで一躍世界中に有名になると、ケニア政府自体はそれを喜ばしいことと歓迎し、あらゆるところに老人の顔写真と「ペンは力だ」という老人の言葉を載せた「看板」を立てる。

しかしそういう中でも学校の中ではまだ老人を排除する動きがある。それと同時に老人が記者に取りあげられたことに対して校長が何らかの「袖の下」をもらったのではないか、という声も上がり、校長が自宅にいるときに「今、お前は家の外にいるだろう。いつも見張っているぞ」という携帯電話がかかってきたり、少し離れたナイロビで単身仕事をしている夫に対しても「お前の奥さんはお前がいないときに浮気をしている」などという電話がかかってきたりして、校長を混乱に招き入れようとする。

老人を学校から排除する動きに対して、仕方なく校長は老人には授業を受けさせないことにする。が、その代わり「自分の助手」となってもらうことにする。

一方、最初は一人だったおじいさんはそのうち生徒らとも仲良くなり、おじいさんは子どもに「自由が一番大切なんだ」ということを教えたりする。おじいさんの隣の席に座る子どもはどうしても数字の「5」が覚えられず「授業に付いてこられない生徒は放り出せ」と言われているのを聞き、他の生徒に暴力をふるったり(それはおじいさんが止めた)暗い目をして一人ぽつんといたりするんだけど、あるときおじいさんが「やせっぽちさんにふとっちょさん、その上に帽子を被せてそれが『5』だ」と、おじいさんが突いている杖で「5」の書き方を教える。その子に杖で「書いて見ろ」というおじいさん。子どもはその歌を歌いながら「5」の字を何回も書く。子どもは笑みを浮かべる。

学校に老人を居続けさせることをよしと思わない勢力はついに校長を「転任」させることにする。その地からさらに何百キロも離れたところの学校に赴任させようとする。校長の夫は「今でも離れたところに暮らしているのに」と不満を言うが、校長は「わたしは赴任する。わたしは絶対に辞めない。今でも離れているのだから、それが何キロ離れようと一緒だ」と言い切る。

校長は事前に老人の家を訪ね学校を去ることになった、と告げる。老人は校長に対して「あなたはどこの部族ですか」と聞く。校長が部族名を答えると「湖の部族か。。(ああ、ここでなに言ったのかもう忘れちゃったよ)」と言う。

学校では校長のお別れ会が開かれ、みんなさまざまな贈り物をして校長と別れる。が、新しい校長が赴任してくるとき、その校長や校長を迎えようとして学校の外に出ていった「前校長反対派」の男性に対して、その「5」を書けなかった男の子が学校の校門に鍵を掛け、新しい校長やその男性を学校の中に入れるのを拒否し、そして学校の中から「ジェーン先生(前の校長の名前)を返せ」とみんなで一斉に石や物を投げつけて抵抗する。新しく赴任してくるはずの校長は「こんな学校では教えられない」とさっさと自動車で引き返してしまう。

一方老人はヤギをお金代わりとし、車に乗ってナイロビに向かう。途中、皮肉にも自分の写真が入っている看板とすれ違う。「議長に会わせてくれ」と老人は受付の人に訴えるが「今会議中です」と言われる。が、老人は勝手に中に入っていく。「今会議中だから困ります」という受付の人を無視し、会議室に入っていく老人。そして会議中の議長の前に立つ。「すぐに外に出しますから」という受付の人に対し「いや、いい」と答える議長。そして老人はおもむろに着ている服を脱ぐ。そして背中を向ける。そこにはムチで打たれたのか、背中にくっきりとした3筋の傷跡が残っている。「自分には足の指も全部切られてなくなった」と言う。「もう見せなくてもいい」という議長に対し「校長を学校に帰して欲しい。どうしても必要な人だ」と議長に訴える。

