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09-21 Tue , 2010
しみじみと歩いてる
shintoku空想の森映画祭3日目にやった映画。

感想を書こうと思ったが、前回の「TOKYOアイヌ」と同じように書けないことに気が付いた。

なぜか。

それは「TOKYOアイヌ」に出て来たアイヌの人はあくまでもわたしにとっては「映画に出て来たアイヌの人」なんだけれど、この「しみじみと歩いてる」に出て来た人は、レズビアンの誰それさん、であったり、トランスの誰それさん、であったりするのだ。要するに、アイヌの人の言ってることは、その人個人の発言と理解するよりも「アイヌ全体の人の意見」にどうしても聞こえてしまう一方、性的少数者の場合は「誰それさん」という個人の話、になってしまうのだ。これはわたしにはどうしようもない。だって、本当に自分の知り合いだったり、遠くとも知り合いの知り合いであったりするわけだから(監督とわたしは知り合いなわけで、だから映画に出て来た人は少なくとも知り合いの知り合いなわけだよね)「この人がレズビアン全体の意見を言っている」とは到底思えないわけだ。

ま、ただ裏返して考えると、アイヌの人の意見をアイヌの人たち全員の意見、として捉えることの危険、みたいなのを感じる。少なくとも「一意見」に過ぎないことをわたしは意識しておく必要があるだろう。

それはともかくとして。

もう一つ。個人的な話は別として、話の時間的な軸になっている「関西レインボーパレード」が、自分もずっと出ている、ということがある。実際、数カ所で「あ、自分が映ってる」ってところもあった。そうすると、どうしても映画を突き放してみることが出来ないのだ。パレードのシーンが映ると「あー、この年はこんな感じだったよな」ってどうしてもそのことを強く思ってしまう。わたしにとっては「懐かしの映像」になる。そうすると感想も極めて個人的な感想になってしまう。

それと。上の2つのような「予備知識」が既に頭の中に入ってしまっている以上、観てて思うのは「映画の構成」になってしまう、ということだ。「ここまでのテンポはすごくよかったけど、あれ以降はなんか退屈だった」とか「ここの場面はわたしは分かるけど、知らない人が観たら混乱するんじゃないの?」とか、これは映画の感想ではなく、映画の構成についての感想になってしまうよね。

実際、この映画を観たあと、監督を囲んでみんなで「あーでもない」「こーでもない」と自分の意見を言い合ったんだけど、それはそれでとても楽しかったよ。けど、それは監督個人宛に言うべきことであって、こういう場で書くことではないよね。

最後に。これは一番初めと関連することなんだけど、例えばトランスの誰それさん、の話やシーンについて「あー、そうだったの。○○さん、すごく△△だったね」という感想を持ったとする。でもね。それはやっぱり個人的にこそっと直接その本人に言いたいの。こういうところですべての人に向けて「△△だったね」とは言いたくない。わたしの感想は個人対個人のものにしておきたいんだよね。なぜそういう気持ちになるのかはよく分からないのだけれど。

だからこの映画の感想を書くことはわたしには出来ないの。

どういう機会があるかは分からないけれど、よかったら自分自身の目で観て、としか言えない。。

ごめんなさい。
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