01-14 Sat , 2012
「"私"を生きる」を観てきた
今朝、急遽思い立って彼女と一緒にこの映画を観てきた。
この映画をやってる渋谷の「オーディトリウム渋谷」を調べようとぐぐってたら、この作品が「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の奨励賞を取ったって書いてあったから、あれれんと思ったら、akaboshiさんの「しみじみと歩いてる」と同時に奨励賞を取った作品だった。あら、すごい偶然(?)。

映画の内容は、卒業式の「国歌斉唱」のときに立たなかった教師と同じく卒業式の日にピースリボン(HIV/AIDSのレッドリボンみたいなもので、色が青色)を付けて出席した教師、そして職員会議で教職員が発言することを禁止する通達に対して反対を表明した校長の「生き方」のドキュメンタリー。この校長ってのが、わたしの母校、都立三鷹高校(鷹高)の校長だった人なんだよね。

正直、もう高校を卒業して25年になるが、映ってる校舎や体育館やなんやかやが懐かしくてー。思わず観ながら「懐かしい!」と声をあげそうになってしまった(笑)ただ、下駄箱が当時とは違って蓋が付いてるのになってたな~(って関係ない)。

印象的だったのは、前者の2人が「(自分の信念を曲げたら)自分が自分でなくなる」と全く同じことを言ったこと。そして2人とも都教委から処分を受けたり不当な扱いを受けたりして「自殺」を考えた、ということ。鷹高校長が「(管理職になるために)妥協できるところは少し妥協した」こと。そして「同性愛」という文字が1回、言葉が1回出てきたこと。これにはすごく驚いた。だってまさかこんな言葉が出てくるとは思いもしなかったから。「存在を無視されていない」ということがすごく嬉しかった。

逆に少し気になるところがあった。前者の教師2人は女の人だったのだけれど、子供の話は出てくるのだが、ダンナの話が全く出なかったこと。それに対して鷹高校長は「妻を愛している」と妻のことについて言及したこと。前者2人のダンナは奥さんの行動に対して全然協力しなかったってこと?って思ったし、もしかしたら離婚しちゃったのかなぁとか、そういう「下世話」なことも考えたりして。

気に入らなかったシーン。「世界のお母さんはみんな一緒、同じことを考えてる(多分、みんな自分の子供を愛していると言いたかったんだと思う)」みたいな歌を歌ってるシーンがあったけど、みんな同じなはずないじゃん、って思ったし、そこで「みんな同じ」って語ることは、なら「国歌斉唱」のところで「みんな」同様に立て、と言う人と同じ論理じゃん、って思った。それだったらなぜ「お母さん」はよくて「国歌斉唱」はダメなのか、ということにならないか。

わたしはここのところ「みんな一つ」とか「同じ」とか「普通」とかって言葉にすごく敏感に反応するようになっている。わたしはこれらの言葉は嫌いだ。「多数派が正しい」「多数派の意見に従え」「多数派は普通だ」と「多数派になること」を強制されているような気がする。なぜ一人一人の意見が違っていてはならないんだろうか。「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」より)は賞賛されるのに、なぜ実際には「みんな一つ」を強制されるのだろうか。そこのところがわたしにはよく分からない。

この映画が終わったあと、監督と出演者3人の挨拶があったんだけど、監督は「この映画が『日の丸・君が代』に反対している映画だと捉えられたならば、この映画は失敗です」と言った。わたしはそうは思わなかった。この映画の出演者3人に共通して言えるのは「自分一人一人の頭で考える」こと「それぞれ違っていてもそれはいいことなんだ」という教育を行なっていること。そして3人ともその自分の考えを貫き通して生きている。「権力」に向かって。特に前者2人はね、すごいなあって思った。強い、という言葉は語弊があるかも知れないんだけれど、強いなあって思ったんだよね。一人はストレスで胃の中の血管から血が吹き出て病院に入院したらしいんだけど、よく精神的に壊れなかったよなって。1回でも精神的に壊れると治すのがすごく大変なことは、うつ病3回やってるんでよく分かってる。だから、精神的な病気にならずに本当によかった、そう思った。

「権力」にもの申すことは大変で、本人もそれを分かっているはず。だけど「もの申さない」と「自分が自分でなくなる」。停職6ヶ月の処分を受けて、それを裁判で訴えた教師は逆に裁判所から「世の中は自分の意に沿わない場合でも妥協して合わせていくのが世情である」と言われたらしい。なんじゃそりゃ。ここでも「多数派が正しい」という論理か。これが裁判所の意見だとすると、こういう裁判所で捌かれるのが怖いよ。「言論の自由」はどこに行ったんだ?憲法で保障されている「言論の自由」よりも「公務員としての職務専念義務」(と言う名の実際は上意下達)の方が尊重されるというのか?わけ分からん。

しかし、一方この映画では「このままこの教育が続いていくとするなら、どんなに怖い将来が待ち受けているか」ということも分かる。都教委は校長を「自分の意のままに操れるロボット」として扱い、各校長は各教員に「自分の意見を言わないように」と強要する。そんな自分の意見も言えない教員が自分が預かっている子供たちに向かって「自分の頭で考えましょう」なんて言うか。すると子供まで「自分の意見など考えず、上の人の言うなりにするのが一番いいことだ(楽だ)」と教わることになる。そうすると、一番上の人が「右向け右」と言ったら、全員が何も考えず右を向くわけだ。背筋がゾーッとする。そういう教育が実際に行なわれている。その子供たちが大人になったとしたら。。日本は再び過去と同じ道を歩むことになるのか。

そのことによって利益を受けるのは誰なのか?「右向け右」で一斉に右を向く国民を作って一体誰が得をするのか。「国民一人一人」ではないことは確かだ。過去の戦争がそのことを十分示しているではないか。そのことをよく考えろ、と言ったって、考える頭がないんだから絶望的だよね。

と、つらつらこの映画を観た感想を書き連ねてきたが、138分あるというこの映画、観る前は「2時間以上あるのかよ」と思ったが、見終わったらそれほど長くは感じなかった。そして当初の予定では1月27日までだったが、今日の人の入りがよかったらしく(ほぼ満席だった)、2月3日まで延長になったらしい。

わたしは退院後は病院か近場に買い物をするくらいしか出かけてなかったんだけど(出かける気力がなかった)、今日は久々にそれ以外のことで出かけることができて、少しだけ前の自分を取り戻せたかな。あとは映画を見終わった感想を喫茶店であれこれ彼女と話せてすごく楽しかった。
22:05 | (一般)映画・演劇のこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<膀胱炎 | ホーム | 世界は自分中心に回ってない>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://rontako.blog39.fc2.com/tb.php/1547-aba2e7ea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
AX