学校に校長が帰ってくる。喜ぶ子供たち。その子供たちがいなくなったあと、老人は校長に1通の手紙を見せる。「自分はまだ難しくてこの文章が読めない。だから代わりに読んで欲しい」と言う。校長はその手紙に目を通し、そこにいた助手に向かって「読んであげて」と言う。そこにはその老人が囚人として受けた仕打ちに対する政府の「補償金」が受けられることが書いてあった(最初の大統領府からの手紙の内容がこれだった)。それを黙って聞く老人。「これからどうするの?」という校長の問いに「まだまだ学校に通うよ。獣医になりたいんだ」と答える老人。そしてその後、この老人は国連で教育の大切さを訴えたこと、2009年まで生きたことなどが紹介され、映画は終わる。

この映画は実話に基づくフィクションなので、どこが事実の部分でどこがフィクションなのかは分からない。なぜあそこまで老人が学校へ来ることを拒んだ人がいるのか、それがよく分からない。しかし、この映画を作ったのはなんとBBC(英国放送協会)なのだ。わたしはまずそれに驚いた。かつてその地域を残虐な方法で支配していた国でこのような映画が作られる。ある意味、自分の国の「負の歴史」を語っている映画だ。そこにイギリスという国の「深さ」を感じた一方、ではイギリスは自国民に対して、例えば歴史の授業なんかで自国の「負の歴史」についてどのくらい教えているのか、それがものすごく気になった。イギリス人はこの映画を観て、一体どのようなことを思うのだろう?それも気になった。

そして、教育はかつての支配国であった「英語」が教えられる。そうしないと部族間の言葉では部族外へは通じない。この映画では頻繁に老人と同じ部族に対しては老人は部族語でしゃべる一方、校長など部族が違う人たちに対しては英語で話す、という場面が見られた。英語じゃないと通じないのだ。かつての「支配国」(宗主国?)について、現代に生きるケニア人がどう思っているのか、それはこの映画からは分からない。憎しみは「支配国」自体より、支配国に支持されたある部族の方に向けられているのではないかと感じる。だけど独立して「ケニア」となった以上、部族対立はなくして、すべて「ケニア人」として生きていかなければならない。

わたしは今まで国際法の「民族自決の権利」は崇高な理念だと思っていた。もちろんそれが当てはまる国もあるだろう。けど、民族自決の権利など薄っぺらい、美辞麗句に過ぎない国も存在するんだ、ってことを知って、なんて言っていいのか分からないくらい複雑な思いを抱いている。

そして首都ナイロビと老人の住む地域(どのくらい離れているのかは分からないが、車で数時間くらいだと思われる)の生活の違い。携帯電話を使う人がいる一方、電気さえない掘っ立て小屋みたいなところで住む人たちもいる。その格差。

だが、なぜかわたしは映画を観てケニア全土がナイロビみたいになればいいとはあまり思わないのだ。ナイロビみたいになることがすべてのケニア人にとって幸せかというと、なんだかそうは思えないのだ。それはあの映画で醸し出されるアフリカ特有の雰囲気、例えばすぐに踊り出したり歌い出したり、、そういう光景を見ると、あの人達は、ああいう風に生きていくのが幸せなんじゃないか、そう思えてしまうのだ。

ただもちろん教育は必要だ。教育を受けて、国民がある一定のレベルに達したとき、あの国はどうなるんだろうな、そんなことを思った。

この映画、PG-12な理由が分かったよ。だけど小学生が実際観たとして、理解できるとは到底思えないが。

そして映画を見終わったあと「こんな内容だったら、あんなにほのぼのとした映画の題名を付けるなよー」と文句を言いつつも、その後入った喫茶店であれこれ話したわたしたち。彼女は実際、この老人のモデルとなった人が国連で話したことがニュースになったのをなんとなく覚えていた、という。結局わたしたちにはこういう映画が似合っているのかも知れない。

それでもわたしに「こういう世界がある」と知らせてくれたこの映画。どうしても日常を生きていると自分の身の回りのことしか考えが及ばなくなってくる。そういうものを打ちのめしてくれた映画だった。
12:53 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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