03-21 Mon , 2011
割りきれない思い
東北関東大震災(東日本大震災)が起こって10日。
ニュースやtwitterで流れてくる情報を聞いたり読んだりしているが、だんだん自分の中でもやっとしたもの、というか、割りきれないというか、そういう思いが強くなってきて、自分の頭の中から溢れそうなので、ここで吐き出してみる。

地震に伴って起きた原発事故。
未だ、予断を許さない状況だが、それに対する世間の反応にイライラする。
多分、それが自分の中で大きな問題と感じるのは、単にわたしが被爆二世だ、と言うことだろうと思う。

被爆二世であるわたしは、多分、他の人よりも原発のことや放射能のことについて、敏感だし、8月6日(時折9日にも)の日には必ず日記に原爆の怖さを訴えてきたし、今までたくさん考えてきたので、今言われている「被曝の恐怖」や「原発を持つということによる危険性」をあちこちで聞くととても悲しく思ったり、「何を今さら」と思っていらつく気持ちが湧き起こってくるのだ。

特に原発がある福島県から避難してくる人を「被曝しているから」という理由で受け入れない、原発に近いと誤解されて救援物資が届かない地域の話などを聞くと、まるで自分が差別されているような気がして心が痛い。「被爆者差別」というのは、昔々は確かに存在していて、そのために結婚を断わられたりする、みたいな話は聞いたことがあるけれど、それは昔の話だと思っていた。わたしだって「被爆二世だ」という理由で差別されたことは今までなかった。だから「被爆者差別」はなくなった、って思い込んでた。

けど、今回のことでそれらは決して過去だけのものじゃない、ってことが分かって、わたしはとても暗澹たる思いがする。たとえその人が被曝していたとしていても、その人が他の人を被曝させる、なんてことが起こるわけがない。そんなこと、ちょっと冷静になって考えればすぐに分かることなのに、なぜそんなに恐がるのだろう。

ましてや今回は原発周辺地域からの人は、スクリーニングを行なっていて、その結果被曝が確認された、なんてことはないわけで。それなのに受け入れ拒否とは、一体どういうことなんだろう?

放射能に汚染された地域に行きたくない、という気持ちはなんとなく分かる。けれども屋内退避さえ免れている地域に対しても過剰に反応するのはどうかと思う。といえども、確かに自分の中に「被曝の恐怖」がない人にとっては、これはとても怖いんだと思う。わたしなんか、生まれつき「被爆の恐怖」があって、常に自分の中に見えない爆弾を抱え込んでいると思って観念しているから、今さらこれに若干の危険性が付け加えられたとしても、正直何も怖くないし、なんとも思わない。そこの意識の違いが、やっぱり何の恐怖も持っていない人と違ってるんだろうなと思う。そういう意味ではわたしはもう、観念しちゃってるんだよね。

もちろん、原発事故に対しては早く安全な方向に収束するのを願っているけれど、もし万が一、最悪の事態が起こったとしても、わたしは東京から離れることはない。東京以外行くところはないし、もうそれはそうなったで仕方がない、そう思っている。放射能の恐怖というのは、今、ここで何かが起こる恐怖ではなく、将来にわたってずっと持って行かざるを得ない恐怖だ。多分、そういうことが何もない人にとっては恐怖で、パニックを起こす原因になっているんだろうと思う。既に恐怖を持っている人間と持ってない人間の違いって、そこなんだろうなあ。わたしはこれ以上のことがあったとしても恐怖感は抱かない。自分の中にある爆弾の爆発する確率が2倍か3倍になった、と思うだけだ。

とはいえども、このような恐怖を抱かなければならない責任は、実は自分たちにあることを分かっていない人が多いような気がする。原子力発電の施設を持つ、ということは、つまり、こういうことなのだ。そして、わたしたちは今まで原子力発電から供給される電気を当然のように、湯水のように使ってきたではないか。そのツケが回ってきただけなのだ。だからある意味自業自得なのだ。だから、こういうことが起こった以上は、黙ってそれを受け入れるしかないのではないか、と思う。

もちろん中には「自分は原発反対派だった」という人間もいるだろう。このわたしだってそうだ。わたしは被爆(被曝)の恐ろしさを味わうのは、今存在している被爆者とその子孫だけで十分だ、それ以外には一人だって被爆(被曝)して苦しむ人を出したくない、常々そう思っている。だから、核爆弾はもちろんのこと、原発だって本当は反対なのだ。だけど、だからといってわたしはそのために世間に何か動きかけたわけでもない。わたしがやったことといえば、自分の持っている電力株(うちの祖父が電力会社に勤めていたので、自分の会社の株を持っていて、わたしも遺産の一部として若干の株を持っている)に起因した電力会社の株主総会で、原発反対派の株主が「原発の即時撤退」という提案に対して、毎回賛成の票を入れている、ただそれだけのことだ。

しかし、その提案が通ったことなどもちろん今まで一回もなく、結局世間の人の考えというのは(この場合は電力会社の株を持っている人に限られるけれど)「原発持ちたい」ということなのだ。そしてそれが覆せないわたしは、それを観念して受け入れるしかないのだ。だから、原発のリスクも当然負わなければならないのだ。

ところがどうもそういう考えは一般的ではなかったようだ。それどころか、今、関東地方で行なわれている計画停電に対して、「被災地の電源確保のため」と思い込んでいる人がいるという。一体どこまでお気楽で、そして自分勝手なんだろう。

今まで散々原発の恩恵を受けておきながら、今さら「放射能汚染が怖い」と騒ぎ出すのは、とても矛盾していると思う。それだったらなぜ、今までのうちに原発に何かあったときのことを想像してみなかったんだろう?そして放射能汚染が怖いと思うのなら、なぜ今までのうちに「原発反対」を言い出さなかったのだろう?

多分、上のようなことがあり、わたしはとてもいらついているのだ。

これからこのような事故におびえながら暮らすのはイヤだ、と思うならば、これからは「原発反対」を訴えることだ。そして自分たちの力で原発を止めていくしかないと思う。

しかし原発の事象って、HIV/AIDSの事象によく似ているなと思う。必要以上に恐がる必要はないが、さりとて危険性は免れられない、ということにおいてね。だから難しいのだ。被曝者を差別してはならない、恐がることはない、が、放射能汚染は怖い。HIV/AIDS感染者を差別してはならない、恐がる必要はない、が、ウイルスは怖い。これをいっぺんに言うのはとても難しいことだ。だけど、二つともとても重要なこと。もちろんHIV/AIDSと原子力では対応は全く異なるわけだけれどもね。HIV/AIDSとは共に一緒に暮らしていこうと思うけれど、原発とは一緒に暮らしていきたいとはわたしは思ってない。

最後に、今回の原発事故が早く収束されるのを願っているし、現場で働いている人たちの被曝量が少しでも少なくなることを願っている。また、周辺地域における野菜や牛乳の放射能汚染も報告され始めている。それも少しでも早く回復されることを願っている。
15:26 | 被爆二世・戦争などのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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