01-25 Wed , 2012
わたしが日本に住む日本人である、ということ
ちょっとしたことがあり、とある朝鮮学校のブログを読む機会があった。

ブログの文章は主に日本語で書いてあるものの、突然朝鮮語の単語や文章がカタカナで出てきたりするので、朝鮮語が全く分からないわたしは「この単語、どういう意味なんだよ?」とか「この文章、全然分からんじゃん!」って思ったことも多々あったが、それ以上に読んでいるうちに段々と違和感が強くなってきた。

そのブログは画像が多用されているのだが、例えば運動会の様子、朝鮮半島が描かれたそばにチマチョゴリやパジチョゴリ(だっけ?男の子が着るヤツ)を着た子供や、朝鮮半島の統一旗を持った子供の姿が描かれ、そこにおそらく「紅組」「白組」と書かれているだろう(ハングルで書いてあるのでよく分かんない)点数表が貼ってある一枚の大きな絵(というかなんというか)の画像を見たとき、授業中の画像を見たとき、何より書いてあるブログの文章を読み、そこはわたしが思ってもみなかった「世界」があり「文化」が、今、自分の住んでいる「日本」にそういう「こと」が存在するんだということを知ったとき、そのことに対してわたしはものすごく「違和感」を感じた。

わたしはその「違和感」について考えてみた。

わたしはなぜそれらに対して「違和感」を感じるのだろうか?そのことを何日も考え続けてある日ハッと気が付いた。その「違和感」こそが、実は「わたしは日本に住む日本人なんだ」ということなんだ、ってね。今までわたしは「圧倒的なマジョリティである日本に住む日本人とは一体どういうことなんだろう?」ってずっと考えてきた。でも、それは自分にとっては当たり前すぎてよく分からなかった。ところが、こうやって別の「文化」を見ることで、今まで如何にわたしが意識せずに「日本文化」や「日本のしきたり」にどっぷり浸かって生きてきたかが本当によく分かった。

マジョリティの気持ちを理解することは難しい。なぜならそれが「当たり前」と思われているからだ。しかし「当たり前でない世界」に接したときに感じる違和感から逆に「当たり前」のことを感じる、そういうことが分かって少し嬉しかった。しかし「マジョリティであること」=「正常」というわけではない。わたしはそのことも強く心にとどめておかねばならない。

ただ、そのブログにはごく自然に(日本の)アニメやゲームの話についても書かれており、在日の人を取り巻く環境は学校だけではなく、日本文化ももちろん影響を受けていることを知り、わたしはその複雑さを感じたのだが、おそらく彼らにとってはそれが「当たり前の世界」なのだろう。
20:25 | 自分のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<ブックマーク整理 | ホーム | 踏んでいる足、踏まれている足>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://rontako.blog39.fc2.com/tb.php/1553-9306d971
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
AX