07-23 Mon , 2007
ついに、言う
親に話してしまった。
というか、わたしは起きたときも泣いていた。なるべく顔を見たくないと思って、空腹を我慢できるギリギリのところまで待って台所に行ったが、そこには両親がいた。

わたしは挨拶もせずに、そのまま食事の用意をして食べ始めようとした。

が、ダメだった。みるみるうちに涙が出てくる。

「もう、家に帰りたい」これがわたしの口から出てきた言葉だった。

突然のことでわけが分からない両親。「どうしたんだ、なにがあったんだ」と聞かれ、つい「自分なんかいなければよかった。自分は家族に迷惑をかける存在だ」と言った。涙が止まらなかった。

一通り、話を終えたあと、父から聞かれた。

「じゃあ、お前は自分たちに何を望んでいるのか?」と。

違う、そういうことじゃない!それはまるで圧力団体に屈した人の言葉じゃないか。わたしは圧力団体じゃない。圧力団体というのは、その人の言葉のどこが間違っているかを一言ずつ指摘し、反省を促す。いわば、理詰めで相手を追い込んでゆく。しかし、それは逆効果だ。それでは表面だった知識は付くが、本当のところでは何も変わらない。いや、むしろ逆に相手に対して不信感を植え付ける。

わたしは切り口を変えた。「じゃあ、自分が同性愛者だったと仮定して考えてみて」と。「それがどんなに怖いことか。自分がどんなに周囲に迷惑をかけると思ってしまうか、想像してみて」と。

父は「自分が男を好きになったところなんか想像できない」と言った。
違う!そうじゃない。そんなこと誰も言ってない。わたしだって自分が異性愛者になったときのことなんか想像が付かない。わたしにとって、男と女が愛し合う、なんてことは想像が付かない。それがこの世の「常識」ではあっても。

「じゃあ、自分が社会的弱者になったところを想像してみて」と言った。
母親は「何となく分かるかも知れない」と言った。が、父親は「想像が付かない」と言った。多分、女は「社会的弱者」のうちに入るので、母親は想像ができたのかもしれない。が、父親には無理だったようだ。というか、そんなことが想像できないのか、と逆に唖然とした。いくら言ってみても「自分は2人も子供がいるから」とか「想像できない」を繰り返す。うちの父親には想像力が備わっていないのか。それとももう歳だから、柔軟性のある考え方ができなくなってしまったのか。

「同性愛者は、結婚することができないんだ」と言った。「そんなことは当たり前だ」と言われた。唖然。最初は何と言っていいのか分からなかったが「このことは人権問題だ」と返すのがやっとだった。しかし、彼らには「人権問題」という言葉が分からなかったらしい。「自分たちに社会的な活動をしろというのか。そんなことはできない」と。そうじゃない。社会的な活動をする、しないは個人の自由だ。「そんなことは、お前の仲間内でやれ」そう言われた。仲間内って、、このことは当事者だけの問題なんだろうか?

生きる上で、もっとも恥ずべきことは「想像力がないこと」だとわたしは思っている。そして今の日本に圧倒的に足らないものは、この「想像力」だ。わたしは想像力のない人間をもっともバカにする。

わたしはそれ以上のことは言えなかった。しかも両親は「親不孝というのなら、もっとひどいのが他にたくさんいる」と言った。違う、そうじゃない。確かにわたしは「自分は親不孝者だ。自分なんか生まれてこなければよかった」そう言った。が「○○よりマシ」というのは、○○を逆に下にみている、ということだ。日本には「上みて暮らすな、下みて暮らせ」という言葉がある。自分より明らかに不幸な人間をみて「自分はそれよりマシ」と思って自分たちを慰めながら暮らす、ということである。しかし、その考えは間違っている。それは対象にされたものを差別する以外のなにものでもない。

確かにわたし自身、全ての差別はなくならないだろうと思っている。現に法務省が平成12年に出した「人権教育・啓発に関する基本計画」の中の「第4章 人権教育・啓発の推進方策」のうちの「(9)刑を終えて出所してきた人」は、納得しがたいものがある。交通犯罪者などは、まだ想像が付く。が、少年犯罪者は?性犯罪を起こしたものは?殺人を犯したものは?前者は、再犯率が高いと聞く(少年犯罪の再犯率は1年では低いが、5年以内になると非常に高くなるそうだ)。性犯罪も再犯率が高いと聞く。そういう人を全く偏見なしの目で自分が見られるかどうかを考えたとき、今のわたしには、そうはとても考えられない。

ちなみに同じ章の「(12)その他」の中に「以上の類型に該当しない人権問題,例えば,同性愛者への差別といった性的指向に係る問題」という言葉が入っている。性的指向は、人権問題なのである。

話が逸れた。

「誰かを対象にし、それよりマシ」と思うのは、とても差別的な考えである。これだけは避けなければならない。もっともやってはならないことだとわたしは思っている。わたしたちはある意味、社会的弱者である。それだからこそ、その関係に上下を付けてはいけないのだ。これも「想像力」の問題だ。

結局、わたしは両親に対して、不信感を募らせるばかりだった。

わたしはこの間、元上司に「乗り越えなければならない」と言われたばかりだ。これも乗り越えなければならない壁なのか。元上司はこういうことも含めてこの言葉を言ったのか。

「何を自分たちに望んでいるんだ」これを言われたときに、わたしはどう答えるべきだったのか。それと「人権感覚とは何なのか」。これについて、昨日一日、わたしはずっと考えていた。そしてこのことはずっと今後も考え続けていくだろう。今は的確な答えが見つからない。

昨日の日記を読んである人がメッセージをくれた。そこにはいろいろ書かれていたが、最後に「一緒に頑張ろうね」って書いてあった。わたしは泣いた。そう、わたしは一人じゃない。父親からすると「仲間内の一人」にしかみられないだろう。が、わたしにはそういってくれる仲間がいる。とても嬉しかった。励まされた。

ここは孤独だった。自分一人しかいない、と思って寂しかった。多分、今現在、そう思っている性的少数者がいるかも知れない。だけど、わたしは言う。「あなたは一人じゃないよ」って。「一緒に頑張っていこうね」って。

わたしは今日、東京に帰る。彼女の元に帰る。やっと、彼女に会える。
07:57 | (自分)肉親とのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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